「おれは、おまえが400m先に逃げても、
眉間を一発で撃ち抜く自信がある」
映画でもマンガでもなく。
これは、ぼく自身が現実に言われたことのある言葉だ。
いったいどこの世界で
こんな言葉を投げかけられるのか。
疑問に首をかしげる方が、ほとんどでありましょうが。
これは、会社に入って、
けっこうすぐに言われた言葉である。
一体全体どんな会社なんだ、と。
ますます身を乗り出したくなるのは無理もないことです。
もちろん、狙撃(そげき)を請け負う会社でもなく、
射撃関係の会社でもない。
街のオフィスビルにある、広告代理店。
先の言葉は、
その会社の社長であるAさんから、
酒の席で言われた言葉だ。
★
広告代理店で働いていたのは、
20代のころの話。
いまからもう20年以上も前のことだ。
ぼくはそこで、
コピーライター(制作)として勤務していた。
Aさんは、社長(代表取締役)なのだが、
「社長」とか「A(名字)社長」とか、
肩書き付きで呼ばれることを嫌った。
だから、名字だけの「Aさん」という呼び方で、
ぼくらは呼ばせてもらっていた。
ちょうどぼくのひと回り上で、
30代のころ、その会社を立ち上げた。
某大手広告代理店の営業出身で、
売上全国1位という偉業を、2年連続達成したのち、
独立した。
創業当時3名だった会社も、
ぼくが入社したころは8名くらいで、
その後、数百名ほどの規模になり、
支社もいくつかできた。
ぼくは、
計3年しかいなかったので、
それを体感していない。
Aさんは、陸上自衛隊出身だった。
自衛官だった当時は
腹筋ばきばきで、
鋼のごとき肉体だったそうだが。
そのころのAさんは、
体重が104キロあった。
とはいえ、肥満体、といった風情はない。
ふくよかではあるが、
中身が詰まった、重厚な体つきに見えた。
「男は0.1トンからだ」
体重100キロ(=0.1トン)超のAさんが言う。
現役のころには、
五百円玉を曲げることができ、
つり革もリンゴも握りつぶせた、と。
試しに握ったリンゴは、
そのときでも見事、まっぷたつに割れた。
元自衛官のAさんは、
レンジャー部隊出身でもあった。
レンジャー部隊の隊員というのは、
地獄のような訓練と演習を経て、
その称号を手に入れる。
ひとりで「ふつうの兵隊50人分の殺傷能力」があるとの話だ。
言い替えると「50人力」、
または「50倍」の能力を持つということだ。
これまた酒の席で、
酔っぱらったAさんは、
「タオル1枚あったら、
一ケ村(いっかそん)を殲滅(せんめつ)できる」
とおっしゃっていた。
イッカソン。
センメツ。
日常生活ではなかなか耳にしない、
何やらおだやかではない響きの語句。
しかもタオル1枚で、である。
酩酊(めいてい)気分もどこへやら、
酒でもビールでもなく、
生唾をごくりと飲み下したくなる。
レンジャー隊員の返事は、
「レンジャー!」
のみだとAさんから聞いた。
肯定的な返事や、うれしいときには、
元気よく、
「レンジャー(↑)!」
と、声を張り上げる。
逆に、否定の気持ちを表すときには、
「レンジャ〜(↓)」
と、やや弱々しい口調で、語尾を下げるそうだ。
40㎏の装備を身につけたまま、
大海を泳いで、
船から投げられる握り飯を食い、
陸に上がって延々山をのぼり、
5m立方の穴を掘る。
縦・横・深さ、各辺5m。
角は直角、真四角の穴。
苦心の末、完成して、
勢い勇んで上官に報告。
上官は顔色ひとつ変えず、
「よし、埋めろ」
と言い放つ。
Aさんいわく、
そうやって心をへし折られて、
精神的なつよさが身につくのだと。
地上、数十mの高さに張ったロープを
匍匐(ほふく)で渡ったり、
ヘリコプターから
落下傘(パラシュート)で降下したり。
そんな「レンジャー訓練」を
見事、貫徹した者にのみ、
「レンジャー部隊」の称号が与えられる。
