仰向けになったダンゴムシが
脚をもぞもぞと動かしていた。
どうやら裏返ってしまって、元に戻れない様子だった。
助けてあげようと思ったけれど。
それじゃあ、
彼(または彼女)のためにならないと思い直し、
そのまましばらく見つめていた。
たくさんの脚を、
波のようにわさわさと動かし続けるダンゴムシ。
いくら動かしても地面には届かず、
いっこうに元に戻る気配はない。
もし自分がダンゴムシで、
同じような状況になったらどうするだろう。
遠心力を利用して、右から左に身体を揺らし、
何とか反転することができるだろうか。
それとも、ブレイクダンスのように、
背中を軸にしてコマのように回って、
手(または脚)で
つかめるもののそばまで移動するか・・・。
カフカの『変身』に出てくる、
グレゴリー・ザムザのように、
朝、目が覚めてみると
自分が巨大な虫になっていたら。
それが甲虫ではなく、ダンゴムシだって不思議はない。
そんなことを考えているうちに、
出かける時間がきてしまった。
仰向けになったダンゴムシをそのままに、
タバコを消して家を出た。
2日ほど家を空けて帰宅したあと、
ベランダでタバコを吸った。
いつものように、空を見ながら紫煙を吐き出す。
ふと、足元を見ると、
ベランダに刻まれた溝の中に、
1匹のダンゴムシがいた。
もしや、と思ったぼくは、
うれしくなってかがみ込んだ。
仰向けだったダンゴムシが、
元に戻っているのでは、と。
ダンゴムシは、じっとして動かなかった。
ふうっと息を吹きかけても、
ベランダの溝で、
音もなく静かに転がるだけだった。
ぼくは悲しくなった。
仰向けだったダンゴムシは、
元に戻ったわけではなく、
そのまま息絶えてしまったようだった。
仰向けのまま、
じっと動かなくなったダンゴムシは、
風に転がってベランダの溝に落ちたのだろう。
裏返ったまま、
ひっそりとベランダの隅で死んだダンゴムシ。
いつごろ息絶えたのか。
いつごろあきらめたのか。
最期に彼(または彼女)は何を思ったのか・・・。
よけいなことを思わずに、助ければよかった。
けれど。
ぼくの感じた悲しみも、ぼくの感じた後悔も、
ダンゴムシにとっては無関係なものかもしれない。
ぼくの感じた「教育観」すら、
自然の中では無に等しい。
だからぼくは思った。
今度からは、迷わず助けようと。
『丸いものには、カドがない。
ダンゴムシでした』
(くさやダンゴムシ)
人の手に助けられたダンゴムシも、
走る車にひかれたダンゴムシも、
それは全部、偶然という運命なのだから。
< 今日の言葉 >
「だったらオレも
カタカナに改名しようかなあ」
(なんにも分かっていない人の発言)