2009/02/18

高校教師 〜ぼくたちの失態〜




高校生のころ、
非常勤の数学教師がいた。

本来の数学の先生が産休になり、
代わりを勤めることになった
男性教師だ。

年齢は27歳(当時)で、
細いスチールフレームの
メガネをかけた、
若くして髪の毛の薄い、
ややしゃくれ気味の男性だった。

僕らは彼のことを、
下の名前で「ヨシ」と呼んでいた。


彼は、教員試験を
何度か受けていたらしいが、
まだ「合格」はしていなかった。

だから、というわけではないが。
あまり威厳がなく、
たいていの生徒になめられていた。

授業中、彼の話を
聞く者はほとんどおらず、
居眠りや雑談をしている
生徒ばかりだった。


「次って数Ⅱだよね?
 じゃあ弁当でも食べよっと」


といった具合に。

ほぼ「自由時間」の
ような扱いにされていた。

当の本人も、
生徒に背を向けたまま、
黒板に書いた問題を
ひたすら解き続ける、
という授業スタイルを貫いていて、
かなり一方通行な
授業だったような印象がある。


そんなヨシのことを、
僕らは嫌いではなかった。

僕ら、というのは、
僕とその友人グループのことだ。

1年のときに
同じクラスだったメンバーで、
クラスがバラバラになっても、
何かと一緒につるんでいた。



とある休日。

僕らは、PARCOで
買い物などをした。

日も暮れはじめたころ、
行く当てもなくなり、
時間をもてあましはじめた。

高校生の僕らは、お金がなかった。
けれど、時間だけは売るほどあった。


「ヨシん家でも行こうか」


たしか、言い出したのは、
僕だった気がする。

以前に1度、
ヨシの家に遊びに行ったことがあり、
僕らは彼の家を知っていた。


前回はきっちり「約束」を
した上での訪問だったが。

今度はたんなる「思いつき」の
「突然」の訪問だ。


いまにして思えば、
そうとう迷惑な話だ。

PARCOの近くで、
ヨシの家に電話をすると、
「運良く」彼は家にいた。

「今から行く」

ということを一方的に告げて、
電話を切った。


地下鉄に乗り、
最寄り駅から歩くこと10数分。
僕らはヨシの家に到着した。

呼鈴を鳴らすと、
「はい」と、
怪訝(けげん)そうな声が
返ってきた。


「ヨシ、遊びにきたぞー」

友人のひとりが言った。


「なんだ、お前ら、
 本当にきたのか?!」

ドアのすきまから、
ヨシが答える。


「ウソなわけねぇだろ」

「お前ら急にきて何だ。帰れ」

「はぁ? せっかく遊びに
 きてやったのに何だ、その言い方」

「そうだぞ、ヨシ。
 とりあえず寒いから中に入れろ」

「ダメだ、帰れ」

「いいから早く入れろって」

「なに言っとんだ、
 ダメだって言っとるだろ」

「まあ、いいから。すぐ帰るって」


・・・そんなやり取りの末。


結局、ヨシは「ほんの少しだけ」
という約束で中に入れてくれた。

僕らの訪問を
喜んでくれると思ったのは、
手前勝手な妄想だったらしい。

そして。

入るなり僕らは、
台所を物色しはじめた。

なにしろ、腹が減っていた。

友人がポテトチップスの袋を手に取り、
いまにも開けようとしていた。

「あかん、それはオレの夜食だ!」

すぐさまヨシの手が伸びる。
が、友人のよける方が早く、
そのままバスケの要領で「パス」を回す。

数回パスを回したところで、
あまりにマジなヨシを見て、
宙を飛び交い続けた
ポテトチップスを彼の手に返した。

そうこうしているうちに、
最初にポテトチップスを見つけた友人が、
また別のターゲットを発見していた。

「なめたけ」の瓶だった。

なめたけもヨシに
取り上げられた友人は、
よほど腹が減っていたらしく、
味付け海苔の容器を抱えて、
ぱりぱりと頬張りはじめた。

それは許したのか、
それともあきらめたのか。
ヨシはもう、
海苔を食べ出した友人を
止めようとはしなかった。


狭く、散らかって、
汚れた部屋。

洗濯物や『校内写生④巻』など、
所かまわず物が散乱していて、
男4人(ヨシと僕ら)が落ち着くには、
以前にも増して居場所がない。

立ち話のような格好で、
「早よ帰れ」
「すぐ帰るって」
というような不毛なラリーが
交わされていた。


いつでも言い出しっぺの僕は、

「同じことをやっても、
 最後は悪い気持ちにさせない」

というのがモットーだった。

きれいごとでも、いい格好しいでもなく。
ただただ「小ずるい」知能犯。

とんでもないことに
巻き込んだりしても、
