2023/05/05

決定版・これが太田屋だ





小学生のころ、

ほぼ毎日のようにかよっていた

「行きつけの店」。


学区内にあるその駄菓子屋は、

ぼくたち小学生にとっては

まさに楽園(パラダイス)の

ような場所だった。


『太田屋』


学区内には、ほかにも駄菓子屋が

いくつかあった。


学校の裏手にある『あさぎや』には、

分厚い板チョコなんかも置いてあった。


そば、うどんなどのお食事処の一角で

駄菓子を売っている『てるや』は、

駅前の界隈(かいわい)にあった。


『あわや』では、パンや果物、

やさいや生鮮食品だけでなく、

洗剤や歯みがき粉などの生活用品も売っていた。

駄菓子屋というより、個人店の「ストア」である。


ほかにも、パン屋さんやスーパーなど、

駄菓子やお菓子を売っている店はあちこちにあったが。


家から近い、という理由だけではなく、

断然、ぼくは『太田屋』派だった。

売っているものや店の感じが好きで、

かなりのおこづかいを使わせていただいた。


100円あれば、充分に満足できる。

けれども、使いかたをあやまれば、

あっというまに「何もできなく」なる。


選択と決断。

挑戦と学習。


勇気と経験こそが、

時間を彩るための「武器」となる。



いまはなき楽園、『太田屋』。



おとなになって、久々にのぞいてみたら、

区画整理のため、建物ごとなくなっていた。


小学校の高学年になると、

サッカー部の練習で帰りが遅くなり、

ほとんど行かなくなった。


中学生になると、駄菓子屋ではなく、

もっと「おとなびた」店に行くようになった。


最後に行ったのは、いつのことだったか。



そんな、心のふるさと『太田屋』。


以前、遠足の話でも

登場したことがあるこのお店だが。


< 過去の記述へ >


今回はその『太田屋』を、

あいまいな記憶をたどって、

回想してみようと思う。



* *



<外観>



『太田屋』は、一軒家の一部を

駄菓子屋にしたお店だった。


店の中へ入るまでに、

ぼくらを魅了してやまない、

いくつもの難関が待ちかまえている。


まず、いきなり最初に迎えてくれるのが、

2階建て、4世帯のガチャガチャだ。


1980年代前半。

スーパーカーやプロレスラー、

お相撲さんの消しゴムに代わって、

『キン肉マン』の消しゴム、

いわゆる『キン消し』が台頭していた。


そういうガチャガチャは、

『太田屋』にはない。


最新のキン消しなら

『あさぎや』や駅前のスーパーで。


時代に取り残された

「いい感じ」の消しゴムなどなら

『てるや』で出会える。

しかも30円で。


『太田屋』は、

『コスモス』のガチャガチャが看板だった。

たしか4台ともが、そうだったように思う。


夜光で光る「吸血鬼の牙」の「入れ歯」や、

直径3センチ、高さ5センチくらいの

ケースに入った「スライム」、

ヘビみたいに長くて自在に動かせる

「スネークキューブ」など、

そのときに流行ったものを

「いち早く」取り入れて、商品化していた。


『コスモス』については、

みなさんが詳しく研究されているので、

そちらを参照していただきたい。


商標などが「ゆるい」時代。

なんともあやしげで、

うさんくささのただよう

『コスモス』の「おもちゃ」たちは、

見世物小屋や

空き地で講談をする香具師(やし)のような、

なんとも言えない魅力があった。


まるで江戸川乱歩の世界のような。

明るい光を浴びた『キン消し』などとはちがい、

どこか、隠微(いんび)な陰がある。


当時の家原少年に、

そんな解釈など当然なかったが。

なんとなく、感覚的にそんな匂いは感じていた。


きっとその感じが、

魅惑の妙(みょう)として

効いていたのだろう。


ぼくらは、

まんまと「とりこ」になった。



いちばん最初のとき。

100円玉を投入して、

ガチャガチャっとハンドルを回して。

出てきたものに、がく然とした。


「え、なにこれ?

 こんなものが100円⁉︎」


野球のボールをかたどったそれは、

おままごとの、やさいや

くだもののおもちゃみたいに、

中が空洞の

プラスチック(PVC)の「玉」だった。


灰色がかった、

その緑色の玉は、手にも軽く、

いかにも「はずれ」た感じがしてならない。


それなのに。


そこには『当たり』と書かれている。


野球のボールの表面を

すぱっと切り落としたような部分に、

『当たり』という文字が

浮き彫りされていた。





『太田屋』は、

「おばさん」が一人で、

すべてを取り仕切っている。


「おばさん、こんなのがでた。

 この『当たり』って、なに?」


そこで初めて、この軽い玉が、

景品と引き換えるためのものだとわかった。


大きなピストルのような、

そんな感じのものだった気がするけれど。

初めての景品が何だったのかは、

残念ながら、忘れてしまった。


それでも、

ガチャガチャの器械にも、

カプセルにも入りきらないその「景品」は、

まさに『当たり』だと思った記憶だけは

鮮明にある。


両手にもあまる、

その『当たり』の景品に、

ぼくは、まんまと『コスモス』という沼に

はまっていくことになる。


パチンコやギャンブル、

お酒やその他のものにも

はまらなかった自分だが。


当時はすっかり『コスモス』に

からめ取られていた。



このガチャガチャとは別に、

自動販売機のような形の

『コスモス』がある。

(上図、右端)


赤いボディに、白ヌキ文字。


でかでかと書かれた『コスモス』のロゴは、

遠くからでも目についた。


おなじ色合いで書かれた

炭酸飲料の文字には目もくれず、

まるで目にも入らないのだが。

『コスモス』だけは、

1キロ先からでも

見つけられそうな勢いだった。


こちらはたいてい100円で、

ガチャガチャっと回す代わりに、

正面に突き出た、こげ茶色の、

分厚い辞書のようなスイッチを

押しこむことで、ごとん、と、

足元の取り出し口に「景品」が落ちる。

(お店によっては、

 レバーを引き下ろすタイプのものもあった)


