2026/02/15

カステラのおにいちゃん


『幾つもの波をこえていく舟』(2014)





小学1年生の時のことだ。


りょうちゃんとは、

「あいうえお順」が前後で、

通学路もほとんど一緒だった。


仲よくなった僕たちは、

学校が終わった後にも

よく遊んだ。


秋の終わりの

頃だったように思う。


りょうちゃんの家で遊んでいて、

宝物を見せるようにして

りょうちゃんが言った。


「これ、

 やっきょうだよ」


「やっきょう?」


「らっきょう」しか知らなかった

当時の僕には、

それが何であるか、

すぐにはわからなかった。


「ピストルのたまだよ」


正確には、

ピストル(銃)を撃った後に残る、

弾の「ぬけがら」みたいなものだが。


当時の僕たちには、

その区別も、

正確な役割も理解できておらず、

そんなことよりも

「鉄砲の弾」ということに

驚きと興奮を覚えていた。


「じえいたいのおにいちゃんが、

 くれたんだよ」


耳慣れない言葉ばかりが並び、

ぼんやりとおぼろげな解釈で

ふわふわ想像する僕に、

りょうちゃんの手から、

「やっきょう」が手渡される。


薬莢——真鍮製の、

くすんだ黄色の金属は、

鉛筆よりは太く、

マッジクペンよりは細い。

ちょうど『お名前ペン』くらいの

太さだろうか。

長さは、

小指の第二関節くらいだった。


「やっきょう」の先端の、

穴の開いた部分には、

棒状の四角い金属部品が

小さく舌を出すようにして、

出たり、引っ込んだりする。

「顔」をちらりとのぞかせる程度で、

完全には出てこない。


振ると、カシャカシャ音がして、

その「棒」が前後に動いた。


見るだけでなく、

いろいろいじくりまわしてみると、

その「やっきょう」は、

頭と胴と、底の部分、

三つの部品に分解できた。

ねじ込み式の頭を外すと、

四角い棒状の部品が出てきた。


「いっこあげる」


「え、いいの?」


太っ腹なりょうちゃんに、

喜びの顔をきらきらと向ける。


「うん。

 おにいちゃんにいえば、

 またたくさんくれるから」


僕らの横には、かずおもいた。

かずおは何も言わず、

じっと僕らの話を

聞いていた(と、思う)。


「いっぱいもらえるの?」


「うん。

 やっきょうは、

 すごくいっぱいあるんだって」


「へえぇ・・・」


感嘆の声を上げる僕に、

りょうちゃんが言った。


「もらいにいこうか?」


「もらえるの?」


「おにいちゃんのうちにいけば、

 たぶんまたもらえる」


ここで言う「おにいちゃん」は、

本当の「お兄ちゃん」ではない。

りょうちゃんのお兄ちゃんは、

1歳上で、同じ家に一緒に住んでいる。


「おにいちゃん」とは、

親戚の「おにいちゃん」の

ことだった。


当時の僕が、

そのあたりを追求した記憶はない。

それでも何となく、

そういうことだと理解した。


自分で言うところの、

「東京のにいちゃん」みたいな人だと

認識していた。


「いまからいってみようか」


と、りょうちゃん。


「ちかいの?」


「うん。すぐちかく」


「じゃあ、いこう」


かずおは何も言わなかったが。

僕たち3人は、

自転車にまたがり、

「おにいちゃん」の家へと出発した。


何も考えず、軽い気持ちで、

うきうきとわくわくだけを持って、

僕らはおしゃべりしながら、

楽しげにペダルを漕ぎ続けた。



* *




「りょうちゃん。

 おにいちゃんの家って、

 どこにあるの?」


国道を走りながら、僕は、

りょうちゃんに尋ねた。


「カステラにある」


「カステラ?」


「うん。カステラ」


「カステラって、

 あのカステラ?」


僕は、おやつなどに出てくる、

茶色と黄色の、

ザラメがついてふわふわとした、

あの「カステラ」を思い描いた。


「カステラにすんでる」


「町の名まえ?」


「うん、そう。

 まちのなまえ」


りょうちゃんは、

「すべりだい」のことを

「すれびだい」と言ったり、

「エレベーター」のことを

「エベレーター」と言ったりする。


カステラのおにいちゃんの

家への旅路——。


家の場所を知っているのは、

りょうちゃんだけだ。

りょうちゃんだけが、頼りだった。


何の迷いも躊躇もなく、

自信満々に

がんがんペダルを漕ぎ続ける

りょうちゃんんを追って、

僕とかずおは、

自転車を走らせていった。


気づくと見知らぬ景色ばかりになり、

大きな川を越えて、

ごみごみした界隈にまで来ていた。


真っ青な空には太陽がきらめき、

車の窓ガラスやビルの壁を

きらきらとまぶしく輝かせていた。


車やトラックが行き交う、

三車線の国道。

ここが学区外というだけでなく、

となりの区だということなど、

その時の僕たちには

知る由もなかった。


「あれぇ・・・」


大通りから小道に入ると、

りょうちゃんが自転車を止めた。


「ここ、どこ?」


「えええっ!」


僕は驚きの声をあげた。

かずおは何も言わなかった。

ただ黙って、僕らの後ろにいた。


「りょうちゃん、わからないの?」


知ってると思っていた。

わかっていると思っていた。

その上でがんがん

走っているとばかりに思っていた。

その自信は、いったいどこから

来ていたものなのか・・・。


「りょうちゃん、

 道、わからないの?」


「わかんない」


「じゃあ、

 どうしてこっちにきたの?」


「じどうしゃできたとき、

 こっちのほうにくるから。

 こっちのほうだってわかるけど、

 どこなのかはわからない」


りょうちゃんが、

困ったような顔をした。


「おにいちゃんのうちは、

 どこなの?」


「どこかはわかんない」


「りょうちゃんがわからなかったら、

 ぼくたちわかんないよ」


「ええぇっ!

 ・・・・どうしよう」


りょうちゃんは、

ものすごくびっくりした顔だった。


「だれかにきいてみよう」


僕たちは、

ガソリンスタンドのおじさんに

聞いてみた。


「おにいちゃんの

 うちにいきたい」


おじさんはりょうちゃんに、

「おにいちゃん」の名前を聞いた。


「▲▲にいちゃん」


りょうちゃんは、

下の名前しか知らなかった。

おにいちゃんの、

名字を知らなかったのである。


今思って見てみても、

こういうことはよくある。

「しんにいちゃん」などと

愛称で呼んでいるせいで、

名字という「概念」を持たないまま

「しんにいちゃん」は

「しんにいちゃん」という存在だと思い、

名字を知らぬまま、

愛称で呼び続けていたことは

自分にもある。


下の名前だけ聞いても

もわからない、と。

ガソリンスタンドのおじさんは

首を傾げた。

住所はどこかと聞かれて、

りょうちゃんが答えた。


「カステラ」


「・・・カステラ?」


「カステラ」


僕が聞いた時と

そっくりそのまま同じ感じで、

おじさんが眉をひそめる。


「・・・もう、いこ」


おじさんの口調が、

怒っているふうにでも

聞こえたのか。

りょうちゃんは、

小声でささやき、僕の腕を引いた。


お礼もそこそこに、

自転車を漕いで立ち去る僕らへ、

おじさんが心配そうな顔を向ける。


かずおは何も言わなかった。

カソリンスタンドに

背を向けた僕たちは、

引き返すのではなく、

そのまま知らない景色の中へと

自転車を走らせた。


しばらく走ると、

お菓子なども売っている、

パン屋さんがあった。

店先には、

優しそうなおばさんが座っている。


「おばさんにきいてみよう」


僕らはまた、聞いてみた。

頼みの綱のりょうちゃんが、

同じようにして口火を切る。


「カステラにいきたい」


りょうちゃんは、敬語を知らない。

僕もそんなには知らなかったが。

ぶっきらぼうな

りょうちゃんの物言いは、

おばさんをますます混乱させた。


「え? 何?

