2015年の肖像 (小さいほうが母です) |
*
最近、
母にはまっている。
母が、楽しい。
普段あまり
「はまる」ようなことの
ない自分だが。
母の観察が、
おもしろくてたまらない。
**
免許証を返納して、
車がなくなった母は、
駅から遠い店に行ったり、
重たい物を運んだりすることが
大変になった。
なのでときどき、
母を車に乗せて、
買い物へ連れていく。
そう。
まさしく「連れて行く」と
いった感じで。
電車や徒歩では
あまり歩かない界隈や、
なつかしい景色を見た母は、
助手席できらきら目を輝かせる。
「ほら、あれ。
あのオレンジ色の屋根、
あそこの奥が△△さんの家。
あれ、なにこのお店。
全然知らん。
ああ、あそこはもう、
なくなっちゃったんだねぇ。
旦那さんが亡くなってからずっと、
奥さん一人でやっとったもんで。
まぁ、歳だったでねぇ。
あれ、ここって前、こんなんだったか?
前はパン屋じゃなかったっけ。
あそこのパン、おぉいしかったわぁ。
駐車場がちっさいもんで、
空くまで待っとらないかんのだわ。
あれ、あの人、ちょっと、
どういうこと。
あんな道のまんなかに座りこんで。
車にひかれちゃったらどうするの」
・・・・と、いった具合に。
のべつ間もなく、
一人でしゃべり続ける。
きっと、嬉しいのだろう。
ぼくはときどき
合いの手を入れながらを、
母の語りを
音楽のように聴いている。
助手席に座って
窓の外に顔を向け、
走る車の外の景色を
眺める母の姿は、
まるで小さな室内犬のようだ。
茶色く染めた髪の生え際が、
伸びてきた地毛の白髪に彩られ、
そのさまがまた
コリー犬みたいな感じで。
いっそう犬感をかもしている。
姉と一緒にいたときに見た母は、
半分、髪が白かったので、
「母さん、
ブラック・ジャックみたいで
かっこいいね」
と、称賛するぼくに、
姉が手を振って笑った。
「わからんって」
笑う二人に、
母もにこにこ笑っていた。
スーパーに着けば着いたで、
ぼくに話しているのか、
それともひとり言なのか、
母は大きな声で何やら言いながら、
店内を練り歩いていく。
「ここは野菜がおいしんだわ。
トマトがいつもおいしくてね。
これこれ。せっかくだで、
いっこ買ってこうかね。
あ、やきいもがある。
母さんやきいもが好きなんだわ。
どうしよう、買おうかな。
あ、こっちの金時芋のほうが安いで、
こっち買って煮ればいいか。
大根も最近は半分売りなんだよ。
先っぽがいい人と、
葉っぱのほうがいい人と、
どっちのほうが多いんだろうね。
先っぽは、からいで、
葉っぱのほうが売れるんかな。
あ、牛乳がなかった。
牛乳買っていかないかん。
重たいで助かるわ。
卵もなくなったで
買ってかないかんね」
試しに、ちょっと離れてみても、
やや小さくなった母の声が、
後ろ姿から聞こえてくる。
遠目に見ると、
大きな声でひとり言を言う
お年寄りにしか見えない。
母の背中を見て、
ぼくは一人笑っていた。
うろうろと歩く姿は、
基地を忘れ、迷子になった
ロボット掃除機みたいで、
ちょっとかわいらしい。
「お母さん、今、
おならしたでしょ?」
あきらかにしたときでも、
「しとらんよ」
と、言うことがある。
なるほど、これか。
ときどき、スーパーなどで、
妙な残り香があるのは、
こういう現象のせいかもしれない。
たとえ
ごまかしていなくても、
知らぬ間に漏れてしまっている
可能性も高い。
都合が悪くなると、
母はすぐに話をそらす。
「あ、このせんべい好きなんだわ。
安くなっとるし、
買ってもいいよね?」
なぜかぼくに同意を求める母。
そのさまはまるで、
おまけつきのお菓子を手に、
あれこれと理由をつけて
買ってもらおうとする
幼少期のぼくの姿そのものだ。
「ほしいんでしょ?
