2025/06/15

時代遅れの不携帯携帯電話




☎︎


2025年5月。


50歳にして初めて、

携帯電話を手にした。


訳あって、

持つ(使う)運びに

なったのだが。


この携帯電話は、

亡くなった父が

使っていたものである。


処分するでもなく、

しばらく手元に置いていて。

何か使い途はないかと

思案していたところ、

晴れて「通信用」として

使うことになったのだ。


携帯電話を

「通信に使う」なんて、

当たり前の話だと

お思いになるだろうが。


契約していない携帯電話は、

当然、誰とも電波が

つながっていない。


最初は

デジカメ代わりか、

音楽を聴くためにでも

使おうと思っていた。


けれど別に、

わざわざ携帯電話を使わなくとも、

用は足りていた。


ということで。


しばし眠ったままだった

携帯電話——。

やや年配者向けの、

スマートフォンである。


デザイン性より

利便性に重きを置いた顔つきの画面は、

何だか昔のファミコンのような感じがする。


それでも。


これまで一度も

携帯電話を持ってこなかった自分には、

何もかもが新しく、驚きの連続で、

ハイ・テクノロジーの代物に思えた。


もちろん、知人や友人、

母親の携帯電話などは

さわったことがあるのだが。


自分の物ではない上に、

今後持つとも思っていなかったので、

さして興味を抱く対象でもなかった。


ゆえに、

携帯電話の操作や事情などには、

まったくと言っていいほど疎かった。


とはいえ、

パソコンはずっと

使い続けている。

10代の頃から、

マッキントッシュと仲よしだ。


これまで一度も、

携帯電話を持ちたいとは

思わなかった。

思いもしなかった。


携帯電話があれば、と。

一瞬くらい思ったことは

あったかもしれないが。

公衆電話とテレフォンカードと、

固定電話とパソコンメールで

充分だった自分は、

ついぞ2025年まで

携帯電話を持たずに来た。


高校時代、友人たちに誘われ、

ポケットベルを持ってはみたが。

たいして便利だとも

必要だとも思えず、

3日と経たずにどこかへ消えた。


なくしたポケットベルを探すために、

自分で何度も呼び出しのベルを鳴らして。

気づくと3カ月ほど

料金を払い続けていたという、

ろくでなしの高校生。


そんな自分だから。


携帯電話も、いらないと思った。


世間よりも自分。

主義でも自己主張でもなく、

ただただ持つ理由がなかった。


元来、おしゃべりなぼくは、

持ち歩くことのできる電話なんて

手にしたら、日がな一日、

話し込んでしまうのではないかと恐れた。


人と会って話す以外は、

こうして画面と向き合って、

ぶつぶつひとりごとを言っているのが

ちょうどいいと、

そう思っていた。


けれど。


いろいろな状況が重なり、

絡み合い、撚り合わさって。


ついに、

携帯電話を

持つこととなった。


これは、

自分を知る人たちからすると、

事件級の出来事である。


しかし、

自分が携帯電話を

持ったという事実を、

ほとんどの人が知らないままだ。


なぜなら、

いわゆる「電話」として

契約しておらず、

使用目的以外の誰にも

連絡先を教えていないからだ。


初めてづくしのぼくは、

もののためしに、

契約なしのWi-Fi端末を購入した。


自分が選んだものは、

50GB(ギガバイト)で、

使用期限は1年。

「ギガ」がなくなれば、

10GBでも100GBでも、

いつでも買い足し(チャージ)