景品の入った箱は、

大きさは7×10センチくらい。

石鹸箱をやや大きくしたくらいのサイズだ。

大きさは一定だが、

表面の図柄や写真は、いろいろあった。



『武器シリーズ』


と銘(めい)打たれたおもちゃは、

金色と銀色の金属を使ってつくられた、

オノや剣や三節棍(さんせつこん)などの、

ずっしりと重たいものだった。


足元の取り出し口に落ちた箱を手に取り、

どきどきしながらふたを開ける。


「やった! ヌンチャクだ!」


それはけっして、

武器にはならないほどの大きさで、

日常にはまるで何の役にも立たないものだった。


にもかかわらず、

けんめいに集めたくなるこの衝動。


ほかにも、

スパイ・グッズや立体パズルなど、

出てくる中身はいろいろ変わった。


新しいシリーズになったという報せは、

器械のディスプレイ窓にならんだ

表紙(ラベル)でわかる。


先述したとおり、

いろいろなものが「ゆるかった」時代。


『機動戦士ガンダム』的なおもちゃも、

さん然と輝きを放って、

少年たちを手招いた。


わくわくしながら箱を開けると、

天井知らずだったはずの期待感が

みるみるしぼんでいくようなものもあった。


「何このガンダム・・・」


自分がよく見知った『ガンダム』と比べて、

どこかおっとりとした、

やさしげな感じの「ガンダム」。


あるはずのものがない代わりに、

あろうことか、

額(ひたい)に「☆(星)」が

付いていたりしたときには・・・。


何だか自分が、

とんでもなく恥ずかしい

まちがいをしてしまったような気持ちで、

その場に立ちつくし、

一人、苦にがしく笑った場面も

数え切れない。


「ガンダム」にして

『ガンダム』にあらず。


ようするに「にせもの」。


言葉にならない感情。

やり場のない思い。


パチものの「ガンダム」のおもちゃを手に、

何とも言えない、

煮湯を飲まされたような面持ちで、

こぶしをにぎりしめ、

『コスモス』の赤い器械を

じっと見すえたものだった。



何となく「それ」を理解すると、

今度はその、「パチもの」ならではの

よさにも「気づき(だまされ?)」はじめる。


正規のものには、ない商品。

何か足りない、ゆるい造形ではあっも、

飢えた少年の心には、

ときに、それが「いいもの」に映る。


身長5、6センチ。

半分機械が透けている、

「ガンダムシリーズ」のモビルスーツ。


なぜに黄緑?

なぜに透明部分がオレンジ?


いろいろ言いたいことはあったけれど、

それでも、これは「いいな」と思った。







ときどき、

どこにも書かれていない種類の

おもちゃが出てくることがある。


たいていは「はずれ」だったが、

ときには予期せぬ「当たり」とも遭遇した。




たしか、小学1年生か2年生の、

ころのことだと思う。


出てきた箱を手に取ると、

空箱かと思うほど軽かった。


はずれか・・・と、

がっかりしつつも、中身をたしかめる。


『<<<当たり>>> 2番

 お店の人に交換してもらってください』


そんな紙が1枚、入っていた。


さっそく、おばさんに言う。


手渡されたものは

「オルゴール」だった。


ピンク色の、幅8センチくらいの、

小さなオルコール。


鳴らしてみると、

ピンク・レディーの

『サウスポー』のメロディが流れた。


「100円なのに、

 こんなオルゴール、大当たりだ!」


姉は、ピンク・レディーが好きだった。

それも、もう「むかし」のことかもしれない。


それでも、そのとき思った。

きっと姉がよろこぶはずだと。


もうすぐ姉の誕生日だ。

すぐに渡したい気持ちでいっぱいだったが、

そこをぐっとがまんして、

12月まで待った。


結局、誕生日までは待てずに、

2、3日くらいして、姉に渡した。


ばか正直に、

100円で当てたということを話すと、

姉が「ふうん」と言った。


なんとなくそれが、

がっかりしたような感じに聞こえて、

言うんじゃなかったな、と思ったりした。




『太田屋』の店先には、

ほかにもいろいろなゲーム機があった。


時とともに、

そのラインナップや配置も

変わっていったと思うが。


10円玉を入れて、レバーを操作して、

その10円玉を「ゴール」まで運ぶという、

ゲーム機があった。

(通称「10円ゲーム」と呼ばれているらしい)


同時期ではなかったかもしれないが、

たしか、東京から博多まで行くゲームと、

山のぼりのような探検のような

ものがあった気がする。


もしかすると、

ちがうお店の記憶も

まじっているかもしれないが。


とにかく、

道の切れ目や障害物から

下の穴に落ちてしまわないよう、

レバー操作の力加減で、

上手に「ゴール」まで

10円玉を進めていくゲームだ。


ゴールすると、景品がもらえる。


当時、もらった記憶は、ない。

(おとなになってから、

 熱海で挑戦したとき、ようやくもらえた)



あいまいな記憶をもとに

書いた記述。


「答えあわせ」というか、

「確認」というのか。

絵図を描きあげてから、

インター・ネットで調べてみると、

いろいろわかった。


東京から博多へ行くゲームは、

『新幹線ゲーム』と呼ばれているらしい。


『山のぼりゲーム』は、

10円玉を運ぶものではなく、

ボタン操作で時間内に

山頂まで「登頂」するゲームだ。

それはそれで、『太田屋』か、

また別のお店にあったと思う。


あいまいな記憶では、

たしか「10円ゲーム」で、

ヘビとかジャングルみたいな絵の

描かれたものがあった気がする。



「じゃんけんゲーム」は、

途中からの登場だった。


『じゃんけん、ぽん!』


『あいこで、しょ!』


というかけ声のあとに、

勝てば『やったね』、

負けると『ずこっ』という声が返る。


自分はそれほどやらなかったが。

誰かしらが「じゃんけんゲーム」をしていて、

お店の中によくその声が響いていた。




さて、お待たせしました。


ようやくお店の中でございます。


ね?