 カステラがほしいの?」


「ちがう。カステラ。

 カステラにいきたい」


「カステラ?」


「カステラ」


しばらく黙ったおばさんは、

ややあって大きく頷いた。


「ああ、カサデラ?」


僕らの住む街には、

「笠寺(かさでら)」という

地名がある。


電車の駅名にもなっていて、

その名前は僕にも覚えがあった。


「なんだ、かさでらかぁ」


と言ってみたものの。

僕にはそれがどこにあるのか、

まったくくわからなかった。


笠寺は、もう目と鼻の先、

もうちょっと行ったところの、

すぐそばにあるとのことだった。


「あんたたち、

 どこから来たの?

 何小学校の子?」


僕たちが答えると、

おばさんは驚いた顔で

目を丸くした。


「自転車で来たの?

 まあぁ・・・

 そんな遠いところからわざわざ。

 何しに行くの?」


「おにいちゃんのうちにいく」


「笠寺のどこなの?」


「わかんない」


「わかんないって。

 それじゃあ、

 行きようがないじゃないの?」


空はまだ明るかったが。

もうすぐ暗くなるから帰りなさいと。

そんなようなことを

おばさんに言われた。


あそこの道を

まっすぐ行けばいいっからと。

わからなくなったら人に聞きなさいと。

そんなことを言われた気もするが。


おばさんに見送られ、

僕らは黙って自転車に乗った。

かずおは、

何も言わないままだった。



* * *




秋の空はつるべ落とし、

などとは言うけれど。


黄色い光をたたえた太陽が、

空を赤く染め上げたかと思うと、

あっという間に

あたりが真っ暗になった。


街灯がともり、

国道には車のライトが

川みたいに流れる。


「こっちでいいのかなぁ。

 ずっとまっすぐいけばいいって

 いってたよね」


僕の言葉に、

返事はなかった。


りょうちゃんは押し黙ったまま、

今にも泣き出しそうな顔を、

じっとアスファルトの地面に

向けていた。


信号待ちのたびに、

話しかけるのだけれど。

りょうちゃんは黙ったままだった。

かずおもずっと黙ったままだった。


僕らは半ズボンだった。

寒さは心細さをあおり、

自信のない足取りを

いっそうに不安にさせた。


パチンコ店のネオンがまぶしい。

明るいはずの光が、

なぜかよけいに夜を感じさせた。


光に群がる、

ピーナツみたいな色をした蛾が、

すごく気持ち悪くて、

迷子の僕らを

ちらちらと嘲笑っているかの

ようだった。


いつしか僕らは、

自転車を降りて、

とぼとぼ押して歩いていた。


車が走去るたび、

りょうちゃんの半ズボンの足を、

自転車を、真っ白に照らし出し、

またすぐに闇が

りょうちゃんの姿を

夜の中へと飲み込んだ。


一歩遅れて歩くかずおは、

何も言わなかった。

ただ黙って、

二人のうしろを歩いていた。


「もう、

 かえれないかもしれない」


りょうちゃんが言った。


「もうずっと、

 うちにかえれないかもしれない」


あの車かっこいいね、とか。

もうすぐつくかな、とか。

なるべく明るく

ふるまっていたのだけれど。


ついにりょうちゃんが

泣き出した。


自分が

自衛隊のお兄ちゃんのところに

行こうなんて言わなければ、

こんなことにはならなかったと。

りょうちゃんは、

昼間の自分を、

心の底から悔いていた。


「だいじょうぶだよ、

 ぜったいかえれるよ」


何の裏づけもない励ましは、

単なる頼りない励ましで、

気休めにすらならず、

泣き濡れるりょうちゃんを

安心させる力はなかった。


白々とした街灯の灯る街道に、

あたたかな色の明かりが見えた。


一軒の駄菓子屋さんだった。


当然と言えば当然のことだが。

学区内でよく行く店とはまた違う、

見たことのない駄菓子屋さんだった。


軒先の緑色のテントが、

白熱灯に照らされて、

冷え冷えとした夜の景色の中、

そこだけあたたかな色に

染まっていた。


光を求める羽虫のように。

僕らの足は——

少なとも、僕の心は、

まっすぐにそちらへ向かっていた。


そこは、駄菓子屋というより、

駄菓子を多く扱う、食品店だった。

コンビニエンスストアが

まだ少なかった時代、

このスタイルのパン屋、食品店、

または「よろずや」的なお店は、

たくさんあった。


店構えは、

住宅と一体化しており、

店の奥と2階は住居だった。


ということもあり。

暗くなってもなお、

店を開けている店舗も少なくなかった。


消沈したりょうちゃんを

元気づけたくて。

僕は、明るい調子で誘ってみた。


「ちょっとよっていこうよ」


りょうちゃんは、

消え入りそうな声で、こう答えた。


「おかねがない」


「ぼくもない」


かずおが言った。


「じゃあ、

 50円ずつあげるから、

 なんかかってこうよ」


二人が何を買ったのかは忘れたが。


僕は、店先にあった、

『コスモス』と書かれた

緑色のガチャガチャと向き合った。


『トントンダイス』


人差し指の

第一関節くらいの大きさの、

うすだいだい色の

ゴムでできた、二匹の豚。


豚が二匹で、

豚豚(トントン)。


二匹の豚を、

サイコロみたいに転がして、

「運勢」を占うという物だった。


この期におよんで、

なぜにそんな代物へと

手を伸ばしたのか。


今となっては、

当時の自分の心理を

うかがい知ることはできないが。


「おもしろそう」


そう思ったことだけは、確かだった。


50円玉を入れて、

ガチャガチャと回す。


回しきった手応えに、

コトン、という音が続く。


緊張の瞬間。


当たり、だった。


透明なカプセルの中で、

二匹の豚が、笑っていた。


「やった、でた!」


さっそく

カプセルを開けて見てみると、

付属の紙に、二匹の豚が示す

いろいろな姿が描かれていた。


詳細は忘れたが。

二匹とも仰向けなら

「ざんねん」とか。

二匹両方ともが立ったら

「大吉」みたいに。


横向きに倒れた姿勢だったり、

顔を下にした姿勢で

逆立ちみたいな格好だったり。

二匹の豚の姿勢の組み合わせで

設定された運勢が、

折りたたまれた小さな紙面に、

単色刷りでびっしりと、

図解とともに明記されていた。


試しに転がしてみる。


コンクリートの地面だと

買ったばかりの豚ちゃんが

汚れそうだったので、

自転車のサドル(椅子)の上に、

左手で囲いを作って、

加減しながら小さく転がしてみた。


うっすらとした記憶では。


目の前に転がった

二匹の豚が示す運勢が何なのか、

判別しにくい組み合わせだったように

覚えている。


続けて何度か転がしてみる。


けれど。


よく、わからなかった。


よしとばかりに、

地面で転がしてみる。


どうしよう。


思ったより、おもしろくない。


全然、おもしろくなかった。


何度か転がせばおもしろくなるはず、

とばかりに、むきになって、

何度も転がしてみる。


けれども・・・。


おもしろくは、ならなかった。


おもしろくなるどころか、

僕の感情の針は、

どんどんゆっくりと

真逆のほうへと振れはじめた。


興奮の絶頂点は、おそらく、

カプセルを開ける瞬間に迎え、

刹那に燃え尽き、

すっかり冷たい骸(むくろ)と

化してしまっていたようだ。


それでも。


笑う二匹の豚は、かわいかった。


白熱灯の、

オレンジがかった光に照らされた、

二匹の豚。


りょうちゃんの自転車の

泥よけに描かれた、

アメリカンフットボールをする

男性の絵図(イラスト)とともに。

あたたかな光に包まれた豚の姿が、

言いようもないほど鮮明に、

僕の目の奥、心の底に、

くっきりと深く焼きついた。


「もういこうよ」


駄菓子屋さんの壁掛け時計は、

6時過ぎを指していた。


りょうちゃんの声が聞こえなければ、

僕はずっと、放心したまま、

二匹の豚を

転がし続けていたかもしれない。


暗い坂道を下り、

踏切を越えると、

見慣れた景色が現れた。


家の前の道につながる

国道だった。


安堵のあまり、

全身から力が抜けそうになった。

自転車のハンドルを投げ出して、

今にも駆け出したい気持ちを

懸命にこらえ、

こみ上げる喜びの笑みを

奥歯で噛みしめた。


「じゃあね」


いちばん最初に

手を挙げたのは、僕だった。


学区のいちばん端に

家がある僕は、

いちばん最初に二人と別れた。


「バイバイ」


りょうちゃんが手を振った。


かずおは何も言わなかった。

ただ、少し笑っていた。


二人と別れた僕は、

急いで自転車にまたがり、

勢いあまって踏みそこね、

回転してきたペダルで

したたかに脛(すね)を強打して

顔をしかめながらも、

はちきれんばかりの笑顔に風を浴びて、

夜の道をぐんぐん進んでいった。


その、

たった数十メートルの道のりが、

どんなに遠く長く、

はてしなく感じたことか。


息を吸うのも、

まばたきするも忘れて、

ひたすら自転車を漕いで走った。


体よりも、

気持ちのほうがずっと前を走っていた。


家の、灯りが見えた。


オレンジ色の、カラスごしの光。


あたたかい色の、丸い光。


光の輪の中に、

赤茶色のレンガの壁が見える。


車庫を抜け、

階段を駆け上がり、

玄関の扉を勢いよく開けた。


その時、

わが家の匂いを、

嗅いだ気がする。


「ただいま!」


「おかえり。

 遅かったねぇ」


家に着いた時間は、

いつもよりほんの15分か

30分ほど遅くなったくらいだったが。

その時の僕には、

真っ暗な、夜の夜更けに感じた。


いつもと変わらぬ

おだやかな母の声に、

喜びよりも安堵が広がり、

いつもと変わらぬその顔に、

遅れて悔しさが湧き上がった。


「もう・・・!

 ただいまなのに・・・・!」


口をついて出たのは、

そんな感じの言葉だった。


すごく怖くて、不安で、

悲しくて、頑張って、こらえて、

やっとの思いで家に帰ってきたのに。

目の前の母は、

僕の「苦労」など

まるで知らない顔つきだった。


自分の味わってきた

心細さやつらさが伝わらず、

けろりとした母が恨めしく思われ、

これまでにないほど

大きな声で泣きじゃくった。


「どうしたの、そんなに泣いて。

 何、どうかしたの?!」


母かうろたえる。


母の胸にすがって、僕は、

今日の出来事を、ここまでの苦労を、

八つ当たりするみたいに

涙まじりで訴えた。


今ごろ、りょうちゃんも、

泣いているのだろうか。


かずおは、

泣いているのだろうか。



のちに知ったことだが。

かずおの家には、

誰もいないことが多く、

夜、寝るまで母が

帰らないこともあるとのことだった。


鍵っ子のかずおは、

家に一人でいる時間が多かった。


道中で泣き出した、りょうちゃん。

家に帰って、泣きじゃくった僕。

何も言わず、静かに微笑んでいたかずお。


はたして誰がいちばん泣き虫で、

誰がいちばんしっかり者か。


大きくなった今でも、

それはわからない。


人前で涙を

見せないようにしていた僕が、

本当の意味で強いとも思えない。


素直なりょうちゃんが、

弱虫だとも思えない。


記憶の中で微笑むかずおは、

何も言わない。



今はもう、

なくなってしまった駄菓子屋だが。

その道を通るたびに思い出す。


カステラのおにいちゃんと薬莢と、

笑う二匹の豚を。



迷子になっても、帰る家がある。

帰れる場所がある。


『いくつになっても甘えん坊』


そんな言葉もあるけれど。


いくつになっても泣き虫の僕は、

今日もえんえん泣きながら、

まっすぐ家に帰るのでした。



< 今日の言葉 >


クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット


(タイ王国の正式名称)

2026/02/01

不完全な完全

 





20代までの僕は、

「こだわり」の塊だった。


意図してそうしていたわけでもなく、

それを自覚していたわけでもない。


幼い頃から、

当たり前に続けていたことや、

自分の中では当然のこととして

育んできたものが、

他の人には稀有なことだった。


たくさんの人と関わるうちに、

人知れず温め続けた、

自分の「こだわり」に気づかされた。


あなたにもそんな経験、

ないかしら?