なら、買えばいいよ」
うろうろとどこかへ
歩いていく母の肩に手を添え、
レジのほうへと促す。
これまた幼少のころの
母とぼくの姿の逆転現象である。
母の細い腕、骨ばった手。
さすがに手をつないで歩くことはないが、
いつかまた、つなぐ日が来るのだろうか。
幼いころ、
母に引いてもらった小さな手は、
母の手よりも大きく分厚くなった。
いつの間にか小さくなった母の手を
そっと握り、引いて歩く日も
そう遠くはないはずだ。、
90歳を超えたばあちゃんと、
昼食を食べに出かけたとき。
ばあちゃんは、
ぼくの腕を握って歩いた。
その力が意外にも強くて。
家からお店までの数十メートル、
右の二の腕がぎゅうぎゅうと
悲鳴をあげた記憶がある。
母は、どうなのか。
肉食だったばあちゃんも
細身ではあったが、
ばあちゃんに比べ、
母は華奢で、細くて、小柄で薄い。
長生きしたばあちゃんを見習って、
母にも「たんぱく質」を勧めている。
その甲斐あってか、最近ようやく、
母の口からこんな言葉を
聞くようになった。
「ハムっておいしいねぇ。
ハムなんて今まで
食べたことなかったから。
ハムって、おいしんだね。
最近、初めて知った」
かたまり肉は、
敷居が高いと思い、
まずはハム、ソーセージ類を
勧めての約3年。
ようやく、その成果が実った。
そして昨年末ごろから、
かたまり肉も
食べるようになった。
お肉を食べない母は、
お肉を焼くのが下手だった。
煮込み料理や
ハンバーグなどはおいしいのだが。
一枚肉や
かたまり肉の調理は不得手で、
母が焼いたお肉は、
革靴の中敷きのように硬くて
ぱさついて、
きんきらのシールが貼られた
国産肉でも、
まるでもったいないことになっていた。
ぼくが焼いたかたまり肉を食べて、
母が、目を丸くした。
「おぉいしいねぇ、これ。
こんなやわらかいの、
初めて食べた」
ということで。
食卓に並んだ母のお皿にも、
お肉が載るようになった。
それまでの母は、
晩ごはん後にすぐ、
食パンを焼いて食べたりしていた。
「母さんて、ごはん食べたよね?
なんかおなか減っちゃって。
パンでも焼いて、食べようかと思って」
ごはん、パン、うどん、おまんじゅう。
ときどき、ラーメン、カステラ、せんべい。
あとは野菜と果物。
豆や豆腐が好きなので、
たんぱく源はそこで摂取しているのか。
母の得意料理は、
ハンバーグ、カレーライス、
ビーフストロガノフ、
シチュー、ロールキャベツ、
鶏肉のピカタ、ポークチャップ、
揚げ春巻き、豚汁、茶碗蒸し、
鯖の味噌煮、ぶりの照り焼き、
金目鯛の煮付け・・・
などだが。
(個人的には、
母がお料理教室で習った、
『ラグー・ドゥ・ポール・
フォレスティエール』なんていう、
豚の肩ロース、野菜やきのこ類を、
ブーケガルニとともに煮込む、
洒落た料理も好きだが)
肉料理は、
ほんの少しだけ皿により分け、
自分はちょっとしか
手をつけない。
うなぎが好物だが、
さすがにしょっちゅう食べるでもなく、
気づくと、
たいした「おかず」もないままに、
白いごはんを食べつくしていた。
よくもまあ、80年間も、
こんな感じにやってきたものだ。
ここまで元気に生きてきたのだから、
大きく変える必要はないと思うが、
年々、痩せ細ってきた腕や背中を見て、
多少、心配だった。
ないものは生み出せないので、
たんぱく質を摂ってもらいたいと。
高齢になると、
