*
古い車に乗っていたとき、
いつもどこかしら
気になる箇所があった。
走っていると、どこからか
かすかに聞こえるきしみ。
電装系の配線の不安。
アイドリング音のばらつき。
扉の閉まり具合。
開け閉めしにくいガラス窓。
破れたシートカバー。
ところどころ剥げた車体の塗装。
・・・などなど。
言いだしたらきりがない。
気にしだしたら止まらない。
整備工場の人と話していて、
こう言われた。
「どこまでをよしとして、
どこまで直してくのか。
古い車だから、
完璧な状態になんて、
ならないですよ」
たしかに。
ここを直しているあいだに、
別のところが悪くなったり。
いつか壊れるんじゃないか、
また故障するんじゃないか、と。
予兆ばかり気にしていて、
気が休まらなかったり。
古い車は、古い車なのだ。
気になる箇所を替えだしたら、
丸ごと全部、
替えなくてはいけない場合もある。
見えない箇所は、
オーバーホール
(全部ばらばらに解体して
組み立て直すこと)して、
きれいな部品か新品に替えるしかない。
自分で点検・整備をするか、
整備工場に通うのか。
それともいっそ、
新しい車に買い換えるか。
古い車に乗るということは、
古い車の状態と向き合い、
それとどう付き合っていくか、
ということである。
長い年月を経た、古い車。
長い年月乗っていれば、
必ずどこかしらが
悪くなってくるものだ。
それは、人間も同じ。
歳を重ねれば、
必ずどこか不具合が出てくる。
痛みや症状を気にして、
医者や病院へ通い続けるか。
それとも、
そんな状態を「日常」として
いたわりながら、
付き合っていくか。
母の姿に、思うことがあった。
母は、病院が苦手だ。
おそらく、
何かしらの経験が織り重なって、
母の中で、病院の印象が
よくないものへと
育っていったのだろう。
かくいう自分も、
長年、病院が苦手だった。
今でも得意ではないが。
数年前に、気胸で入院して以来、
病院への印象が
悪くないものへと変わった。
**
毎日、
笑顔で話していた母のようすが、
突然おかしくなった。
そわそわと落ち着きなく、
気もそぞろで、
なかなか話が通じなくなった。
夜、母に呼び止められた。
「ちょっと見てほしいんだけど」
母を追って寝室へ向かうと、
薄暗い部屋の天井にぶら下がる、
和室仕様の照明器具を指差した。
灯っているのは、
オレンジ色の小さな豆電球だった。
「電気の上に、ようかんが
乗っかっとるんだけど。
ちょっと見てもらえん?」
「ようかん?」
「そう。羊羹」
「え、なに、どういうこと?
なんで羊羹が
そんなとこに乗るの?」
「わからんけど。
なんか羊羹が乗っかっとるから。
ちょっと見てくれんかなぁ」
「その羊羹って、どこにあったの?
この部屋にあったの?
母さんが、何かやったの?」
「よくわからんのだけど。
あれ、ほら、羊羹じゃない?
夜中に寝とって
顔にべちゃっと落ちてきたら
嫌だなって思って。
ない? そこに、羊羹。
あの丸いのって何?
羊羹じゃない?」
何を言っているのか、
さっぱりわからなかった。
羊羹・・・?
オレンジの光の輪っかのことか。
それとも、丸い影のことか。
どうして羊羹がここにあって、
さらにはどうやって
照明器具の上に乗っかるのか。
まるでわからず、謎だった。
電気を点けて、調べてみた。
「何もないよ。
大丈夫だから、安心して寝てよ」
「そう?
じゃあ、よかった」
「おやすみ」
「ごめんね、ありがと。おやすみね」
翌日、母に聞いてみた。
「昨日の夜のあれ、何だった?
