2025/02/15

刀とピストル

 

「手を上げろ」(2003)



拳銃。 ピストル。

銃。 gun。 鉄砲。


あなたは、

銃を撃ったことがありますか?


ぼくは、ある。


入社したばかりの会社で、

5日目にいきなり社員旅行があり、

遊ぶ人もしゃべる相手もままならず、

拳銃を撃つ体験ができる施設に行った。


場所は、グアム。


価格はたしか、100ドルくらいで、

拳銃(ハンドガン)2種類と、

ライフルが撃てるパッケージだった。


拳銃は、22口径と、44マグナムだ。

ライフルは、胴体が木製の、

M14のような単発式の銃だった。


的までの距離は、10数メートル。


腰高のカウンターのような

横長の台の上に銃が並べられ、

その台が射撃スペースと

弾が飛んでいくエリアとを隔てている。


屋外ではなく、

壁と天井に囲まれた屋内空間。


まずはじめに、

22口径の拳銃を撃った。


遮音のために、

防音ヘッドフォンを装着するのだが。

生音が聞きたかったので、

あえて片耳だけずらして、

こっそり耳を出していた。


現地住人であるスタッフは、

さほど神経質でも細かくもなく、

日本人のぼくに

あっさりと拳銃を委ねた。


スタッフの彼は、

ビーチサンダルにジーンズ、

よれよれのTシャツといったいでたちで、

何の警戒心もないような感じである。


手にした拳銃が

「モデルガン」かのような、

そんな軽さすら漂う雰囲気の中で。


22口径の銃口を、

数10メートル先に掲げられた

「標的」へと向ける。


的は、白黒の印刷で、

丸い図形と数字の書かれた紙だった。


生まれて初めての射撃、1発目。


運動会のピストルみたいに、

軽く乾いた炸裂音が、

短く響いた。


本当に。


拳銃というより、

火薬のピストルみたいな音だった。


「パァン」


まるで凶暴さも暴虐さも感じさせない、

軽やかな音。


動かしたのは、人差し指1本。


わずか2センチにも満たない、

労力もほとんど感じない、

かすかな動きだった。


その「1発」で感じたこと。


「これはだめだ」


指先ひとつの小さな動きで、

一瞬にして、

目の前に存在するものの

エネルギーを奪ってしまう、

恐ろしい道具だと。

たった1発の発砲で、

心の底から、そんな思いがこみ上げた。


それまで映画やドラマなどの中でしか

見たことがなたった。


正確には、

イタリアのスーパーマーケットの出入口や、

スイス国境付近で

ライフルを構えた兵士の姿を見たこともあるし、

日本の警察官が腰に携えた「ニューナンブ」を

ちらりと覗き込んだことだってある。


(数年後には、

 カナダで発砲された翌日のコンビニを見たし、

 ニューヨークで何度か

 それらしき音を聞いたこともある)


