2025/11/15

最後のプレゼント






甥っ子が、

フェレットを飼いはじめた。


「 母さん、

 フェレットってわかる?」


「なにそれ。知らん」


「そういう名前の動物。

 何かわかる?」


「サルのちっさいやつ?」


「それはサルでしょ。フェレット」


「鳥かなんか?」


「ちがう」


「あれか、ほら、

 ピーナツとか食べる子・・・

 ええと・・・・・・リスか」


「あ、近い。

 ちょっと似てるかも。

 けど、もっと長い」


「なにぃ、長いって。

 変なやつかね。

 にょろにょろっとしたヘビとか」


「ちがう。

 フェレットっていう、

 そういう動物なんだよ。

 犬とかより小さくて、

 かわいくて、尻尾が長くて。

 イタチにちょっと似てる。

 イタチってわかるよね?

 着物着たとき首に巻く毛皮みたいな」


「モグラか」


「ちがうって。フェレットだって」


「サルに似た人?」


ついには「人」になってしまい。


「フェレットっていう、

 そういう名前の動物なんだよ」


「サルの小さいやつじゃないの?」


母が、なぜそこまで

「サルの小さいやつ」に

固執しているのか、

それはわからないが。


とにかく、

重ねて挟みこまれた

「サルの小さいやつ」

という言葉の持つ音感と

破壊力は抜群で、

その都度、

腹を抱えて笑わせてもらった。


「こないだ新聞に、

 かわいいバンビちゃんの

 写真があったで。

 切り取って額に入れて

 飾ったんだわ」


母は、鹿のことを——

特に子鹿のことを

「バンビちゃん」と呼ぶ。


そんなお洒落で欧米風の母だが。

もしかして、

イタリア人なのかもしれない。


ずいぶん昔の話だが。


「買い物行くけど、

 なんか欲しいものある?」


母に聞かれたぼくは、


「『荒挽きスナック』買ってきて」


と、リクエストした。 


帰ってきた母が、

テーブルの上に物を広げているのを見て、

さっそくぼくがそれを探した。


「あれ、母さん。

 『荒挽きスナック』は?」


「なにそれ?」


「頼んだお菓子」


「これじゃないの?」


「全然違う」


母が差し出したのは、

『アラ・ポテト』だった。


「たしか『あら』なんとか

 だって思って。

 あら、あら、あら・・・

 なんだったかなって。

 『あら』は合っとったけど。

 これじゃなかった?」


ふと、

そんな懐かしい一幕を思い出す。

もう30年以上前の話だ。



* *



母さんは変わらない。

よくも悪くも、変わらない。

何年、何十年と、変わらない。


コンロを使う時には

換気扇を回そうね、と言っても。

玄関の靴を揃えようね、と言っても。

返ってくるのは、

同じ「答え」ばかりだ。


母さんから学ぶこと。


人は、変えられないということ。

自分が変わるべきだということ。


何度言っても変わらない、

変えようとしない母に、

父はよく癇癪を起こしていた。


まるで子どもの喧嘩みたいに。


変わらない、変えようとしない、

一見、頑固にも見える

融通に利かない部分ばかりに

目を向けると、

父のような感情になりかねない。


母さんは、できない。

母さんには、できない。


それを「理解」した上で向き合い、

こちらの側が身の振り方を変えて、

受け止めたり、かわしたりして

対処するしかない。


悪い部分じゃなくて。

いい部分を見ること。


体のあちこちが痛いと言いながらも、

毎日、家事をしている年老いた母さん。


焦げた野菜炒めも、

開けっ放しの玄関も、

しまい忘れたゴミ箱も。


みんな、母さんの頑張った証だ。


忘れないようにメモをして、

たくさん壁に貼り付けられた

貼り紙たち。

忘れてしまうけど、忘れないよう、

懸命に努力している。