こんがりむらなく焼いたパンには、

厚さ2ミリで

すみずみまで均一にバターを塗り。


きっちり計ったコーヒー豆を、

決まった銘柄のフルターで、

決まった手順で正確に淹れる。


シャワーを浴びる手順も、

朝の支度の順番も同じで、

それにかかる時間も、

計ったように同じだった。


靴を履くのは左足からで、

歩き出すのも、電車に乗り込むのも、

階段を上り降りするも左足から。


横断歩道は白しか踏まない。

選ぶ数字はいつも奇数で、

あれば必ず「3」にした。


まるでジンクスか

おまじないみたいに。

たくさんの「決まりごと」に

取り囲まれていた。


俗にいう「ルーティン行動」。


まさに、支配されていた、

と言ってもいいほどに。

たくさんの「こだわり」たちが、

毎日ぎっしり整列していた。


気の合う人たちは、

そんな僕を見て、


「お前らしいな」


と、微笑んだ。


社会に出て、

いろんな種類の人たちと出会って。


「変わってる」


「そんなことして、

 生きるの大変じゃない?」


「めんどくさいね」


なとと言われるようになって。


なるほど、自分は、

「めんどくさいこと」を

しているやつなんだと、

思い知らされた。


「そのほうが、いいから」


「そっちのほうが、

 きれいに仕上がるから」


「そうしたほうが、おいしいから」


ただそれだけの理由で、

「めんどうなこと」をやっていた。

もちろん、そうではない、

単なる習慣による「こだわり」も

たくさんあっただろうが。

あまりめんどうだとは

思わない質である僕は、

めんどうなことを、

楽しんでしまう気質でもあった。


靴下は、ここのブランドがいいとか。

ジャムは、この会社のものがいいとか。

大なり小なり、

誰しも「こだわり」はあると思う。


こだわりなのか、好みなのか。


時にその度合いが、

自分以外の人には、

大きく強く感じられる。


比較、とはそういうものだ。


どちらかが変とか、

おかしいとか、

そういう次元の話ではない。


けれども人は、ときどき思う。


あれは変だな、とか。

これって変かな、とか。

見えない定規で、比較する。



* *



20代の頃の僕は、

スタンリー・キューブリック氏の

映画が好きだった。


きっかけは

『時計仕掛けのオレンジ』(1971)で、

アンソニー・バージェス先生の

原作も読んだ。


キューブリック氏の作品を

買い集めていくうち、

氏の人となりにも興味を抱き始めた。


氏は、もともとも写真家だった。

17歳の時、

アメリカの雑誌『 LOOK』から

写真を買い取られたことを期に、、

報道写真家として活動しはじめた。


氏の写真は、美しい。

モノクロ写真の、光と影が、

きりりと引き締まった構図の中で、

瞬間の「生(せい)」を捉えていた。

人の営み、人生があった。

そしてそこには、どこか、

アイロニーな眼差しが漂っていた。


詳しい経緯は、

他の方々に委ねるとして。


22歳の時、

初の短編映像

(ドキュメンタリー)を撮影し、

そこから映画監督の道を

歩むことになる。


『ロリータ』(1962)

『博士の異常な愛情 または私は如何にしてして心配することをやめて原爆を愛するようになったか』(1964)

『2001年宇宙の旅』(1968)

『バリー・リンドン』(1975)

『シャイニング』(1980)

『フルメタル・ジャケット』(1987)


