2009/09/24

ムハンマドの親孝行


先日、高校時代からの友人が、常滑の制作現場に遊びにきた。
このクソ忙しいときに・・・などとは微塵(みじん)も思わず。
あっさりとその「誘惑」に乗っかった。

友人を案内すべく、旧常滑の商店街から瀬田(せた)へ抜け、
散歩道へと足を向けた。
「シルバー・ウイーク」なる耳慣れない連休のためか、
散歩道がものすごい人でごった返していた。

『KANDA百貨店』や『sonorite'(ソノリテ)』など、
しゃれた店々も紹介しつつ。
何だかおいしそうな匂いに誘われて、屋台広場の辺りに行った。
オリエンタルで、スパイシーな匂い。
そのおいしそうな匂いの「主」は、1台の白いトラックだった。

トラックの表側に回る。

「いらっしゃいませー、おいしいですよー」

その声を耳に受けながらも、ぼくらの目は、
ラミネート加工されたメニューに釘付けだった。

チキンピタサンド(¥450)
ダール豆のスープ(ダール・スープ/¥300)

ぼくらは迷わず、それを注文した。

あせらず、ていねいに調理する店員の男性。
おそらくインド系と思われる彼は、

「ちょっと待ってね。せっかく食べるんだから、おいしく作るね」

と、白い歯をのぞかせて笑った。

待っている間、トラックの壁面にたくさん貼られたPOPを見ていると、
遅れてこの「店」の名前が目に入った。

『K2』

エベレストに次ぐ高さの山で、登頂難度は世界一とも言われる高峰。
この山の名前は、高校時代の、地理の授業で聞いた覚えがあるだけではない。
たしか、職場でもある学校の近所の、
インド・パキスタン料理の店が同じ『K2』という名前だった。

そんなことを友人に話していると、
店員の男性が手を止め顔を上げた。

「よく知ってるね。そう、それ、ぼくの店だった」

そういって彼は、「過去形」で言った。


店員の、彼の名前はムハンマド。
2年前、4店舗あった店を全部、人に譲った。
祖国(くに)のお母さんが心臓病を患ったためだ。
4店舗あった店を売り払って手術費用をつくり、
インドに帰国したムハンマド。
無事にバイパス手術を受けることができたお母さんは、
現在、元気に暮らしているいうことだ。

ムハンマドが日本にきたのは、いまから約19年前。
ムハンマドは、そのとき17歳だった。
難民という形で入国したムハンマドは、
上野公園の路上で、3カ月ほどすごした。

知り合いになったイラン人が、東京から名古屋へ行くというので、
ムハンマドは彼について行くことにした。
名古屋の、白川公園に着くと、
イラン人の彼は、ムハンマドに10万円を手渡した。

「これで、何とか頑張れ」

そのお金は、「テレホンカード」の販売などで稼いだものだった。
それから3年間、ムハンマドは、水とパンだけでしのいだ。
そして何とか会社に就職することができた。
パチンコ台の製造会社だった。

数年後、その会社が倒産すると知らされたとき。
従業員はみんな、次々と会社を去っていった。
けれどもムハンマドは、社長に言った。

「最後まで頑張ります」

その言葉どおりムハンマドは、
社長と2人、最後まで会社に残って、仕事を全うした。



「歳、いくつ?」

ムハンマドは、ぼくの答えを聞く前に先を続けた。

「ぼくは36歳」

「えっ、36? ぼくらの1コ上じゃん」

「35歳? へえ、そう」

友だちは、すでに誕生日を迎えて35歳。
ぼくはまだ誕生日がきていないけれど、
今年で35歳になる。

ひとつずつ順番に、できあがったチキンピタサンドを手渡される。
思いのほかボリュームがあり、手に持つと、ずっしり重い。
会計を済ませ、ひとくちかじる。

「めちゃくちゃおいしい」

「ありがとうございます」

ムハンマドが頭を下げる。

インドから戻って。
あちこち奔走しながらあれこれと準備をして。
ようやくまた、こうして「店」を開くことができたとのこと。
聞くと、今日で「開業」2日目だという。

白い、軽トラックを改造したこの「店」も、
ムハンマドの「手づくり」だと聞いて。
さすがにぼくは、声を上げて驚いた。
内装をはじめ、電気の配線、
きっちりと荷台に収まる「キッチン」の設計。
外装の目地は、しっかりとコーキングで埋められている。

