2025/03/01

おしゃれベクトル


「おしゃれをして出かける人」(2011)



センスと、

おしゃれは、ちがう。


センスとは、

自分が「いい」と思うものを、

「いい」と言えること。


かねがねぼくは、そう考えている。 



ひと昔にくらべると、

おしゃれな人が増えた。


街を見渡しても、

みんなおしゃれな人ばかりだ。


おしゃれな人は多いけど、

本当にセンスがあると思える人は

案外すなくて、

ほんのひと握りしか

いない気もする。


「おしゃれ」


その「おしゃれ」は、

外向きか、内向きか。


本当に自分が気に入っていて、

身につけたいものなのか。

それとも、

周りから「おしゃれ」に

見られたいのか。


「おしゃれ」


自分を喜ばせることで、

自分の気持ち、

心がきらきらときらめき、

それが魅力となって

「うつくしさ」をまとう。


「おしゃれ」とは、

そういう種類の「衣装」だと。

まるでおしゃれではないおじさんが、

偉そうに言う。


奇をてらって、

人と違った「衣装」を選ぶ。

何かを期待して、

高級な「衣装」を身につける。


変身するのは、いいことだ。


けれどもやはり、

その「ベクトル」が

内向きか外向きなのかで、

得られるものが

ずいぶん違ってくるような気が

しないでもない。


内向きであれば、

「おしゃれ」そのものが楽しめる。

その「おしゃれ」は、

やがて芽を出し、花を咲かせ、

実を結んだりもする。


内向きの「おしゃれ」は、

センスを磨く。


外向きの「おしゃれ」は、

模倣力を磨く。


どちらがいいわけでも、

悪いわけでもない。

好みの問題だ。


ぼくは、育てたり、

つくっていくことが好きなので、

模倣(真似)から入って、

創造するほうに向かった。


「こたえ」が「正しい」とか

「間違ってる」とかいうことではなく。


自分がいいと思えるものを追求して、

探し歩いて、たくさんの失敗を重ねて、

取捨選択をくり返してきた。


もちろん今もその途中で、

つかんだものも、

つかみきれていないものも、

たくさんある。


10代や20代ではないぼくは、

追いかけるのではなく、

追い求める道を選ぶ。


言葉で表すとよく似た感じだが。


実際には、

かなり違う道のりで、

かなり違った志向になる。



20代の甥が、ぼくに言った。


「ときどきすごく孤独に感じる」


甥っ子は、

自分の文化を持っていて、

自分の好きなものを追い求め、

独自の道を歩いている。

誰にも似ていない、

独自(オリジナル)の道だ。


「孤独を感じたとしても。

 それはただの孤独『感』で、

 一人じゃぁない。

 絶対にわかってくれる人がいる」


歳ばかりは彼よりも上の「叔父」は、

口ばかりで偉そうなことを言う。


「自分の心に正直に、

 自分が本当にいいと思うものを

 いいって言い続けていれば、

 必ず『仲間』に出会える」


陽が落ちて

真っ暗になった部屋の中で、

電気も点けず、

どっぷりと話した記憶。


甥っ子は、

自分の「好き」を模索しながら、

好きなものを見つけ、

いいと思うものを手に取り、

前へ前へと進んでいる。


その足取りは遅々として見えても、

確実に「前」へと進んでいる。

彼の目指す「理想」の場所へ。


自分では見えないかもしれないが。

はたから見れば、それはわかる。


彼の目が、姿が、

うっすらと光を放ち、

輝いているから。


言葉や理屈じゃなくて。


今の彼の姿が、

すべてを如実に語っている。


誰かに言われったわけでもなく。

誰かに与えられたわけでもなく。


自分の手で

つかむという行為そのものが

「センス」だということを、

彼は、言葉や概念ではなく、

感覚的に「理解」しているに違いない。


ぼくは、彼を尊敬している。


決して「叔父ばか」だけではなく、

かっこいいと思うし、

刺激や学びをたくさんもらう。


なぜなら、

彼は誰にも似ておらず、

彼だけの世界を持っているからだ。


「自分のことを、

 少数民族だと思えば。

 ほかの人との『外交』も

 楽しくなるよ」


少しだけ前を歩く「叔父」は、

若き甥に、そう伝えた。


あくまで「前」を歩いているだけで、

上でも下でもない。


「前」というのは、

時間的な位置を示す言葉でしかない。


放っておけば、

