2011/02/06

すきまを埋める






自分には、収集癖がある。
小さなころから、何かと集める癖があった。

誰しも一度は、何かしら
「コレクション」したことがあるように。

気づくといつからか
「何か」を集めていた自分。


お菓子のおまけから、
どうでもいい「石ころ」のようなものまで。

とにかく、いろいろなものを
集めてきたように思う。



小さなころの記憶。

ウエハースにチョコレートが
入ったお菓子のおまけで、
『岩石怪獣』というものがあった。

プラスチックでできた「岩石」型のカプセルに、
プラスチックの固まりでできた「怪獣」が
入っているこのお菓子。

お菓子のパッケージ自体が、
肌色のポリプロピレンでできていて、
裏返すとそれが「土台」になる。

そこに怪獣を置けば、
ちょっとした「ジオラマ」がたのしめる、
というわけだ。

色や形がちがう、怪獣たち。

それぞれ、ついている名前もちがうのだけれど。
いってみれば、色や形がちがう「だけ」で、
どれも同じ「プラスチックのかたまり」だ。

それなのに。

当時のぼくは、
夢中になってそれを集めた。

ウエハース・チョコレートのカスを
ぼろぼろとこぼしながら、
色かたちのちがう、
3センチくらいの「怪獣たち」を
並べてよろこんでいた。


ちなみにこの『岩石怪獣』。

怪獣が入っている「岩石」の色かたちも
それぞれちがっていた。

花崗岩風のものもあれば、
玄武岩風のものもあり。

メタリック調のものもあれば、
真っ黒なものもあった。


ただ、この『岩石怪獣』を集めている友だちは、
まわりにはいなかった。

遊びにきた友だちにそれを見せても、

「へぇ」

という薄い反応が返ってくるだけで、
羨望のまなざしでむかえられることは
一度もなかった。





「ピンバッジ・ジャケット」





ミニカーやキン消し(キン肉マンの消しゴム)、
ビックリマンシールや
森永チョコボールのおまけの
ガンダムのミニプラモデルなど。

いわゆる「王道」の収集もあったけれど。


いま思うに、
「ほしい」と思うものが、
いわゆる「王道」とは
若干ずれていることが多かった。


ミニカーでは、
かっこいいスポーツカーよりも、
軍隊の車両や古い車が好きで、
そういうものを集めていた。


ガンダムでも、
シャー専用ザクやガンダムよりも、
「旧型ザク」が好きだった。


いまなら共感してもらえる人も
いるだろうけれど。

当時は、ちょっとした
「疎外感」のようなものがなくもなかった。


「やっぱり、
 いえくん(小学校当時のあだ名)は、
 かわってるね」


なんていわれても。
そのころのぼくはちっともうれしくなかった。

意図して個性を出してる
つもりもなかったから。


「ちがっている」だけで、
どうして自分が「かわっている」ことになるのか、
不思議で不思議でしかたなかった。





「遊園地フリーパス」
(家原美術館/2012)







さて。

思春期をむかえ、
学生を「卒業」しても。

収集癖は、なくならなかった。


なくならないどころか、
さらに強まった感がなくもない。


自由に使えるお金がふえたせいか。

車を手に入れて、機動力があがり、
行動範囲が広がったせいか。

はたまた、止める人がいなくなったせいか。


加速度を増したぼくの収集癖は、
どんどんと、深みにはまっていった。



『ヤウイ』という、
オーストラリアのチョコレートのおまけ。

キャドバリー社の、甘いチョコレートが、
『ヤウイ』という
架空の生物の形にかたどられていて、
それをタマゴのようにパカッと割ると、
なかからひとつ、カプセルが出てくる。

カプセルのなかには、
オーストラリアの動物だったり、
かつてオーストラリアにいた動物だったり、
絶滅危惧種や恐竜時代の生物だったりと、
とにかくオーストラリアにちなんだ
「動物」のプラモデルが入っている。