たとえそれができていなくても。

やろうとして、努力している。


そう思うと、泣けてくる。


頑張ってるなと。

ありがたく思う。


悪い部分じゃなくて、

いい部分を見よう。


年老いた母さんと向き合いながら、

それを実践することで、

たくさんのことを教えられる。


毎日毎日、くり返し反復。

頭や理屈ではなく、

心と体に染み込ませる。


思いどおりにいくことなんて、ない。

他人のことは、コントロールできない。

すべて思うまま、

思いのままに動かすことなど、

空想まみれの暴挙に等しい。


願望。

〜してほしい。


落胆。

〜してくれない。


そういう力みが邪魔をする。

心をねじり、物事を曲げる。


どうでもいい。

なるようになる。

ならないものはならない。


あきらめでも、

無視でも、鈍麻でもない。

感じた上で、受け流す。


よけいな心配や、準備はしない。

そのとき、どうするか。


ただ、それだけ。


再三再四、

同じことをくり返している母さんと同じく。

自分もまた、同じ言葉をくりかえす。


「ま、いいか」


そういうことかと、母さんに学ぶ。


おかげで少しは、

懐が深くなっただろうか。

小さな器も、

少しは広くなっただろうか。


短気な父は、いつも怒っていた。


短気は損気。

怒っている人の周りには、

びりびりとした

見えない電気みたいなものが漂い、

人を委縮させたり、

相手を怒りに染め上げたりする。


父と母から学んだこと。


忘れないよう、何度もくり返す。

奥の奥まで染み込んで、

洗い流しても取れないくらいに、

何度も何度もくり返す。


意固地にも見える母さんの態度に、

落胆したり、悲観したり。

ちょっと怒りを覚えることもあるが、

口には出さない。

出したとしても、

やわらかな声で、感情には訴えない。

すぐ笑顔に戻る。

その日のことをは、その日限り。

寝て起きたら、みんな流して、

笑顔で「おはよう」と挨拶する。

失敗しても笑って、

正論で正したりはしない。


怒りや悲しみは、

それを超えてやってくる。

けれどもその都度立ち止まり、

なるべく最初に立ち返る。


母さんは、無邪気で呑気で、

ゆたかでおもしろいい、

心根のいい人なのだと。


母さんは、ぼくの母さんなのだと。



* * *



そんな母さんのおかげだろうか。

最近毎日、成長している実感がある。


父の「やり残し」のおかげか、

日々、学ぶべきことがある。


自分が変わること。

成長。


かっこつけでもきれいごとでもなく。


ぼくは、母さんを使って、

成長したい。

母さんという教材から学び、

失敗しながら、大きくなりたい。


固く乾いたものは、やがて折れる。

柔らかく、しなやかに、たわみながら、

かわし、受け止め、成長したい。


相手が母さんだからできる学習。


ありがとう


かつての自分では

感じられなかったこと。

見えなかった景色、情感、思い。


ありがとう


老いていく母さんの姿に、

ぼくは学ぶ。


同じことを

何度もくり返すことはできても、

同じ日を、やり直すことはできない。


だからこそ、

目の前の時間を大切にしたい。


平凡すぎて

あくびが出そうな「ドラマ」を

見逃さないように。

なるべく笑って、

楽しんでいきたい。



「9対0。

 もう負けだわ」


古めかしいラジオに耳を傾けて、

嘆き、顔をくもらせる母さんに、

微笑み返す。


「ねぇ、母さん。

 これ聴いてみて」


と、これまた時代遅れの、

使い込みすぎて

角が丸くなってきたのでは、

というほどの、

お気に入りのiPod classicの、

しかも有線イヤフォンを

母さんに差し出す。


「これ、耳に入れるの?」


うなずくぼくに、母さんが、

こわごわと耳にイヤフォンを入れる。


「なにこれ!

