*
20代までの僕は、
「こだわり」の塊だった。
意図してそうしていたわけでもなく、
それを自覚していたわけでもない。
幼い頃から、
当たり前に続けていたことや、
自分の中では当然のこととして
育んできたものが、
他の人には稀有なことだった。
たくさんの人と関わるうちに、
人知れず温め続けた、
自分の「こだわり」に気づかされた。
あなたにもそんな経験、
ないかしら?
こんがりむらなく焼いたパンには、
厚さ2ミリで
すみずみまで均一にバターを塗り。
きっちり計ったコーヒー豆を、
決まった銘柄のフルターで、
決まった手順で正確に淹れる。
シャワーを浴びる手順も、
朝の支度の順番も同じで、
それにかかる時間も、
計ったように同じだった。
靴を履くのは左足からで、
歩き出すのも、電車に乗り込むのも、
階段を上り降りするも左足から。
横断歩道は白しか踏まない。
選ぶ数字はいつも奇数で、
あれば必ず「3」にした。
まるでジンクスか
おまじないみたいに。
たくさんの「決まりごと」に
取り囲まれていた。
俗にいう「ルーティン行動」。
まさに、支配されていた、
と言ってもいいほどに。
たくさんの「こだわり」たちが、
毎日ぎっしり整列していた。
気の合う人たちは、
そんな僕を見て、
「お前らしいな」
と、微笑んだ。
社会に出て、
いろんな種類の人たちと出会って。
「変わってる」
「そんなことして、
生きるの大変じゃない?」
「めんどくさいね」
なとと言われるようになって。
なるほど、自分は、
「めんどくさいこと」を
しているやつなんだと、
思い知らされた。
「そのほうが、いいから」
「そっちのほうが、
きれいに仕上がるから」
「そうしたほうが、おいしいから」
ただそれだけの理由で、
「めんどうなこと」をやっていた。
もちろん、そうではない、
単なる習慣による「こだわり」も
たくさんあっただろうが。
あまりめんどうだとは
思わない質である僕は、
めんどうなことを、
楽しんでしまう気質でもあった。
靴下は、ここのブランドがいいとか。
ジャムは、この会社のものがいいとか。
大なり小なり、
誰しも「こだわり」はあると思う。
こだわりなのか、好みなのか。
時にその度合いが、
自分以外の人には、
大きく強く感じられる。
比較、とはそういうものだ。
どちらかが変とか、
おかしいとか、
そういう次元の話ではない。
けれども人は、ときどき思う。
あれは変だな、とか。
これって変かな、とか。
見えない定規で、比較する。
* *
20代の頃の僕は、
スタンリー・キューブリック氏の
映画が好きだった。
きっかけは
『時計仕掛けのオレンジ』(1971)で、
アンソニー・バージェス先生の
原作も読んだ。
キューブリック氏の作品を
買い集めていくうち、
氏の人となりにも興味を抱き始めた。
氏は、もともとも写真家だった。
17歳の時、
アメリカの雑誌『 LOOK』から
写真を買い取られたことを期に、、
報道写真家として活動しはじめた。
氏の写真は、美しい。
モノクロ写真の、光と影が、
きりりと引き締まった構図の中で、
瞬間の「生(せい)」を捉えていた。
人の営み、人生があった。
そしてそこには、どこか、
アイロニーな眼差しが漂っていた。
詳しい経緯は、
他の方々に委ねるとして。
22歳の時、
初の短編映像
(ドキュメンタリー)を撮影し、
そこから映画監督の道を
歩むことになる。
『ロリータ』(1962)
『博士の異常な愛情 または私は如何にしてして心配することをやめて原爆を愛するようになったか』(1964)
『2001年宇宙の旅』(1968)
『バリー・リンドン』(1975)
『シャイニング』(1980)
『フルメタル・ジャケット』(1987)
映画監督として
成功を収めた氏への声は、
称賛だけではなかった。
「偏執病的完璧主義者」
日本語で記すと、
漢字ばかりでおどろおどろしいが。
氏の「こだわり」ぶりは、
時に人々を驚愕させ、
時にあきれさせもした。
国内外のポスター、
予告編、宣伝物には、
すみずみまで全部に
目を通した。
海外で上映する時には、
吹き替えではなく、
必ず字幕で放映した。
ということもあり、
日本では、
氏の作品がテレビで
放映されることは稀だった。
一度、『時計仕掛けのオレンジ』が
吹き替えで放映されたことが
あるそうだが。
それを知った氏は、
激怒したらしい。
音質にも「こだわり」があり、
音響設備の整っていない
映画館での上映は
中止させた。
有名なエピソードでは、
『シャイニング』の撮影中、