けれども。


拳銃が発砲される瞬間は、

一度も見たことがない。


自分で撃ってみて、

そのあまりの「手軽さ」に愕然とした。


これは、だめだ。


銃になじみのない、日本人のぼくには、

想像以上に恐ろしいものとして

心をうち震わせた。


とはいえ。


ここは射撃場。

相手は紙の「的」でしかない。

しかも「人型(ひとがた)」ではなく、

円形の標的。


手にした拳銃が、

モデルガンと変わりなく思えてくるから。

これまた恐ろしい感覚だ。


リボルバー(回転)式の拳銃には、

6発の弾がこめられている。


2発、3発、と撃つうちに、

だんだん感じがつかめてきた。


引き金(トリガー)を引いて、

どれくらいのタイミングで

撃鉄(ハンマー)が倒れて

銃弾の底を叩き、

火薬が爆発するのか。


ミリ単位で人差し指を引き絞って、

銃口がぶれないように、調整していく。


映画などで見かけるように、

発砲と同時に、銃口が上へと跳ね上がる。

あれは本当のことで、

しかも「自然に」そうなるものだ。


爆発した火薬の力が、

反動エネルギーとなって、

銃口を上に向けさせる。


演出でも格好つけでもなく、

物理的な「動き」である。


撃ってみて体感してみて、

嘘みたいに銃口が跳ね上がるその感覚に、

またしても「火薬」の力を実感する。



ぼくは、たいして特技がない。


少年期、

何か特技が欲しいと思い、

のび太くんにならって、

あやとりと射撃をたしなんでみた。


あやとりはまるでだめだったが、

射撃のほうは、少し楽しく思った。


好きこそ物の上手なれ。


エアガンを買い、

数メートル先の的に向かって、

樹脂製のBB弾を発射し続けた。


時には、枝や枯葉を撃ったり。

空き缶やおもちゃの人形などを

標的にしてみたり。


拳銃の先、銃口の上あたりに、

1円玉を置いて、

引き金を引いてもそれが

落ちないように

何度も練習をくり返した。


・・・そんなことを、

思い出すでもなく想起していると、

スタッフの男性が何やら血相を変えて、

大きな声で騒ぎはじめた。


英語なのか。

いや、現地の言葉のようだった。


どうやらぼくが、

勝手に拳銃の胴体から空砲を取り出し、

新たな弾丸を詰め直していることに

激怒している様子だった。


英語で書かれた紙を渡され、


『勝手に弾は替えないでね』


みたいな文言があるのに気づく。


ああ、そういえば、

撃つ前の説明で、

彼が拙い英語で話してくれたっけ。


「ごめんごめん」


笑って片手を上げるぼくを見て、

スタッフの彼は、

もう、とでもいう感じで、

鼻からふうんと息を吐き出すと、

怒らせた肩をまたもとのなで肩に戻した。


22口径の拳銃を撃ち終えると、

今度は、44マグナムを握った。


あきらかに重く、

鉄の塊がずしりと右手にのしかかる。

鈍く黒光りするそれは、

22口径の拳銃にくらべて、

「まがまがしさ」が増したように感じた。


銃を握った右腕を伸ばし、

左手を銃把の底に添える。

突き出すふうにして伸ばした右手を、

左手で引き戻すような感じで、

左右のバランスを保つ。


口経が大きくなるほどに、

弾丸に詰まった火薬の量も増えるので、

単純計算で2倍の反動になるはずだ。

と、単純なぼくは、思った。


先ほどよりも大きな反動に備えて、

しっかりと左脇を締めて。

頬を右腕に押しつけながら、

照門と照準と標的とが、

一直線上に並ぶように構える。


息を止め、引き金を引き絞る。


思ったよりも早い場所で、

ガアァン、と、激しい炸裂音が轟き、

思った以上の反動が銃を躍らせた。


あまりの衝撃と音に、

とにかく愚直にびっくりした。


言葉を失い、やや呆然となったまま、

しばらくのあいだ、

数10メートル先の的のあたりを見つめていた。


遅れて動きを取り戻した目には、

ゆるやかに青白い煙を立ちのぼらせる、

真っ黒な鉄の塊が映った。


拳銃。


先ほどよりも、

恐ろしいと思った。


怖い。


動物的な、原初的な、

根元的な恐怖感。


そのときぼくの頭に浮かんだもの。


「よくこんなものを、人に向けられるな」


動物にだって。

いや、「物」にすら、

向けたくない気がした。


一瞬にして、

対象の歴史を終わらせる道具。


そんな思考が去来した。


もし、こんな道具を手にしたら。

自分が「強く」なった気がするのだろうか。

何かを、または何もかもを、

自由にコントルールできるように

なったとでも感じるのだろうか。


怖かった。


拳銃というより、

拳銃を手にする行為そのものに

恐怖を感じた。


「おもちゃ」では、

あんなにかっこよく感じたはずの拳銃が、

「本物」になると、

まるで意味が違っていた。


このとき感じた「違和感」も、

すぐに理解できたわけではない。


帰国後、ゆっくりと、

銃や拳銃の姿、映像などを見るたびに、

これまでと違った「何か」を

感じるようになっていった。

そんな気がする。