トラックに200万円、チキン・ロースターが40万円。

「この機械、ふつうに買うと、100万円以上するね。
 けど、ドバイで買って、
 ドバイの空港で働く友だちに頼んで運んでもらったから、40万円で済んだ」

チキン・ロースターでこんがり焼いた、
タンドリー・チキン。
さすがにうまい。
そろそろスープが飲みたくなったぼくは、ムハンマドに言った。

「豆のスープは?」

忘れていたのか、それとも、じっくり温め直していたのか。
はっとしたムハンマドは、スープジャーを開けてスープを注いだ。
そこに、パラパラと、何やらスパイスをかけた。

「何そのスパイス?」

「これ? これは、オリジナルのスパイス」

ムハンマドは、誇らしげに微笑んだ。

さっそく「ダール豆のスープ」を飲む。
うまい。うますぎる。あまりにもうまくて、

「めちゃくちゃうまいね、これ」

と、バカみたいにストレートな感想を、大きな声で口に出した。
ムハンマドは、「ありがとうございます」とまた謙虚に頭を下げた。

「ぼくは日本人大好き。友だち、みんな日本人がほとんど。
 ぼくの店にいたインド人、みんなダメだった。うそつくし、盗むし。
 レジのお金、ちょこちょこ盗んだり。
 レシピ盗んで店辞めて、店はじめたのもいる」

ムハンマドは、彫りの深い顔をくもらせて、
締めくくるようにしてこう言った。


「ぼく、外人嫌い」


何だか妙な説得力があるように感じたのは、なぜだろう。

「日本人の味に合わせない店、多い。だからダメ」

そんなふうにも嘆いていたムハンマド。

けれど。

ムハンマドのダール・スープは、
充分オリエンタルで、スパイシーで、
いままで一度も飲んだことのないような味わいだった。
だからこそ、ぼくはおいしいと思った。

「日本人」に「合わせる」必要なんてないと思う。
おいしければ、おいしいと思った人が集まってくる。
おいしいものに、国境なんてない。

「ごちそうさま」

「おいしかった?」

「おいしかった」

「そう、よかった」

「じゃあ。また、店ができるの楽しみしてるから」

「ありがとうございます」

しっかり者のムハンマドが手を上げ、ぼくらを見送る。
その笑みは、1コ上とは思えないほど深みのある顔つきだった。



< 今日の言葉 >

『イギリスのサマセット州ブリッジウオーターに住む
 40歳のトニー・バーフィールドは、
 電気製品が近くで作動するといつでもひどい痛みを覚えた。
 妻が掃除機のスイッチを入れても強烈な頭痛がして、
 歯が引き抜かれるような感じがした。
 それに口のなかに金属的な味覚がし、体内が熱く燃えるような気もした。
 しかも彼はほとんどの食品にアレルギーで、
 だからトマトとオレンジくらいしか食べられなかった。
 ・・・(中略)・・・・
 彼はひどい偏頭痛がするようになり、とてものどが渇くようになった。
 そして誰かが電気機器を作動させると激痛を覚えるようになったのだ。
 自分がまるで静電気を帯びているみたいに感じることもあれば、
 体内が燃えているような気がすることもあった。
 1990年以降は水にもアレルギーになった。
 風呂に入れなくなり、濡らしたタオルで体をふくしかなかった。
 食品アレルギーも、同じく1990年に始まった。
 彼は3年間で20キロ以上やせ、どんどん衰弱していった。
 失業し、自分1人では服も着られなくなった』

(1988年イギリス、UFOの近距離遭遇者トニー・バーフィールド氏の症例)

