「俺は5月5日生まれだから、ずっと大人にはなれないんだよ」
5月5日はこどもの日。
小さいころ、
よろいカブトの横に飾ってある切れない刀を振りかざし、
ここぞとばかりに姉を追い回していたことを思い出す。
何をやっても姉には勝てない。
つねづねそう思っていたせいだ。
鯉のぼりの中では「ふきながし」が好きだった。
まったくもって、コイでも魚でもない存在だったけれど、
色とりどりで、ひらひらしていてきれいだからだ。
そして先日。
リサイクルショップで、
ブラジル人らしき若い男性が、
ガラスケース入りの五月人形(金太郎)を手に、
レジへと向かっていた。
彼にとってはおそらく、
異国の文化の詰まったその人形が、
魅力的に映ったのだろう。
が、すぐさま彼女らしき女性が彼を呼び止め、
早口でまくしたてた。
多分、こんなやりとりだったのではないかと推測する。
女:「何なのそれ? そんなのいらないでしょ。やめてよね」
男:「いいだろ、カッコいいじゃないかよ」
女:「本気で買うつもり? 冗談でしょ? 早く置いてきてよね」
男:「だってこれ・・・」
女:「いいから早く」
男:「・・・・・」
(男、五月人形をちらりと眺めたあと、
渋々と重い足取りで、元あった場所に返しに行く)
国籍も人種も関係なく、
男はどこか子供じみていて、女は堅実でしっかりものだ。
こどもの日を前にして、
“こども”とはいったい何歳くらいまでをいうのか考えた。
おそらくこれは個人差のあるもので、
一概に何歳という年齢では測れない気がする。
ならば、発毛や声変わりがその節目か。
・・・どうも違う気がする。
恋をして、苦い失恋を味わった時からか。
・・・これもしっくりこない。
じゃあやっぱり、成人式を迎え、
成人としての自覚が芽生えた時からなのか。
社会に出て、思ったことがある。
それは、一般に「成人」と
呼ばれるようになったからと言って、
その人が「大人」とは限らない、ということ。
意外に「おとな」が
大人ではないように思えた場面が多くある。
10代前半の頃には、
大人というものはもっと「大人」だと思っていた。
近所の1コ上のお兄さんも、
小学4年生の時に見上げていたサッカー部のキャプテンも、
もっともっと「大人」に感じたのに。
今現在、自分より10や20歳上の「先輩たち」が
大人らしく感じられなかったりするのはどうしてだろう。
逆に、いわゆる「子供」とは
どういう存在かということも少し考えてみた。
子供は、明日のことを考えて、
早く寝たりはしない。
温存するということはしない。
今、目の前のことに集中する。
子供は、
気に入ったものをケースに入れて飾ったりせず、
ガンガン使う。
壊すつもりはもちろんないけれど、
壊れることも気にしない。
そして、壊れたら思いっきり悲しむ。
子供は、見えない世界で、
見えない相手と遊ぶことができる。
公園が宇宙になったり、
透明のミサイルをよけたりする。
自分の世界の“ルール”を真剣に守る。
車輪止めのコンクリートブロックから落ちると
「1まんおくめーとる下のたにぞこ」へと転落する場合もある。
子供は「ありがとう」や「ごめんなさい」が素直に言える。
こんなふうに、例を挙げていたらきりがない。
答えはあっても、正解はない。
結局のところ、
簡単なことをややこしくするのが大人だと。
そんなふうに思う。
僕自身はれっきとしたオトナなので、
ちゃんとはみがきもしたし、ひとりでトイレもいけるし、
おばけなんかこわくない。
だから僕は、明日は休まず営業します。
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