 きゃんきゃんうるさい。

 なに言っとるのかわからん」


母さんに聴かせた曲は、

セックス・ピストルズの

『God Save The Queen』だ。


「お母さん、こういう、

 耳に入れるやつ、嫌いなんだわ」


眉をひそめて

イヤフォンを突き返す母さんに、

重ねてぼくが言った。


「じゃあ、これは?」


流したのは、

石川さゆりさんの

『天城越え』だった。


つい今しがた、

「嫌い」だと言ったばかりの

はずなのに。

一人、気持ちよさそうに

目を細めながら、

母さんは、

石川さゆりさんとともに

『天城越え」を熱唱している。


「母さん昔、カラオケで歌ったよね」


家族で温泉旅行へ行った時——

ぼくが高校生くらいだったか。

父と、母と、姉とぼくと、

初めて家族で

カラオケに行った時のことだ。


「じゃあ、これは?」


続いて『津軽海峡冬景色』を流すと、

またも母さんは、

気持ちよさそうに歌いはじめた。


ぼくの耳に、曲は聞こえない。

聞こえているのは、

母さんの唄声だけだ。


なんだかおもしろい

おもちゃみたいに。

歌う母さんの唄声を、

ぼくは笑って聞いていた。


日本舞踊やら三味線やらを

かじっていたせいか。

母さんは、歌がうまい。


そして母さんは、

全然イヤフォンを

返そうとしなかった。


「何、これ、ラジオ?」


「違う。こういう、音楽を聴く器械」


母さんが、

いかにもうらやましげに、

ぼくのiPod classicを

まじまじと見つめる。


「この中に、何千、

 何万曲とか入るんだよ」


「ふうん」


「欲しい?」


と、聞いてみたものの。

母さんには使いこなせそうもない。

実際、昔買ってあげたラジカセも、

うまく馴染まないままほこりにまみれ、

ついには動かなくなってしまった。


母さんはもう何台も、

手持ちの小型ラジオを買い直し、

その都度それを愛用している。

おそらく十数台は買ってきただろう。


イヤフォンを返してもらった後、

お風呂の準備をしている母さんが、

『津軽海峡冬景色』を

歌う声が聞こえてきた。


父の一周忌を

明日に控えた9月12日。

梅雨のように蒸し暑い、

雨降りの夜。


ドラマにもならない、

退屈極まりない日常の「ドラマ」に、

ぼくは、胸の奥がほわんと温かくなり、

目の奥が、じわっと熱くなった。



「あっついね。

 今日、外、70度くらいあるらしいよ」


そんな、

めちゃくちゃなことを言う母さんを、

笑ってあげられる一人として。


忘れっぽさに磨きがかかり、

何を言っても右から左で、

失敗ばかりで、

同じ話を毎日くり返して、

同じことばかり尋ねる母さんと、

ぼくは、なるべく笑って向き合いたい。


だってそれが、

ぼくの「母さん」なのだから。


・・・この1年、

そう思って母さんと接してきて。

少しはそれが、楽しめるようになった。


フェレットみたいには可愛くないけど。

フェレットみたいに無邪気で奔放で、

ちっとも言うこと聞かない母さんを、

律したり、制御したり、

思い通りに操ることはできない。


フェレットを飼いはじめた

甥っ子たちに、ぼくは学んだ。


「ぼくたち」に合わせるのではなく。

「母さん」の「行動」を理解すること。


ああ、母さんは、こうなんだなと。


できないことを数え上げるより、

できることを愛でていきたい。


「お母さん、

 食いしん坊なのかな。

 いくら暑くても

 食欲がなくなることもないし、

 毎日ごはんが

 おいしくてしょうがない」


晩ごはんを前にした母さんは

毎日、決まってそう言う。

食前のお祈りみたいに、

もう100回くらいは

聞いたように思う。


「いただきまーす」


ごはんを食べながら、

鼻唄を歌う母さんの姿は、

子どものような、少女のような、

とてもきれいで

透き通った顔をしていて。

ぼくは一人、

悲しくもないのに、

泣きそうになった。


人は、こうやって老いていくのだなと。


母さんを見ながら、日々思う。


老いることは、悲しみじゃない。


年を取るということは、

ゆっくりと子どもに戻りながら、

透明になっていくみたいで、

なんだかとても清らかな気がする。