すぐにお腹がいっぱいになるそうだ。
サラダやスープなどを
先に食べていると、
そこでお腹がいっぱいになり、
主食にまでたどり着けなく
なることがあるらしい。
好きなものは先に、ではないが。
サラダやご飯なども大事だが、
栄養価の高いものを先に
食べてもらえると
ありがたいなと思うようになった。
まるで子を想う
母親のような気持ちで。
子供のような母を、
子が思っての推奨だった。
朝ごはんに、
ハムだけでなく、
チーズを食べることが習慣になった。
「おしいい」
これが大事だった。
薬のようにして、
義務みたいに食べるのでは、
同じ食べ物でも
本当の栄養にならないような気がして。
体のために、
嫌なものや食べたくないものを
無理して食べるのではなく。
「おいしい」
このきらめきが、重要だと思った。
この1月で、
80歳になった母さん。
少しお肉を食べるようになり、
手を上にあげる運動を始めた母は、
少しだけ腕に肉がつき、
頭を洗うのにも
痛くてあがらなかった腕が、
控えめな万歳ができるくらい
あがるようになった。
継続は力なり。
何ごとも、始めるのに
遅いということはない。
***
病院へ連れて行って。
終わったら電話をかけてと、
母に伝えた。
用事を済ませて家に戻ると、
思いのほか早く、
母からの電話が鳴った。
「それじゃあ、
受付の横のベンチで待っててね」
「女の人が、二人くらい
立っとるとこだよね」
「そう。
行きに入った玄関の、
すぐ前ね」
車を走らせ、
病院の入口脇に寄せて停める。
ハザードランプを点灯させ、
さっと小走りで約束の場所へ向かう。
いない。
いるはずの母の姿がない。
少し見回してみたが、
母らしき姿はどこにもない。
すぐに車へ戻ったぼくは、
広々とした駐車場に車を停め、
暖色に色づきはじめた
メタセコイヤの木立ちを眺めながら、
ガラス張りの大きな玄関をくぐった。
携帯を持たないぼくではあったが。
広大な病院内の、
どこに公衆電話があるかは、
把握している。
電話をかける前に、
母がいそうな場所へと向かってみた。
絵図に描き表し、
図解つきで何度か説明・確認し、
その紙を手渡して持参してもらった
待ち合わせ場所ではあったが。
母のことだ。
こうなることは予想の範囲内だった。
約束の場所からずいぶん離れたところ、
日当たりのいい窓辺に、
一人たたずむ母の背中があった。
白い、丈の長いカーディガンを羽織り、
窓の外を眺める母の姿は、
まるで飼い猫が
暖かい室内から冬空の景色を
眺めているようだった。
きょろきょろと顔を動かし、
心配げに、
ぼくの車が現れるのを探している。
「母さん」
近寄り、肩をたたくぼくを
振り返った母は、
「あれっ、どっから来たの?」
と、目をぱちぱちさせた。
「母さん、ここじゃないよ。
けど、ここだろうなって思った。
母さん、ここと
間違えてるような気がしたから」
何の迷いもなく、
間違った待ち合わせ場所で
母を見つけたぼくは、
自然と笑いがこみ上げた。
せわしなく、
今か今かと車の登場を待つ母の姿は、
飼い猫というのか、
子供というのか、
とにかくどこか、微笑ましかった。
暖かい日差しの中に立つ
母の白い背中。
昼間の太陽を浴び、
逆光に輝くその景色は、
名もない画家の描いた風景画のように、
目の奥にじわっと焼きついた。
夜ごはんの頃合いになり、
食卓へ顔を出したぼくに、
母が笑って手を叩いた。
「まぁあ!