映画監督として

成功を収めた氏への声は、

称賛だけではなかった。


「偏執病的完璧主義者」


日本語で記すと、

漢字ばかりでおどろおどろしいが。


氏の「こだわり」ぶりは、

時に人々を驚愕させ、

時にあきれさせもした。


国内外のポスター、

予告編、宣伝物には、

すみずみまで全部に

目を通した。


海外で上映する時には、

吹き替えではなく、

必ず字幕で放映した。


ということもあり、

日本では、

氏の作品がテレビで

放映されることは稀だった。


一度、『時計仕掛けのオレンジ』が

吹き替えで放映されたことが

あるそうだが。

それを知った氏は、

激怒したらしい。


音質にも「こだわり」があり、

音響設備の整っていない

映画館での上映は

中止させた。


有名なエピソードでは、

『シャイニング』の撮影中、

女優が恐怖に絶叫する場面で、

何度も何度も撮り直しした話がある。


その数、148回。


役を務めた女優は、

苦痛のあまり、

髪の毛が何本も抜けた、と言っている。


それに対して

キューブリック氏は、

こう答えている。


「それでも、

 真に迫った画が撮れた」


人は氏を、

支配的とか狂人だとかと罵った。


『アイズ・ワイド・シャット」では、

主演の二人を、

1年以上にわたって拘束した。

他の仕事は一切入れさせず、

二人を半ば軟禁状態にしたのだ。


『バリー・リンドン』では、

中世の光を再現するため、

蝋燭(そうそく)の

明かりだけで撮影した。


当時のレンズ技術では、

蝋燭の明かりだけだと暗すぎて、

まともな画が撮れなかった。


氏は自ら発案し、

カメラ自体を設計、開発して、

見事、薄暗がりの撮影を成功させた。


氏は、

時間を惜しまなかった。

労力を惜しまなかった。

批判を気にしなかった。

他人との確執も、

誹謗中傷をも厭わなかった。


完璧な作品を作るために。


氏は、

一切の妥協を許さなかった。


後年のキューブリック氏は、

飛行機に乗ることを恐れ、

国外には一歩も出なかった。


イギリス国内の邸宅にこもり、

屋敷の敷地内にセットを組んで、

国内にいながらにして

作品をつくり続けた。


数少ない友人であり理解者である

スティーブン・スピルバーグ氏は、

自家用の飛行機で

彼のもとを訪れると、

何時間も二人きりで

語り合ったという。


完璧主義。


僕は、映画監督でも

巨匠でも何者でjもないのだが。


完璧主義が、怖かった。


完璧主義者が怖いのではなく。

完璧を目指す人に

なるのが怖かった。


氏の作品は好きだ。


けれど、思った。


キューブリック氏みたいに

なるのは怖い。


もちろん、

なれるとも思わない。

僕にはそんな勇気がない。

そんな覚悟も決意も、信念もない。


強調された姿を見て、

ただ、思った。


人とぶつかり合って生きるのは、

大変だ。

僕にはそんな根性がない。


「こだわり」


それは、事を始める前に、

あらかじめ用意されたイメージだ。


枠、と言ってもいい。

型、と言ってもいいだろう。

下書き、と言っても

いいかもしれない。


イメージは、

図面であり、設計図であり、

未来のための計画書でもある。


そこに執着して、

「こだわり」過ぎると、

周りを壊す結果につながる。


想念の具現化のために、

木を切り、土地を平らにならし、

土台を築いて、

自分の求める「完璧」を建てる。


そこが斜面であろうと、

ぬかるんだ湿地であろうと。

思い描いた「理想像」のために、

個性や固有の特徴を、

「イメージ」という基盤で

なだらかな平地に踏み固める。


自分が思い描く完璧なものを、

完璧に建てるために。

小石ひとつすらも見逃さず、

コンマ何ミリの歪みも許さず、

自らが追い求める完全な形で、

青写真を忠実に具象化していく。


ものをつくる上では、

悪でもない、崇高な行為だ。


けれど。


融通が利かない僕は、怖かった。


完璧を追い求める姿勢が、

そのまま自分の姿に

なるのではないかと。


思考と行動の境界線が曖昧になり、

公私混同して

世界を見てしまうのではないかと。


意図的に、なのか、

それとも無意識なのか。


気づくと僕は、

キューブリック氏の求めた方向とは、

違ったほうへと進み始めた。


「こだわり」を捨て、

調和を求めた。


すぐに変わったわけではない。

何年もかけて、ゆっくりと、

自分でも気づかなうちに少しずつ、

ひとつ、またひとつと、

「こだわり」を捨て始めた。



* * *



『芸術作品は、

 完成することがない。

 ただ、放棄されるだけだ』


ビンチ村の、レオナルド氏——

レオナルド・ダ・ビンチ氏は

こう言った。


氏は、遅筆で、

なかなか作品を

完成させないことで有名だった。


「完璧など、存在しない。

 完璧さを求めることこそが、

 弱さの表れだ」


そんな言葉を、どこかで聞いた。


三島由紀夫氏は、

何百と集まる東大生と論争する前に、

何日も、何冊も、

本を読んで準備した。


頭脳に知識を蓄え、

肉体を筋肉でよろい、

武装した氏は「完璧」を求めた。


完璧さゆえの、死。


氏は、完璧な美しさを求め、

散っていった。


『武士道は、

 死ぬことと見つけたり』


氏の最期は、

その言葉を額面取りに

体現したような形でもある。


先人たちが教えるもの。

それは、道標でありつつ、

教訓でもある。


僕はただの凡人だ。

偉人には到底なれない。


ひとつ、またひとつと、

「こだわり」を捨てて、

身軽になっていく自分に気づく。


初めは不安だった。


自分自分でなるような気がして・・・

などという、高尚な不安ではなく。

これまで信じてきた価値観や

理屈が揺らいで、

バランスが崩れてしまうのではないか、

心配だった。


いきなり

変わろうとはしなかった。


ひとつ、またひとつと、

意識をしながら対面して、

ひとつひとつ、手放した。


たくさん失敗して、

たくさん衝突した。


いらないものは、いらない。

必要なものは、必要。


やめてみてようやく、

必要か否かに気づいたこと、

やめてみて初めて、

功罪がわかったもの。


できなかったことが、

できるようになり、

頑なに続けていたことが

無用になった。


横断歩道は、

白も黒も、関係なくなった。


朝、ごはんでもパンでも、

どちらでもよくなった。


ジャムがなくても、

バターがなくても、

あるものだけで、充分になった。


決まった銘柄の、

決まった匂いのボディソープではなく、