母さんを元気にしたくて。

母さんを笑顔にしたくて。


1年間、

まっすぐ母さんと

向き合ってきたご褒美。


気づくと自分が、笑顔だった。



ありがとう



ぼくは、この景色を忘れない。


って。


いつも同じことなかり

言っているのは、

ぼくも同じかもしれない。



子どものころ、

あんなに大切にしていた

はずなのに。

大きくなると、

大切にしなくなる。


嘘をつかないこと。


約束を守ること。


ありがとう、ごめんなさいを

きちんと言うこと。


わからないことは、

わからないと言うこと。


けんかをしたら、仲直りすること。


おじいちゃん、おばあちゃん、

お父さん、お母さんを

大切にすること。


大切なものを、大切にすること。


大人になると、

何やらそれが「むずかしく」なる。


母を愛してくれる人が言った。


「こんなに邪(じゃ)のない人は、

 見たことがない」


すごく嬉しかった。


自分もそう思う。

ときどき嘘をついたり、

ごまかしたりはするけれど。

邪(よこしま)なものは、

感じられない。


純粋で、素直で、

損得勘定なく動く母を、

いい人だな、と思う。


自分の親だから、だけではなく。

血のつながりのない人から

そう言ってもらえてことは、

本当に嬉しくて、ありがたいことだ。


そこにいるだけで、

みんなが笑顔になる。

犬とか猫とか、

赤ちゃんみたいな存在。


なるほど。

だから「邪」がないのか。


9月13日。

父の命日である昼下がり、

買い物帰りの母さんが、

その人に向かって言った。


「恥(はじ)かいちゃった。

 お金がないのに買い物しちゃって。

 恥ずかしいわぁ、もう」


屈託のない顔で、母さんが笑う。

帽子をかぶった母さんの姿は、

小学生の子どものようだ。


「あそこ(駅前のスーパー)に行くと、

 いろんなものがたくさんあるもんで、

 ついつい買いたくなるんだわ」


「わかります、私もそうです」


とてもいい時間が、ゆるやかに流れた。


冷蔵庫も食料庫も、

物でいっぱいなのだが。

ついつい買い込んでしまう母さんに、

声なく笑みをこぼす。


父さんとの約束——

母さんのことを、よろしく頼む、と。

父さんと話した、

最後の電話で託されたこと。


この1年間、

はたしてそれが、できているのか。

よくわからないが、

ぼくは、母さんの笑顔を大切にしてきた。


怒ったり、叱ったりするのではなく。

「答え」が「笑顔」に

なるような算数をする。


これは、母さんがくれた、

いや、父さんと母さんがくれた、

最後の「教材」かもしれない、と。


そう思って、

今日まで向き合ってきた。


俺みたいになるなよと。

私みたいにならないでねと。


両親からの、

最後のプレゼントなのかもしれないと。



立派な人にも孝行息子にも

なれないぼくだけれど。

目の前の人を、

笑顔にすることだけは、

できるようになってきた。


ありがとう


1年という節目。

目の前に広がるこの景色は、

すこぶる平凡で、平和で、

ひどく退屈かもしれないけれど。

とてもきれいで美しく、

本当に尊い。


1年。


この1年は、

人生の中でも、

いちばん大切な1年になった。


気づいてよかったな、と

何度も思う。


何が大切で、

自分が何をするべきなのかを。


ほかの誰かではなく、

自分しかできないことに

気づけてよかった。


少しばかりは成長できた姿を、

天国(または地獄)の父は、

見ていてくれてるだろうか。


ややこしくて、大変で、

投げ出したくなるような、

大きくて重たい

すてきなプレゼントをありがとう。


ぼくは、

このプレゼントを、

いつまでもずっと

大切にしていきたい。



< 今日の言葉 >


『いま息子よ、

 おまえにはわかっただろう。

 そうしたものは所詮、

 束の間の戯れだ。

 いま月の下にある、あらゆる黄金も

 昔あった黄金も、

 この疲れはてた亡者のただ一人にも

 安らぎを与えることはできない』


(『神曲』ダンテ・アリギェーリ:地獄篇・第七歌)


2025/11/01

幻になったりえちゃん

 





