*
中学3年のとき。
学校内で、事件があった。
北校舎3階の、
男子トイレの個室の扉が、
何者かによって
穴だらけにされたのだ。
トイレ個室の扉は、
金属の枠に
薄い化粧板を張り合わせた、
いわゆるフラッシュ合板の扉で、
おそらく誰もがよく目にする種類の、
ありふれた軽量の扉だ。
その、フラッシュドアの表面に、
拳で撃ち抜いたような「穴」が、
10カ所ほど穿(うが)たれていた。
北校舎は、
3年生の教室が並ぶ場所だった。
3階の男子トイレを使うのは、
主に、3年6組から8組。
1.2組が1階で、
3、4、5組が2階。
自分たちの教室がある階の
トイレを使用するのが、
ごく自然な慣習だった。
——記憶に間違いがなければ、
そんな感じの区分けだった。
北校舎3階のトイレは、
職員室からいちばん遠いと
いうこともあってか、
「素行の悪い」男子たちの集まる
「ふきだまり」のような場所だった。
となると、
先の「区分け」を無視して、
他の階から這い上がってくる輩もいる。
「馬鹿と煙は高いところが好き」
とはいうけれど。
5組だったぼくも、
3階へ這い上がる中の一人だった。
8組に、仲のいい男子がいたのと、
3組からも、仲よしの男子が
這い上がってきてくれるので、
北校舎3階の男子トイレは、
まさに「みんなの集会場」と化していた。
ここで言っておきたいのは、
自分は、いわゆる「不良」ではないと、
その当時から今に至るまで、
はっきりとした自負を持っている。
が、それはもちろん、
自己評価であって、
他者からの評価ではない。
当時の中学校では、
髪の毛を伸ばしたり、
金や茶色に染めたり、
著しく変形したズボンや
上着を着用したり、
足並みが揃っていないものは
たいてい「不良」と見なされた。
自覚があろうとなかろうと。
その仲間と一緒にいるだけでも、
「不良」というラベルでひとくくりにされた。
「自分は不良じゃない」
もしかすると、
誰もがそう思っていたのかもしれない。
中には「不良」を自覚していた者も
いたもしれないが。
自分としては、
「不良じゃなかった」
と自負して——
または思い込んでいるうちの、
一人である。
・・・話は戻って。
北校舎男子トイレの扉に、
いくつもの穴が空けられた事件は、
瞬く間に知れ渡り、
もれなく、先生方の耳にも届いた。
「誰がやったんだ!」
体育会系の、
学年主任の先生が先頭に立ち、
犯人探しが始まった。
普段からあちこちに
目を光らせていた学年主任は、
北校舎男子トイレに、
「よくない生徒」が
たむろしていることを把握していた。
授業が終わった、放課後。
学年主任は、
およそめぼしい生徒を名指しで呼び、
それぞれの教室に居残らせた。
「器物破損」という言葉を、
そのとき初めて耳にした。
学年主任の先生は、
これは警察沙汰になってもおかしくない、
れっきとした犯罪行為だと、
ぼくら生徒に言った。
1組、2組、3組・・・と。
各クラス5人ほどの男子が呼び出され、
遅くまで待機させられることとなった。
職員室へ、一人ずつ呼び出すと、
誰がやったのかを聞き出し、白状させた。
「次のやつ呼んでこい、だってさ」
そんなふうにして、
次々と職員室に呼び出され、
犯人探しの「取り調べ」が延々と続いた。
誰が何を言ったのか。
それは、内緒にしておいてやると。
学年主任は、
司法取引のような駆け引きを持ち出し、
誰が犯人なのかを聞こうとした。
詳細はわからないが。
誰かの名前を
口にした者もいただろう。
間違った名前を挙げた者も
いたかもしれない。
誰がやったのか。
ぼくは、
その「犯人」を知っていた。
3組(だったか)の「Z」——。
買ったばかりの、
金属製の「メリケンサック」を右手にはめ、
トイレの扉に穴を開けたことを、
ぼくは、彼自身の口から聞いていた。
便乗して、穴を空ける姿も見た。
その場には、
ぼくの他にも、数人いた。
激しく破壊された
トイレの扉を見たとき、
今さらいい子ぶるわけでもないが、
ちょっとだけ痛々しく思うほどに、
凄惨な感じがした記憶がある。
きざきざと暗い口を開け、
化粧板から覗いた茶色い木肌が、
血か内臓のように見えて。
少しだけ「かわいそう」だと思った。
けれど、
「はみ出し者」のぼくは、
そんなことを口に出したりはしない。
顔にすら出さず、
ただただ笑っていた。
派手にやったなあ、と。
そんなことを、