どこにでもあるような固形石鹸でも、

大丈夫になった。


身支度に順序はあっても、

必ずそれを踏襲しなくとも、

何の影響もないとわかった。


今にして思えば、

強迫観念まではいかないにしろ、

自分がいかに「こだわり」に縛られ、

支配されていたのか

見えてきた。


「こだわり」を捨てるということは、

あきらめや、妥協ではない。


むしろ、その逆で、

不完全さを認めるということだ。


不完全な自分を、

不完全な今を、

肯定し、受け入れる。


その器、度量の問題だ。


よく、人に言われた。


「そんなことを

 いちいち考えてて、

 めんどくさくない?」


考えたことなどない。

感じているだけだ。

聞かれたから言葉にしたのに、

なぜかそんなことを言われて

絶句した日々。


僕は、自分の「こだわり」を

話さなくなった。


「こだわり」は時に、

相手の価値観を否定する。


話せる相手に出会ったとき。

理解し合える相手に出会えたとき。

共感できる誰かを見つけたとき。

お互いの違いを、共通点を、

笑いあい、うなずき、認め合った。


人は笑う。

無遠慮に指を指して、

ひそひそと影で声をひそめて、

めずらしそうな好奇の目で、

「自分たち」とは「違うもの」を

異質なものとして排斥する。


自分もそんな中の一人に過ぎない。


それでも、認め合いたいと思う。

調和を求め、共鳴したいと願う。


僕は、キューブリック氏にも、

三島由紀夫氏にも、

レオナルド・ダ・ビンチ氏にも、

会ったことはない。


『バリー・リンドン』も好きだし、

『金閣寺』も好きだし、

『モナ・リザ』の絵を見て感動した。


尖りすぎても、生きづらい。

丸まりすぎても、転がってしまう。


受け入れること。


『アイ・サレンダー、

 ではなく、

 愛されるんだ』


やわらかく、おおらかに、

目の前に巻き起こる現実を

謳歌できたら。


完璧を求めて、

何でも一人でやろうと思っていた20代。

それは、衝突を避けた、

平和的な選択でもあった。

と、同時に、

自衛のための逃避でもあった。


今では、一人の無力さを知っている。

人を信じ、委ねることを、少しは覚えた。


これは、あくまで選択でしかない。


キューブリック氏は、

キューブリック氏の選んだ道を

突き進んだからこそ、

数ある名作を世に送り出せた。


三島由紀夫氏も、

レオナルド・ダ・ビンチ氏も、

他の偉人たちも、みな同じ。


自分の道を、自分で選んだ。

自分の道を、自分でつくった。


だから、偉人なのだ。


天才と狂人は紙一重、とは、

よく言ったものだ。


狂人とは、

おかしな人ということではなく、

何かを追い求め、

狂おしいばかりに熱狂した人のことを

指すのかもしれない。


僕は、とろ火の狂人になりたい。


激しい炎ではなく、

内なる炎を静かに秘めた、

おだやかなとろ火の狂人になりたい。


「まとも」の定義こそ、

曖昧で、不完全なものだから。


人や環境を踏みならし、

変えていくのではなく、

調和を求め、受け止め、受け入れて、

その上で自分の答えを導き出したい。


図面通りの完璧さではなく、

完全でなくても、

その時の最善を目指して、

自分以外の力を借りながら、

よりいいものを全力で

つくりあげられたら。


いつしか僕は、

そんな方向へと舵を切り始めた。


自分の航路が、

その通り進んでいようがいまいが、

それすら関係ないことだ。


今見えている景色に、

光が見えるなら。


その光るものの

正体を見るために、

僕はただ、

この小さなぼろ舟を

漕いでいこうと思う。


僕は、不完全な自分を、

不完全な景色を、

完全に肯定していきたい。



< 今日の言葉 >


「がびんのすけ……。

 もう、激おこぷんぷん丸だよ」


(2026年、最近覚えた、若者の言葉)


2026/01/15

革ジャンとたて笛



 




『下手の横好き』

( Heta no yoko-zuki )


という言葉がある。


「たて笛なのに、横好き?」


と、思った鋭いあなた。

40ポイント差し上げよう。


ここでいう「横」とは、

「本来の、本業からそれたもの」

を指す。


『下手の横好き』


それはすなわち、

「本来の本業などではない、

 横道にそれた物事に対して、

 熱心に没頭するさま」

をいう。



* *



小、中学時代、

たて笛を吹くのが好きだった。

音楽は好きでも、

学科としての「音楽」は苦手で、

音符が読めなかった。


小学校の頃、

鍵盤ハーモニカに、

油性ペンでドレミを書いた。

ドレミの文字を書くために、

自分用の鍵盤ハーモニカを買った。


みんなが使う水色ではなく、

色で選んでベージュにした。

ベージュの鍵盤ハーモニカは、

水色の鍵盤ハーモニカに比べて、

1オクターブほど音域が狭かった。


小型で、コンパクトで、

かわいらしい、

ベージュ色の鍵盤ハーモニカ。

演奏中、

音が足りない時は、

空中(エア)で指を動かして、

吹いてる「風(ふう)」でごまかした。


おかげでちっとも上達せず、

ずっと一本指奏法のままで

鍵盤ハーモニカの履修を終えてしまった。


Anyway(トモカク)。


音符が読めない僕は、

クラス全体で演奏する時、

打楽器などの、

奏法が単純な楽器に好んで挙手した。


トライアングル、

木琴、鉄琴、

大太鼓、小太鼓、

シンバル、カスタネット・・・。


瞬発力と反射神経、

リズム感が勝負の、

ひりひりした緊張感。


楽譜2ページくらい、

まったくまるで出番がなく、

数分間じっと待っての、

『ドォオオン』、

または『チリ〜ン』。

ときに『バッシャ〜ン』。


あまりに登場が少ない場合には、

『ドォオオン』と『チリ〜ン』、

掛け持ち担当のこともある。


鉄琴の音が、好きだった。

きらきらしていて、心地いい。

木琴も、

それよりあたたかみがあって、

やわらかくて好きだった。


バチを変えると、音が変わる。

強く叩くと大きく鳴って、

弱く叩くとやさしく鳴る。

こすればこすった音がして、

魔法を使ったみたいな音色が響いた。


一見、正方形の「鞄」に見えて、

「パッチン錠」を外して開くと、

木琴に早変わり・・・

なんていうものも持っていた。


音符が読めない僕は、いつも、

隣の席の心やさしい「女子」に、

「ドレミ」を書いてもらっていた。


「ト音記号の、最初の、

 はじまりの部分が『ソ』だから」


と、これまた

やさしい女子が教えてくれても。


「そうか。じゃあ、これは何?