中学3年のとき。

学校内で、事件があった。


北校舎3階の、

男子トイレの個室の扉が、

何者かによって

穴だらけにされたのだ。


トイレ個室の扉は、

金属の枠に

薄い化粧板を張り合わせた、

いわゆるフラッシュ合板の扉で、

おそらく誰もがよく目にする種類の、

ありふれた軽量の扉だ。


その、フラッシュドアの表面に、

拳で撃ち抜いたような「穴」が、

10カ所ほど穿(うが)たれていた。


北校舎は、

3年生の教室が並ぶ場所だった。

3階の男子トイレを使うのは、

主に、3年6組から8組。

1.2組が1階で、

3、4、5組が2階。

自分たちの教室がある階の

トイレを使用するのが、

ごく自然な慣習だった。


——記憶に間違いがなければ、

そんな感じの区分けだった。


北校舎3階のトイレは、

職員室からいちばん遠いと

いうこともあってか、

「素行の悪い」男子たちの集まる

「ふきだまり」のような場所だった。


となると、

先の「区分け」を無視して、

他の階から這い上がってくる輩もいる。


「馬鹿と煙は高いところが好き」


とはいうけれど。


5組だったぼくも、

3階へ這い上がる中の一人だった。


8組に、仲のいい男子がいたのと、

3組からも、仲よしの男子が

這い上がってきてくれるので、

北校舎3階の男子トイレは、

まさに「みんなの集会場」と化していた。



ここで言っておきたいのは、

自分は、いわゆる「不良」ではないと、

その当時から今に至るまで、

はっきりとした自負を持っている。


が、それはもちろん、

自己評価であって、

他者からの評価ではない。


当時の中学校では、

髪の毛を伸ばしたり、

金や茶色に染めたり、

著しく変形したズボンや

上着を着用したり、

足並みが揃っていないものは

たいてい「不良」と見なされた。


自覚があろうとなかろうと。

その仲間と一緒にいるだけでも、

「不良」というラベルでひとくくりにされた。


「自分は不良じゃない」


もしかすると、

誰もがそう思っていたのかもしれない。

中には「不良」を自覚していた者も

いたもしれないが。


自分としては、


「不良じゃなかった」


と自負して——

または思い込んでいるうちの、

一人である。


・・・話は戻って。


北校舎男子トイレの扉に、

いくつもの穴が空けられた事件は、

瞬く間に知れ渡り、

もれなく、先生方の耳にも届いた。


「誰がやったんだ!」


体育会系の、

学年主任の先生が先頭に立ち、

犯人探しが始まった。


普段からあちこちに

目を光らせていた学年主任は、

北校舎男子トイレに、

「よくない生徒」が

たむろしていることを把握していた。


授業が終わった、放課後。


学年主任は、

およそめぼしい生徒を名指しで呼び、

それぞれの教室に居残らせた。


「器物破損」という言葉を、

そのとき初めて耳にした。


学年主任の先生は、

これは警察沙汰になってもおかしくない、

れっきとした犯罪行為だと、

ぼくら生徒に言った。


1組、2組、3組・・・と。

各クラス5人ほどの男子が呼び出され、

遅くまで待機させられることとなった。


職員室へ、一人ずつ呼び出すと、

誰がやったのかを聞き出し、白状させた。


「次のやつ呼んでこい、だってさ」


そんなふうにして、

次々と職員室に呼び出され、

犯人探しの「取り調べ」が延々と続いた。


誰が何を言ったのか。

それは、内緒にしておいてやると。


学年主任は、

司法取引のような駆け引きを持ち出し、

誰が犯人なのかを聞こうとした。


詳細はわからないが。

誰かの名前を

口にした者もいただろう。

間違った名前を挙げた者も

いたかもしれない。


誰がやったのか。


ぼくは、

その「犯人」を知っていた。



3組(だったか)の「Z」——。

買ったばかりの、

金属製の「メリケンサック」を右手にはめ、

トイレの扉に穴を開けたことを、

ぼくは、彼自身の口から聞いていた。


便乗して、穴を空ける姿も見た。


その場には、

ぼくの他にも、数人いた。


激しく破壊された

トイレの扉を見たとき、

今さらいい子ぶるわけでもないが、

ちょっとだけ痛々しく思うほどに、

凄惨な感じがした記憶がある。


きざきざと暗い口を開け、

化粧板から覗いた茶色い木肌が、

血か内臓のように見えて。

少しだけ「かわいそう」だと思った。


けれど、

「はみ出し者」のぼくは、

そんなことを口に出したりはしない。

顔にすら出さず、

ただただ笑っていた。


派手にやったなあ、と。


そんなことを、

声にしたか思ったかしただけで、

学生ズボンのポケットに手を突っ込み、

何となく、その場に染まっていた。


不良ではなかったつもりだけれど。

優等生でも、真面目でも、

いい子でもなかった。


少なくとも、

集団から「はみ出して」いたことだけは

たしかだった。


ぼくは、

居場所が見つからず、

何となく「そこ」にいた。


気の合う男子も少しはいたし、

小学生時代からの親友もいた。


けれど、

先生方が押し込めた、

「不良」というくくりに居座ることには、

常々、違和感しか感じなかった。


そんなわけで。


ぼくは、先生方と、

仲よくできずにいた。


そんな「はみ出し者」の生徒だから。

先生方にも、好かれなかった。


魚心水心。

ある意味での「両思い」。


悪態ばかりで、可愛げのないぼくは、

先生からの評判が、すこぶる悪かった。


そう。


中学生特有の、思春期特有の、


「大人なんて嫌い!」


という、

幼児性大爆発の、

生意気盛りの「不良」だった。



先生からの呼び出しを待つ中、

小学校からの友人が、

ぼくの元へやってきた。


「よりによって、

 なんで今日なんだ」


友人は、そわそわと時計を見た。


「これで行けなくなったら、

 本当、絶対に許さない」


いつもはおだやかな友人の顔が、

三角刀で彫ったような、

険しい表情を刻んでいた。



* *




温和で温厚な友人が、

顔色を変えるのも無理はない。


一世一代の、大イベント。

人生に一度、あるかないかの大饗宴。


『宮沢りえのコンサート』


宮沢りえちゃんの

ファンクラブに入っていた彼は、

官製はがきに願いを託し、

初コンサートの座席券を射止めたのだった!