言ったとおり。

中に入るまでに、

なかなか手ごわかったでしょ。



* * *





『太田屋』の店内は、

こんな感じだった。


床はコンクリートの土間で、

昼間でもそれほど明るくない。

逆に冬場の夕方のほうが、

蛍光灯の光が明るく感じる。



<図1>



入口を入って左手、窓側には、

各種の「くじ」が吊るされている。


<図1>左上、

スーパーボールのくじ。

窓からの日の光を浴びて輝くそれは、

どんな宝石よりもまぶしく見えた。


透明な玉の中には、

きらきらとしたラメがおどり、

七色にきらめいている。


透明なものの中には、

色のついた「透明」もあり、

中に動物の「人形」を

閉じこめたものもある。


(「ガンダム」のモビルスーツの人形が

 入っているものがあって、どうしても

 その中身が取り出したくて、

 スーパーボールを割って、

 人形の表面にこびりついた「ゴム」を

 けんめいにこそぎ落として。

 終わってみて、ようやく気づいた。

 出してみたら「ごくふつう」で、

 スーパーボールの中に入っていたときのほうが、

 「特別」だったなと・・・。

 後悔しても、もとには戻らなかった、という、

 甘酸っぱい思い出もアリ〼)


いちばん大きいものでは、

直径4センチくらいある。

中(ちゅう)当たりで、3センチくらい。

透明ラメじゃなく、

不透明でマーブルのものある。


くじの番号が若ければ若いほど、

上のほうに飾られた、

より「かっこいい」『当たり』がもらえる。


それはどのくじにも

言えることだ。


スーパーボールに「はずれ」はない。

かならずスーパーボールがもらえる。

けれども、下のほうの、

番号が70番とか

3桁(けた)のものになると、

不透明で単色で、

大きさは2センチくらいの、

ごく「ふつう」のスーパーボールになる。


そうなるともう、

ただの「ボール」ということになりそうだが、

小さいほうが、

かえってよく跳ねるような気もした。



その右となりは、銀玉鉄砲のくじ。

1等の鉄砲は、本当にもう、

あこがれのような存在で、

鉄砲というより

ライフルくらいの大きさがある。


本当に、ものすごくほしかった。


1回30円だったか。

何度か挑戦していれば、

いつかはかならず当たるはず。

そう思って、

くる日もくる日もくじを引いた。


吊るされた鉄砲も、

たいぶ少なくなってきた。


あと少し。

あともう、ほんの少し。


そう思って

「がんばって」いたのだが。



待てど暮らせど。

「それ」は、当たらなかった。



本当に『当たり』は

入っているのかと思えるくらい、

その道は険しく長く、はてしなかった。


小・中当たりの「鉄砲」は、

何丁も手に入れた。


鉄砲のくじの「はずれ」は、

青い透明のビニール小袋に、

銀玉が20粒くらい入ったものだ。

何かの薬の錠剤か、

大粒の仁丹(じんたん)にも見える。


銀玉は、割れると

中から砂が出てくる。

けっこう、もろい。


個体差もあり、

きちんとした円形をなさないものも多い。


そんなこんなで、

使っているとすぐになくなる。

20発なんて、ものの30秒で使いつくす。


とはいえ、

いくらやっても当たらないくじに、

いい加減、愛想がつきてきた。


そしていつしか。


気づかぬうちに、

そのくじが、ひっそりと姿を消した。


誰かが当てたという噂も耳にせず、

知らぬまに、ちがう「くじ」に変わっていた。




<図1>の上段、

いちばん右は「ロケット弾」のくじだ。


ロケット、または

ミサイルのような形をしていて、

先端部分に「火薬」をセットして、

宙に放り投げると地面に当たった衝撃で

火薬が「パァン!」と鳴る。

そんなおもちゃだ。


『当たり』はサイズが大きくて、

形もちょっと、いかつくてかっこいい。

色の組み合わせも、なんだかいかしている。

2個セットのものもある。


はずれは「火薬」だ。


マッチ箱くらいの大きさの箱に、

ミシン目の入ったシート状の火薬が

何発か入っている。

たしか1シートで6発、

それが2、3枚くらい入っていた。


ルーシー・イン・ザ・スカイ・

ウィズ・ダイアモンドみたいな。

なんだかあぶない

お薬みたいな感じで。


箱には、ソフト帽をかぶった、

スパイみたいな

おじさんの絵が描かれていた。


市販されていた、

鬼のマークの紙巻火薬よりも、

1発の量が多かった。


けれどその分、破裂させるには、

大きな力が必要だった。


小ロケット弾では、

ときどき不発に終わることがあった。

ぷしゅっと燃えただけで、

音が鳴らないまま役目を終えてしまう、

そんなかなしいことも

幾度かあった。


紙巻火薬や、

その「スパイのおじさん火薬」を、

何枚まで重ねて鳴らせるか。


重ねるほどに音も大きくなり、

火花の閃光(せんこう)も、

はっきりと目で見えるほど明るくなる。


宙に放り投げるだけでなく、

思いっきり壁や地面にたたきつけたり。


ロケット弾は、

先端部分と胴の部分が

切りはなせるようになっていたので、

先端近くに粘土をつめて、

地面に落ちる速さ、強さを強力にした。


2枚、3枚の火薬は

「よゆう」だった。


4枚、5枚、6枚と増やしていって。

何枚目か、はたまた何回目かに、

ものすごい音と火花が炸裂(さくれつ)して、

ロケット弾そのものが破裂した。


少年は、

何ごとにも「限界」があるということを、

そこで知りました。


こうしてエジソンは、

電球を発明したのでありました・・・。




窓辺に吊るされたくじの下には、

透明の、ガラスケースの棚があった。


上段には、所せましと

各種のくじがならんでいた。


ガムのくじは、

おばさんに10円はらって、

黄色い棒の「スイッチ」を押すと、

中からガムの玉が

ころころと転がり出てくる。


そのガム玉の「色」で、当たりが決まり、

そのままお店で使える「金券」代わりになる。

「はずれ」は、「ふつうの」ガムだ。


赤だと100円、青が50円、

黄色が30円、といった具合に。

(正確な色は忘れてしまった)