 ミ? ファ? ポ?」


「ポなんてない」


とか言いながら、

結局全部、

トレミを教えてもらって、

譜面に書いた。



さてさて——。

ここでようやく登場です。



たて笛。

リコーダー。



「こいつ」が出てきたとき、

僕は少なからず衝撃を受けた。


「なんだ、この

 画期的な楽器は⁈」


小学3年生、

初めてリコーダーと出会った家原少年は、

腰から地面に崩れ落ちた。


まぶしさに目を細め、

震える手で、恐る恐る触れた。

想像以上に、なめらかな手触りだ。


こわごわと、

唇をあてて吹いてみた。

トゥっと、

あたたかな音色が出た。


笛の音(ね)だけでなく、

少年の両の目からは

静かな涙がこぼれ落ちた。


・・・かどうかは、さて置いて。


とにかく、ちょっと感動した。


「運指表」を見ながら、

ド、レ、ミ、と音を出していく。

高く、低く。

指の動きで音色が変わる。


オルガンやピアノの鍵盤より簡単で、

両手に収まるこの感じ。

ハーモニカよりも、

音の区別かつけやすく、

いいな、と思った。


けれども。


当時の僕は、

「音を楽しむ」というより、

楽譜に書かれた音階どおりの

「正しい音」を出すことに必死で、

いざ演奏となった時、

あまりリコーダーを楽しめなかった。


「適当に音を出してるのが楽しい」


打楽器みたいに、

音色を、楽しみたかった。


音符が読めない僕は、

楽譜ではなく、

耳で音を確かめながら、

リコーダーを吹くのが好きだった。


だから、

曲を覚えるのに時間がかかった。

楽譜ではなく、

耳で覚えるものだから、

いい加減な指の運びで、

よく間違えるし、

楽譜と違う音だったりした。


リコーダーは好きだったが。

音楽の授業は、まるで駄目だった。

音楽を聴くのも、

唄うのも、演奏するのも好きだったが。

授業となると、まったく駄目だった。


それでも思った。


教育テレビの

『ふえはうたう』だったか。

授業で聴いた曲、

『Sing(シング)』。


カーペンターズの歌みたいに、

気持ちよく、たて笛が吹けたらなぁと。


Don't worry that its not good enough

 For anyone else to hear

 Just sing sing a song』

(他のみんなに聞かせるほど

 上手じゃなくていい

 ただ唄おう 歌を唄おう)


余談だが・・・。


当時、僕たちの小学校では、

最初に「支給」される「たて笛」は、

ツートンカラーのリコーダーだった。


アイボリーと

ダークチョコレートのような茶色の、

2色のリコーダーだ。


口の部分をくわえながら、

前歯でガリガリと削ったせいか。

それとも、扱いが乱雑だったのか。


掃除の時間に、

机からころりと転がったリコーダーは、

口の部分が割れて、

割れた部分がポロリと外れた。


「なし」か「あり」で言えば、

「ポロリあり」だ。

(わからない人にはどうでもいい一文)


割れてしまった

2色のリコーダーは、

顔面を負傷した

サイボーグのようだった。


中身(構造部分)がむき出しだ。

音は、出ないことはなかったが、

口当たりが悪く、演奏しづらい。


先生に相談すると、


「新しいのを買ってらっしゃい」


とのことだった。


ややくすんだオレンジ色の

布袋(ケース)に入った、

2色仕様のリコーダーは、

水色の布袋(ケース)に入った、

ホワイトチョコレートのように真っ白な、

真新しいリコーダーに変わった。


新しいものというのは、

いつも最初は「変な」感じがする。

しかも自分だけが「真っ白」で、

みんなのリコーダーは「2色」だ。


転校生の井上さんも「白」だった。

そんなわけで、

井上さんに親しみを覚えて、

仲よくなったりもした。


最初に「一斉支給」されたリコーダーには、

胴の腹(手前側)の部分に、

名前が彫ってあった。

三角刀のような、

鋭利な刃物で彫られた文字には、

金色の塗料が流し込まれていた。


   家

   原

   利

   明


チョコレート色の胴に、

漢字で縦書きに刻まれた金文字は、

それだけで特別なものだった。


何とかその、茶色の胴体部分を、

新しい白い笛の頭に

据えつけようとした。


無理だった。

径が、合わない。


特別だった、最初のたて笛。


失ってから、

ようやく遅れて気がついた、

小学4年生の僕でありました・・・。



真っ白な新しいリコーダーは、

よく見ると、口の部分に、

少しだけ色の濃い部品(パーツ)が

はまっていた。


少し沈んだ、暗い色のベージュ。

バーバーリーの

『グレージュ』のような色味だが。

僕にはそれが

「カスタードクリーム」に見えた。


生クリームと、カスタード。


よく見れば、

これも2色(ツートン)だと。

別に帳尻を合わせるつもりでもなかったが。

そんなようなことを、

考えるでもなく思った。


下から硬い棒などで小突くと、

「カスタード」の部分が

ゆっくりせり上がり、

やがて外れた。

外すと音が出なくなる。

けれど、洗うときに、

中まできれいに洗浄できた。

はめるときには、

付属のクリームを塗る。


白い、2色のリコーダー。


何だかかわいいやつだな、と思った。



小学校を卒業して。

私服から、

黒い学生服に変わった。


大きくなった体に

合わせるかのように。

リコーダーも、大きくなった。


ソプラノからアルトへ。

僕たちは、

大人の階段をのぼった。


ちなみにアルトは、

「女性の低音」を指す。

ソプラノは、

「女性、または、

 変声期前の少年が発する

 最も高い音域」だ。


初めて

アルト・リコーダーを見たとき。


「でかっ」


と思った記憶がある。


色は真っ白——

生クリームとカスタードの「2色」の、

お馴染みの「白」だった。


これまで見てきた

ソプラノ・リコーダーを、

そのまま『ビッグライト』か何かで

大きくしたみたいな、

変な感覚だった。


慣れというものは奇妙なもので、

中学3年間を

アルト・リコーダーとともに過ごすと、

やがてそれが

「通常(スタンダード)」になり、

大きいとも、変だとも思わなくなり、

何の違和感もなくなった。


かつて、

ランドセルに突き立てたり、

机の物入れのはしっこに

まっすぐ突っ込んだりしていた

ソプラノ・リコーダーだが。


アルト・リコーダーに変わって、

三分割に分解して、

水色のケースにしまうことも。

それが「普通」となっていた。


僕らは

いくつも直面した「変化」を、

どれだけ「戸惑い」から「慣れ」に

変えてきたのだろう。


学校という集団の中で。

成長という過程の中で。

現実という規範の中で。

自分の意思決定だけでは動かせない、

いくつもの「変化」を求められた。


「相手」は、変わってくれない。

いくら願っても、変わってはくれない。


そんな時、

「自分」が「変わる」ほかないのだ。


それは、今でも変わらない。

変わることは、変わらない。

変わらないことは、変わらない。


変わるべきはずが、

変わらなくなった時。

変わるべきはずが、

変えようとした時。

そこに、歪みが生じる。


恐竜は、

環境に順応できずに絶滅した。


執着や固執は、衰退への近道だ。

因習を捨て、変化を恐れず、

その上で大切なものを見極める。


普遍。


本質を見失わなければ、

迷子になることはないはずだ。


・・・て、何の話?