少し話はそれるのだが。


ぼくと彼は、

小学校からの大親友で。

まるで仲よしの恋人みたいに、

何をするにも、いつも一緒だった。


絵を描いたり、レゴで遊んだり、

プラモデルを作ったり、漫画を描いたり。

モトクロスの自転車で野山を駆け回ったり、

キャンプに行ったり、買い物へ行ったり、

映画をつくったりもしてきた。


とにかく、ずっと一緒だった。


そんな彼が、ぼくに言った。


「みやさわりえ、って子。

 すごくかわいい」


まだ「宮沢」を

「みやざわ」ではなく、

「みやさわ」と読むくらいのころ。


彼がぼくに教えてくれた。


かわいいな、と思った。


それまでぼくは、

アイドルとか芸能人とか、

俳優さんとかに、

興味を抱いたことがなかった。


男女を問わず、

誰かの「ファン」になったことが

一度もなかった。


もっと言えば、

漫画のキャラクターなどにも

「はまった」ことがなかった。


・・・もしかすると、

これは今でも残る

気質なのかもしれない。


映画や本や音楽など、

作品が好きになることはあっても。


実際に話したりして、

出会ったその人が好きになることはあっても。


写真や映像の中の誰か、何かを、

「好き」になったことは

ほとんどなかった。


トムとジェリーのアニメが好きだとしても、

トムやジェリーを、

単体で好きになるわけではなくて。

あくまで『トムとジェリー』が好きなのだ。


友人が熱を上げる、

宮沢りえちゃんを見て。

ぼくは素直に「かわいいな」と思った。


ぼくも「好き」になりたいと。

そう思った。


彼に負けじと、

遅れてぼくもファンクラブに入った。

もしかすると、

一緒に入会希望のはがきを

書いたかもしれない。


そこらへんの記憶は曖昧だが。


とにかくぼくらは、

宮沢りえちゃんのファンクラブに

入会した。


ファンクラブの名は、

『プール・アミティエ』。


フランス語で、

「みんな友だち」

という意味の、ファンクラブ。


今にして思えば。


ぼくは、

友人のことが

大好きだったんだなと思う。


そう考えると、

宮沢りえちゃんを差し置いて、

友人のファンクラブに

入るべきだったのかもしれない。


彼の好きなものは、みんな好き。


恋にも似た、盲目的な勢いで、

お互いにお互いの文化を共有していた。



近所の食料品店に、

宮沢りえちゃんの

ポスターが貼ってあった。


ポカリスウェットの、青いポスター。


カンフーの胴着ような衣装を着て、

片手にポカリスウェットの缶を持ち、

にっこりと笑う、縦長のポスター。


ぼくは、お店の人に話して、

その青いポスターを譲ってもらった。


家に持ち帰ったぼくは、

さっそく自室の壁に貼った。

部屋に、

女性のポスターを貼ったのは、

初めてのことだ。


友人と二人、本屋に向かい、

宮沢りえちゃんの初写真集を買った。


生まれて初めて買った写真集。


それが、

あまりに尊く、清らかに感じて。

手を洗って、

姿勢を正して本を開いた、

神聖な思い出・・・。

いやらしさとは真反対にあるような、

汚れな気き心で見た記憶・・・。


少しずつ、

宮沢りえちゃんのことが

「好き」になっている。


当時、自覚があったかどうかは別にして。

確実に「好き」になっていた。


もともと、

何かしらに熱中すると、

とことんまで追求したくなる気質を

持っていた自分は、

宮沢りえちゃんを追いかけることを

楽しみはじめた。


といっても。


これまでの対象と同じように、

本を買ったり、作品を観たり、

音楽を聴いたりするくらいが精一杯で、

会いたいとか、

会いに行こうなどと思う気持ちは、

芽生えなかった。


小学6年生のとき。

各テレビ番組のスポンサーが掲載された、

CM製作者が手にするような

マニアックな雑誌を

駅前の書店で毎月買って。


宮沢りえちゃんが

出演するコマーシャルを

全部観ようという魂胆だった。


たしか

その雑誌、第1号の表紙が、

宮沢りえちゃんで、

りえちゃんの顔が