羊羹って、何だったの?」
「・・・たぶん、ちょっと
ぼけとったと思う。
寝ぼけとったのか、ぼけとったのか。
ようわからんけど、
ちょっとおかしくなっとったんだわ」
「何だったんだろうね、羊羹って」
「ようわからん。
半分、夢見とったのかもしれん。
なんか、そんなのが
あるように思えて」
母と二人、声を上げて笑った。
この夜の一幕を思い出すと、
今でも笑いがこみ上げる。
ぼくは、医者でもなければ、
専門家でもない。
ただ母は、
普通に生活をしている。
笑顔で会話を交わし、
買い物に出かけたり、
食事の支度や掃除をしたり、
お友達とランチ会に出かけたりして、
ごく普通の日常生活を過ごしている。
また別の日に。
母のようすがおかしくなった。
会話がかみ合わない。
何かにあわてているようで、
視線も合わず、
一方的な「話」をくり返す。
そのとき気づいた。
病院へ行く日が、近づいている。
思い返すと、
例の『羊羹の怪』事件の日にも、
病院の話をしていた。
母は、病院が苦手だ。
それを言葉にすることもなく、
無意識に「嫌だな」という
気持ちが開花して、
行動や思考に表出する。
決して言葉には出さない。
病院に行きたくない、とか、
病院は怖いな、とか、
苦手だなとかは言わない。
ただ、頭の中は、
病院のことで
いっぱいになっている。
はっきりとした不満こそ
もらさないが、
カレンダーをちらりと見ながら、
ぼそりとつぶやく。
「もうすぐ病院行かないかんね」
その都度、母はくり返す。
「どうしよう、どうやって行こう」
「大丈夫。ぼくが車で送るから。
帰りも迎えに行くから大丈夫だよ」
このやりとりを、
もう何十回くり返したことか。
こと、病院の話となると、
話が通じなくなる。
それがわかった。
もっと言えば、
おそらく母が「嫌だな」と
思っている事柄に関しては、
聞いた話も覚えておらず、
自分で言ったことも
記憶していない。
当初は戸惑い、困惑したが。
『嫌なこと=スルー』
忍法、受け流しの術。
なるほど。
忘れるのではなく、
おそらく最初から
「受けつけていない」のだろう。
原因というか、
根拠がわかったので、
かなり雲が晴れ晴れとした。
母が病院へ行く理由は、
治療でも診療でもない。
2年前に、
心臓のカテーテル手術をしたため、
病院側が求める
「定期検診」に行くのだ。
「なんでこんな病気に
なったんだろう」
母さんは病気じゃないよ、
心臓は、手術してもう治ったよ、
データの収集とか、検査のためだから、
何の心配もいらないよ、と。
何度説明しても、母はくり返す。
「もう治らんのかなぁ。
なんでこんなことになっちっゃたんだろう。
痛くも苦しくも、何ともなかったのに。
何で手術しなきゃ
いかんかったんだろう」
1年以上、
くり返し伝え続けてきたせいか。
それとも、伝え方が上手くなったのか。
「病気」ではないということは、
少し理解してもらえてきたようだ。
そして最近、
定期検診だということも
理解できたようで、
「そんなんだったら、行きたくない」
と、母がまっすぐ顔を向けた。
「どっちでもいいよ。
母さんが決めればいいことだから」
わかるかわからないかは置いておいて、
ぼくは、行く利点と、行かない難点とを
ゆっくり嚙みくだいて伝えた。
母の中で、いろいろな思いが錯綜する。
表情からも、その葛藤が見て取れた。
病気、怖い。病院、怖い。
行く、怖い。行かない、怖い。
行かない、先生に怒られる。
怒られる、怖い。
これはあくまで想像だが。
おそらく母の頭の中(または胸の中)では、
いろいろな利害がぶつかり合って、
答えをはじきだそうと
懸命に計算しているようだった。
「まぁ、今年は行くわ。
来年からは、もう、やめるかもしれん」
来年になればまた、
同じこと言うかもしれない。
けれど、ひとまず母の中で、
決着がついたようだった。
報告も兼ねて、姉に連絡した。
姉が言った。
「こないだね。
私も歯医者に行ったんだけど、
行くまでがめちゃくちゃ嫌だったから、
お母さんもそうなのかなって。
歯医者ってあんまり
いい思い出なかったから。
でも、早く治療したほうが
大ごとにならないんだよね。
わかってるけど、ってやつ。
習い事のイヤイヤなのとかも
そうだったよね」
たいしたことないような雰囲気を
まわりでつくって接すれば、
母も「笑顔」で
過ごせるんじゃないかと。
本当にそう思う。
自分が子供時代に
けがをしたとき。
「わぁ、大丈夫?!