女優が恐怖に絶叫する場面で、
何度も何度も撮り直しした話がある。
その数、148回。
役を務めた女優は、
苦痛のあまり、
髪の毛が何本も抜けた、と言っている。
それに対して
キューブリック氏は、
こう答えている。
「それでも、
真に迫った画が撮れた」
人は氏を、
支配的とか狂人だとかと罵った。
『アイズ・ワイド・シャット」では、
主演の二人を、
1年以上にわたって拘束した。
他の仕事は一切入れさせず、
二人を半ば軟禁状態にしたのだ。
『バリー・リンドン』では、
中世の光を再現するため、
蝋燭(そうそく)の
明かりだけで撮影した。
当時のレンズ技術では、
蝋燭の明かりだけだと暗すぎて、
まともな画が撮れなかった。
氏は自ら発案し、
カメラ自体を設計、開発して、
見事、薄暗がりの撮影を成功させた。
氏は、
時間を惜しまなかった。
労力を惜しまなかった。
批判を気にしなかった。
他人との確執も、
誹謗中傷をも厭わなかった。
完璧な作品を作るために。
氏は、
一切の妥協を許さなかった。
後年のキューブリック氏は、
飛行機に乗ることを恐れ、
国外には一歩も出なかった。
イギリス国内の邸宅にこもり、
屋敷の敷地内にセットを組んで、
国内にいながらにして
作品をつくり続けた。
数少ない友人であり理解者である
スティーブン・スピルバーグ氏は、
自家用の飛行機で
彼のもとを訪れると、
何時間も二人きりで
語り合ったという。
完璧主義。
僕は、映画監督でも
巨匠でも何者でjもないのだが。
完璧主義が、怖かった。
完璧主義者が怖いのではなく。
完璧を目指す人に
なるのが怖かった。
氏の作品は好きだ。
けれど、思った。
キューブリック氏みたいに
なるのは怖い。
もちろん、
なれるとも思わない。
僕にはそんな勇気がない。
そんな覚悟も決意も、信念もない。
強調された姿を見て、
ただ、思った。
人とぶつかり合って生きるのは、
大変だ。
僕にはそんな根性がない。
「こだわり」
それは、事を始める前に、
あらかじめ用意されたイメージだ。
枠、と言ってもいい。
型、と言ってもいいだろう。
下書き、と言っても
いいかもしれない。
イメージは、
図面であり、設計図であり、
未来のための計画書でもある。
そこに執着して、
「こだわり」過ぎると、
周りを壊す結果につながる。
想念の具現化のために、
木を切り、土地を平らにならし、
土台を築いて、
自分の求める「完璧」を建てる。
そこが斜面であろうと、
ぬかるんだ湿地であろうと。
思い描いた「理想像」のために、
個性や固有の特徴を、
「イメージ」という基盤で
なだらかな平地に踏み固める。
自分が思い描く完璧なものを、
完璧に建てるために。
小石ひとつすらも見逃さず、
コンマ何ミリの歪みも許さず、
自らが追い求める完全な形で、
青写真を忠実に具象化していく。
ものをつくる上では、
悪でもない、崇高な行為だ。
けれど。
融通が利かない僕は、怖かった。
完璧を追い求める姿勢が、
そのまま自分の姿に
なるのではないかと。
思考と行動の境界線が曖昧になり、
公私混同して
世界を見てしまうのではないかと。
意図的に、なのか、
それとも無意識なのか。
気づくと僕は、
キューブリック氏の求めた方向とは、
違ったほうへと進み始めた。
「こだわり」を捨て、
調和を求めた。
すぐに変わったわけではない。
何年もかけて、ゆっくりと、
自分でも気づかなうちに少しずつ、
ひとつ、またひとつと、
「こだわり」を捨て始めた。
* * *
『芸術作品は、
完成することがない。
ただ、放棄されるだけだ』
ビンチ村の、レオナルド氏——
レオナルド・ダ・ビンチ氏は
こう言った。
氏は、遅筆で、
なかなか作品を
完成させないことで有名だった。
「完璧など、存在しない。
完璧さを求めることこそが、
弱さの表れだ」
そんな言葉を、どこかで聞いた。
三島由紀夫氏は、
何百と集まる東大生と論争する前に、
何日も、何冊も、
本を読んで準備した。
頭脳に知識を蓄え、
肉体を筋肉でよろい、
武装した氏は「完璧」を求めた。
完璧さゆえの、死。
氏は、完璧な美しさを求め、
散っていった。
『武士道は、
死ぬことと見つけたり』
氏の最期は、
その言葉を額面取りに
体現したような形でもある。
先人たちが教えるもの。
それは、道標でありつつ、
教訓でもある。
僕はただの凡人だ。
偉人には到底なれない。
ひとつ、またひとつと、
「こだわり」を捨てて、
身軽になっていく自分に気づく。
初めは不安だった。
自分自分でなるような気がして・・・