最初、せっかくの赤玉を、

何も思わずいきなりぱくりと口に入れてしまい、

友だちに言われて、

あわてて口から出した。


半分くだけた「赤玉」を手に、

おばんさんからしぶしぶ、

100円の「権利」をもらい受けた。



棚の中段には、

これまたくじがならんでいる。


左は、チョコがけのお菓子のくじ。

当たれば、ドーナツくらいの大きさの、

チョコがけ菓子がもらえる。

はずれだと、

直径3センチくらいの、

小さなドーナツ状のチョコがけ菓子が

1つもらえる。

中当たりでは、小さなやつが、

何個かもらえるという仕様だ。



まん中には、

ウイスキーボトルの形をした容れ物の中に、

「ミンツ」が入ったお菓子のくじ。


ミンツとは、

おなかが痛いときに飲む小粒の薬

(≠『正露丸』。『百草丸』や『はら一服』)

くらいの大きさのお菓子。


それが『サントリーオールド』や『角瓶』、

『ジョニー・ウォーカー』風の

容器に入っている。



当たりは「ボトル入りミンツ」で、

はずれは「小袋入りミンツ」。

まるで「銀玉」のような感じだが、

小袋にはきちんと絵が描かれている。


この袋の素材が、

なかなか粘りのある素材で、

手で引きちぎろうとしても、

そうそう簡単にはいかないのだ。


にゅうん、と、

伸びてしまった袋はどうにもならず、

仕方なく、歯を使って

開封することになる。


それでいて、

この袋の素材というのが、

セロファンみたいな感じのもので、

唾液などの水分にふれると、

のりを塗ったようにくっついてしまう。


うまく開封しないと、

中身を食べられぬまま、

味のないワカメのような小袋を

いたずらに噛みしだくだけに終わる。


そう。

駄菓子屋は戦場だ。


そうそう簡単に

うまく運ぶことばかりではない。

いつも知恵くらべ、

いつでも腕だめしの連続。


お菓子は甘くても、

そんなに甘やかしてはくれないのだ。



中段、右端は、カステラ菓子のくじ。

当たると、

直径7、8センチくらいの

円盤状のカステラがもらえる。

はずれだと、

直径3センチくらいのカステラが、

くしに4つ刺さったお菓子がもらえる。


このカステラくじに関しては、

個人的に、「はずれ」が「当たり」だった。

ぼくは「はずれ」の、

くし刺しカステラのほうが好きだった。


くちびるの端から頬(ほお)にかけて、

細かなグラニュー糖をびっしり装(よそお)いながら、

水気を失い、ぱさついたカステラをかじり取る。

くしにこびりついたカステラを、

未練がまししく、

しつこく前歯でがりがりとこじり取る。


まるで骨つき肉にかじりつくような感じで、

野性味たっぷり、ワイルドな自分に、

原始の血がさわぐのを

感じずにはいられませんでした。


(ちなみに「バナヤン」というお菓子、

 当たりのくしは先端に赤い印があるのだけれど、

 歯ぐきの歯周ポケットの部分に

 くしの先端を突き立てて赤く染めあげ、

「おばさん、当たった!」と言ったことのある方、

 手元のボタンをスイッチオン)



棚の下段は、

駄菓子界のシンデレラ、

『うまい棒』各種。


当時はまだ、種類もそれほど多くはなく、

めんたい味・バーガー味・サラミ味・

やさいサラダ味・チーズ味、

これくらいが「定番」だった。


こんなにうまい、棒はない。

ぼくが知る棒の中でも、

この棒は、かなりうまい、棒だと思う。

なるほど。

うまい棒とはうまく言ったものだ。


ちなみにぼくは、

めんたい味とサラミ味が好きだった。

いまでは、シュガーラスク味が好きだ。

チキンカレー味は、

白ごはんといっしょにいただける。


前にも書いたかもしれないが。

うまい棒の包装を、やぶらず、

膝(ひざ)に打ちつけて開封する。

そんな挑戦も流行った(?)ものだ。


強くにぎりすぎると、棒が折れる。

甘くにぎりすぎると、開封できない。


迷わず、躊躇(ちゅうちょ)せず、

思いっきり勢いよく、

うまい棒のお尻を膝に打ちつける。


すると、

空気がはじける音とともに、

ぽん、と、うまい棒が顔をのぞかせる。


駄菓子屋は、いつでも戦場だ。


勇気を持つ者だけに、

その先の景色を見ることが許される。


頭や口先だけでは、扉も開かない。


行動あるのみ。


できるかできないかよりも、

やるやつがえらい。

やったやつがえらい。


そして、

できたやつは、もっとえらい。


『あまい棒』(2008年)



