部屋の大掃除をしている。
まったく手つかずだった
衣装ケースやダンボールなどを開けての、
大掛かりなものだ。
果てしなく続くかに見えるこの仕事。
いつになったら片づくのやら、
まったく終わりの兆しがやってこない。
幼稚園時代の雑誌
(いかりやさんが健在で、
志村さんがまだ後ろで束ねたり
する前の長髪時代)や
超合金(ロケットパンチのなくなった
勇者ライディーンとか)をはじめ、
ボロボロのミニカーや
幼少期に描いたクレヨン画や
若かりし日の写真などなど。
かがみ込み、
立てた片膝の上にあごを乗せ、
パチンコ玉をはじいて
インベーダーをやっつけるゲームに
没頭したりするもんだから。
ちっとも掃除が前に進まない。
これはいけない、と仕事に戻るも、
すぐまた興味をくすぐる難敵に襟首をつかまれ、
気づくとそいつに夢中になってる。
おもちゃで幼児期に
タイムスリップ。
写真を見てまた
青春時代がフラッシュバック。
ああ、気づくと
こんな時間の繰り返し。
物の多さにもげんなりしたけれど、
それよりも、「保管」してある物の
あまりのくだらなさ加減に、
自分でもガックリきてしまう。
何かのスイッチ、
洋服のボタン多数、
海で拾ったシーグラスや貝殻、
さらにはおよそ何の役にも
立たなさそうな物体まで
きれいに保管されていた。
ハーシーズのココア缶や
ウオーカーズのクッキー缶に
きちんと入れて、だ。
それ以外にもあちこちから、
石ころやら太めのボルト、
布の切れはしなどが次々に出てきた。
いったい何なんだ。
自分で自分が分からなくなった。
大掃除を続けること1週間。
少しずつ見えてきたこともある。
何でもとっておくだけとっておいて、
ほとんど使わない。
忘れてしまっていた物すらある。
よくない癖だ。
そういう反省点も見せつけられたけれど。
自分自身について、ちょっとした発見もある。
これまで生きてきて、
意外と変わっていない部分が
いくつもある、ということ。
好きな物、興味を持つ物に
少なからず一貫性があることが分かった。
幼稚園時代に、
祖母に渋い顔をされながらも買ってもらった
ガイコツのキーホルダー。
ガイコツは今でもずっと好きで、
車のシフトノブやベルトのバックルなどが
ガイコツになってる。
超合金や金属製の置物など、
硬くて壊れにくい物。
クリスタルや真鍮製の灰皿なんかも
たくさん出てきた。
きれいな石ころも、ガラスも、
自分の中でどこか「不変の物」という
安心感があった気がする。
歴代ライダーやウルトラ兄弟など、
ヒーロー物の趣味も、
旬のキャラクターではなく、
常に「1号」や「初代」が好きだった。
飾りがごてごてとつけられる前の、
ベーシックなデザイン。
無駄がなく、意味のある見た目。
そして堅牢さ。
グフとかよりも旧ザクが好きだったのは、
メインカラーが軍隊みたいな
オリーブグリーンだったから。
軍隊物のミニカーもかなり集めていた。
今でもサープラス物(軍物)のパンツや
ジャケットなんかが好きなのは、
幼児期からすでにルーツがあったのかもしれない。
同じものを、飽きるまでしつこく繰り返す性質も、
スケッチブックなどからうかがえた。
ノートやメモ帳に、もがきながら、
なんとか今日まで歩いてきた足取りを
見ることもできた。
大掃除を通して、
こうして自分をふりかえってみるのも
悪くないと思った。
時間を隔てた分だけ、客観視できる。
それでも、
少しばかりの不安がわき起こる。
こんな調子でいいのかと。
ずっと変わらず、
子供じみたかけらをかき集め、
夜な夜な時間を灰にしている。
ちゃんと時間を燃やしているんだろうか?
毎日を完全に燃焼できているんだろうか?
不安になりながら小さく息を漏らした、
ちょうどそのとき。
嘘ではなく、
背後から「神の声」が聞こえた。
部屋のどこかに埋もれた
キーホルダーの仕業。
『だいじょぶだぁ〜』
落ち込みかけた僕を
励ましたその「神さま」の声は、
志村けんの声だった。
だから僕は、
大丈夫だと思うことにした。