ぼくは、よく人に道を聞かれる。
それは、なんだかうれしいことでもある。
道を聞かれるだけでなく、
知らない人から話しかけられることが、
ちょくちょくある。
たくさんいる人のなかで、どうしてぼくなのか。
他の人ではなく、どうしてぼくに話しかけたのか。
ときどきそんなふうに思う。
特に外国では、
気さくな人が多い気がするので、
いろいろな人が話しかけてきてたのしい。
学生のころ、
パリ市内をぶらぶらしていて。
釣りをしている人を眺めながら、
橋のたもとで一服していると、
日本人らしき男性が駆け寄ってきた。
「すみません、日本の方ですよね?」
男性は、かなり切羽詰まった様子だった。
はい、と答えると、
男性は急いだ感じのまま、さらにこう続けた。
「ここら辺の、地元の方ですか?」
旅行者のぼくは、
残念ながら、いいえ、と答えるしかなかった。
すると、その男性はあきらかに落胆した様子で、
「・・・・そうですか」
と、ため息まじりに肩を落とした。
「え、どうしたんですか?
何か、あったんですか?」
そう訊ねるぼくに、男性は、
表情を曇らせたまま首を横にふった。
「いいえ、別に・・・何でもないんです」
気になったぼくは、
さらに聞いてみたのだけれど。
「いえ、いいんです」
男性はそう繰り返したあと、
じゃあ、という感じに手を挙げ、
丸めた背中をこちらに向けて
とぼとぼと去っていった。
いったい何だったのか。
すごく気になったのだけれど。
気にならせるだけ気にならせて、
困り顔の男性はそのままいなくなった。
フランスの街角で。
ぼくは、気持ちをざわつかせたまま、
吸いかけのタバコを灰にしたのであります。
その数日前には、
ちょっとひなびた感じの界隈で、
胸元がざっくり開いた服を着た女性に
タバコをねだられた。
正確には、
お金が欲しいというようなことを言われたので、
タバコなら1本あげてもいい、と答えたのだ。
青いペンキで塗られた鉄骨の高架の下で。
タバコを吸いながら、
つたない英語と身ぶり手ぶりであれこれ話した。
日本から飛行機で何時間かかった、だの、
機内ではワインが飲み放題だった、だのと。
どうでもいい話題を中心に、5分ほど話し込んだ。
「そういえば・・・」
タバコを踏み消しながら、
彼女が思い出すようにしてこう言った。
「ここら辺は危ないから。
早くここから離れたほうがいいと思う」
さんざん話し込んで、
そりゃないんじゃないのと思ったけれど。
それも彼女の計らいで、
変にあわてさせないための「間(ま)」を
つくるためだったのかもしれない。
たしかに。
ぼくらのすぐそば、
ドラム缶のたき火を囲んでいる人たちの姿を見ても、
お世辞にもガラがいいとは言いがたい。
肩をすくめた彼女が、
ちらりと視線を向けた。
視線の先、ドラム缶のたき火を囲む男性のひとりが、
こちらをちらりと見たあと、すぐに目をそらした。
「ありがとう」
親切に忠告してくれた彼女にお礼を言うと、
さっそくその場を離れることにした。
親切な彼女は、
後ろ向きでひらひらと手をふりながら、
カツカツと靴音を鳴らして去っていった。
灰色の多い風景のなかで。
彼女のボロボロの赤いピンヒールが、
やけに目に残った。
イタリアでは、
「きみ、アイルランド人でしょ?」
と、満面の笑みで駆け寄られ。
スイスのユングフラウ・ヨッホでは、
50人以上も人がいるなかで、
ものすごく大きな、真っ白のセントバーナード犬が、
ぼく目がけて駆け寄ってきた。
ちょっとしたおじさんくらいの、
巨大なセントバーナード犬。
その、おじさんのようなたくましい前脚が、
ぼくの両肩に、ずどん、とのっかった。
イヌは好きだけれど、
大きなイヌはちょっとこわい。
至近距離で見たセントバーナード犬は、
毛むくじゃらで巨大な、
よだれまみれの白い獣(けもの)だった。
「こんなことは、初めてだ」
われを忘れて飛びついた
セントバーナード犬をなだめながら、
ガイドの男性が、感嘆の息をもらした。
そしてなぜか握手を求められ、
何だか分からない、
尊敬のようなまなざしを向けられた。
興奮覚めやらないセントバーナード犬を
押さえ込んだガイドの男性は、
妙にキラキラした視線を投げかけて、
ぼくに向かっていつまでも手をふっていた。
韓国では、明洞(ミョンドン)で
携帯電話サービスの加入を勧められ。
東大門市場では、道のすみで
露店を広げるおばちゃんに話しかけられた。
露店の店先にはネコがいた。
そのネコは、イヌみたいな感じに、
道のすみの柱につながれていた。
首輪はなく、
荷造り用のビニールひもで輪をつくって、
直に首をつながれていた。
韓国語で矢継ぎ早に話しかけてくるおばちゃんに、
開き直ったぼくは、
ぜんぶ日本語で話しかけ返していた。
「すごいね、ネコ。ヒモでつないであるね」
「その服いいね。似合ってるね」
無理問答のようで、
まったく噛み合ってはいないはずだろうけど。
最後は何となく、
笑顔で手をふりあえたから、不思議なものだ。
アメリカ北西部の、オリンピアという街。
その近辺の街で車を停め、
道脇でサンドイッチを食べていたら、
ひとりの男性に話しかけられた。
「このキャンピング・ワゴン、
レンタル料いくら?」
迷わずそう聞いてくる男性に、
ぼくは、口のなかのサンドイッチを
飲み下しながら答えた。
「ぼくは従業員じゃないです」
レンタル用のキャンピング・ワゴンのそばに
立っていただけなのに。
どうしてぼくを従業員だと思ったのだろう。
もし英語が堪能なら、
ぼくはそのわけを彼に聞いてみたかった。
そんな感じで。
いつも外国では、
人の役に立てなかったぼくだけど。
ニューヨークで、
タイムズ・スクエア駅の乗り口は
どこかと訊ねられ。
迷わずきっちり説明することができたことが、
すごくうれしかった。
地元の駅で。
たくさん人がいるなかで、
ぼくを選んで話しかけてきた外国人男性がいた。
彼は、自分の乗る電車が
これで正しいのかと聞いてきた。
電車は、いまにも発車しそうだった。
急いで車掌に聞いて、
この電車で合っていることを彼に伝えた。
彼は、恋人らしき女性の肩を抱きながら、
白い歯を見せてぼくに小さく手をふった。
たくさん人がごった返すなかで。
わざわざ人ごみをすり抜けてまで近づいてきて、
迷わずぼくに話しかけたのは、
どうしてなんだろう。
駅のホームではなく、
そこがバーか何かだったら。
彼にそのわけを聞いていたかもしれない。
思うに。
ぼくは、
ふらふらと暇そうに
歩いているのかもしれない。
急いでいるときは、
たしかに、誰にも話しかけられない。
誰かに話しかけられたくなったら、
ふらふらのんびり歩けばいいんだと。
書きながら、そんなふうに思った。
手ぶらでふらふら、のんびりと。
けど、
あんまりふらふら歩きすぎて、
けいさつの人に話しかけられないよう、
注意しないとね。
< 今日の言葉 >
「週の真ん中水曜日。
まんなかモッコリ、夕焼けニャンニャン」
(『夕焼けニャンニャン』水曜日のタイトルコール)