* * * *




<図2>



<図2>左上は、

袋に入ったブロマイドやシールなどを

下から引っぱって取る「くじ」が

たくさん吊るされている。


分厚いアルバムみたいな中から、

1枚選んで、びりっと引きちぎる感触。

まん中あたりか、それともいちばん後ろか。


袋の中からは、お目あてのものや、

まったくそうでないものまで、

いろいろなものが出てくる。


アイドル系のものには興味がなかったので、

当時、ちまたを席巻していた

『なめ猫』のカードなどに手を出した。


免許証を模(も)したそのカードは、

顔写真部分に、

学生服やセーラー服を着た猫の写真、

有効期限は、

『死ぬまで有効』

『なめられるまで有効』

などと、気の利いた文句が書かれていて、

住所は、魚や猫の好物にちなんだものだった。


まだ何の免許証も持たない、

幼少期のぼくには、

それが何かの「免許」のようで、

うれしくていつも財布の中に入れていた。


しばらくして、ふと気づいた。


「あれ? なんか、ちがう気がする」


その違和感は、

まるでまちがい探しのようなものだった。


『なめ猫』の免許証。


よくよく見ると、

『なめんなよ』ではなく、

『なめるなよ』と書かれていた。


『ん』と『る』のちがい。


略したら、どちらも『なめ猫』。


ネットも情報源もない当時、

幼少期の自分には、

どちらが「正解」なのか、

わからなかった。


何だかだまされたような気がしたが。

うそは、誰もついていない。


くじの表紙にも、

『なめるなよ』とはっきり書かれている。


勝手に「だまされた」のは自分。

だまされるほうが悪い。



筆箱(カンペンケース)に

思いっきり貼った

『なめるなよ』のキラキラステッカーが、

授業中、ぼくに語りかける。


注意深く生きなさいと。



駄菓子屋は、いつでも戦場だ。


学校では習わない、

社会の仕組みを教えてくれる。


2匹目のドジョウは、

あたかも1匹目のように、

上手になりすます。


それもまた、

ひとつの「術」なのだと。


日々、勉強ですね。




『太田屋」では、手持ちの100円で、

どれだけ長く遊べるか、その腕が試された。



『太田屋』でポテトチップスや

パイの実を食べたら、それで終わりだ。


それだけでおなかがいっぱいになってしまうし、

それだけでお金は、すっからかんになる。


当時のぼくは、100のうち、

からい(塩味系)お菓子は70〜80%、

甘いお菓子は20〜30%と。

なんとなく、それくらいを保っていた。


おなかがいっぱいになりたいわけじゃない。

かといって、

食べた感じがしないのもさみしい。


より長く、いろいろな味を、味わいたい。

味は、味覚であり、食感であり。

食べ終わったときの満足感。

量よりも種類。

西太后(せいたいごう)的、

満漢全席(まんかんぜんせき)志向ですね。


当時のぼくが、

そこまで「考えて」いたかは別としても。

限られたお金と時間の使途を、

真剣に吟味していたあのころ。

おそらくそういったことを

感覚的に実践していたにちがいない。



安定、安心の、

おなじ道をたどるもよし。

冒険に出るのもまたよし。


「キャベツ太郎と味カレーと、

 うまい棒サラミで50円。

 あとはくじで10円と、

 チューチューの青が10円で70円だから、

 残りでユーオーチョコを買って、

 あとはカステラくじで決まりだな」


くじの代わりにゲームをしたり。

お菓子を半分にしてガチャガチャをしたり。

時にはガムを噛んでみたり。

100円を使ってコーディネート。

それが、たのしかった。


たしかめるだけでなく、

考えるのが、試すのが、

冒険するのがたのしかった。


人の失敗から学ぶこともある。


いきなり大きなアメ玉をなめて、

おかげでぜんぜん、お菓子が食べられない。

けっきょく途中で、いったん口から出して、

包み直すものがなくて、

自分の家の感覚で卓上ゲーム機の上に置いて、

おばさんにしかられて。

あわてておろおろしたあげく、

仕方なくこっそりと

外のゲーム機のすみっこに置いて。

戻ってみたら、

アリの大群にびっちりたかられていたりして。


むちゃくちゃ「しけった」、

ソフトクリーム型のマシュマロ。

薄い、透明の袋のお菓子はしけりやすい。


補充されたばかりのカレーせんべいは、

味も食感もすごくおいしい。


どのタイミングで買うのがいいのか、

その鮮度を見極めることも知らずに覚えた。



鮮度でいうと、

『焼肉さん太郎』や『蒲焼さん太郎』は、

初めて食べたものが、

かなり「ねばりづよく」、

まるで靴の中敷を食べているような感じだった。


けれどもそれが最初だったので、

そういうものだと思っていた。


歯ごたえのある、ビーフジャーキーのような。

前歯で引きちぎり、奥歯で嚙みしめる。

そんな「歯ごたえのあるやつ」だと認識した。


あるとき、『てるや』で、

『焼肉さん太郎』と『蒲焼さん太郎』、

2種類を1枚ずつ買った。


先に食べた『蒲焼さん太郎』は、

薄いべっこう飴みたいに、

いともたやすく、ばりん、と割れた。

噛みごたえは、

それほどちがって感じなかったけれど。

その、あまりの「もろさ」に、

すごく驚いた。


冬場だったせいか何なのか。

『太田屋』と『てるや』では、ちがうのか。


つづいて食べた『焼肉さん太郎』は、

いつもとおなじように、

歯ごたえのある、ねばりづよいやつだった。


どちらが「正解」なのか。

いったい何が「結論」なのか。

けっきょく、よくわからなかった。


出会いはタイミング。

最初の出会いで、変わるものもある。


でも、

どっちもいいかなって、

そう思う。


ぱりっと割れても、

うにゅっとねばっても、

それぞれの「おいしさ」があるから。


駄菓子には、

それを許せる「幅」がある気がする。




* * * * *




<図3>


『太田屋』は、

夏でも冬でも、入口の扉は開け放たれている。


そのせいか、

板チョコなどの「チョコレート」は置いておらず、

「チョコレート菓子」や

「準チョコレート菓子」が多かった。


だから、チョコレートは貴重だった。


『五円チョコ』や『チロルチョコ』は、

『太田屋』でたのしめるチョコレートの主力。


