先のことを考えて不安になったり、
過ぎたことを思い返してくよくよしたり。
そんなふうにして「いま(現在)」を使うなら、
何も考えないほうがまだましだと。
「頭でっかち」だったころのぼくは、
まだ見ぬ「将来」を考えて不安になったり、
終わったことを何度も蒸し返して
悶々(もんもん)としたり。
そんなふうにして「いま」を使うことが多々あった。
実際、想像していたとおりに
「嫌なこと」が起こると、
「ほら、やっぱり」
「あー、まただ」
と、舌打ちして、すっかり落胆したりしていた。
悪い想像。
それがそのまま現実になったのだから。
それは、ある意味で
「期待していたとおり」になったのだろう。
ずいぶん前にも同じことを書いたと思うけれど。
「想念は具現化する」
この言葉のとおり、
頭に思い描いたことは、
ある程度、現実になったりする。
そのことについて考えれば考えるほど、
思い描いている「像」へと近づいていく。
その想像が「いいもの」でも「悪いもの」でも。
もし、そうなりたくない現実なら。
想像しないほうがいいと思うし、
あえて言葉にしないほうがいいと思う。
言葉は、外に出た瞬間、事実になる。
それが実現化されなかったとしても、
「言った」という事実は残る。
何も考えず、いま、この瞬間を、
ただただまっすぐ見つめる。
言葉にすると、なんだか
気持ちが悪いフレーズだけれど。
これがぼくの理想だったりする。
そんなふうに毎日を過ごしていると、
「将来どうするの?」とか、
「この先、病気になるかもしれないよ」とか、
人から言われることがある。
そんなとき思う。
まだ、なってもいない現実を
考えられるだけの余裕はない、と。
ぼくは、いま現在のことで「忙しい」。
いま、この瞬間の、色や匂い、
手触りや感触、温度や味など。
いまを見逃さないようにするのに精一杯だ。
結局は「そのとき」にならないと、
どうにもならない。
いざ、事が起こったときにどう対処するか。
判断力と反射神経。
自分の行動力に頼るしかない。
そのためにも、いまをおろそかにはできない。
たとえ、先のことを考える
「余裕」があったとしても。
どうせ考えるなら、不安や危惧より、
わくわくするような楽しい想像がいい。
たのしいことを考えていると、
いま、この瞬間までもがたのしくなる。
いまをしっかり見ている人は、
過去のことを話しても、
未来のことを話しても、おもしろい。
願わくば自分もそうありたい。
「明日、雨が降ったらどうしよう」ではなく。
「明日、晴れるといいな」と願う気持ち。
いつでも遠足の前の日のわくわく感を持っていたい。
もし雨が降ったとしても。
おやつを買い直してまた食べられる。
そう思えば、雨でもうれしい。
< 今日の言葉 >
子どもには、7つの不思議な力がある
(「子ども」とは、恋をするまで)。
1つ、 動物とおしゃべりができること。
2つ、 好きなものでバリヤができること。
3つ、 マントをつけると怪力が出ること。
4つ、 夜になると怪物が見えること。
5つ、 傘があると高い所も平気なこと。
6つ、 指のピストルで人が倒せること。
7つ、 空を飛べること。
(2003,October,2/
昔もらった手紙に書いてあったこと)