できるというものだ。


何のために自分が

携帯電話を手にしたのか。


それは、

アプリ(ケーション)による、

通話だった。


あえて「何」とは明言しないが。


おそらくぼくなんかよりも、

みなさんのほうがよくご存知の、

国内では約1億人ほどの登録者が、

積極的に使用している

アプリ(ケーション)である。



☎︎ ☎︎



手書きの文字は、

自分で思った言葉を、

自分の言葉で書き連ねる。


漢字も、送り仮名も、

辞書や書物などを開かない限り、

思違いや間違いを含めて、

すべてが自分の記憶と選択に

委ねられる。


パソコンなどの、

キーボードで入力する

文字、文章、言葉。


最近のパソコンでは、

変換や候補など、

意味も添えられて、

自動的に「言葉」が提案される。


提示された候補から

適宜、漢字やカナや、

表現したい、伝えたい語句を選ぶ。


この「予測変換」が、

自分のパソコンの持つ「学習」を上回り、

自分では思いもつかないような

言葉を提示する。


言うまでもなく。

これは「ネットワーク」の

おかげである。


広大なネットの海で

学習したAI(人工知能)が、

私たちにそれを提示するのだ。


生まれて初めて、

携帯電話と向き合って。


手書きやパソコンに親しんだ、

前時代的自分が感じた驚きは、

筆舌しがたい。


文字をタップすると

ずらりと並ぶ

語句(ボキャブラリー)の豊富さ。


まるで本棚に詰まった、

たくさんの書籍みたいに。

クローゼットに吊るされた

色とりどりの洋服よろしく。

さながらショーケースに並んだ

きらびやかな宝石のように。


たくさんの言葉たちが、

きらきらと箱詰めされて並んでいた。


『あ』


と、入力してみる。


すると、

以下のような語句が

ずらりと続いた。


あ。。。 アイテム

あの 甘え あ

愛 朝夕 安眠

アブラナ アスパラ

明日 ある 朝

あなた あるいは

あまり 雨 あれ

あと あまりに 相手

頭 ああ 味


・・・・といった具合に。


賢いもので、

何度か文字を打ち込むと、

使用頻度が高い、

よく使う語句たちが、

最上位にちょこんと座って、

じっと出番を待ちかねている。


おそらくみなさんには、

聞くのも退屈なくらい、

ごくごく日常的な、

当たり前の光景だろうが。


携帯電話を手にして数日の自分には、

パソコンとのシステムの違い、

根本的な「変換の仕方」の違いに、

少なからず衝撃を受けた。


もちろん、

自分で思う言葉を

一字一句、

入力することもできる。


けれど、

それでは「遅く」感じる。

ずらり並んだ語群から

「選んだ」ほうが

ずっと楽だし効率的だ。


特に、

リアルタイムのやりとりでは、

細かな表現よりも、

テンポや速さが優先される。


それは、会話に近い感覚で、

ちょっとしたニュアンスよりも、

軽やかで飾らない言葉の流れが

心地よかったりする。


手紙や文章とも違い、

メールともまた少し毛色が違う。

電話での会話とも、

直接の対話ともまた違う。



携帯電話は、電話である。

通常の電話はもちろんのこと、

ビデオ電話とかもできてしまう。


未来の映画の話じゃなくて。

この、薄くて小さな機器ひとつで、

世界じゅうどこにいても、

本当に通話ができちゃうんです。


とはいえ。


ぼくは、携帯電話を携帯していない。


現時点では、

持って歩くような予定はない。


手元に置いて、

着信があれば、取る。

または、かける。


話す、または、

文字での会話をする。


文字を打ち込む代わりに、

音声入力とやらを試してみると、

なかなか感度がよく、

ごつい指先でタップするよりも、

打ち慣れたキーボードで打つよりも、

はるかに早かった。


50歳にして、発見の日々。

挑戦と試行錯誤と、冒険の日々。


天国のお父さん、ありがとう。


ああ、ぼくは、

父さんの遺した携帯電話で、

今、生きた時間とつながっています。


初めて携帯電話で声を聞いた時。

なんだか信じられないくらいに

相手が近くに感じて、

時代遅れなぼくは、

ちょっと泣きそうになるほど

感動したりした。


テクノロジー。


思わず、

グラハム・ベルに思いを馳せて、

総務省をはじめ、

通信を支えてくれている

たくさんの技術者・開発者の方々に

感謝を抱いた。


「すごいなぁ・・・」


竹のフィラメントに

明かりが灯ったかのごとく。

声を耳に浴びながら、

一人、感激していた。


ほとんど

固定電話の子機とおなじく、

室内犬がうろつくくらいの

狭い範囲でしか話していないけれど。

おそらくたぶん、話しながら、

家の外にも出られるのだろう。


Wi-Fiの届く範囲なら、

・・・いや、

携帯電話よりも小ぶりな、

このWi-Fi端末を持ち出せば、

どこにいたって通話ができるのだ。


騒ぐようなことではない。


みんながこれまで、

日常茶飯事として

普通にやってきた、

携帯電話での「通信」である。


けれどぼくには、

魔法みたいだ。


こんな薄くて小さな器械で、

世界とつながっていることが。