すっごい血が出てる!
ええっ、いやだぁ!
ねぇ、大丈夫ぅ?!
救急車とか呼んだほうが
いいんじゃない?」
わーわーと騒ぐ人や級友に、
不安が増し、
よけいに怖くなった覚えがある。
まわりの笑顔が、
何よりの安心感を生む。
入院したとき、
上手に接してくれた看護師さん、
お医者さんはみな、
必要以上に騒いだりせず、
やわらかな笑顔をたたえていた。
もちろん、医師たちは
「プロ」だから、
いろいろな知識も対応力もある。
経験に保障された「笑顔」でも
あろだろうが。
少なくとも、
笑顔の効果は周知のはずだ。
笑顔がいちばんの薬。
最近、本当にたくさん
そう思わされる。
***
母が大河ドラマを
観たことを話してくれた。
「昨日のは、本当によかった」
とにかくすごく感動したそうだ。
テレビどころか、
世間にもうといぼくは、
虫食いだらけで間違いだらけの
俳優さんの名前を聞いても、
誰のことかわからず、
顔すら浮かんでこない。
しかも相手は母だ。
内容もあやふやで、
源氏物語が下敷きとなっている
ドラマなのだと知ったところで、
今どういった展開で、
どういう場面だったのかは、
聞いてもよくわからない。
役名ではなく、
虫食いだらけの
俳優さんの名前で語られる
「源氏物語」は、
「△△さんが、きれいだった」
という感想のみで終わった。
「今、どこらへんなの?
どんな場面だった?」
「観たけど覚えとらん」
「けど、感動したんだよね?」
「うん、すごくよかった」
「そうか。じゃあ、よかったね」
何がどうだったかは覚えていなくても、
感動したことは、覚えている。
だったらいいか、とぼくは思った。
心が動いているのだから。
逆のほうが、ちょっと寂しい。
何を観たのか、どういう話だったか、
事細かに覚えているのに、
心が動かなかったことのほうが、
ぼくは悲しい。
感動を忘れることのほうがつらい。
晩ごはんに何を食べたのかは
忘れてしまっても、
おいしかったことは、
しっかり覚えている。
何を話したかは覚えていなくても、
すごく楽しい時間だったことは、
はっきり覚えている。
だったらぼくは、
それでいいと思う。
これも、笑顔の法則だ。
ピピピピ、と、
警告音を鳴らす炊飯器を前に、
母が小さくのけぞった。
「わっ、怒られた。
母さん、怒られてばっかりだわ。
ぼけた人がやっとるもんで。
最近の機械はかしこいねぇ。
こうやってすぐ教えてくれる」
母は、怒られてばかりだった。
機械だけでなく、
生前の父に、怒られてばかりだった。
だから、言えないのだ。
嫌なことを、嫌だと。
ぼくは、聞くようにしている。
母の気持ちを、
言葉に出してしてもらっている。
聞かなければわからないから、
どうしたいかを母に聞いている。
失敗や失態も、
大ごとでなければ、
なるべく笑顔で、
笑い飛ばすようにしている。
作り笑いや愛想笑い、
苦笑いや失笑ではなくて。
声に出して笑っている。
笑っておいたほうが、楽しいから。
どうしたらいいのかがわからない母は、
自分の感情を、鏡写しにする。
目の前の人の反応を見て、
今の状況を推し量る。
それって、もしかすると、
小さな子供と同じじゃないだろうか。
父や母の顔を見て、
これがいいことなのか、
わるいことなのかを読み取り、
判断する。
だとしたら、
よけいな心配で心を煩わせないよう、
笑顔で接したほうがいいだろう。
体のことを思って、
健康を気遣って行くはずの病院が、