誰だって「前」には進んでいける。

ぼんやりしていていても、

嫌だと言って拒んでも、

必ず「前」に進まされる。

間違っても「後ろ」に進むことはない。


その、当たり前のことを

意識する人、しない人。


センス。


そう。

それもセンス。


センスは、自由なのだ。


拾おうが、捨てようが、

無視しようが。


すべてが「自由」。


言い訳も、理由も、口実も。

理屈も、知識も、データも。

統計も、歴史も、流行も、

感情も、潮流も、慣習も、

趨勢も、環境も。


どう捉えるのも、みんな自由だ。


ただ口を開けて待っているだけでは、

何も入ってこない。

追いかけているだけでは、

つかまえられない。


痛み、温度、感覚、感動。


結果を急ぐようなら、

「こたえ」を見ればいい。


過程を楽しみたいなら、

自分で「こたえ」を探せばいい。


「こたえ」が見つからないなら、

「こたえ」をつくればいい。



計算ドリルの宿題で、

こたえを丸写しにして

点数をもらうことをよしとするなら。


授業や宿題だけで、勉強したと言うなら。


数や点数などで、成果を量るなら。


センスなんて、必要ない。


いい音楽が流れて、踊る。

きれいな花を見て、目を細める。

ふさふさの尻尾を、そっと撫でる。

空の飛行機を見上げて、思いをはせる。

銀色に輝く芝生に寝そべり、太陽を見る。


おしゃれって何だろう。

センスってなんだろう。


本当は、

生まれたときから

みんな持っている。


誰にも似ていない、

自分だけのものを。


無くさないよう、

しっかり抱いて、

温め、守りつづけることも

「センス」のひとつ。


食べ物、お菓子、食べ方、飲み方、

音楽、映画、絵本、小説、漫画、

動物、景色、匂い、色、手触り、

遊び、思考、行動、趣味趣向。


わかっている人には、わかっている。

あえて言葉にはしないけれど。

わかっている人には、わかっている。


センス。


持って生まれたもののようだけれど、

生まれたままの、

そのままの形では使えない。


使ってこそ磨かれる道具であり、

磨いてこそ輝く宝石でもあり。

武器や防具や魔法にもなる、

目には見えない不思議な力。


センスは、人を笑顔にする。


自分だけでなく、

人の心に花を咲かせる。


センスの対義語(反対語)は何か?


モンク(文句)。


センスのない人は、文句を言う。


批判。愚痴。不平不満。


「あの映画、

 おもしろくなかった」


それはきっと、

おもしろさを見逃してしまったのだ。


おもしろいところ、

いいところはあったのに、

素どおりしてしまったのか、

それとも気づかなかったのか、


ちょうどそのとき、

センスが目を閉じてしまって、

感じられなかったせいだ。


センスは、

悪いほうには進みたがらない。


うつくしい、たのしい、うれしい、

きれい、ここちいい、やさしい。


センスとは、

そういうふうにできている。



つくらない人には、わからない。

つくろうとしない人には、

見えない景色。

感じられない情景。



センス。

おしゃれ。


おしゃれとセンスが

両方そろえば、

鬼に金棒、弁慶に薙刀。

フラメンコにパルマ(手拍子)、

3時におやつだ。



道の石ころを拾って、

ポケットに入れる。


センスは、

道端には落ちていない。


けれど、

道に落ちた石ころにも、

センスは宿る。


拾った石を見れば、

その人がわかる。


拾った石を大切にする人を見れば、

その心がわかる。


センスは、お金で買えない。

センスそのものは、

どこにも売っていない。


センスは時間。

時間の使途(使い方)。



こんなものを読んでいるあなたは、

センスの無駄遣いですよ。


もっとおしゃれで

有益な時間を使ってください。


おしゃれなセンスは、

ここにはないのですから。


ここにあるのは、

過去の声。


未来の人に捧げる、

過去の声。


未来の自分が

忘れないようにするための、

タイムカプセルです。


「こたえ」はここにはありません。


どうぞあなたは、

あなたの「こたえ」を

見つけてください。


心で思ったいちばん最初。


それがきっと、

あなたの「こたえ」ですから。



< 今日の言葉 >


「それって、何張羅?」


(せっかくおしゃれして着てきた服に言われたくない言葉)