チョコレートが好きなぼくは、

先述の『ユーオーチョコ』か

この2つのどれかには、

気がつくと手が伸びていた。


『太田屋』には、イカみりんみたいな、

おつまみ・珍味系の商品もなかった。

おばさんの好みか、それとも、

開け放った戸口から猫が入ったりするからか。


当時、あの魚っぽい匂いが苦手だったぼくは、

そういった点でも『太田屋』には、長居できた。



<図3>のコーナーには、

甘い系のお菓子がならんでいる。


『ビス君』をはじめ、

『さくらんぼ餅』や『青リンゴ餅』、

先ほどのソフトクリーム型マシュマロなども

このコーナーの棚にあった。


アメハマのコーラ、ソーダキャンディは、

長いあいだ、たのしんでいられるので、

ゲームをやるときや、

遊んでいるときには最適だ。


コーラをあまり飲まなかったぼくも、

コーラ味のお菓子は好きだった。

『コーラアップ』やコーラ味のラムネなど、

お菓子のコーラはよく食べた。


マルカワのフーセンガムは、

ゆっくりたのしめるうえに、

フーセンをふくらませて遊ぶこともできる。


中でも『フィリックスガム』が

お気に入りだった。

あの、ねっとり、もちもちとした食感と、

甘い「いちご味」がたまらない。


くじに描かれた絵もよくて、

はずれだと、

手から風船をはなして泣いている姿や、

尻もちをついて転んでいる絵が描かれていた。

当たりは、的のまん中に矢が刺さった絵で、

いかにも「当たった」感じがする。


あと、4粒入りの箱のガムの、

オレンジ味も好きだった。



アメハマのアメも、

マルカワのガムも、チロルも10円。

『焼肉さん太郎』や、うまい棒も10円。

これって本当に、すごいことだと思う。


いまでもずっと10円なのだから。

これはもう、感謝するしかない。



オリオンの、

小さな缶ジュース型のラムネは、

コーラやソーダ味にはじまり、

ブルーベリー味やラ・フランス味など、

新しい味を見かけたら、

かならず食べた。


食べ終わった「缶」は、

各種1個ずつ取って置いてある。

(いまでもある)





遠足のバスで、

フタのリングが指からぬけなくなって、

かなりあせった。


大阪のおじいちゃんの家に行くと、

駅のショーウインドウに、

オリオンのディスプレイがあった。


たくさんの「空き缶」を使った

そのディスプレイは、

まるで夢の世界のような

ときめきがあった。



ラムネといえば、

カクダイのクッピーラムネもかかせない。

口に入れて、じわっととかすか、

奥歯でカリッと噛みくだくか。


味は、白はもちろんのこと、

ピンクのイチゴで甘みを感じ、

黄色のレモンで、

こめかみをきゅっと刺激するくらいの

酸味を感じたり。

その中間のようなオレンジも、

見つけたらそっとよけて、

あとで食べたりした。


味はもちろん、

あの、平和な感じの、

パッケージの絵もすごく好きだ。


変わらないことの、よさもあると思う。

駄菓子には、そんな安心感もある。



チーリン製菓のラムネ・チョコ菓子は、

容器のたのしさに惹かれて、

見るたびついつい収集してしまう。


フエのついた容器、

ビールジョッキ型、カメラ型など、

その造形に、

くすぐられっぱなしだった。



<図3>の棚のすみには、

<図1>の各種のくじが、

プラスチック製のカゴに入れて置かれていた。


くじは、めくるタイプと、はがすタイプ。


はがすタイプは、ときどき、

青紫色の薄紙ではなく、

厚紙部分の層を削ぐようにして

めくってしまうことがあった。


爪を切ったあとなどは、

本当にはがしにくく感じた。


そんなときは、おばさんに委ねる。

おばさんは、くじをもむように

くしゃくしゃっと折り曲げ、

小さくできたすきまから

薄紙をめくる。


さすがは百戦錬磨の達人。


わがままなぼくは、


「ぜんぶはがさないでね」


と言って、

めくるよろこびだけは、

しっかり確保した。

左:めくるくじ  右:はがすくじ


『太田屋』には、

レジらしきものはなかった。


店の片すみに、

手提げ金庫のようなものは、

置いてあったが。


お会計は、おばさんとのやりとりで、

お釣りやお金は、

おばさんのエプロンのポケットから出てくる。


まるで「ふしぎなポッケ」のように、

じゃらじゃらと。


10円用のポケットと、

50円・100円用のポケット。


10円玉や100円玉を、

何十枚も入れたエプロンは、

さぞかし重かったはずだ。


当時はそんなことも考えなかったが。


それは、

おばさんが長年の経験でつちかった、

知恵なのだろう。




* * * * * *





<図4>




『太田屋』には1台、卓上ゲームがあった。

いわゆる「アーケードゲーム」、

たしか『ギャラガ』だったように思う。


古き良き『インベーダー・ゲーム』の

延長線上にある感じの「シューティング・ゲーム」。

昆虫みたいな「飛行物体」を、

攻撃をかわしつつ、

ひたすら撃ち落としていくというゲームだ。


『太田屋』で、

100円や50円の「ゲーム」をするのは

なんだか「もったいない」と思っていた自分は、

卓上の画面をながめるだけで、

1度もやったことはない。


当時の自分は、10円のゲームで充分だった。

おなじ100円なら、

10円ゲームを10回やるほうがよかった。




夏休みのことだったか。

お昼すぎくらいに『太田屋』へ行った。


ガチャガチャを、ガチャガチャっと回し、

中から出てきた「当たりボール」を手にして、

お店の中に入る。


がらんとして、薄暗い店内。

誰もいなかった。

お客どころか、おばさんの姿もない。


しばらくきょろきょろと首を動かし、

おばさんの姿を探してみる。


いない。


すると、店の奥、のれんの向こう側から

何やら音が聞こえてきた。


ゆっくり近づいてみると、

すりガラスの向こうに動く人影が見えた。

何も考えず、そろそろと扉を薄く開けた。


そこは台所で、

座卓の前に座って「そうめん」を食べている

人の姿があった。


自分よりは年上だろうか。

半ズボンをはいた、少年だった。


水場には、洗い物をする

「おばさん」の横姿が見える。


ほんの短い瞬間ではあったけれど。

そうめんをすする少年と、目が合った。

その顔に、はっとした。


(太田くん!)