おやっ、と思ったかたもおられるだろう。


動物模型 in カプセル  in  チョコレート。


ぼくがこれを真剣に集めていたころ、
ちょうど『チョコエッグ』
(フルタ製菓)が出はじめた。

そんななか、
ぼくが『ヤウイ』の動物を組み立てていると、


「あ、それってチョコエッグ?」


と聞かれるので、


「ちがう。ヤウイっていうやつ」


と説明しながら、
実際につくったヤウイの動物を見せたりする。
すると、たいていの人が、


「チョコエッグのほうが、完成度が高いね」


というようなことを言って、
ふふん、と笑った。


たしかに。


ヤウイの動物は、
なんだか奇妙な箇所が多かった。

色合いや造形もさておき、
動物(生物)のチョイスも奇妙だった。

エビとか、タツノオトシゴとか、
バッタみたいな虫とか、ムカデとか。

アメーバみたいな生物までもが
「プラモデル」になっているヤウイは、
たしかに「万人受け」する感じでは
なかったかもしれない。


チョコエッグも好きだったけれど。

ぼくは、ヤウイの持つ
その独特の「世界」が好きだった。


全何種類かも、
いまがパートいくつの
シリーズなのかも分からない、


不案内な『ヤウイ』チョコレート。


それでもぼくは、
ヤウイの「虜(とりこ)」になって、
かなりの熱を注ぎ込んだ。














記念メダル。
みなさんはご存知だろうか。

この「記念メダル」なる存在を。


観光地などにある「メダル」なのだが。
裏面に日付や名前を刻印できる、あれだ。

この「記念メダル」を集めるために。
毎週のように、全国各地、
可能な限り行ける範囲を飛び回った。


名古屋にはじまり、愛知県内、
岐阜県、三重県、静岡県。

大阪、京都、奈良、和歌山。

長野、神奈川、東京、千葉、埼玉。

富山に初めて行ったのも、
「メダルさがし」がそのきっかけだった。

石川県や、山口、福岡、熊本に行ったのも、
そんな動機がかなり含まれた「旅行」だった。

鳥取、岡山、島根にも、
「メダル集め」の「ついで」に観光をした。


何の下調べもなく。

メダルが「ありそうな」場所に
目星をつけて、そこへ向かう。


地図に書かれた「名勝(観光地)」の名前を拾って、
メダルへの、淡い期待を抱いて
車を走らせたことも数知れず。


あったときのよろこびと、なかったときの落胆。

そんな「出会い」を、
各地各所で何百となく重ねてきた。

メダル集めの「ついで」とはいえ。
各地各所での「観光」はしっかりとしてきた。

たいした予備知識もないまま出発する分、
偶然の出会いと発見がいつもあった。

おかげでいろいろな場所をめぐることができたし、
メダルを集めていなかったら、
たぶん行かなかったような場所にも行くことができた。


メダルの数は、500枚強。

1枚1枚に思い出、
思い入れがつまっている。






「キーホルダー展示器具」
(家原美術館/2012)







「つめきり展示器具」
(家原美術館/2012)







「図鑑ハンカチ」
(家原美術館2019)




観光地では、
その土地の名前が入ったおみやげ、
キーホルダーやピンバッチ、
タオルなどが売られている。


名勝の絵と名前が入った「爪切り」。

これも、かなりの数を収集した。


動物や植物、
国旗などが描かれた『図鑑ハンカチ』。

これも、全種類を集めるために、
各地のおみやげ店でさがしまくった。






フローティング・ボールペン展示器具

(家原美術館2013)





フローティング・ボールペン。

これは、ボールペンの柄(え)の部分に
透明な「油」が入っていて、
中に浮かんだ絵がすうっと動く
ボールペンなのだが。

デンマークの会社がこの特許を持っていて、
日本国内よりも、
むしろ海外で見かけることのほうが多い。

シアトル、カナダ、
イタリア、ニューヨーク、韓国。

いろいろな国のおみやげ店で、
各所の名物をあしらった
フローティング・ボールペンを買い集めた。



大仏の置物や、観光地の置物。

観光地で売られる「せんぬき」や、
砂時計のついたキーホルダー。

なにより、
タワーの置物は、
大きな目標をもってつづけている。


「いつか世界の街を再現する」


アメリカ、ヨーロッパ、アジア、中東。

タワーや塔の置物で、
いつか、部屋のなかに
「世界」をつくってみたい。


タワーに関しては、
金属製(アンチモニーかピューター合金)
であることが重要で、
陶器やプラスチックの置物なら
「なかま」にはくくらない。

置物などは、基本的に、
単一素材で、「かたまり」であることが
いちばん望ましい。


なかでもぼくは
「金属」のかたまりがいちばん好きだ。


重さ、手ざわり、光沢、強度。

金属は、こわれにくいので安心する。


木でも樹脂でも、
ひとつの素材の「かたまり」なら、
安心できるし、見ていてたのしい。





「土産物コレクション」
(家原美術館2019)







「せんぬきコレクション」
(家原美術館2019)




材質やデザイン。

集めた物の、
造形や図案を見ることもたのしいし、
素材や質感をながめるのもたのしい。


そんなふうにして、
時間とお金を「浪費」してきた20代。


足りない何かをさがすようにして、
何かを集めていたのかもしれない。


「すきま」を埋めるようにして、
何かを集めていたのかもしれない。


その「すきま」が、
「時間のすきま」なのか、
それとも「心のすきま」なのか。

何の「すきま」なのかは分からないけれど。

何かを集めるという行為は、ぼくにとって、
「すきまを埋めていく」ような感覚に
似ている気がする。


そして、いま。


埋めるべき「すきま」がなくなったのか、
それほど熱く集める物もなくなってきた。


いいことなのか、
それとも、さみしいことなのか。


いまのぼくは、
何も集めていない。


・・・・とかいいつつも。


お菓子やチョコレートの包装紙、
ピンバッチやキーホルダー、
落ちてるボタンやネジとか変な形の石ころとか。

気づけば知らないうちに、
部屋のなかに集まっている。

ほかの誰のせいでもなく。

まぎれもなく、自分のしわざだ。


どうしよう。


こんなことばっかりしてたら、
またおかあさんにしかられちゃうよ。


とはいえ。

いつか、こんな
ゴミゴミしたものたちを並べて、
博物館をつくりたいと。


そんなふうに、つねづね思っている。


すきまを埋めるコレクション。

無駄の集まり、コレクション。


博物館の入り口には、
ぼくのブロンズ像を飾りたい。

落合博満記念館の、
ブリーフ1枚姿の落合氏のブロンズ像には
かなわないだろうけれど。


ピカピカの、
金属のかたまりでつくったぼくを飾れたら、
すごくうれしい。



<※ 画像は2022年に追加>



< 今日の言葉 >

純粋なクソがいい
おしゃれなクソにジェラシー
クソに魂こめた
リボンを結んでみた
同じか みんな同じか

(ゆらゆら帝国/『美しい』より抜粋)