廊下ですれちがうときには、
非レンジャー部隊の兵から敬礼される。
Aさんは、そんなレンジャー出身のお方であった。
しかも、銃剣道(小銃の形をした木の武具で
相手と対決する武道)2段、
これまた全国大会で2度、優勝している。
しらふのとき、
雨傘を手にすると、
ぼくを目の前に立たせてこう言った。
「いいか、1ミリでも動くなよ。
ぴくりとでも動いたら眉間に風穴が空くぞ」
またもや眉間・・・である。
言うとおりじっと、
直立不動で立っていると、
雨傘を楷(かい)のようにぶんぶんふりまわしたあと、
躊躇(ちゅうちょ)ない動きで
ぼくの顔の中心目がけて突きを放った。
ひやり、風がゆらいだ気がする。
雨傘の先端は、
まさに紙一重の位置で静止して、
蛇のごとくぼくをにらみつけている。
言うとおり、ぴくりとでも動いていたら、
眉間に風穴が空く、そんな位置だった。
硬直するぼくに、
Aさんは、いつものごとく
がはは、と豪快に笑って、
重い、熊のような手を、
ぼくの肩に置くのだ。
そう。
なんとも子どもっぽくて、
なんともにくめない、
愛らしい「社長」のAさん。
ぼくは、Aさんのことが好きだった。
★ ★
「5分遅れると、兵隊が50人死ぬ」
待合せのとき、Aさんは、
つねづねそう言っていた。
おかげでぼくは、
いつしか5分前精神が身について、
いまでもついつい時間厳守で、
5分前の到着を目指してしまう。
だって、兵隊が50人死んじゃうんだもん。
10分だと、100人の兵隊が死んじゃうんだから。
元自衛官で、
レンジャー部隊出身のAさんは、
スナイパー(狙撃手)でもあった。
狙撃手。
そげきしゅ。
名捕手でも養命酒でもなく、
狙撃手、である。
狙撃手というのは、
ビルの屋上や物陰から、
遠くはなれた標的(ターゲット)を
撃つ兵のことをいう。
無知で勝手なイメージでは、
引き金を引いて、
バン、と発射された弾が
まっすぐに飛んでいって、
相手を撃ち抜く、
という絵が浮かんでいたのだが。
実際には、
それに限ったことではないらしい。
むしろ、相手に悟られないよう、
かなりはなれた地点からの狙撃を想定して
訓練していたという話で。
冒頭の言葉、
「おれは、おまえが400m先に逃げても、
眉間を一発で撃ち抜く自信がある」
というのも、
名狙撃手として腕を鳴らしたAさんだからこそ、
豪語できる言葉だった。
命中させるだけであれば、
1キロ先の、動く対象物でも可能だと言っておられた。
遠くはなれた標的をしとめる場合、
銃の弾道は、まっすぐではなく「放物線」を描く。
狙撃地点から標的の距離、射角。
数式に当てはめ、電卓で数値を算出し、
さらには、標的の動き、風向きなども「計算」して。
数秒おくれで届く弾丸を、
標的に命中させる。
狙撃には、
強靭な精神と冷静な判断力、
経験に裏付けられた たしかな技術と、
センスが必要なのである。
そう。
入社したてのぼくは、
400m先に逃げても、
きれいに眉間を撃ち抜けるのだと宣告された。
おそろしい会社に入ったものだ、と。
ぼくは、Aさんの手にライフル銃が渡らないことだけを、
切に願った。
★ ★ ★
ある日の社内、
営業の女の子が、
近くの量販店で買ったばかりの自転車に
空気を入れはじめた。
手動の空気入れで、
けんめいにポンプする彼女。
いくら入れても
いっこうに入る気配のないのを見て、
しびれを切らせたAさんは、
おれに貸してみろ、
と、空気入れを手にした。
わずか2、3秒ほどのこと。
いや、実際にはもう少し長かったかもしれないが、
それくらいあっという間に感じられるほどの瞬間。
みるみるふくらんだ自転車のタイヤが、
バボン、と、大きな音を立てて破裂した。
異口同音、方々からもれた短い悲鳴のあと、
静寂。
次につづいたのは、
Aさんの、不服そうな声だった。
「新品だろ?