声にこそ出さなかったが。

心の中で、思わず叫んだ。


そうめんをすする少年は、

1こ上の「先輩」の、「太田くん」だった。


『太田屋』=太田くん


そんなこと、いままで一度も考えたことがなかった。

簡単に気づきそうな結びつきのようだが。

灯台モトクロス。

あまりの驚きに、短い一瞬のあいだ、

目的も忘れて棒立ちになっていた。


遅れておばさんが、

濡れた手をエプロンでぬぐいながらやってきた。



以来、太田くんを見るたび、

いいなぁ、うらやましいなぁ、と思った。

絶対そんなことあるはずないのだが。

毎日お菓子が食べ放題で、

ゲームなんかもやりたい放題なんだろうなと。


そして思った。

よく見ると、いままで気づかなかったのが不思議なくらい、

太田くんの顔と「おばさん」の顔は、

そっくりだった。

その顔がダブって見えるくらい、

見れば見るほど、よく似ていた。




* * * * * * *




<図5>



<図5>、

入口を入ってすぐ右手に、

冷蔵庫(ドリンク・クーラー)が立っている。

銭湯とかのビン牛乳もそうだけど。

あれってなんだか、

飲み物がおいしそうに見えるから不思議だ。


夏場なんて、透明なガラスが白く曇って、

いかにも「よ〜く冷えてるよ〜!」といった感じで。

汗をかきかき、自転車をこいで

たどり着いた夏場などは、

その「ひえひえ感」に、

思わずごくりと喉を鳴らしたものだ。


よく冷えた『チェリオ』は、

うまかった。


たしか、70円だったか。

ビンを返すと10円くれるので、

実質60円だったということか。

それとも、実質70円だったのか。

記憶があいまいMeマインだ。


金属のキャップ(王冠)を、

せんぬきでプシュッと開ける。

あの瞬間の、音と感触。


プシュッと言わさないよう、

わざとゆっくり開けてみたり。

王冠に曲げ傷をつけないよう、

できるだけきれいに開けてみたり。


そんなことを、みんなで競いあって遊んだ。



『太田屋』にはなかったが、

ビンのジュースの自動販売機には、

せんぬきが据えつけられていた。


自動販売機の本体に、がっしりと、

金属製のせんぬきの「口」が設けられていて、

直接、ビンの王冠をあてて、

ビンを下に押し下げる感じで、

せんを開けるのだ。


開いた王冠は、そのまま

本体の中へと飲みこまれる。


王冠を集めているときなどは、

王冠とせんぬきとのせまい「すきま」に、

指をそえて待ちかまえ、

王冠が飲みこまれる前に「キャッチ」した。


そのどきどき感たるや。


やり直しのきかない「その瞬間」に、

どれだけの気血を注いだことか。


少年は、

いつでも真剣勝負だった。



『太田屋』では、

よく冷えた『チェリオ』のわきに、

よく冷えた「チューチュー」が置いてあった。


まるで手を洗う石けん水、アルボースのような。

緑、青、ときどきオレンジ。

外国の飲料売場で見るような、

極彩色の、着色パラダイス。


グアムやアメリカで、

暑い日に飲みまくっていた『ゲータ・レイド』。

日本では、ああいうビビットな色合いのジュースを、

おとなが飲んでいる姿をあまり見ない。


というより、

そんな原色の飲み物は、売っていない。


少年時代のぼくらは、

舌が青や緑に染まるほどの飲み物を、

チュウチュウとおいしくいただいていた。


いまでも駄菓子屋へ行けば、飲みますけどね。


ノーマルなチューチューは、10円。

ちょっと懐中(ふところ)があったかいときには、

リッチでゴージャスな、30円のチューチューを買う。


フタをきゅっと閉めると、

しゅわぁっと泡が立ち、

ちょっとした炭酸飲料みたいな

味わいになるチューチューだ。


不思議とジュースを飲んでも感じないのだが。

よく冷えたそれは、

ものすごく贅沢な感じがして、

自分が貴族にでもなったような気がした。





* * * * * * * *






<図6>



さて、いよいよ最後、

<図6>です。


この島には、

あげせんべい(みりんあげみたいなお菓子)と、

カレーせんべいのくじがある。


あげせんべいは、

直径3センチくらいのもので、

カレーせんべいは5センチくらい、

胸パットみたいな形の、

くるんと反りあがったもので、

「キングカレーせんべい」とはまた別のものだ。


くじは1回10円。


あげせんべいの「はずれ」は、

たしか5個くらいで、

カレーせんべいの「はずれ」は、

4枚だった。


正確な数字は忘れたが、

カレーせんべいなどでは、7枚や12枚、

大当たりで50枚なんていう、

驚きのジャックポットがある。


以前の、遠足の回で書いたが。

この「大当たり」は、ほとんど出ない。

だからこその大当たり。

自分は12枚くらいが最高だった。


図には描きそびれたが、

買ったせんべいを入れてくれる

半透明の小袋が、

ラックの柱にかけてあった。


穴あけパンチで穴をあけた袋に、

金魚すくいの袋の紐(ひも)のような素材の、

ピンク色のビニール紐が通され、

引っぱればすぐ

1枚ずつ取れるようになっていた。


市場や専門店などでもよく思ったが。

こういう仕事場の知恵には感心する。


ドゥ・イット・ユアセルフ。

一見、何のことはないようだが、

機能的で合理的にできているそれらは、

経験と知恵の集積だ。