『UFO あなたは否定できるか』ヘルムート・ラマー/オリヴァー・ジドラ著(文藝春秋)より

2009/09/16

『常滑フィールド・トリップ2009』


告知です。

きたる10月10日(土)から10月18日(日)までの9日間、

愛知県常滑市で『常滑フィールド・トリップ2009』という展覧会が開催されます。



そのなかでぼくは、「旧常滑地区」と呼ばれる場所に作品を展示することになっています。

昔、ふとん屋さんをやっていた家の「はなれ」で、

ほとんど空家のような状態になっていた家を展示場所に選びました。

作品名は『赤い記憶』です。



今回、作品をつくるにあたって、

まず、そこで生活をしていたおばあちゃんの「遺品」を片づけることからはじまりました。

おばあちゃんの遺した「遺品」の数々。

それらの「もの言わぬ物たち」を通して、いろいろなことを考え、

いろいろなことを感じながら制作を進めています。


展示場所の一部には、おばあちゃんの遺した数々の生活雑貨も展示します。


現在、まだまだ制作の途中なのですが。

今回の展示を実際に目で見て、体感して、何かしら「感じて」もらえたら。

そう思って制作を進めているところです。


これを機会にぜひ、常滑に遊びにきてみてください。

展示作品以外にもたのしめる要素がごろごろと転がっていますから。


けっして無用なおしゃれなどせず、普段着で来てください。

常滑という場所は、小学生のころを思い出せる「遊び場」です。

走ったり、とんだり、腕をぶんぶん振り回したり。


もし、忘れてしまっているのなら。

小学生だったころの気持ちを「ここ」で思い出してください。



                            家原うんこちんちん利明




詳しい情報を知りたい方は、『常滑フィールド・トリップ2009』のウェブをご覧下さい。


※上記のアドレスでつながらない場合は、まだ「工事中」の可能性もありますので、
 後日、あらためて試してみてください。



< 今日の言葉 >

「何でも一生懸命やれば、いつか目も鼻もつく」

(常滑に住む90歳のおばあちゃん、「竹内さん」が聞かせてくれた言葉)

2009/09/09

科学と学習


右足と左足の長さが微妙に違っていたため、
砂漠をぐるぐると歩き続ける男の話。
昔、江戸川乱歩の小説(だったと思う)で読んだ記憶がある。

先日、新聞を読んでいたら、
ドイツの研究チームがある調査したという記事が載っていた。

30人ほどの被験者に、目隠ししてもらって歩いてもらう。
場所は、砂漠であったり、森のなかであったり。
広い場所を、目隠して数十分(数時間だったか)歩いてもらう。
各被験者の動きは、「GPS」観測システムで記録していく、という実験だ。

目隠ししたまましばらく歩いていると、
ほとんどの人が左回り、または右回りの軌道で
ゆっくりと「円」を描きはじめたという。
せまい人では直径20メートルの「円」を描いて、
「ぐるぐると」同じ範囲の場所を歩きつづけていたそうだ。

手元に新聞がないので、正確な数字は忘れてしまったけれど。
被験者の中で、比較的まっすぐ歩き続けられたのは、
2人か3人(およそ1割)の人だった、と。

研究チームの発表によると、
左右の足の長さの違いが原因ではなく、
視覚を遮られたことで、目的となる対象物がなくなり、
まっすぐ歩けなくなるのだ、ということらしい。

なるほど。


「なぜ、ネコは家(すみか)から
 遠く離れた場所に置き去りにされても、戻ってこられるのか」

という疑問から生まれた実験らしいけれど。
昔、ネコの頭の両側に棒磁石をくくりつけて、
迷路の中に入れる実験映像を見た。

その迷路は、何度か繰り返し歩かせたことのあるもので、
被験ネコにとっては「いともたやすい」迷路だ。
無事に出られれば、「ごほうび」ももらえる。

磁石を取りつけたネコと、そうでない「ふつうの」ネコ。
その結果は、というと。

「ふつうの」ネコは、すんなりと迷路を出ることができて、
磁石をくくりつけられたネコは、壁にぶつかったり、
行き止まりに入ってはまた同じ道をぐるぐると歩きつづけたりで。
なかなか迷路から抜け出られなかった。

