「怒りのにこにこ仮面」(2009年) |
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3日のうち2日は
怒っている人がいた。
理由はあってないようなもので、
とにかく何かしら怒っていた。
いらいらと、
いつも何かに怒っていた。
おそらくそれは常態化した習慣で、
開き癖がついた本みたいに、
自然と「怒り」のページが開いていた。
批判、否定、不満、文句。
その矢印は、
いつもこちらに向けられる。
あえて選んで
そうしているのだろうか。
怒っても仕方がなく、
どれもがすぐには
どうすることもできない
ことばかりだった。
とにかく、
自分でも気づかないうちに、
怒っている自分にも気づかないで、
いつの間にか怒っている。
悲しいことに。
怒りは、怒りを呼ぶ。
毎日怒りを浴びていると、
気づかぬうちに伝染し、
知らないうちに怒りを発している。
考え方も、思考も、行動も。
いつしか怒りに染まってしまう。
あれっ?
何か変だな、と。
気づけるうちはまだいいけれど、
それでも、
染み込んだ怒りはなかなか取れない。
それを抑えようとしたとき、
芽生えてきたのは、
激しい自己否定の感情だった。
怒りは、暴力。
暴言、罵倒、憤怒、破壊。
暴力は、
まっすぐなものをねじ曲げ、
やわらかなものを硬くする。
もろく砕け、とがり、
鏡写しの諸刃となる。
自分では気づかない姿も、
はたから見ると、はっとする。
受けてみて初めて気づく、恐ろしさ。
かつての自分を省みて、
他人事じゃないと思い知る。
* *
暴力。
それは、人を破壊する。
人の心、判断力、
感情や思考を破壊する。
吸い込んだ暴力は、
じわじわと心を蝕み、
外や内に向かって攻撃を始める。
反撃なのか自衛なのか。
否定と対立、閉鎖的な疎外感。
強烈な自己肯定と他者否定。
それが転じて、
猛烈な自己否定と孤立感に
苛まれる。
自分を認めるための、悲しい連鎖。
悲しい破壊工作。
怒りは、
どこからやってくるのか。
思い通りにならない、憤り。
うまくいかないことへの、
不甲斐なさ。
図星を指されたとき。
大切なものを穢(けが)されたとき、
傷つけられたとき、壊されたとき。
不安感、ひがみ、劣等感。
あせり、苦痛、余裕のなさ。
けれど、
怒る必要があるものなんて、
ほとんどないような気がする。
怒りの正体の大半は、
「八つ当たり」。
自分の「不満」を、
攻撃の刃に変えて行う「反撃」。
これは、立派な暴力。
人の笑顔を重く曇らせ、
楽しい気持ちを微塵に砕く。
怒りの感情を
制御(コントロール)できないのは、
それが「許されて」きたため。
抑制する技術を身につけることなく、
発露し、爆発させることを
いつまでも「許される」環境に
いたためだ。
脳は覚える。
その道筋を。
怒りは甘美な美酒のように、
恍惚とした快楽を伴って噴出する。
怒りは、甘え。
自分の欲求を伝える、
幼児的な表現手法。
かわいらしい線を越えると、
毒矢となって突き刺さる。
暴力と「けんか」は
まるで違う。
けんかは、
「ごめんなさい」がきちんと言えて、
素直に仲直りができること。
けんかの目的は
「勝つ」ことではない。
「仲よくなる」ためだ。
暴力は、最後まで譲らない。
主張を貫き、
調和することを求めない。
自己を
「認められる」ことにこだわり、
勝つために奪い合い、
いがみ合う。
暴力は、ころす。
人の心をころす。
時に本当に、
その人をころしてしまう。
怒りの連鎖、
八つ当たりの鎖は、
悲しく、重く、
どんどんリレーされていく。
家で、学校で、
職場で浴びた八つ当たりが、
コンビニで、路上で、
家庭で噴出する。
八つ当たりという、暴力。
環境や状況、
過去やお酒のせいにする人。
言語道断。
暴力に、言い訳などは
通用しない。
暴力を正当化できるものは、
何もない。
誤りに気づいたとき、
少しでも早く「ごめんなさい」と
言えるかどうか。
肉体よりももろい、精神。
治癒するのにも時間がかかり、
目に見えない傷跡が、
いつまでも疼(うず)く。
* * *
怒り、暴力、八つ当たり。
正しい怒り。
自分はどうなのか。
過去はどうにも
変えられないけれど、
今、これからならば、
責任が持てる。
正しい怒りでぼくは言いたい。
暴力は、人をころす。
人の心をころす。
美しいものを醜く歪め、
うれしいものを悲しく彩り、
大切なものを無残に踏みにじる。
たかが言葉と侮るなかれ。
渡された悲しいバトンを
ふり捨てて、
愚劣な連鎖をここで断ち切る。
勇気ではなく、決断。
大切なものを、
これ以上壊されないための
冷静な判断。
誰にでもわかる、簡単な算数。
誰だって怒られるより、
笑顔のほうがうれしい。
怒っているより、
笑っているほうが楽しい。
それができない「大人」は、
ただの馬鹿だ。
人の悲しみの上に立つ笑顔は、
身勝手な暴力でしかない。
怒り、暴力、八つ当たり。
その破壊力と愚かしさに、
対峙してみてようやく気づいた。
できればもう、近づきたくない。
たとえ浴びても、
すぐに洗い流したい。
まだまだ未熟で、
間違うこともあるだろうけど、
心の底からぼくは憎む。
正義、正論、正当化。
もっともらしい服を着て、
当たり前にはびこる、八つ当たりを。
怒りは怒りを生み、育て、
天使の心を悪魔に染める。
間違った怒りは、
自分以外を焼き尽くす。
黒い炎にあぶられた人は、
泣くか嘆くか、
それとも新たな悪魔を
育てあげるか。
もし、逃げられるなら。
すぐに逃げたほうがいい。
離れてみれば、見えてくる。
正しい怒りには存在しない、
暴力的な悪魔(エゴ)の正体が。
善とか悪とかではなくて、
それは、どうしようもないもの。
性質、訓練、意思の力。
本人が努力しなければ、
変えられない。
気づかせることはできても、
人が人を変えることなど、
できはしないのだから。
ほこりだらけの自分が、
いい人になれるとも
思わないけれれど。
どうかこれが、
正しい怒りでありますように。
そしてなるべく、
間違った怒りを
まき散らしませんように。
たとえ間違ってしまっても、
すぐにごめんなさいが
言えますように。
もし、間違った怒りを
浴びてしまっても。
吸い込んだ怒りをガソリンにして、
にこにこエンジンで
明日へ疾走できるように。
なるべくがんばって
いこうかと思います。
< 今日の言葉 >
恋文を書くときには、
ます何を書こうとしているか
考えずに書き始めること。
そして何を書いたかを
知ろうとせず、
書き終わらなければいけない。
(ジャン=ジャック・ルソー)