声にしたか思ったかしただけで、
学生ズボンのポケットに手を突っ込み、
何となく、その場に染まっていた。
不良ではなかったつもりだけれど。
優等生でも、真面目でも、
いい子でもなかった。
少なくとも、
集団から「はみ出して」いたことだけは
たしかだった。
ぼくは、
居場所が見つからず、
何となく「そこ」にいた。
気の合う男子も少しはいたし、
小学生時代からの親友もいた。
けれど、
先生方が押し込めた、
「不良」というくくりに居座ることには、
常々、違和感しか感じなかった。
そんなわけで。
ぼくは、先生方と、
仲よくできずにいた。
そんな「はみ出し者」の生徒だから。
先生方にも、好かれなかった。
魚心水心。
ある意味での「両思い」。
悪態ばかりで、可愛げのないぼくは、
先生からの評判が、すこぶる悪かった。
そう。
中学生特有の、思春期特有の、
「大人なんて嫌い!」
という、
幼児性大爆発の、
生意気盛りの「不良」だった。
先生からの呼び出しを待つ中、
小学校からの友人が、
ぼくの元へやってきた。
「よりによって、
なんで今日なんだ」
友人は、そわそわと時計を見た。
「これで行けなくなったら、
本当、絶対に許さない」
いつもはおだやかな友人の顔が、
三角刀で彫ったような、
険しい表情を刻んでいた。
* *
温和で温厚な友人が、
顔色を変えるのも無理はない。
一世一代の、大イベント。
人生に一度、あるかないかの大饗宴。
『宮沢りえのコンサート』
宮沢りえちゃんの
ファンクラブに入っていた彼は、
官製はがきに願いを託し、
初コンサートの座席券を射止めたのだった!
少し話はそれるのだが。
ぼくと彼は、
小学校からの大親友で。
まるで仲よしの恋人みたいに、
何をするにも、いつも一緒だった。
絵を描いたり、レゴで遊んだり、
プラモデルを作ったり、漫画を描いたり。
モトクロスの自転車で野山を駆け回ったり、
キャンプに行ったり、買い物へ行ったり、
映画をつくったりもしてきた。
とにかく、ずっと一緒だった。
そんな彼が、ぼくに言った。
「みやさわりえ、って子。
すごくかわいい」
まだ「宮沢」を
「みやざわ」ではなく、
「みやさわ」と読むくらいのころ。
彼がぼくに教えてくれた。
かわいいな、と思った。
それまでぼくは、
アイドルとか芸能人とか、
俳優さんとかに、
興味を抱いたことがなかった。
男女を問わず、
誰かの「ファン」になったことが
一度もなかった。
もっと言えば、
漫画のキャラクターなどにも
「はまった」ことがなかった。
・・・もしかすると、
これは今でも残る
気質なのかもしれない。
映画や本や音楽など、
作品が好きになることはあっても。
実際に話したりして、
出会ったその人が好きになることはあっても。
写真や映像の中の誰か、何かを、
「好き」になったことは
ほとんどなかった。
トムとジェリーのアニメが好きだとしても、
トムやジェリーを、
単体で好きになるわけではなくて。
あくまで『トムとジェリー』が好きなのだ。
友人が熱を上げる、
宮沢りえちゃんを見て。
ぼくは素直に「かわいいな」と思った。
ぼくも「好き」になりたいと。
そう思った。
彼に負けじと、
遅れてぼくもファンクラブに入った。
もしかすると、
一緒に入会希望のはがきを
書いたかもしれない。
そこらへんの記憶は曖昧だが。
とにかくぼくらは、
宮沢りえちゃんのファンクラブに
入会した。
ファンクラブの名は、
『プール・アミティエ』。
フランス語で、
「みんな友だち」
という意味の、ファンクラブ。
今にして思えば。
ぼくは、
友人のことが
大好きだったんだなと思う。
そう考えると、
宮沢りえちゃんを差し置いて、
友人のファンクラブに
入るべきだったのかもしれない。
彼の好きなものは、みんな好き。
恋にも似た、盲目的な勢いで、
お互いにお互いの文化を共有していた。
近所の食料品店に、
宮沢りえちゃんの
ポスターが貼ってあった。
ポカリスウェットの、青いポスター。
カンフーの胴着ような衣装を着て、
片手にポカリスウェットの缶を持ち、
にっこりと笑う、縦長のポスター。
ぼくは、お店の人に話して、
その青いポスターを譲ってもらった。
家に持ち帰ったぼくは、
さっそく自室の壁に貼った。
部屋に、
女性のポスターを貼ったのは、
初めてのことだ。
友人と二人、本屋に向かい、
宮沢りえちゃんの初写真集を買った。