この実験で分かったこと。
それは、

「ネコは、地球の磁場(磁気)を利用して、
 自分の位置や道筋を把握している」

ということのようだ。

ネコが言葉をしゃべれるわけでもないので、
ネコの気持ちは分かりようもない。
けれど、もしぼくがネコなら、
頭に磁石をくくりつけられたら悲しいので、
それだけで「ふつう」じゃなくなって、
できることすらできなくなるのかもしれない。


『まだかなまだかな 学研のおばちゃんまだかなー』

小さいころ、テレビのCMでそんなフレーズをよく聞いた。
でも、ぼくの母親は当時、
「学研のおばちゃん」をやっていたので、
そんなふうにして首を長くして待っていなくても、
朝起きれば台所にいるし、学校から帰れば居間とか庭にいたので、
いつでも「学研のおばちゃん」に会えた。

そんな特権を持って育ったぼくは、
さらなる特権、

「ほしい教材(ふろく)があれば、
 何年生の『学研』だろうと取り寄せることができる」

をフルに活用して、
人体骨格見本やカブトガニ飼育セットなどを
取り寄せてもらってはたのしんでいた。


・・・話を本筋に戻して。

先日、月を見上げていて、

「今日は月が大きいな」

という話になった。
まだ、暗くなって間もないころの「黄色い月」。
聞くところによると、
赤みがかった黄色の、色の波長のせいだとか、
黄色という「暖色」が膨張色だから、だとか、
低い位置だと、周りの対象物が近いせいで「大きく」見える、とか。
いろいろな「説」を聞く。

赤やオレンジに染まった夕日(太陽)も、
同じような理由で「大きく」見える、という話も聞いたことがある。

根拠や理論は、わからない。
仮に頭で「解かっても」、
やっぱり「わからない」。

だって、大きく見えるんだから。
だったらそれでいいんじゃないの?
そう思ったりもする。
なぜならぼくは、科学者じゃないから。


< 今日の言葉 >

「魔女は追われ、鞭(むち)打たれ、
 石を投げつけられたり棒で打たれたりして殺された。
 『シャリバリ』した者にはすぐに「赦免状(しゃめんじょう)』を出した」



「シャリバリ」・・・共同体の規範を逸脱したものに対する
          儀礼的な制裁(リンチ)。

(『魔女狩り』/ジャン-ミッシャル・サルマン著 を
               読んでのメモ書きより)



2009/09/02

宇宙からきた忍者おじさん


金色の編み笠をかぶって、青い作務衣(さむえ)を着て。
釣り用のベストのようなものを羽織った背中には、
刀の入った袋を背負っている。
腰のベルトにぐるりと並んだ小物入れには、
サングラスや「坂本龍馬の拳銃」などが入っている。
足元は、金色に塗られた、マジックテープ式のスニーカー。


   いったい彼は何者なのか。
   はたして彼の正体は・・・?



常滑(旧常滑地区)に滞在したある朝。
少し遅めの朝食を食べようと、
焼きたてのトーストをテーブルに運んだときだった。

工房のほうから、ひとりのおじさんがやってきた。
金色の編み笠に青い作務衣。
背中に刀を背負って。
メガネをかけた、60歳代くらいのおじさんが、
朝食を並べた食卓に現れた。


ぼくは、ちょっと派手な忍者が来たのかと。
そう思った。


見ようによっては、いまから「アユ釣り」に行く人にも見えるけれど。
それにしては、気になる箇所が多すぎる。

金色笠の「忍者おじさん」。
食卓横のたたき(土間)に立ったおじさんは、
流暢に自分の存在について話しはじめた。


おじさんは、民間で「宇宙の研究」をしている唯一の存在で、
JAXA(ジャクサ/独立行政法人 宇宙航空研究開発機構)をはじめとした
さまざまな研究施設に技術提供をしている。
そのため、東京都千代田区や茨城県つくば市など、
宇宙産業の中心地でもあるそれらの地域へ、
ちょくちょく招かれて足を運んでいるという。