ああ、そうそう。


「慣れ」の話だったね。


そんなわけで、

ソプラノからアルトへ、

僕らは成長したっていうわけ。


ソプラノだったアルトも、

やがてはただのアダルトになって。


笛を吹くのは、口笛くらいで、

たて笛はもう、吹かなくなった。



* * * *




真新しいアルト・リコーダーを

手にした僕は、

革ジャンも脱がずに、吹き始めた。


机の上では、

今しがた買ったばかりの食パンなどが、

もの言わずにじっとしている。


もし、彼、彼女らに口が利けたなら。

おそらく、こう言っただろう。


「チーズは要冷蔵ですよ。

 10度以下でお願いします」



僕は2年くらい、

アルト・リコーダーを買おうか買うまいか、

考え続けていた。


ソプラノ・リコーダーは、持っていた。

古物屋で入手した中古品で、

小学校の時に使っていた物と同じ、

白い、ヤマハのリコーダーだ。


パソコン机のそばにあり、

作業の合間や、行き詰まった時、

ふと思い立った時など、

リコーダーを手に取り、

音を奏でる。


そう。


まさに『下手の横好き』といった風情で。

上達する気もなければ、

どこかで発表する予定も、

誰かに聞かせるつもりもないままで。

ただただ、自分が楽しむためだけに、

気ままにピイピイ鳴らしていた。


ゆらゆら帝国の

『恋がしたい」を吹いていて。


いつも1音足りなかった。


あくまで僕の

いい加減な耳での演奏だが。

どうしても足りない1音があった。


「あとひとつ、

 低い音が出たらなぁ」


そうんなことを思って、約2年。

もしかすると、もっとかもしれない。


アルト・リコーダーは、

新品で買っても、

それほど高価な物ではない。

手を伸ばさなくても、

いつでも買えるところにあった。


けれど——


「本当に、いるのか?」


「本当に、欲しいのか?」


僕は、約2年ほど、自問を続けた。


これ以上、

物が増えるのが嫌だったこともある。

買ってもすぐに

飽きるんじゃないかという懸念もあった。

誰かくれないかなという期待感もあった。

しかし、

たて笛をが欲しいとねだる行為が、

もしかすると反社会的な変態行為として

糾弾される事態へと発展するのではないかという

心配も、あったりなかったり。


そしてついに・・・。


新品の、

アルト・リコーダーを買った。


何だか嬉しかった。


すごく嬉しかった。


まるで小学、

中学校時代に戻ったような。

そんなきらきらした

ときめきを感じた。



まっさらなアルト・リコーダーは、

三分割されて、

水色の布袋(ケース)に入っていた。


記憶の中では、

ジッパーの取っ手が

リング型だったような。


『YAMAHA

 Alto

 YRA-28B III

 RECORDER:MADE IN JAPAN

 BAG:MADE IN INDIA』


と、布袋(ケース)に、

紺色の文字で記されている。


当時と違うのは、

『抗菌キャップ』が

付いていることだ。

吹き口にはめるための、付属品だ。


細かいところでは。


袋に収納する時、

頭・胴・先端部に三分割するのだが。

頭と先端部、そして胴部と、

二列に並べて収納する際、

頭と先端部をつなぐための

半透明の樹脂製部品が

新たに付属していた。


これは、当時なかった気がする。

胴には、同じ半透明の素材で、

上下、二つのキャップが付いている。


「おそうじ棒」も懐かしい。

先端の穴に、細く裂いた

ティッシュ・ペーパーを通して、

綿棒のような形状で巻きつけて、

リコーダー内部を「掃除」する。


小・中学校時代、

やたらと掃除する子もいれば、

まったく掃除しない子もいた。


古いティッシュは粉っぽくて、

花柄のティッシュはいい匂いがした。


冬場には、

温かな吐息が液化して、

末端の穴から静かに

滴(しずく)がしたたる風景を見た。


『RECODER CLEAM

(リコーダークリーム)22g』


追加で買った覚えはないのだが。

新品のリコーダーには、

かすかな油脂の香りのほかに、

ほとんど匂いのしない、

やや黄ばんだ軟膏のようなクリームが、

円いケースに入って

付属していた記憶がある。


ようやく手にした、

新品の、アルト・リコーダー。


すばらしい音色だった。


何の夾雑物(きょうざつぶつ)も、

遮蔽物も、雑音もない、

まっすぐに澄んだ音。


それは、

リコーダーの産声だった。


さっそく、

『恋がしたい』を吹いてみた。


両手の指、

十本使っていた音が、

左手三本指で鳴った。


ソプラノからアルトへ。

覚えた音の「配置」を、

もう一度ばらして、組み立て直す。


足りなかった、1音。


(  出た!)


心の中で、

感動を声にする。


上手い下手ではない。

楽しいかどうか。


中学を卒業して30余年。

音を楽しむことを、全身で感じる。


誰のためでもない。

何のためでもない。

ただ、楽しむために。


上手くなりたいわけでも、

褒められたいわけでもなく。


ただ、楽しく吹きたいだけ。


吹けた、という満足感。

楽しいな、という高揚感。


ただそれだけのために、

たて笛を拭く。


『Don't worry that its not good enough

 For anyone else to hear

 Just sing sing a song』

(他のみんなに聞かせるほど

 上手じゃなくていい

 ただ唄おう 歌を唄おう)