大写しになっていたからこそ手に取った、

そんな記憶がある。


毎月届く、

ファンクラブの会報には、

宮沢りえちゃん「直筆」の手紙があった。

もちろん、印刷物なので、

直筆でも何でもないのだが。

宮沢りえちゃんの気配を感じるような、

可愛らしい手書きの筆跡に、

まるで「お手紙」をもらったような

心地がしていた。


「ファン」になるって、

こういう気持ちか。


そう思ったかどうかはさておき、

ファン心理というものが何たるかの、

ほんの欠片くらいは

味わえていただろうか。


かくいうぼくに比べ、

友人の「宮沢りえちゃん熱」は、

熱狂的で、まっすぐで、

ぼくの何倍かの熱量だった。


ぼくの熱など、

とうてい足元にも及ばない。


そう思えるほとに、

彼の「宮沢りえちゃん熱」は、

触れればやけどしそうなほど熱かった。


気づくとぼくは、

ファンクラブを「脱退」していた。


それは、

物理的な問題で、

いったん入会したら

永久に会員であると思い込んでいたぼくは、

更新日があることなど気にしておらず、

いつもと違う郵送物には

まったく目もくれなかった。


ぼく宛の、可愛げのない、

ややかしこまった郵便物の正体——。

それは、

ファンクラブ継続手続用紙が入った、

宮沢りえちゃんとぼくとをつなぐ、

大切な「お手紙」だった。


そうとも知らず、

放置していたぼくは、

数カ月後に首をかしげることとなる。


「あれぇ、どうしてだろう・・・。

 りえちゃんからのお手紙が、

 届かないぞ」


友人にはちゃんと届いているのに。

ぼくには届かなくなった。


しばらく真相に気づかなかったぼくは、

本気で思った。


「嫌われた?」


ぼくは一人、

勝手にショックを受けた。


宮沢りえちゃん熱が、足らなかったのかと。

湯気が出るほど熱々な友人の姿を目に映し、

ぼくは、心で思った。


彼には、かなわないと。


ぼくは、明け渡そうと思った。


当の宮沢りえちゃんの気持ちなどは考えず。

当時のぼくは、真面目に思った。


ぼくみたいな、

生半可で中途半端な思いの人間が、

「ファン」などと名乗っては

申し訳が立たない。


「ファン」というのは、

友人のような人のことを言うのだと。


何かの「ファン」になることへの

経験が浅かったぼくは、

入会金を払いそびれて、

契約が切れてしまった

宮沢りえちゃんのファンクラブを、

そのまま辞めてしまった。


部屋にはずっと、

宮沢りえちゃんの

青いポスターが貼られたままだったが。


何となく

ふられたような気持ちで、

ぼくは、

友人にその座を譲ったのだった。



そんな友人だからこそ。


熱い熱を持ち続けていたからこそ。


彼は、切符を手にした。


宮沢りえちゃんの、初コンサート。


抽選という、

計り知れない競争率の中、

彼は、見事にチケットを獲得した。


宮沢りえちゃんの初コンサートの、

ペア・チケット。


心やさしき友人は、

これまでの「戦友」であり、

「恋敵」であるぼくに

迷わず真っ先に声をかけ、

コンサートに誘ってくれた。


『宮沢りえちゃんの初コンサート』。


それは、ぼくらにとっても、

初めてのコンサートだった。


そう——。


初めてのコンサートになる、

「はず」だった。


あの、事件さえ起こらなければ、

ぼくたちは、

憧れの宮沢りえちゃんに・・・。



* * *



先生からの呼び出しを待ちながら、

ぼくは教室の時計を見た。


まだ、間に合う。


しばらく経って、また時計を見た。


急げば何とか、

間に合いそうだ。


カチカチと、

冷酷に時を刻み続ける時計にらみすえ、

口の中で、小さく舌打ちする。


ぎりぎりなんとか、

急げば、まだ・・・。


窓の外が、薄暗くなってきた。


もう、始まる時間だ。

途中からでも、まだ・・・。


街灯に光が灯り、

渦闇に白々と浮かび上がる。


日没とともに、

わずかばかりの希望さえもが、

ついえて消えた。


線香花火が放つ、

最後の断末魔の輝きのように。