何とか言いくるめたりして、
最終的には
「まあ、しょうがないか」
という気にさせる。

終わりよければすべてよし。

最後に笑えればいい、と。
そう思っていた。

まあ、「被害者」の側から見れば、
「同じ穴のムジナ」でしか
ないのだけれど。


ヨシをなだめるべく、
さりげなく世間話などを
しているときだった。

友人が、電話の横にある
名簿に気づいた。

彼(友人)はひとり、
「にやり」と笑って、
受話器を取ると、
おもむろに番号を押しはじめた。


「ねえ、何色パンツ履いてるの?」


これは、彼が「いたずら電話」を
するときに使う、常套句だった。

彼はいつも
「何色のパンツ」とは言わず、
なぜか「何色パンツ」と言うのだった。

友人の「電話」はなおも続く。


「オレはヨシだ。ねえ、
 いま何色パンツ履いてんの?」

「オイ、コラ!
 何やっとるんだ!」


ヨシの怒号が飛ぶのも、
当然すぎる結果だった。

だが、そこから先は、
僕の予想をも上回る、
およそ「無軌道な」展開が待っていた。


「おい、何やっとるんだ、お前!」


「何をしているのか」と聞かれたのではなく、
「何をしているんだ」と注意されたはずなのだが。
友人は、言葉どおりバカ正直に、
「質問」への「答え」を返した。


「あぁ? イタ電だぁ」


しかも、
『ビーバップ・ハイスクール』ばりの
「すごみ」を利かせて。

そのときばかりは、
「こいつ、全力でバカだな」
と僕は思った。


次の瞬間。


普段は「温厚で」暴力とは
無縁に見えるヨシが、
ずいっと詰め寄り、
友人の頬を平手で打った。

ぱん、

という乾いた音の
余韻が消える間もなく。

まるでバネじかけの
おもちゃのように、
友人の拳がヨシの頬を打った。

鈍い、
打擲(ちょうちゃく)音。

「ぱん、ベチ」

ビンタとパンチが、
小気味よいテンポで往復した。

最初から「1(ワン)セット」の
ように、戸惑いのない、
まったく無駄のない動きに
見えたから不思議だ。


あとから友人に
聞いたところによると、

「殴る気なんてなかったのに、
 思わず反射的に手が出てた」

とのことだった。


ビンタにパンチが続いた後、
ヨシと友人は、
無言のまま腕をつかみ合い、
散らかって狭い足場で
必死に組み合っていた。

その傍らでは、
もうひとりの友人が、
ぱりぱりと味付け海苔を
食べ続けている。

切れ切れの言葉を
漏らしながらつかみ合う、
27歳の男と、高校2年の男子。

ちらりと注がれた友人の目が、
僕に「止めて」と訴えかけて
いるように見えた(実際そうだったらしい)。

すかさずあいだに入り、
「まあまあ」といった感じで
仲裁する。

そこで僕は、なぜか
大人ぶった口ぶりで、


「イタ電をしたのは、
 こいつが悪い。
 それは謝るべきだ。
 けど、殴ることはないだろ」


と、まるで第三者の
ような感じで、
エラそうに言い切った。

ヨシにしてみれば、
「お前が言うな!」と
突っ込みを入れたく
なったことだろう。


まったく、何が「正しい」のか。
倫理も正義もあったもんじゃない。


それでも、
もみ合いは何とか収まり、
僕らはすごすごと
ヨシの家をあとにした。

そして玄関先に向かって、

「ごめんなー、ヨシー」

と3人で「詫び」を入れ、
苦々しい思いで夜道を歩いた。


自分たちの行為を反省しつつも。
あまりのバカさ加減に、
情けなくて涙が出るどころか、
思わず苦笑いが
こみ上げてくる始末だった。

・・・まったく、程度の低い、
どうしようもないバカどもだと。

わがことながら、
つくづく愛想を
尽かしたくなるような出来事だ。


もし、自分がヨシだったら、
3人のガキどもを簀(す)巻きにして、
用水路にでも
放り込んでいたことだろう。


僕らは、
まともなアタマを持たない、
はた迷惑なバカ高校生だった。

なぜ、そのときは
気づかなかったのか。

なぜ、誰も止めようと
しなかったのか。

それが不思議で仕方ない。

バカが暇をもてあますと、
ろくなことをしないという、
いい証明だ。

この場を借りて、
あらためてヨシに謝りたい。

ごめんな、ヨシ。


< 今日の言葉 「どっちなの?」 >

・『とっとこハム太郎ソーセージ』って、ハムなの?

・「ありがとな、またな、社長」
 (巣鴨の100円ショップで、外国人女性が言っていた。
  「社長」って呼んでるわりには「な」って)

・「朝からランチパック」(それって朝食? それとも昼食?)