2010/07/26

額のほくろと「うぐいすパン」



「花のダイヤモンド」(2010)




高校生のころ。
たしか、高校生の新生活が
始まったばかりの4月のことだ。


クラスの女子で、
額(ひたい)のまんなかに
ほくろのある子がいた。

額のまんなかの、ありがたい位置。
ぷっくら飛び出したまっくろなほくろ。
大仏さまや仏さまのような
ありがたい感じのほくろを見て、
クラスメイトのひとりがこう言った。

「千昌夫(せんまさお)だ」

額のまんなかのほくろを見て、
すぐに千昌夫を連想した彼は、
モノマネ番組が大好きな男だった。

まったく安直にもほどがある。

そして彼は、さらにこう言った。

「女の千昌夫だから、ウーマン千昌夫だ」

やがてそれも縮められ、
彼らは彼女のことを
「ウーセン」と呼ぶようになった。

もちろん、彼女に面と向かっては呼ばないが。
内輪の話では、彼女の呼び名は
すっかり「ウーセン」で通っていた。

ウーセン。

ぼくは、モノマネ番組が
それほど好きじゃなかったし、
「ウーセン」という、
なんだか腰くだけな響きが
好きじゃなかったこともあり、
彼女のことを「ウーセン」と呼ぶことはなかった。

そのかわり。

額のほくろだけでなく、
髪型とか、顔つきだとか、
とにかくなんだか、すごくありがたい感じだったので、
ぼくとその周りの友人は、
「尊師(そんし)」と呼んであがめていた。

ウーセンと、尊師。
結局のところ、どっちもどっちだ。


ある日のこと。
尊師こと、ウーマン千昌夫の彼女が、
授業中、額のほくろをもてあそんでいた。

窓際の席に座る彼女は、
ひとりはさんだぼくの左隣の席で、
彼女の所作は、ぼくの席からつぶさに見えた。

窓際の席で。
彼女(尊師)が、額のほくろをいじっている。

窓から射す逆光のなかで見たその姿は、
後光を発しているかのごとく神々しく、
なんだか神秘的な、ありがたい光景に見えた。

ぼくと「話の合う」友人は、
ぼくの斜め前の席にいた。

ぼくは、ぼくらにしか分からない合図を送り、
彼をこちらにふりむかせ、
指で彼女(尊師)を指し示した。

折りたたみ式の鏡を覗き込み、
彼女(尊師)は額のほくろをいじっている。

彼女のその姿を目の当たりにして。
友人は、ぱっと表情を明るくして、
きらきらした視線をぼくに戻した。

黙ってぼくは、うなずき返した。

説明するまでもなく、
友人は、ぼくの言わんとすることを
すぐさま理解したようだった。

そしてぼくらは、
彼女(尊師)のようすをこっそり眺め続けた。


彼女(尊師)は、折りたたみ式の鏡を机に置き、
額のまんなかのほくろを軽くつまんだり、
人差し指でぷにぷに押したり、
爪の先でこりこりとこじったり。

授業中ということも忘れて。
ここが教室だということすら意中にないようすで。
彼女(尊師)は夢中でほくろをもてあそんでいた。


しばらくして。


彼女(尊師)がはたと、手を止めた。


ふと見ると、
彼女(尊師)の額から、
赤い筋が1本つうっと垂れ下がっている。

額のまんなか、ぷっくらふくらんだほくろから、
まっすぐな赤い血の筋が1本垂れている。


それを見たぼくらは、
当の本人である彼女に負けないくらい、
あせった。

逆光のなか、彼女の顔が蒼白に見えた。


その間、おそらく数秒から
十数秒ほどしか経っていないだろうが。


冷静さを取り戻した彼女は、
つうっと流れて
止まる気配のない血の筋を指先で拭い、
きょろきょろとあたりをうかがった。


ぼくらはさっと目をそらし、
ありもしない黒板の文字をノートに書き写した。


が、そのあとも、
横目に彼女のようすを追い続けた。

カバンから、
ごそごそとハンカチ、または
ティッシュ・ペーパーを取り出した彼女が、
懸命に額を拭っているように見えた。

ときどき鏡を覗き込む横顔が
そうとう真剣な表情だったので、
彼女自身にとっても滅多にない
大変な出来ごとなんだということが
ぼくらにもよく分かった。


休憩時間をはさんで。
次の授業のチャイムが鳴って、席に着いた。


彼女のようすを、おそるおそる見てみる。
彼女は、何事もなかったような横顔で座っている。

ただひとつ、違ったこと。

それは、
彼女の額のまんなか、
ちょうどほくろがある辺りに。

肌色のバンド・エイドが、
まっすぐ一文字に貼られていた。



そしてその夜、雨が降った。

彼女のほくろから流れた一条の血。

ほくろを覆い隠したバンド・エイド。


そのことが関係しているのか、いないのか。
ぼくには分からない。



月が変わって、5月。

昼休憩の、弁当の時間。
彼女はパンを食べていた。

見たこともない包装の、まん丸いパン。

窓際の席に座った彼女が、
手にしたまん丸いパンをまっ二つ、半分に割った。

その断面から覗いた「中身」に、
ぼくらはわが目をうたがった。


蛍光グリーン。

それは、蛍光ペンみたいに
鮮やかな緑色だった。


ふっくらしたパンのなかからこぼれた、
鮮やかなグリーン。

逆光に輝く蛍光グリーンに、
思わずぼくらは、
まぶしさに目を細めそうになった。


どうやらそれは「うぐいすパン」だったと、
あとから分かった。

学校に売りにくる、
地元の業者の『3色パン』。

あんパン、ジャムパン、うぐいすパン。
その「うぐいすパン」のあんの色が、
えらくまぶしいグリーン色だと、
のちの調べで明らかになった。


何も知らなかったぼくらは、
彼女のミステリアスな神々しさにのまれて、
超現実的な心境にまでなっていた。


光を放つ、うぐいすパン。

ためしにぼくらも食べてみたけれど。
まぶしいほどあざやかな色のわりに、
うっすらとした、やさしい味わいだった。



3年生になったころ。

以来、同じクラスにならなかった
彼女の姿を廊下で見かけた。


久々に見た彼女は、
なんだかあか抜けていて、
どこか、かわいらしく
なっているように感じた。

彼女の額のまんなか。
かつてバンド・エイドで覆われた部分であり、
ありがたい感じのほくろがあった部分。

そこに、ほくろはなかった。

彼女はほくろを取ったのだった。

長い休みの間に、
彼女はほくろを除去する手術を受けた。

くわえて彼女はダイエットをはじめたらしく、
全体的に線がほっそりとして、
制服の着こなしとか髪型とかも、
あきらかに「かわいらしく」なった。

ダイエットをはじめたせいなのか。

あれ以来、蛍光色のうぐいすパンを
食べている姿は見かけなかった。


ぼくは、
逆光のなかで見た
蛍光色のうぐいすパンが、
忘れられない。


当時、彼女を取り巻いていた、
謎めいて神秘的な力が
うぐいすあんをいっそう輝かせたのだと。

そんなふうに、そう思っている。


< 今日の言葉 >

【問題】このなかから正しいと
    思うものを1つ選びなさい。

 A)取手が取れそうなティファール

 B)かくしきれないかくし芸

 C)はみだしそうな生意気ボディ