昔、テレビドラマで、

雅楽の奏者が音楽の講師として、

女子刑務所を訪ねる場面があった。


そこで講師は、

アニメの音楽を演奏した。

こわばっていて教室の空気が、

にわかに氷解した。


「君たちが学んでいるのは、

 『音楽』ではない。

 『音学』だ」


黒板に書かれた『音学』の文字。

その場面がずっと

忘れられなかった。



僕は、あまり器用なほうではない。


楽譜があると、それを忠実に

なぞらなければいけないという

気持ちになった。

テンポやリズムが狂わないよう、

あわててあせって、

めちゃくちゃになった。


良く言えば「真面目」。

融通の利かない、

力の入った少年だった。


たくさん生きてきて。

ようやく「楽しむ」ことを、

少し覚えた。


上手くなんて、ならなくていい。

褒められたいわけじゃない。

自分自身が楽しめるように。

楽しむためのに、やっているのだと。


楽しむということの意味が、

ようやくながら、わかってきた。


ひとつの道を極めるために、

型にはまることも大切だが。

その傍らに、

ちょっとした「横道」があってもいい。

むしろ、そんな「脇道」が

あったほうがいい。


料理も、写真も、絵を描くのも好きだ。

掃除も、洗濯も、人と話すのも好きだ。

こうして文章を書くことも、

誰に言われるでもなく、

永遠に書き続けられるほど、

好きなことだ。


それよりもっと、無意味なこと。


たて笛。


僕には趣味がなかった。


何でも極めたくなる気質なので、

楽しむ前に、追求してしまう。

もっと上手くなりたいという、

欲があった。

それは、ややもすると、

コントロールしたいういう、

支配欲に似ている。


釣りや、サーフィンなどの、

自然を相手のする趣味を持つ人が言う。


「どうにもならない

 ことがあるからこそ、

 おもしろい」


そんな気持ち。


上手くできないから、おもしろい。

上手くならないから、楽しい。

受け止める余裕、受け入れるゆとり。


それが、心の「ゆたかさ」を

生むのかもしれない。



僕は、たて笛が下手だ。


下手だけど、

まったく何もわからなくて、

混乱するほど難しくはないし、

嫌になるほど複雑でもない。

手を伸ばせば、すぐにできる。

どこにも行かずとも、すぐにできる。


そんな気軽なたて笛に、

僕はつい、夢中になる。


買い物から帰って、

革ジャンを着たまま、

卵もチーズも机に置いたまま、

気づけば窓の外は真っ暗だ。


下手の横好きのたて笛の音色は、

まぬけな蛇でも呼び出すみたいに、

ひょろひょろと怪しい音色で、

夕暮れの部屋を

とっぷりと染めた。


曲げた腕を伸ばすと、

痛かった。


分厚い革ジャンの生地が、

気づかないほどゆるやかに、

腕の関節を締めつけていたのだ。


革ジャンを脱いだ僕は、ふと、

ソプラノ・リコーダーに手を伸ばした。

吹いてみると、

軽く、若い音が、部屋に響いた。


アルトとソプラノ、

二つ並べたリコーダーは、

大人と子供みたいな感じで、

昔の自分と今の自分みたいで、

仲よしな二人の姿にも

見えなくなかった。



* * * * *



甥っ子が遊びに来た。


いつものように、

何の知らせもなく、

いきなり突然やってきた。


「今日なら

 いるかなって思って」


そんな時、たいてい僕は、

みっともない格好をしている。

その日も、

ちょうど起きたばかりで、

前の晩に握ったおにぎりを手にして、

寝巻き同然の姿だった。


甥っ子と、近況やら、

最近あった

おもしろいことやらを話しながら、

何となく時間を過ごしていた。


甥っ子が言った。


「昔、にいちゃんが教えてくれた、

 Felix Kubinの

 『Lightning Strikes』、

 Klaus Nomiのバージョンが、

 最近、お笑いのネタのバックに

 使われてたよ」


甥っ子の携帯で、動画を見た。


甥っ子に教えtのは、もう、

10年以上も前の話だが。

彼は、ずっと気に入ってくれていた。


専門学校で、

非常勤講師の仕事をしていた時。


地下の広間を使った授業で、

思いっきり大きな音で、

『Lightning Strikes』を流した。

もう、15年くらい前だろうか。


「気持ちの悪い音楽」


顔を曇らせる生徒が

ほとんどだった。

そんな中にも、


「先生、この曲、誰?」


と、聞いてくる生徒が、

ほんのわずか、ひと握りだけいた。


「めちゃくちゃいい!」


きらきらと目を輝かせる生徒は、

思えばちょうど、

甥っ子と同じくらいの年頃か。


29歳になる甥っ子は、

相変わらず僕の

くだらない話に付き合ってくれる、

心のやさしい好男子だ。


「最近、

 アルト・リコーダー、

 買ったんだよ」


僕は、

買ったばかりのたて笛を、

嬉しさあまって見せびらかす。


「ソプラノ・リコーダーは

 持ってたんだけど」


机の中から引き出す僕を見て、

甥っ子が笑った。


「その机から出てくると、

 もうほとんど学校だね」


というのも。


僕が使っている机というのが、

学校の教室で使われている、

かつてどこかの教室にあった、

あの机なのだ。


『(1)166-179㎝』


これまた古物屋で購入した、

教室机。


「たしかに。

 この机でおにぎり食べてる姿を

 そっちから見たら。

 もはや給食だね」


事もあろうに、僕は、

学校指定の

高校ジャージの下を履いていた。

廃盤になった、

古い型の学校指定ジャージが

安く売り出されていて、

格好よかったので

1着購入した物だ。


赤と白のラインが体側に入った、

紺色のジャージ。

のちに現れた、

甥っ子の友人いわく、


「パリスのジャージかと思いました」


とのことだ。


500円にも満たない、

どこの高校かもわからない、

学校指定のジャージを履いて、

学校机の前に座り、

おにぎりを頬張りながら、

リコーダーを手にする姿は、

もはや落ちこぼれの学生にすぎない。


時代にも、社会にも、

人生にも落ちこぼれた、

さんばら髪の落ち武者だ。


「見て見て、ほら。

 この机の縦の長さが、

 ちょうどソプラノの長さで、

 横が、アルトの長さなんだよ」


大小二本のリコーダーを、

縦横、机に並べる様が痛ましい。


やさしい甥っ子は、

そんな哀れな叔父を見て、

嘆いたりしない。


「本当だ、すごいね!」


と、

あたたかくな眼差して

笑ってくれる。


『Every day is a school day』

(毎日が学びの日々)


とはいうけれど。


機械で訳すと、


「毎日が学校生活」


と皈ってくる。


もはやここがどこだかわからない。

はたしてここは学校なのか。

どこからどこまでが学び舎なのか。

ここは、教室から切り離された、

落ちこぼれだけの特別教室なのか。


その答えは、

たて笛の音色とともに、

青空へと消えていく。


そして今日も笛を吹く。


誰がためでもなく、我がために。


暗い夜道、

カーラジをつけると、

こんな言葉が聞こえてきた。


「僕たちはいつも、

 何か、意味とか情報量のあるものを

 追いかけてますよね。

 けど、星って、

 情報量がないじゃないですか。

 ただじっと星を眺めるのって、

 情報量、0KBですよね。

 1日の中に、そういう時間って、

 ほとんどない気がして。

 そんな0KBの時間が、

 ゆたかだなって。

 そう思うんですよ」


一字一句、

正確な表現ではないけれど。

そんなことを、言っていた。


なるほど。


忙しく生きる現代人には、

無意味な時間が

ないということか。


僕も、

そんないい言葉で

まとめられたらよかったのだけれど。


僕のやりたいことは、

どれも0KBな気がして。


僕のやっていることは、

どれも0KBな気がして。


それでも甥っ子は、

遊びに来てくれる。


きっと0KBだから、

来てくれるのだろう。


表も裏もなく、

何の期待も約束もなく。

ただそこに僕がいて、

甥っ子がいる。


革ジャンを着た今でも、

僕らは、たて笛の気持ちを忘れない。


大人ぶったお説教より、

格好つけた理想論より、

「横道」での「道草」が好きだ。


競争でも競技でもなく、

二度とない景色を楽しみたい。


横道を歩きながらも

たしかな足取りで、

ふらふらとまっすぐ

自分の道を歩けたら。


『笛吹けと踊らず』


心が踊らなくなったら、

おしまいだから。


たとえ下手の横好きで、

楽譜どおりじゃなくっても。

音符が読めず、

楽譜すら持っていなくても。


吹けば音は出るのだから、

わくわくしながら、

笛を吹いていきたい。



< 今日の言葉 >


「フェラーリは、

 需要より1台少なくつくる」


(希少であるということ。誰もが手にで入れられるものは、本当の価値を生み出さない)


2026/01/01

ひひまひひもひひひーん





 ひひ、ひひーん。

ひひひーん、ひ、ひひーん。





 ふひひーん、ぶるるる、ひ、ひひーん。

ひひひひひーん、ひひ?





 ひひまひひ、もひひひーん、もざひます。

もひひも、もひひひ、もひがひ

もひひあげうます。




< 今日の言葉>


「おい、ロックフェラー。

 毎日同じ服だな」


(貧しかった頃、ジョン・ロックフェラーが言われた言葉)