空気入れたらパンクしたって、
いますぐ行って、替えてもらってこい」
いや、あなたの桁はずれの力が・・・
とは、誰も言えず、
営業の彼女は渋々、
お店に自転車を引いていった。
十数分後、「新たな新品の自転車」が
帰ってきた姿を見て、
Aさんは、満足そうにうなずくのでありました。
それでも、Aさんは、
自分が「わるいこと」をしたとき、
まっすぐこちらに体を向けて、
「自分がわるかった、申し訳ない」
と、深く頭を下げる。
自分の非は、すなおに認め、謝る。
ぼくは、そんなAさんを尊敬していた。
立派な大人である。
そんなAさんの姿を
間近で見られたことだけでも、
大きな財産だと思っている。
当時、まだまだ血気盛んで若かったAさんが、
ぼくの原稿の不出来に怒り心頭して、
4色ボールペンをテーブルにがんがんと叩き付けたことがある。
赤、青、黒、緑、と4色だったボールペンが、
ぶつかるたびに、バネが飛び、部品がはずれ、
4、3、2、1、0色となり、
ただのがらくたに成り代わってしまった。
はっとして手を見たAさん。
それは、ぼくのボールペンだった。
冷静さを取り戻したAさんは、
壊れてしまったボールペンを、
わざわざ自分で買いに行って返してくれた。
たとえそのボールペンが、
1色減った、3色ボールペンでも。
ぼくにはそれが、うれしかった。
緑色が不在の、3色ボールペン。
紙で入稿する時代、緑色が必須ではあったけれど。
それは、あの日の記念碑となった。
当時、Aさんのことを
尊敬はしていても、
それは畏怖(いふ)に近く、
おいそれと親しくできない気持ちだった。
怒るとこわいし、
やんちゃで力づよくて、
誘われたら否とは言いづらい。
そんなAさんは、
仕事中、ぼくをよく買い物に誘った。
誘い文句はたいてい、
「なあ、おい。行くぞ」
それは、べつに嫌なことではなかった。
むしろたのしい時間だった。
買い物のとき、
あれこれと正直な意見を口にするぼくに、
Aさんが言った。
「おまえは、媚びるっていうことがないな。
全然なつかないな」
それが、褒め言葉なのかどうなのか。
ぼくには分からなかったが、
Aさんの顔は、笑っていた。
ある日、
映画館へ『プライベート・ライアン』を観に行ったAさんは、
ぼくらにこう言った。
「あの映画、弾丸の音がリアルだった。
時速1000キロで風を切る弾丸の音、聞いたことあるか?」
「ないよそんなの、あるわけないじゃん」
・・・とは、誰も言わずに。
ぼくらは、
熱っぽく語るAさんの話を、
パソコン前に座った姿勢のまま、
ただただにこやかに聞いていた。
★ ★ ★ ★
第1匍匐(ほふく)から第5匍匐まで。
酔っぱらうと、
ものすごく機敏な挙動で
匍匐前進を披露してくれるAさん。
それは、本当に見もので、
本当におもしろい業(わざ)だった。
エレベーターの中、
Aさんがいなくとも、
その残り香が残像となって、
標(しるし)を刻む。
名前からして、
Aさんにふさわしい感じがする『エゴイスト』。
その、シャネルの香水の匂いを嗅ぐと、
いやおうなしに、Aさんを思い出す。
ふり返ってそこにAさんがいないかと、
そんな気持ちになる。
「研鑽(けんさん)」という言葉は、
Aさんから教わった言葉だ。
研鑽:けんさん
積み重ね、みがき、極めること。
「おれは、おまえが400m先に逃げても、
眉間を一発で撃ち抜く自信がある」
研鑽を積んできたAさんだからこそ、
400m先のぼくの眉間を
撃ち抜くことができるのだろう。
Aさんは、社会にいる、
すてきなおとなの見本、
すてきなおとなの鑑(かがみ)だった。
かけちがったボタンに気づいて、軌道を修正。
すぐに隊列を組み直す。
わるいことをしたら、
言いわけなく、すぐに謝る。
そしていつでも、無邪気さを忘れない。
仕事でも遊びでも、何にでも全力。
とにかく思いっきりやり切る。
「何歳までに、じゃない。
それはみんなが陥りやすい、
まちがった考え方だ。
いいか、
今から何年後にどうなっていたいか、
そうやって考えるんだ。
そこから逆算して、
3年後、1年後、半年後、3カ月後、
そのとき自分がどうなっているべきか、
きちんと思い描くんだ」
Aさんの、声が聞こえる。
眉間を撃ち抜かれてはいないけれど。
Aさんの言葉の数々は、ずっと心に刺さったままだ。
「仕事に狂うときがあってもいい。
女に狂うときがあってもいい。
とにかく狂え」
畏怖しまくりだったぼくは、
当時はうまく、言えなかったけれど。
Aさん、ありがとうございます。
Aさんの言葉を、
ときどき使わせてもらっています。
街にいて、ふと、眉間に違和感をおぼえて。
遠いビルの屋上を、見上げてみる。
何やらきらりと光ったような、そんな気がして。
エゴイストな香りをふりまくスナイパー、
Aさん。
ぼくも、あの子のハートを撃ち抜く、
おちゃめでキュートなスナイパーになりたい。
あの子のハートを、
ばん、てね。
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