かえって母の負担になるのなら。
ちょっとした検査や
健康診断などであれば、
お休みするという選択肢も
ありかもしれない。
病院へ行かなくちゃ、と、
落ち込む母を見ていると、
本当に「病気」になってしまいそうで。
一般論ではなく、
ぼくの母親に関しては、
それもよいかと思ったりした。
もしもぼくが母の立場なら、
きっとそれが嬉しいはずだから。
人生の「折り返し」を
とうにすぎた母なのだから。
ぼくは、
好きにやって欲しいと思う。
やりたいことをやって、
食べたい物を食べて、
嫌なことは嫌だと、
わがままに生きて欲しい。
ぼくはそれを横で見ながら、
ときどき注意したり、
手助けしたり、助言したり、
あくまで「傍観者」として、
母のするままに任せていきたい。
****
1970年代の車に乗っている甥っ子と、
うなずきあって話したことがある。
「古い車に乗ってると、
多少のことでは、
あせったりあわてたり、
しなくなるよね」
トンネル内で停まった話。
ワイパーが止まった話。
エンジンがかからなくなった話など。
不測の事態に直面するたび、
嫌が応にも「成長」させられる。
別にトラブルが好きなわけではない。
けれど、難儀な局面と向き合って、
解決、解消していくたび、
少しずつ見え方が変わっていく。
古い車も、老いた母も、
ぼくにいろいろ教えてくれる。
悩んでも、準備しても、
怒っても、あわてても。
起きるときは起きるし、
なるようにしかならない。
笑顔がいちばん。
よくわからず、
つられて笑う母の笑顔に、
ぼくの笑顔も
さらに大きな笑顔になる。
問題とか、災難とか。
何があったかっていうことを
忘れてしまっても、
笑顔でやり過ごした
ことさえ覚えていれば、
それで充分だ。
また同じことが起こったとしても、
今度こそ本当に笑って、
笑顔で乗り越えられる。
学びや学習、反省は、
母ではなくぼくがすればいい。
老いた母は、
なおもぼくを、育ててくれる。
いつまでたっても母は母だし、
ぼくは子供のままだ。
自分の50歳の誕生日を祝うとき、
母の偉業も一緒に祝った。
『祝50』
ぼくが生まれて50年ということは、
母がぼくを産んでから
50周年の記念でもある。
「産んでくれてありがとう。
50年間、
育ててくれてありがとね。
50歳ってことは、
母さんとの付き合いが
50年ってことだからね」
「50年! そんなになるかね。
まぁ、立派に大きくなって。
・・・あんたが生まれたのは、
朝だったもんで。
おじいさん(母の父)に
病院に送ってもらって、
15分くらいしたら、
ころんって生まれた」
「全然痛くなかった?」
「もう、全然。
あれ、あれ、って言っとるうちに、
ころっと生まれて。
よっぽど生まれてきたかったんだねぇ」
50年前、ぼくは、
この世界に勢いよく飛び出してきたらしい。
昨日観た大河ドラマの内容を忘れる母も、
ぼくを産んだ日のことはずっと覚えている。
50周年のことも、
いつか忘れてしまうかもしれないけれど。
一緒に食べた、おいしいケーキの味は、
いつまでもきっと忘れないだろう。
「何、このイチゴ。
ぴちぴちしとって、おぉいしいねぇ」
ぼくも、忘れない。
エプロンについたアップリケの犬。
真っ白なケーキと母の笑顔。
50年目に見たこの景色を、
ぼくはずっと忘れない。
< 今日の言葉 >
(日付は1カ月まちがえているけれど、
嬉しいことが書かれた母からの書き置き)