などという、高尚な不安ではなく。
これまで信じてきた価値観や
理屈が揺らいで、
バランスが崩れてしまうのではないか、
心配だった。
いきなり
変わろうとはしなかった。
ひとつ、またひとつと、
意識をしながら対面して、
ひとつひとつ、手放した。
たくさん失敗して、
たくさん衝突した。
いらないものは、いらない。
必要なものは、必要。
やめてみてようやく、
必要か否かに気づいたこと、
やめてみて初めて、
功罪がわかったもの。
できなかったことが、
できるようになり、
頑なに続けていたことが
無用になった。
横断歩道は、
白も黒も、関係なくなった。
朝、ごはんでもパンでも、
どちらでもよくなった。
ジャムがなくても、
バターがなくても、
あるものだけで、充分になった。
決まった銘柄の、
決まった匂いのボディソープではなく、
どこにでもあるような固形石鹸でも、
大丈夫になった。
身支度に順序はあっても、
必ずそれを踏襲しなくとも、
何の影響もないとわかった。
今にして思えば、
強迫観念まではいかないにしろ、
自分がいかに「こだわり」に縛られ、
支配されていたのか
見えてきた。
「こだわり」を捨てるということは、
あきらめや、妥協ではない。
むしろ、その逆で、
不完全さを認めるということだ。
不完全な自分を、
不完全な今を、
肯定し、受け入れる。
その器、度量の問題だ。
よく、人に言われた。
「そんなことを
いちいち考えてて、
めんどくさくない?」
考えたことなどない。
感じているだけだ。
聞かれたから言葉にしたのに、
なぜかそんなことを言われて
絶句した日々。
僕は、自分の「こだわり」を
話さなくなった。
「こだわり」は時に、
相手の価値観を否定する。
話せる相手に出会ったとき。
理解し合える相手に出会えたとき。
共感できる誰かを見つけたとき。
お互いの違いを、共通点を、
笑いあい、うなずき、認め合った。
人は笑う。
無遠慮に指を指して、
ひそひそと影で声をひそめて、
めずらしそうな好奇の目で、
「自分たち」とは「違うもの」を
異質なものとして排斥する。
自分もそんな中の一人に過ぎない。
それでも、認め合いたいと思う。
調和を求め、共鳴したいと願う。
僕は、キューブリック氏にも、
三島由紀夫氏にも、
レオナルド・ダ・ビンチ氏にも、
会ったことはない。
『バリー・リンドン』も好きだし、
『金閣寺』も好きだし、
『モナ・リザ』の絵を見て感動した。
尖りすぎても、生きづらい。
丸まりすぎても、転がってしまう。
受け入れること。
『アイ・サレンダー、
ではなく、
愛されるんだ』
やわらかく、おおらかに、
目の前に巻き起こる現実を
謳歌できたら。
完璧を求めて、
何でも一人でやろうと思っていた20代。
それは、衝突を避けた、
平和的な選択でもあった。
と、同時に、
自衛のための逃避でもあった。
今では、一人の無力さを知っている。
人を信じ、委ねることを、少しは覚えた。
これは、あくまで選択でしかない。
キューブリック氏は、
キューブリック氏の選んだ道を
突き進んだからこそ、
数ある名作を世に送り出せた。
三島由紀夫氏も、
レオナルド・ダ・ビンチ氏も、
他の偉人たちも、みな同じ。
自分の道を、自分で選んだ。
自分の道を、自分でつくった。
だから、偉人なのだ。
天才と狂人は紙一重、とは、
よく言ったものだ。
狂人とは、
おかしな人ということではなく、
何かを追い求め、
狂おしいばかりに熱狂した人のことを
指すのかもしれない。
僕は、とろ火の狂人になりたい。
激しい炎ではなく、
内なる炎を静かに秘めた、
おだやかなとろ火の狂人になりたい。
「まとも」の定義こそ、
曖昧で、不完全なものだから。
人や環境を踏みならし、
変えていくのではなく、
調和を求め、受け止め、受け入れて、
その上で自分の答えを導き出したい。
図面通りの完璧さではなく、
完全でなくても、
その時の最善を目指して、
自分以外の力を借りながら、
よりいいものを全力で
つくりあげられたら。
いつしか僕は、
そんな方向へと舵を切り始めた。
自分の航路が、
その通り進んでいようがいまいが、
それすら関係ないことだ。
今見えている景色に、
光が見えるなら。
その光るものの
正体を見るために、
僕はただ、
この小さなぼろ舟を
漕いでいこうと思う。
僕は、不完全な自分を、
不完全な景色を、
完全に肯定していきたい。
< 今日の言葉 >
「がびんのすけ……。
もう、激おこぷんぷん丸だよ」
(2026年、最近覚えた、若者の言葉)