最後に、ライフルを撃った。


ずいぶん旧式に見える、

使い古した銃だった。


木製の胴体には年季がこもり、

物としては、

どことなく骨董品めいた

風合いでもある。


いざ、手にしてみると、

さほど重くは感じられず、

構えてみると、持ちやすい。


重量バランスなどの設計が

よく考えられている。


的に向かって撃ってみた。


「タン!」


反動もほとんどなく、

撃ったあと、

銃口はまっすぐ的を向いたままだった。


重さの割に軽やかで、

均衡のとれた重量設計と、

反動を打ち消す銃の構造。


そこに、冷ややかな恐ろしさを感じた。


破壊のための道具が、

これほどまでに精緻に、

かつ冷静に造られているという事実が、

言葉や理屈ではなく、

体感としてぼくを包み込んだ。



怖い。



人間が、怖かった。



考え、造り、手にして、撃つ。



おもちゃで遊んでいたころは、

もっと「かっこいい」物だとばかりに

思っていたのに。


陰湿で、冷たく、

悲しい道具だと、肌で感じた。


南国トロピカルの陽気な島国で。


薄ら寒さを感じるぼくに、


「Excellent!」


と言って、

穴だらけの的が手渡された。


中央に着弾が集中して、

まんなか部分が

切り取られたようになった的を見ながら、

ぼくは、空の薬莢を

こっそりポケットにしまった。






* *



銃弾の速度は、

秒速約400メートル。


弾は、横回転しながら飛んでいく。

回転することで、弾は、

まっすぐな弾道を描いて飛んでいく。

投げられた

アメリカン・フットボールの球と

同じ原理だ。


銃弾1発の価格は、

安価なもので、18円。

9ミリルガーの銃弾がそうだ。

たいていが、60円から90円くらいで、

200円から300円台、

高くて500円台といったところだ。


100円で買える弾丸と、

人差し指の力で奪われる「命」。



戦時下で、人は人に銃口を向け、

引き金を引いて、撃った。


戦後の調査では、

ほとんどの兵士が引き金を引かなかった、

という報告もある。


撃つのはたいてい、

上官がそばにいるときなどで、

撃ったとしても、

空(そら)に向けて発砲したり、

銃弾を交換したりして

なるべく時間を稼いだりしたという。


ごく限られた特定の人間が

一人で複数人を撃った、と。

そんな調査報告があるとも聞いた。


ちなみに「地雷」は、

「最も安価で卑劣な兵器」と呼ばれていて、

かつて戦場となった地域に、

今でも手つかずで残されていたりする。


地雷は、

殺害を目的とした兵器ではない。

「負傷(けが)」をさせるために

考案された物だ。


1人の兵士が、地雷を踏んで、

脚をけがしたとする。


すると、

けがをした1人の兵士を運ぶために、

2人の兵士が必要となる。


1人を殺してしまうのではなく、

3人の兵士を

「戦闘不能」にするための兵器だと。


そんな話を聞いたことがある。



この、恐ろしい算数を描くのは、

戦場の兵士ではない。

戦場に足を踏み入れることのない、

他の誰かが描いたものだ。


火薬の量。構造。設計。


せっかくの知識や頭脳、想像力を、

創造性とは真逆の、

破壊のために使うのは、

いろいろもったいない気がする。


使い方ひとつで、

包丁だって、武器になる。


はさみだって、石だって、

きれいな宝石だって、布だって。


使い方次第で、どうにでもなる。


言葉も同じ。


暴力の正体は、

「力」でしかない。


「力」を使う人の心。


あるから使う。

自分より、ない者に使う。

または、使い続けて、こわしていく。


押さえたり、押しつけたり。

おどしたり、おびやかしたり。

奪ったり、強要したり。


「力」として、

かなしい使い途(みち)をする。


一見、正しいことでも、

やり方を間違えれば暴力と同じだ。


それは、本当の「強さ」ではない。


「切り捨て御免」


侍の腰に携えられた、

甘塩の秋刀魚のように輝く刀も、

使い方こそ違えど、

銃と何ら変わりがない。


「抜きすぎても軽くなる。

 けれど、抜かなさすぎると、

 錆びてしまう」


などとは言うけれど。


錆びてしまえよホトトギス。


恫喝(どうかつ)のための刀なら、

高級車のロゴでも構わない。


銃も刀も持たない。


チョコバットで場外ホームラン。


いつでも心は真剣勝負。


刀やピストルなんかより、

心に花を。


乙女チックなおじさんは、

エクストラ・バージンな

おじさんでありたい。


お酒も煙草も薬もなしで、

いつでも酩酊していたい。


そう、あなたという、

チャーミングな美酒に。


刀やピストルなんかじゃ、

絶対に手に入らない。


ぼくが欲しいのは、

そんなものなんです。




< 今日の言葉 >


「ささ、じゃないか。

 さらさら、は違う?

 あ、たえこ、じゃない?」



(チョコレート菓子の『紗々(さしゃ)』を何と読むか、母の答え)