2008/05/05

子供どもの日


「じゃあ、やれよ」(2008)




昔、友人がこう言っていた。


「俺は5月5日生まれだから、
 ずっと大人にはなれないんだよ」


5月5日はこどもの日。

小さいころ、
よろいカブトの横に飾ってある
切れない刀を振りかざし、
ここぞとばかりに
姉を追い回していたことを思い出す。

何をやっても姉には勝てない。
つねづねそう思っていたせいだ。


鯉のぼりの中では
「ふきながし」が好きだった。

まったくもって、
コイでも魚でもない存在だったけれど、
色とりどりで、ひらひらしていてきれいだからだ。


そして先日。
リサイクルショップで、
ブラジル人らしき若い男性が、
ガラスケース入りの五月人形(金太郎)を手に、
レジへと向かっていた。

彼にとってはおそらく、
異国の文化の詰まったその人形が、
魅力的に映ったのだろう。

が、すぐさま彼女らしき女性が
彼を呼び止め、
早口でまくしたてた。

多分、
こんなやりとりだったのでは
ないかと推測する。


女:「何なのそれ? そんなのいらないでしょ。やめてよね」

男:「いいだろ、カッコいいじゃないかよ」

女:「本気で買うつもり? 冗談でしょ? 早く置いてきてよね」

男:「だってこれ・・・」

女:「いいから早く」

男:「・・・・・」

(男、五月人形をちらりと眺めたあと、
 渋々と重い足取りで、
 元あった場所へと返しに行く)


国籍も人種も関係なく、
男はどこか子供じみていて、
女は堅実でしっかりものだ。


こどもの日を前にして、
“こども”とはいったい
何歳くらいまでをいうのか考えた。

おそらくこれは個人差のあるもので、
一概に何歳という年齢では測れない気がする。

ならば、発毛や声変わりがその節目か。
・・・どうも違う気がする。

恋をして、苦い失恋を味わった時からか。
・・・これもしっくりこない。

じゃあやっぱり、成人式を迎え、
成人としての自覚が芽生えた時からなのか。

社会に出て、思ったことがある。

それは、一般に「成人」と
呼ばれるようになったからと言って、
その人が「大人」とは限らない、ということ。

意外に「おとな」が
大人ではないように思えた場面が多くある。


10代前半の頃には、
大人というものはもっと「大人」だと思っていた。

近所の1コ上のお兄さんも、
小学4年生の時に見上げていた
サッカー部のキャプテンも、
もっともっと「大人」に感じたのに。

今現在、自分より
10や20歳上の「先輩たち」が
大人らしく感じられなかったりするのは
どうしてだろう。


逆に、いわゆる「子供」とは
どういう存在かということも少し考えてみた。

子供は、
明日のことを考えて、
早く寝たりはしない。

温存するということはしない。
今、目の前のことに集中する。

子供は、
気に入ったものを
ケースに入れて飾ったりせず、
ガンガン使う。

壊すつもりはもちろんないけれど、
壊れることも気にしない。

そして、壊れたら思いっきり悲しむ。

子供は、見えない世界で、
見えない相手と遊ぶことができる。

公園が宇宙になったり、
透明のミサイルをよけたりする。

自分の世界の“ルール”を真剣に守る。

車輪止めの
コンクリートブロックから落ちると
「1まんおくめーとる下のたにぞこ」へと
転落する場合もある。

子供は「ありがとう」や
「ごめんなさい」が素直に言える。


・・・こんなふうに、例を挙げていたらきりがない。


答えはあっても、正解はない。

結局のところ、
簡単なことをややこしくするのが大人だと。
そんなふうに思う。


僕自身はれっきとしたオトナなので、
ちゃんとはみがきもしたし、
ひとりでトイレもいけるし、
おばけなんかこわくない。


だから僕は、
明日「子供の日」は
休まず営業します。