「偉大なる大木」(2009) |
印象に残ったものがいくつかある。
ちょっとした短編のような「お話」だったので、
起きたとき、何となく得したような気分だった。
新しい映画を観たような。
そんな感じだ。
ひとつは、ぼくがブタを飼っている話だ。
夢のなかでぼくは、
そのブタを愛犬のように可愛がっていた。
名前は付いていなかったように思う。
そのブタは、ぼくにとてもよくなついていて、
いつでもぼくの横をはなれず、
どこへ行くにもちょこちょこついてくるほどだった。
あるとき、ぼくは
ブタを置いて出かけることになった。
用事を済まして戻ってくると、
ブタの耳が片方、なくなっていた。
「誰か、食べた?」
そう訊ねるぼくに、
みんなは首を横に振るばかりだった。
またぼくが用事を済ませて帰ると、
今度はもう片方の耳がなくなっていた。
同じように聞いても、
誰ひとり答える人はいなかった。
自分では気づいていない様子だけれど。
ぼくのブタを食べた「犯人」の耳は、
先が尖って、
まるでブタの耳そっくりな感じになっていた。
次は、シッポがなくなっていた。
その次には脚が片方。
脚がなくなると、次には体が減っていった。
そのたび、
ブタを食べた「犯人」の体に、変化が現れる。
シッポが生え、桃色の肌に白い産毛が生えて。
だんだん言葉も聞き取りづらくなってきた。
頭も鼻もなくなって。
ついにぼくのブタは、
すっかり食べられてしまった。
そして。
ブタを食べた「犯人」は、
可愛いブタになっていた。
ぼくの飼っていたブタそっくりの、
桃色のブタに。
もう、言葉もしゃべれず、
ピンク色の鼻をぶうぶう言わせることしか
できなくなっていた。
それからぼくは、そのブタのことを、
いままでと同じように可愛がった。
だから、名前も付けなかったのだと、
そのとき気づいた。
‥‥そんな夢だった。
また別の夢。
それは、自分の部屋の床のすきまから、
おびただしい数のムカデが
ぞろぞろと這い出てくる夢だった。
大小さまざまのムカデ。
赤いのやら、茶色いのやら、
青黒いのやら、オレンジ色のやら。
ぼくは、半泣きになりながらも、
スリッパを片手に必死で叩きまくっていた。
身をよじり、死んでいくムカデたち。
叩いても叩いても、
次から次へとどんどん這い出てくる。
と、突然、
ムカデの出現がぴたりとやんだ。
スリッパをふるう手を止め、室内を見渡す。
床には何百匹ものムカデの死骸が散乱していた。
ぼくは、ムカデの死骸をかき集め、
中華鍋で「油通し」をして「からあげ」にした。
食べてみると、
高級なエビをカリッと揚げたような風味と味わいで、
ものすごくおいしかった。
ぼくはそれを、なぜかぼろぼろ泣きながら、
黙々とほおばりつづけた。
‥‥こんな夢を見て目覚めた朝。
いったい何の「お告げ」なのかと量りかねて、
ものすごく微妙な気持ちになった。
そしてつい先日。
夢うつつに、こんな「夢」を見た。
丘の上に、大きな木がある。
その木に小枝を持っていって
「接ぎ木(つぎき)」をすると、
自分の望むものが実となって成る。
ある人は
「おいしい果物がなりますように」
と接ぎ木をする。
しばらくすると、
リンゴやイチゴやサクランボが、
たわわに実った。
接ぎ木をした人はもちろん、
ほかの人たちもみんな喜んだ。
また別の人はイスを望み、
いろんな形、いろんな材質で
いろんな色のイスがたくさん実った。
また別の人は自転車、
また別の人はパン、また別の人は靴・・・と、
それぞれ欲しいものを願って、接ぎ木をしていく。
実った「果実」は、
接ぎ木をした本人だけでなく、
ほかの人たちがもぎ取っても
あまるほどの量があり、
誰も欲しい分だけ果実を手にした。
接ぎ木をした人も、そうでない人も。
その木を大切に世話して、大事に見守っていた。
あるとき。
ひとりの男がやってきて、
丘の上の大きな木に接ぎ木をした。
男の望みは「お金」。
お金がたくさん欲しかった男は、
毎日、大きな木の下へ行っては、
早く実が成らないかと心待ちにしていた。
待てど暮らせど、
男の接いだ枝には実が成らなかった。
そればかりか、
枝という枝が枯れはじめ、
ついには大きな木自身も
かさかさに枯れて倒れてしまった。
誰かがこう言った。
「お金なんか望むからだ」
欲しいものは何でも手に入っていたのに。
ひとりの男が「お金」を望んだばっかりに、
大きな木は枯れてしまった。
‥‥説教くさくて、ちょっと
まとまりすぎた「お話」だけれど。
この大きな木に、いろいろな「果実」が
成っている絵は圧巻だった。
旧式の自分の頭に
「プロジェクター(映写)機能」が
ついていないことが悔やまれるが。
ついていないことが悔やまれるが。
気が向いたらいつか、
それを絵に表わしてみてもいいかと思う。
夢は、ときどき
おもしろい「お話」を見せてくれる。
ときには映画にも勝る臨場感で、
手触りや実感を持った物語を
体感させてくれる。
友人は、
「夢にトイレが出てきて、
おしっこをしたら、あったかくて。
冷たっ、て思って起きたら、おねしょしてた」
と、コテコテの「夢」に
翻弄されたようだが。
彼いわく、
「二十歳を超えてから初の寝小便」
だそうだ。
果たして「夢」か「現(うつつ)」か。
いまこの瞬間が「現」かどうか、
その証拠はどこにもないのだけれどネ♡
< 今日の言葉 >
私にも音楽わかります
私にもリズムわかります
わかるだけ 踊れない
(『踊れない』/戸川純とヤプーズ)