生まれて初めて買った写真集。
それが、
あまりに尊く、清らかに感じて。
手を洗って、
姿勢を正して本を開いた、
神聖な思い出・・・。
いやらしさとは真反対にあるような、
汚れな気き心で見た記憶・・・。
少しずつ、
宮沢りえちゃんのことが
「好き」になっている。
当時、自覚があったかどうかは別にして。
確実に「好き」になっていた。
もともと、
何かしらに熱中すると、
とことんまで追求したくなる気質を
持っていた自分は、
宮沢りえちゃんを追いかけることを
楽しみはじめた。
といっても。
これまでの対象と同じように、
本を買ったり、作品を観たり、
音楽を聴いたりするくらいが精一杯で、
会いたいとか、
会いに行こうなどと思う気持ちは、
芽生えなかった。
小学6年生のとき。
各テレビ番組のスポンサーが掲載された、
CM製作者が手にするような
マニアックな雑誌を
駅前の書店で毎月買って。
宮沢りえちゃんが
出演するコマーシャルを
全部観ようという魂胆だった。
たしか
その雑誌、第1号の表紙が、
宮沢りえちゃんで、
りえちゃんの顔が
大写しになっていたからこそ手に取った、
そんな記憶がある。
毎月届く、
ファンクラブの会報には、
宮沢りえちゃん「直筆」の手紙があった。
もちろん、印刷物なので、
直筆でも何でもないのだが。
宮沢りえちゃんの気配を感じるような、
可愛らしい手書きの筆跡に、
まるで「お手紙」をもらったような
心地がしていた。
「ファン」になるって、
こういう気持ちか。
そう思ったかどうかはさておき、
ファン心理というものが何たるかの、
ほんの欠片くらいは
味わえていただろうか。
かくいうぼくに比べ、
友人の「宮沢りえちゃん熱」は、
熱狂的で、まっすぐで、
ぼくの何倍かの熱量だった。
ぼくの熱など、
とうてい足元にも及ばない。
そう思えるほとに、
彼の「宮沢りえちゃん熱」は、
触れればやけどしそうなほど熱かった。
気づくとぼくは、
ファンクラブを「脱退」していた。
それは、
物理的な問題で、
いったん入会したら
永久に会員であると思い込んでいたぼくは、
更新日があることなど気にしておらず、
いつもと違う郵送物には
まったく目もくれなかった。
ぼく宛の、可愛げのない、
ややかしこまった郵便物の正体——。
それは、
ファンクラブ継続手続用紙が入った、
宮沢りえちゃんとぼくとをつなぐ、
大切な「お手紙」だった。
そうとも知らず、
放置していたぼくは、
数カ月後に首をかしげることとなる。
「あれぇ、どうしてだろう・・・。
りえちゃんからのお手紙が、
届かないぞ」
友人にはちゃんと届いているのに。
ぼくには届かなくなった。
しばらく真相に気づかなかったぼくは、
本気で思った。
「嫌われた?」
ぼくは一人、
勝手にショックを受けた。
宮沢りえちゃん熱が、足らなかったのかと。
湯気が出るほど熱々な友人の姿を目に映し、
ぼくは、心で思った。
彼には、かなわないと。
ぼくは、明け渡そうと思った。
当の宮沢りえちゃんの気持ちなどは考えず。
当時のぼくは、真面目に思った。
ぼくみたいな、
生半可で中途半端な思いの人間が、
「ファン」などと名乗っては
申し訳が立たない。
「ファン」というのは、
友人のような人のことを言うのだと。
何かの「ファン」になることへの
経験が浅かったぼくは、
入会金を払いそびれて、
契約が切れてしまった
宮沢りえちゃんのファンクラブを、
そのまま辞めてしまった。
部屋にはずっと、
宮沢りえちゃんの
青いポスターが貼られたままだったが。
何となく
ふられたような気持ちで、
ぼくは、
友人にその座を譲ったのだった。
そんな友人だからこそ。
熱い熱を持ち続けていたからこそ。
彼は、切符を手にした。
宮沢りえちゃんの、初コンサート。
抽選という、
計り知れない競争率の中、
彼は、見事にチケットを獲得した。
宮沢りえちゃんの初コンサートの、
ペア・チケット。
心やさしき友人は、
これまでの「戦友」であり、
「恋敵」であるぼくに
迷わず真っ先に声をかけ、
コンサートに誘ってくれた。
『宮沢りえちゃんの初コンサート』。
それは、ぼくらにとっても、
初めてのコンサートだった。
そう——。
初めてのコンサートになる、
「はず」だった。
あの、事件さえ起こらなければ、
ぼくたちは、
憧れの宮沢りえちゃんに・・・。
* * *