かすかな期待感までもが、

音もなく消えた。


絶望的、だった。


焦り、怒り、地団駄を踏んで。

落ち着きをなくしていく友人の心も、

火が消えたように、

冷たく、静かになった。


これほどまでに落ち込む友人の顔は、

見たことがなかった。


後にも、先にも。


あの時ほど消沈した彼の姿は、

見たことがない。


かける言葉が見つからないくらいに。


彼の顔は、

色もなく悲しみに染まっていた。



職員室に呼び出されたとき。

ぼくは、言わなかった。


それが、勇気ある行ないでも、

正しい選択でもないことは

わかっていたけれど。


先生方の前に座り、

鋭い口調で問いただされても、

犯人が誰かということは、

言わなかった。


知らないとも言わなかった。


たとえ知っていても言わない。

そんな態度で、先生をにらんだ。


ぼくは、その先生が嫌いだった。

ぼくも、その先生に好かれていなかった。


当時のぼくにとって、先生とは、

話してわかってくれるような

相手ではなかった。


「素行の悪い」、

「不良」のぼくの言葉など、

まるで信じてはくれないし、

まともに聞いてくれもしなかった。


今にして思う。


それは、半分以上、

自分のせいだと。


先生の仕事をしたとき、思った。


ぼくみたいな生意気な生徒がいなくて、

本当によかったと。


同時に思った。


ぼくは、生徒の言葉を信じたい。


疑った目で決めつけたり、

「先生」だけが持つ「力」で、

ねじ伏せたりはしたくないと。



幻と消えた、

『宮沢りえちゃんのコンサート』。



母が言った。


「あのとき、

 いちばんたくさん穴を空けた人が、

 いちばんたくさん

 お金を払うんだって言われて。

 全員で弁償させたれたんだよ」


「え、そうなの?」


「そう。

 あんたたちがばかなことするもんで、

 いくらか忘れたけど、払ったんだからね」


「ぼく、やってないけどね」


「とにかく、

 なんだか知らんけど、

 弁償させられた」



後日、母に聞かされるまで、

ぼくは、その事実を知らなかった。


保護者が学校に呼び出されたことも。

やってもいないのに弁償させられたことも。


もし、知っていたら。


ぼくはまた、先生方に向かって、

「素行の悪いこと」を言っていたに違いない。


中学生のぼくは、

正論が正しいと思い込んでいた。


言いたいことを言うことが悪いとは、

少しも思ってもいなかった。

言っていいことも悪いことも、

口の利き方も言葉も知らず、

礼儀さえも身につけていなかった。



つい最近、

母がふと思い出した

この事件の話を聞いて。


当時は思いもしなかったことを、

いろいろ思った。


それを枚挙するつもりはないけれど、

ひとつ言えることがある。


それは、


「プール・アミティエ」。


みんな友だち、だとということ。


「みんな友だち」なのは、

「ぼくら」の世界の中だけのことで、

先生も、大人も、

「友だち」ではない。


そう思っていた、当時の自分。


わかってくれない、わかり合えないと。

決めつけていたのは、

自分だったのかもしれない。


『かつて 人はみんな

 無邪気な子供だった』


(『15才』The Blancky Jet City )


そう思えば、お互いにもっと、

やさしくなれたのかもしれない。


「プール・アミティエ」


十五歳のぼくには、まだ、

それがわからなかった。


今になってようやく、

ほんの少しだけ、わかった気がする。


幻になった、

宮沢りえちゃんのコンサート。


甘酸っぱい幻は、

幻のまま、かげろうのようにゆらめき、

永遠に、消えはしない。



もし、誰かの

ファンになったなら——。


会費はきちんと払いましょう。




< 今日の言葉 >


今だけ 今のために

生まれてきたはずだから

今だけ感じられる

せつなさ確かめようよ


小さな流星を

いつまで待っているより

今から願い事を

二人でかなえようよ


(『ドリームラッシュ』宮沢りえ)