「あの、ニュートリノの研究で有名な『カミオカンデ』ってあるだろう。
 あの開発のときにも、ワシは技術を提供したんだ」

利根川進氏や小柴昌俊氏らとも面識(交遊?)があり、
彼らとも「いっしょにやってた時期がある」という話だ。

「技術っていうものは、出し惜しみをしちゃいかん。
 『提供』することで、いつかは必ず、
 十倍にも百倍にもなってちゃあんと返ってくるからな」

おじさんは、民間人で唯一の宇宙研究者であるとともに、
脳科学の権威でもあるらしい。
おじさんの「研究」では、すでに、
脳細胞の転換(交換)が可能になっているとのことだ。

「いまある脳みそを取り出して、優秀な脳みそと交換すれば。
 そしたらあんたもかしこくなれるんだからな」

さらにおじさんの話は、「金色」の話へと移る。

「金色っていうのは最高の色だ。仏像でもそうだろう。
 一流になりたければ、本物の『金(きん)』を身につけることだ」

「たしかに、西方浄土も金でできてるっていう話ですもんね」

ぼくの返答は聞こえなかったのか、
おじさんの話はそのまま続く。

おじさんの家は、金ぴかのものであふれている。
室内はもちろん、金色の、大きな菩薩像まであるそうだ。
話によると、それはおじさんがつくったものらしい。

「むかし、陶芸をやっとったからな。
 あの△△(有名な陶芸家)とも、若いころはいっしょにやっとった」

ぼくは、金ぴかの家が見てみたいと思い、聞いてみた。

「おじさん、どこに住んでるんですか?」

「ワシか? ワシは『きぼう』に住んどる」

きぼう、って・・・?

遅れて国際宇宙ステーション内にある、
日本の実験棟『きぼう』のことだと分かった。

結局、住んでいるところは教えてくれなかった。

そして、「自分がやらなきゃ誰がやる」という気持ちで、
ものづくりをしていかなければならないと。
つくりだすものに「機能」を持たせれば、
そのものに価値が出てくる、と。

「お釈迦様の蓮の葉っぱにも『機能』がある。
 蓮の葉にも、ちゃあんと意味があるんだ」

「どんな機能があるんですか?」

「それは自分で調べることだな」

なるほど。たしかに自分で調べてこそ、だ。
そして話は、幕末に移る。

おじさんいわく、
いま現在が「幕末」の「明治維新」と同じ状況だということらしく、
今後の「予想」をあれこれと話してくれた。

この11月にオバマ大統領が来日するのも、そのことの現れで、
産業界、工業界、そして政財界も大きく変わる。
いまがその、ちょうど転換期だと。
そんな話だった。

いまこそ維新、大切な過渡期であると。
それに気づかない人がいかに多いことか。
おじさんは苦々しく嘆いていた。

「ワシはそのために、いままでずっと準備をしてきたからな」

ちょっとだけ話が退屈になってきたので、
ぼくは話題を変えたくなった。

「その中って、何が入ってるんですか?」

腰回りをぐるりと一周した「ポーチ」を指して、聞いてみる。

「ああ、これか? ここにはサングラスが入っとる」

手にしたサングラスは、メガネの上からかけられる、
ちょっと奇妙な形の、大きなサングラスだった。

そのサングラスは、メガネをすっぽりおおうように作られているらしく、
レンズがかなり大きかった。
さらにその大きなレンズ横から延びた「つる」(テンプル)は、
メガネの「つる」とぶつからないように、
中心より下の位置についている。
だからいっそう、宇宙的なデザインに見える。
まるで宇宙に棲む昆虫の目のようだ。

「こっちには、何が入ってるんですか?」

「ん、ここか? ここには、坂本龍馬の拳銃が入っとる」

少しばかり得意げな感じで取り出されたものは、
てかてかとつやのある、真っ黒の「拳銃」だった(※右写真参照)。
見るからに重厚で、鉄のかたまりでできているようにも見えたその「拳銃」は、
手に取ると、見た目にたがわず、ずっしりと重かった。