先生からの呼び出しを待ちながら、
ぼくは教室の時計を見た。
まだ、間に合う。
しばらく経って、また時計を見た。
急げば何とか、
間に合いそうだ。
カチカチと、
冷酷に時を刻み続ける時計にらみすえ、
口の中で、小さく舌打ちする。
ぎりぎりなんとか、
急げば、まだ・・・。
窓の外が、薄暗くなってきた。
もう、始まる時間だ。
途中からでも、まだ・・・。
街灯に光が灯り、
渦闇に白々と浮かび上がる。
日没とともに、
わずかばかりの希望さえもが、
ついえて消えた。
線香花火が放つ、
最後の断末魔の輝きのように。
かすかな期待感までもが、
音もなく消えた。
絶望的、だった。
焦り、怒り、地団駄を踏んで。
落ち着きをなくしていく友人の心も、
火が消えたように、
冷たく、静かになった。
これほどまでに落ち込む友人の顔は、
見たことがなかった。
後にも、先にも。
あの時ほど消沈した彼の姿は、
見たことがない。
かける言葉が見つからないくらいに。
彼の顔は、
色もなく悲しみに染まっていた。
職員室に呼び出されたとき。
ぼくは、言わなかった。
それが、勇気ある行ないでも、
正しい選択でもないことは
わかっていたけれど。
先生方の前に座り、
鋭い口調で問いただされても、
犯人が誰かということは、
言わなかった。
知らないとも言わなかった。
たとえ知っていても言わない。
そんな態度で、先生をにらんだ。
ぼくは、その先生が嫌いだった。
ぼくも、その先生に好かれていなかった。
当時のぼくにとって、先生とは、
話してわかってくれるような
相手ではなかった。
「素行の悪い」、
「不良」のぼくの言葉など、
まるで信じてはくれないし、
まともに聞いてくれもしなかった。
今にして思う。
それは、半分以上、
自分のせいだと。
先生の仕事をしたとき、思った。
ぼくみたいな生意気な生徒がいなくて、
本当によかったと。
同時に思った。
ぼくは、生徒の言葉を信じたい。
疑った目で決めつけたり、
「先生」だけが持つ「力」で、
ねじ伏せたりはしたくないと。
幻と消えた、
『宮沢りえちゃんのコンサート』。
母が言った。
「あのとき、
いちばんたくさん穴を空けた人が、
いちばんたくさん
お金を払うんだって言われて。
全員で弁償させたれたんだよ」
「え、そうなの?」
「そう。
あんたたちがばかなことするもんで、
いくらか忘れたけど、払ったんだからね」
「ぼく、やってないけどね」
「とにかく、
なんだか知らんけど、
弁償させられた」
後日、母に聞かされるまで、
ぼくは、その事実を知らなかった。
保護者が学校に呼び出されたことも。
やってもいないのに弁償させられたことも。
もし、知っていたら。
ぼくはまた、先生方に向かって、
「素行の悪いこと」を言っていたに違いない。
中学生のぼくは、
正論が正しいと思い込んでいた。
言いたいことを言うことが悪いとは、
少しも思ってもいなかった。
言っていいことも悪いことも、
口の利き方も言葉も知らず、
礼儀さえも身につけていなかった。
つい最近、
母がふと思い出した
この事件の話を聞いて。
当時は思いもしなかったことを、
いろいろ思った。
それを枚挙するつもりはないけれど、
ひとつ言えることがある。
それは、
「プール・アミティエ」。
みんな友だち、だとということ。
「みんな友だち」なのは、
「ぼくら」の世界の中だけのことで、
先生も、大人も、
「友だち」ではない。
そう思っていた、当時の自分。
わかってくれない、わかり合えないと。
決めつけていたのは、
自分だったのかもしれない。
『かつて 人はみんな
無邪気な子供だった』
(『15才』The Blancky Jet City )
そう思えば、お互いにもっと、
やさしくなれたのかもしれない。
「プール・アミティエ」
十五歳のぼくには、まだ、
それがわからなかった。
今になってようやく、
ほんの少しだけ、わかった気がする。
幻になった、
宮沢りえちゃんのコンサート。
甘酸っぱい幻は、
幻のまま、かげろうのようにゆらめき、
永遠に、消えはしない。
もし、誰かの
ファンになったなら——。
会費はきちんと払いましょう。
< 今日の言葉 >
今だけ 今のために
生まれてきたはずだから
今だけ感じられる
せつなさ確かめようよ
小さな流星を
いつまで待っているより
今から願い事を
二人でかなえようよ
(『ドリームラッシュ』宮沢りえ)