声や、言葉が、

つながっていることが。


わかっていても、

魔法みたいに、不思議なことだ。



☎︎ ☎︎ ☎︎



携帯電話を携帯するのは、

まだまだ先のことになるだろう。


置きっぱなしの携帯電話。


不慣れなぼくは、これで充分だ。



ぼくは、不便さが、

嫌いじゃない。


不便の中にあるものとの

対話が好きだ。


辛抱。想像。期待。

学習。加減。調整。

齟齬。不具合。間違い。

記憶。忘却。創意工夫。


現代の利器も悪くない。


使い方次第で、

ゆたかになれる。


人類が火を使い始めたのは、

旧石器時代、

約180万年前から80万年前のこと。

——これを瞬時に調べられたのも、

現代の利器、

インターネットのなせる業(わざ)。


かつての時代に、

火を見て

忌み嫌う者もいれば、

間違った使い方をした者も

いたはずだ。


使ったからこそ、わかること。

使ってみて初めて、感じること。


新しいものや、ことは、

心がわくわくする。


下手でもいいから、大切にしたい。


自分が今、

なぜそれを手にしているのか。

大事なことを、見失いたくない。


温度もなく、

血の通わない器械に、

ぬくもりや息づかいを吹き込むのは、

使う人の心次第。


どう使うかという、

感性(センス)と智慧(ちえ)。


センスや智慧は、

情報ではない。

実体験の賜物だ。


情報収集による学習で

身につけるものではなくて。

実際に、体を使って、

肌で感じるものだから。


鉛筆を削って、

紙に文字を書くことを。

紙に書かれた文字を読むことを。

空の下で、

草の匂いとか

コンクリートの匂いを

思いっきり吸い込んで、

走って転んで汗をかいて、

はあはあと息切れする感覚を、

どきどきする血の巡りを。

死ぬ瞬間までずっと感じていたい。


選択肢は無限にある。


用意されたものだけでなく、

自分だけの選択肢を、

自分でつくり出すことも。

数ある選択肢のうちのひとつだ。


意識の視野が

小さく薄く切り取られて

狭く軽くならないよう、

目の前にある、

現実の景色を見つめていきたい。


犬は、

携帯電話を持っていない。

それでも犬は、生きている。

全力で、まっすぐ、生きている。


ぼくは人間だ。

携帯電話を持った、人間だ。


犬のようには生きられないけれど。

犬みたいには、生きられる。


抗うことなく、

流されることなく、

たゆたうように。

すべてを受け入れ、

受け止めて、

心から今を楽しんでいきたい。


生きる、ということを、

全力で楽しむ。


死ぬ時の最期の瞬間まで、

生きることしか考えない。


今さら手にした、携帯電話。


父の形見の携帯電話を手にして。

ぼくは、そんなことを思ったりした。



☎︎ ☎︎ ☎︎ ☎︎



朝起きると、

携帯電話に何通かの着信があった。


あわてて返事を打ち込む

ぼくの手は遅く。


  

い  あ  え

   お


文字の配列、

子音の配置を頭に描き、

懸命に文字を入力していく。


まるでニュータイプの

パイロットのように。


「遅い!

 携帯が自分の動きに

 ついてこない!」


などと嘆いてみても。


遅いのは、

思考に追いつけていない、

自分の手の動きである。


遅すぎる入力におろおろしながら、

朝食も摂らずに返信を重ねていると、

さすがにお腹が減ってきた。


ぼくの、不携帯携帯電話の「常識」は、

まだ「その場でじっと向き合う」という、

前時代的、デスクトップ・パソコン的な

範囲にとどまっている。


ということもあり。


ぼくは、手近にあった

『キャベツ太郎』を手に取り、

ぽいぽいつまみながら携帯をいじった。


お菓子まみれの人差し指ではなく、

中指での入力。

不慣れな文字入力は、

輪をかけていい加減なものになり、

誤字や誤送信をくり返した。


と、無意識に

いつもの人差し指を使っており。

気づくと画面は、

緑のアオサと、

細かなコーン粉末、

そして、ぎとぎとぎらぎら、

べったりとした油にまみれてしまった。


おかげで画面がつるつる滑り、

さらに意図せぬ誤字脱字が増え、

よくわからない文面を送信していた。


携帯歴0年。


50歳にして、

スナックまみれの

携帯画面に向かう自分を、

草葉の陰から

父はどう見ているだろうか。


そんなことより。


ぼくは今、

不携帯携帯電話での通信を、

毎日、楽しんでいる。


おもちゃを手にした

小学生みたいに。


驚きと、感動と、喜びを胸に。


紙やインクや声の代わりに。

電波と音とギガを使って、

交信している。


はたして50年後には、

何を使って交信するのか。


未来の現代人の通信を、

草葉の陰から、そっと見守りたい。



< 今日の言葉 >


『いいかい、

 あれはおてんとうさまの

 することだ。

 山におやすみをいいながら、

 じぶんのいちばん

 きれいな光を投げてやるんだよ。

 あしたまたくるまで、

 おぼえててくれよ、ってな』


(『ハイジ』ヨハンナ・シュピーリ/

 アルムじいさんがハイジにした「夕焼け」の説明)