「坂本龍馬の拳銃って・・・。え、これ、どういうことですか?」

手の中に収まる大きさといい、
一見、ワルサーPPKのようにも見えたけれど。
銃身に縄が巻かれたようなふくらみがある。
いままで、まったく見たこともない形の拳銃だ。

聞くと、おじさんが自分で作ったものらしかった。

しばらくのあいだ、何が何だか分からなかったけれど。
よく見ると、引金に黄色い「腕」が見えた。
これは、モデルガンやエアガンにはない。
ましてや本物の拳銃にはついていない部品だ。

どうやらこの拳銃、
水鉄砲を改造して作られたものだと分かった。

どうりで見たこともない形のはずだ。
水鉄砲に、おそらく鉛か何かのおもりを仕込んで、
縄を巻いて(なぜ縄なのかは不明)、
最後にてかてかとした塗料で真っ黒に塗って仕上げた「拳銃」。
これが「坂本龍馬の拳銃」ということだ。

ぼくは、幕末の日本に入ってきた拳銃を見たことがないので、
詳しいことは分からない。
ただそのおじさんの「拳銃」が、もともと、
コルト・ガバメント型の水鉄砲だった、
ということだけは、つぶさにわかった。
 
おじさんは、リボルバーやオートマチックの拳銃が好きではないらしく、

「こういう火薬式の、一発ずつ弾を込める拳銃がいいんだ」

としみじみうなずき、

「今日もこれで、撃ってきたんだ」

と、鉛色の、どんぐりみたいな弾丸も見せてくれた。

「的は、何なんですか?」

「管制塔に、今日は50発撃ってきた」

国際空港まで歩くのが日課らしいので、
そのついでに今日は、管制塔めがけて撃ってきたとのことだ。

管制塔・・・。
となると、かなりの飛距離がいるはずだ。
弾がどのくらい飛ぶのか。
気になったので、聞いてみた。

「人間に当たると、けっこう痛いんですか?」

「弾は飛ばんよ」

あっさりと返されたおじさんの答えに。
ぼくは「ええっ」とのけぞり、おじさんを見た。
おじさんは、まるで何もなかったかのように、
ごく自然な顔つきで、拳銃を腰のポーチにしまった。


おじさんは、拳銃をかまえて、
「見えない弾」を、管制塔に撃ちつづけていた、と。
そういうことになる。

しかも50発、だ。


気づくとおじさんの話は、宇宙の話題に戻っていた。

「宇宙を制するものは世界を制する」

そして話は、幕末に戻り、
金色の話に再び戻って、それがまた宇宙の話につながって・・・。

時計を見ると、1時間近く経っていることに気づいた。
さすがに空腹も限界に迫ってきた。

テーブルの上で「汗」をかいているマヨネーズを手に、立ち上がったぼくは、
「たたき」に下りて冷蔵庫へしまいにいった。
そしてそのまま立ち尽くし、
「そろそろおひらきに」という感じでおじさんを見送った。


食べ遅れた、遅めの朝食。
テーブルの上のトーストはすっかり冷めていた。
上に乗せたマヨネーズの水分とスクランブルエッグの熱を吸い取り、
カリカリだったトーストもソファのようにやわらかくなっていた。


あとから、「いろいろ教えてやった」と、
おじさんが嬉しそうに話していたと聞いた。

「一流になりたかったら、本物を知ることだ」

ところどころメッキのはげた、おじさんの金色メガネがきらりと光る。

住んでいる場所はおろか、
名前すら教えてくれなかったけれど。
おじさんの教えてくれたものは、たくさんある。
ひとことでは言えないけれど。
なんだか、夢を語る小学生と話しているような、
そんな気持ちになった。


金の笠に、金の靴。
刀を背負ったスペース忍者は、
幕末の世をただすため、
今日も宇宙(そら)からやってくる。

『きぼう』という名の故郷から、
『きぼう』を与えにやってくる。

いけ、われらのスペース忍者おじさん、
戦え、われらのスペース忍者おじさん!


< 今日の言葉 >

 昨日は読むもの 明日は書くもの
 昨日は読むもの 明日は書くもの

 (『夏の地図』/ザ・ハイロウズ 詞・曲/甲本ヒロト)