そう教わった僕は、
ことあるごとに、この言葉を思い出す。
伝えたいことを、
相手に届くようにデザインする。
視覚効果だけでなく、
言葉を選ぶこともデザインのひとつだ。
デザインとは「思いやり」だということも
少しずつ分かってきた。
渡す相手のことを考えて、
プレゼントやラッピングを選ぶ。
これはもう立派なデザイン。
デザインとは、
何も特殊なことではなく、
日常生活のすべてに応用できる
「生活の知恵」のようなものだと考えれば、
ちょっとしたことでも楽しくなる。
それが個々のクリエイティブ、
つまり個性につながるのではないかと僕は思う。
思いやり。
それは自分を大切することにも
つながる気がする。
「情けは人のためならず」と。
昔の人はいいことを言う。
いい関係を築いていくという点では、
相手が人でも物でもそれは同じ。
長年使い込んで
自分の体(または生活)に
すっかりなじんだ衣服や
家具や道具などは、愛着を超えて、
生活になくてはならない存在になる。
生活に必要な物を買うときには、
まず、いい関係を築ける相手を
選ぶことから始まる。
長い目で見据えて、
飽きはこないか、
すぐに壊れてしまわないか、
修理のための部品や
業者さんがなくならないか
・・・など。
もちろん、
選ぶ基準は人によって
さまざまだろう。
機能性や効率を
重視する人もいれば、
値段に重きを置く人もいる。
なんであれ、
選ぶことこそがデザインなのだから。
手当たり次第、
目についた物をカゴに入れていくより創造的だ。
ひとつのものを
使い込む楽しさを知っている人は、
それを失ったときの悲しみも知っている。
当たり前さにすら気づかなくなって、
あることが当たり前になりすぎた、そんなころ。
急に壊れてしまったりする。
また、そろそろ壊れるのかなと心配したり、
頭のすみでふと、
「新しいの買わなくちゃいけないかな」
などと思い始めたとき、
まるでその空気を察知したかのように
具合が悪くなったりもする。
あれは何なんだろう。
人も、物も、そして絵画も。
いかにしていい関係を築いていくか、
という部分は変わらない。
どれだけ密接に関われるか、
どれだけの時間を親密に過ごせたか。
単に関わった時間が長ければそれでいい、
というものでもない。
だらだらと集中力散漫な時間を過ごしたり、
流れ作業的に時間を費やしていても、
いい関係は成り立たない。
友人が絵を描き終わった際に、
よく「絵との対話が上手くいった」などと言い表す。
そのとおり、“お互い”の対話、
コミュニケーションが上手くいっていれば、
見た目にもそれが伝わってくる。
画材や技術にしても、歳月を重ね、
お互いの信頼関係が深く築き上げられたなら、
瞬間的な、会話(手数)の少ない関わり方でも
十分表現として深みが出てくるはず。
名匠の腕による一本の線は、
百の言葉よりも多弁だったりする。
未熟な僕は、
まだまだたくさんの言葉に
頼らなければならないらしい。
だからこうして、
夜な夜なひとりごとをつぶやいているのだろう。
なくても生きていけるようなものをかき集めて。
また今日も、“無駄”を承知で
「観光地記念メダル」を買ってきた。
デザイン力のない僕は、
こんな無駄がいとおしくて仕方ない。