ちょうどいいタイミングだねぇ。
本当、今ちょうどできたとこだよ」
「いい匂いがしてきて、
そろそろかなって思ったから」
「ほぉんとぉ。いい鼻しとるねぇ。
あんた、犬みたいだねぇ」
できたての揚げ出し豆腐が、
静かな湯気を立てている。
「あれっ、母さん。生姜は?」
「そう、それがないんだわ。
チューブのも、
おろすのもないんだわ。
作ってから気づいた。
買うの忘れとった。
からしじゃいかん?」
黄色つながりで
からしを勧める母に、
ひとつ鼻で笑って答える。
「じゃあ、一味でもかけるよ」
「ごめんね、一味で。
和式だから、からしとか、
一味とかならいいかねぇ」
「和式って、
トイレみたいに言って。
和食、でしょ」
「しつれいしました」
「まあ、
豆腐がなかったんじゃなくて
よかったね」
「そうだね。そしたら、
作れんかったもんね、これ」
(ごく当たり前のことを
大層なことのように言う、母と子)
「ぼく、母さんの作る
揚げ出し豆腐、好きなんだよ」
「本当かね。
母さんも好きなんだわ。
揚げ出し豆腐。
母さんは豆腐が好きだで、
こんな、
わざわざ揚げたりしんでも
好きなんだけど、
やっぱり揚げると
かりっとしておいしいもんね。
チンして水気、切ったけど、
あんまり絞れとらんかな」
「豆腐の上に、
小皿とかの重しを置いて
レンジにかけると、
しっかり水気が絞れるよ」
「へぇ、知らんかった。
あんた、よう知っとるねぇ」
大根おろしの水気を絞り、
冷蔵庫からめんつゆを取り出して、
今にもかけようとするぼくを、
母があわてて制した。
「ちょ、ちょ!
だめ、ちがう、それ!」
鍋を片手に、必死である。
「今、その、それを、
あっためたやつがあるで、
それをかけようとしとるところ」
鍋とお玉で両手がふさがり、
目と顎と唇とで必死に、
揚げたての
揚げ出し豆腐を指し示す。
そのさまは、
古典芸能の「どじょうすくい」の
ようでもあり、
あちこち餌をついばむ
とぼけた鳥のようでもあり。
どこか滑稽で、
必死になればなるほど、
見ている側のおかしさは
累乗した。
「おいしいねぇ」
揚げ出し豆腐をほおばるぼくに、
母が顔を向ける。
「ちょっとまって、まだ食べとらん。
・・・ほんとだがね。
おぉいしいわぁ。自分で作っといて。
やっぱり、うちで作ったごはんが
いちばんおいしいね」
かく言う母は、
外食時には、同じ口でこう言う。
「おぉいしいねぇ。
やっぱり外で食べる料理は、
おいしいねぇ」
この、あきらかな矛盾も、
嘘ではなく、
母の本当の気持ちが
込められているのだから。
よし、ということにしましょう。
母に、細かいことを言っても、
どうしようもない。
それは、ロボット掃除機に、
おすわり、とか、
お手、とかを要求したり、
かわいいワンちゃんに、
右足からではなく、左足から歩きなさい、
と言ってみたり、
日なたで昼寝している猫ちゃんに、
株式の動きと世界情勢の関係を
話して聞かせるような、
空疎で無意味なことである。
「今日見た木、きれいだったねぇ。
葉っぱがいい色に染まっとった」
「天気もよかったし、
光がきれいだったね。
今年は色づきがよくないって、
聞いたけど」
「暑かったり、
急に寒くなったりしたもんね。
ほいでもきれいだったねぇ」
「そうだね。きれいだったね」
こうして母と話していると、
やはり母とぼくは
似ているのだなと実感する、
細かいことは、どうでもいい。
去年とか、例年とか、
そんなことより、
今、目の前の景色がきれいなら、
それで充分なのだ。
ただ、目の前のことを楽しみたい。
明日や来週、来年のことなんて、
考えても仕方ない。
ばかな親子は、
こうしてなんとか
50年を過ごしてきた。
こんな他愛のない1日が、
18361日、重なって、
今日がある。
なんていうことすら、
どうでもいい。
現在 +( )= 笑顔
この穴埋め算ばかりを
解き続けてきたぼくは、
いまだに大したことはできないけれど、
(かっこ)の中を埋めることだけは、
多少、上手くなった気がする。
コントロールしない。
コントロールはできないのだから。
それより、目の前の現象を楽しむ。
そんな極意を、
一見適当に見える母の姿に教わった。
****
テレビっ子の母に、
本を貸した。
貸したのは
『チョッちゃんが行くわよ』。
黒柳朝子さん
(徹子さんのお母さん)が
書いた自伝的随筆だ。
たまたま母の母も「朝子」さんで、
同じ名前だったこともあって、
ふと思い浮かんだ。
内容も明るくおもしろく、
平滑な表現で読みやすそうなので、
その1冊を選んで母に貸した。
さすがに『ドグラ・マグラ』や
『孤島の鬼』、『家畜人ヤプー』や、
『電気羊はアンドロイドの夢を見るか』
なんかを貸すわけにはいかず。
「お母さん」の話なら、
母もきっと共感しやすいだろうと
思ってのことだ。
読んだ? と尋ねるぼくに、
母は最初、
何度も同じことを言っていた。
「ちらっとは読んだんだけど。
なかなか読む時間がなくて、
前に進まんのだわ」
母は、相変わらず
テレビっ子だった。
それ自体は悪いことではないが。
そればかりなのは、少し寂しい。
読んだ?