棚の下段には、

『モロッコヨーグル』、そして

『フルーツマンボ』の耳だけを集めた

「お徳用袋」があった。


ぼくは、このどちらも好きで、

けっこうな割合で買っていた。


モロッコヨーグルは、

モロッコの特産品だと思っていた。

ゾウの絵が描いてあるので、

よけいにそう思った。


『太田屋』のおばさんは、

このモロッコヨーグルのスプーンの数に、

うるさかった。


小さな輪ゴムで束ねた

木のスプーンを取るとき、


「1個で1本だからね」


と、かならず合言葉のように言って、

ものすごくじっとぼくらの手もとを凝視した。


当時のぼくは、

2個買ってもすぐに連続で食べるので、

スプーンは1本あればいいと思っていた。

だから、

おばさんがそこまで目を光らせる理由もわからず、

別に気にもしなかった。


スプーンのことでけんかをしたり、

どなりあったり。

きっとすごいかなしい経験をしたのだろう。

そう思った。


ぼくは、このモロッコヨーグルが好きで、

健康のために、

毎朝、食べてもいいと思うほどだった。


大きくなって、

大きなサイズのモロッコヨーグルを初めて見たとき、

何の迷いもなくそれを買った。

気になるスプーンは、

アイスクリームのスプーンだった。


大満足のご満悦だった。


あたかも何かを成し得た、成功者の気分で。


モロッコヨーグルを見ると、

20代後半、下北沢のベンチで、

一人、ジャンボ・モロッコヨーグルを

食べた日のことを思い出す。



「ジャンボ」は、

ケニアの言葉で「こんにちは」だけれど。

スワヒリ語では「マンボ」が「こんにちは」。

そしてモロッコの公用語は、フランス語です。


ということで。


『フルーツマンボ』というお菓子。

味自体は、モロッコヨーグルと近いものがある。


スフレ状か固形か。

あぶらっこいか、さっぱりしているか。

かなり大ざっぱだけれど、

遠い親戚くらいな気がする。


『太田屋』には、

このフルーツマンボの「端(はじ)」の部分だけを

集めて袋づめにしたお菓子があった。

透明袋に、紺色で商品名なども記された、

れっきとした「商品」だ。


お値段は30円。

袋の大きさは、5×10センチくらいで、

透明袋に、色とりどりの「耳」が、

ぱんぱんにつめられている。


「耳」とは、

フルーツマンボのビニールチューブを、

輪ゴムでしばった「端」の部分である。


フルーツマンボをつくる過程で、

両端を輪ゴムでしばって、

最後にその両端部分を切り落とす。

おそらくそういうことだろう。


そんな具合でできた「耳」。

それが、袋いっぱいに入っている。


たまーに、3センチくらいの「本体」が

まざっていたりもしたが。


なぜだか自分は、

この「耳」が好きだった。

もっと言えば、「耳」のほうが好きだった。


パンやバウムクーヘンでも、

耳の部分って、おいしいよね。


正規のフルーツマンボを初めて見たとき、

なんと、あの袋づめマンボは、

この商品の「切れはし」だったのか!と、

驚き、よろめいた。


「耳マンボ」しか知らず、

「耳マンボ」で育ったぼくは、

初めての、

「本物」の『フルーツマンボ』を食べたとき、

ものすごく贅沢なことをしているようで、

ほんの少し、罪悪感すら覚えた。


この「耳マンボ」。

『太田屋』以外で見たことがない。


大きくなってからも、

一度もその「耳マンボ」と再会したことがない。


秋の遠足の、長距離移動のバスの中でも、

しっかり間がもったあの「耳マンボ」は、

いったいどこにいるのだろう。


正規の『フルーツマンボ』を味わいながら、

そんな遠きなつかしき日のことを

思うのでありました。



(あれこれ探してみたら、

 先ほどようやく画像を見つけました。

 丸義製菓のお菓子、

『バラエティマンボ』というそうです。

 そう、これです。

 値段も変わっていないとは。


 さらに、この耳の「本体」にあたるのは、

 『フルーツマンボ』だけでなく、

 『セブンネオン』『うさぎマンボ』

 『ロングフルーツマンボ』などがあるようです)







いかがでしたでしょうか、

駄菓子屋『太田屋』物語。


あなたは、『何屋』でしたか?

『何屋』にかよっていましたか?




ポケットの中には、100円玉が数枚と、

胸いっぱいの期待感。


それが、すべてだった。


何でも買えちゃう「ゆたかさ」より、

なけなしのお金で得られる「ゆたかさ」が、

そこにはあった。


ないからこそ、あるもの。


駄菓子屋はいつでも教えてくれる。

小学生にもわかる、禅(ぜん)や哲学の思想を。


言葉や情報ではなく、

自分自身の体験として、

言葉にならない感覚として。

駄菓子屋はいつでも教えてくれる。




駄菓子屋は、夢と現実をつなぐパラダイス。

まちがえれば、「地獄」にも落ちる。


よろこび、どきどき、わくわく感。

期待、落胆、だまされ感。

くやしさ、後悔、学習。


自分を最大限に

たのしませてあげたいから。


お金なんかじゃなくって。

いつでも、真剣勝負なんです。



たかが駄菓子、されど駄菓子。

やさしすぎず、変わらずあたたかい。


消えゆくものが消えないように。


いまあるうちに、行動いたしましょう。




< 今日のなぞなぞ >


Q:お金持ちの家にある階段は?





答え:ラッセン階段