ちらっと読んだんだけど・・・と。
そっくり同じ問答が、
3、4回ほどくり返されて、
それ以上、何も聞かなくなった。
1か月ほど経って。
母が、言った。
「あの本、おもしろかったぁ。
読みやすいし、すごくよかった。
本なんてずっと読んどらんかったけど、
いいねぇ、本って。
何回も読み直せるし、
読んどると絵が浮かんでくる」
まさに「読書」の
効能そのものを口にする母に、
ぼくはなんだか、
ほんの少し感動すら覚えた。
感想や、内容についての
話をする母に、
(ちゃんと本、読めるんだな)
と、当たり前のことを思ったりした。
新しいことも、新しい習慣も、
頭に入らないとばかり思っていたのだが、
読書という行為だけでなく、
登場人物の家族構成や、
各エピソードなども、
きちんと理解して覚えていた。
感想も、母ならではの、
母が感じた独自のものであり、
聞いていてこちらが、
へぇ、とうならされたりもした。
もう1回読み直してみたいから、
まだ貸しておいてと。
それは、嬉しい要求だった。
さらには、
もっと読みたいから、
別の本も貸して欲しいと。
驚くほどの「成長ぶり」である。
温まりかけた意欲を冷まさぬようにと、
親心にも似た気持ちで、
ぼくはさっそく、次の本を用意した。
母がぼくに言った。
「いつかあんたの書いた本も、
読めるといいね。
楽しみにしとるよ」
涙こそ流れなかったが。
ぼくは、胸が熱くなり、
視界がじわっと潤んでにじんだ。
「そうだね。
長生きして待っとって。
そのときを、楽しみにしとってよ」
ぼくは、母と同じく、
名古屋弁で答えた。
本当に。
ぼくが書いた、母の話を、
母が読んでくれたら。
それは、すごく嬉しい。
けど、「おなら」の話は、
怒るかもしれない。
笑った顔で、
「これっ!」という、
母独特の怒り方で。
*
ぼくは、
まるでアサガオの
成長記録のようにして、
母の観察を楽しんでいる。
素直な反応、意外な行動。
学びと発見と驚きと感動と・・・。
決して
上手くいくことばかり
ではないが。
とにかく、
母の観察が、おもしろい。
これが何になるかということよりも、
ぼくは今、
自分が楽しいと思うことをやりたい。
それが、
「自分自身を生きる」
ということだと。
父が死んでから、
つよくそう思うようになった。
嫌なものは嫌でいい。
できないことはできなくてもいい。
他人や世間の物差しではなく、
自分自身の心のままに。
大切なものを大切にして、
忘れたり、忘れなかったり。
覚えたり、覚えられなかったり。
今、笑顔でいれば、それでいい。
自分と、
目の前の人が笑顔であれば。
ぼくは、嬉しい。
大切な時間を、
なくしてしまう前に。
それが、嘘や理想や
きれいごとなんかじゃないと
気づけたことが、本当に嬉しい。
< 今日の言葉 >
「善光寺・・・あれっ、
牛に噛まれて、だったか。
あぁ、引かれて、ね。
あそこは牛で有名なのかねぇ。
牛って、モーっていうよね。
よだれ垂らして。
あれっ、今年、
うし年だったっけ?
あ、違うか。なに、辰年?
辰年って、誰だった?
ああ、そうそう、
しゅうちゃんだがね。
なに、引き算したの?
あんた計算早いねぇ」
(本筋からどんどんスピンオフしながらほとんど切れ間なく言葉を並べる母の、すきまを突くように返す合いの手は、まるで餅つきの「返し」のようだと感じた)