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大阪のおじいちゃんは、
梅田の下町で工場を経営していた。
おじいちゃんは、
ぼくが6歳のときに他界した。
大好きだったおじいちゃんとの思い出は
別の記述に任せるとして。
おじいちゃん亡き後も、
工場は、
おばあちゃんを中心として存続した。
父は、工場を継がなかった。
大阪を出て、事業を始めたり、
会社勤めをしたり、会社を立ち上げたり。
とにかく、おじいちゃんの工場を継ぐ道は選ばなかった。
お正月やお盆などの長期休暇は、
大阪のおばあちゃんの家で過ごすのが恒例だったので、
帰省の際、ひまなときなどには、
ちょっとした「内職」を手伝わせてもらった。
バルブのような部品にパッキンをはめて、
中央に赤い丸が記された
透明なプレートをはめ入れて、
ワッシャーのようなリングを締めて固定する。
これが「オイルレベルゲージ」というものになる。
幼きころ、姉といっしょに内職の手伝いをして、
ばあちゃんから
それには見合わないほどの手当(お小遣い)をもらっていた。
いま考えると割のいいバイトだが。
そんなことより、
ものづくりが好きなぼくには、
おじいちゃんの遺した「特許」という部品を
つくるよろこびとたのしさがまさっていた。
大阪のおばあちゃんの家・・・
おじいちゃんが死んでからは
「大阪のおじいちゃんの家」のことを
「大阪のおばあちゃんの家」と呼ぶようになっていた。
小さかった自分には、
最初、そのことに少し抵抗を感じた。
なんだかおじちゃんが「いなくなる」みたいな気がして。
けれどもいつしか、父たちがそう言うように、
「大阪のおばあちゃんの家」という呼び方にも慣れていった。
・・・そんな、大阪のおばあちゃんの家。
家自体(事務所兼母屋)と工場は離れていて、
同じ敷地内であっても、
一度外に出て行き来をする構造だった。
母屋の玄関から、
子供の足で15歩ほど歩けば
工場の入り口に着く。
雨の日でも、
小走りでいけば大丈夫なくらいの距離だ。
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当時、おばあちゃんの家のお風呂は
工場の中にあった。
工場のいちばん奥。
子供の足で40〜50歩くらい。
それほど広大な敷地ではないけれど。
いくつかの部屋に区分けされた工場は、
夜、暗い中を歩いて行くには
じゅうぶん試練に感じる道のりだった。
まだ幼かった姉とふたり、
お風呂に向かうとき。
タオルや着替えを片手に、
もう一方の手で姉の手や腕、
服のすそなどをつかんで、
目を閉じ、懸命について行った記憶もある。
ときに、暗闇の工場を
ひとりで行かなければならない局面がやってくる。
夜の工場は、
最低限の明かりしか灯っていない。
暗い箇所の方がはるかに多い。
幼きぼくにとって、
それはもう「肝だめし」である。
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まず、工場入り口の、
アルミフレームの扉を開ける。
中に入って、右手と正面の、
大きな機械類が並ぶ広々としたエリアを横目に、
左方向へと進む。
少し細い、通路のような場所だ。
突き当たりの手前、左側には、
おばあちゃんの居室とつながる小窓が見える。
夜にはそこから白々とした明かりとテレビの音が、
すりガラス越しにこぼれてくる。
ちょうどそのあたりに、
天井から裸電球が吊り下げられていた。
うっすらこぼれる居室の光と、
裸電球の光。
第一関門は、
入り口からそこまでの暗い道のりだ。
通路の両側を飾る棚には、
いろいろな部品や道具類、
書類やその他のものが箱詰めされ、
整然と並んでいる。
天井近くまで延びた棚は、
いかにも年季の入った、深い飴色をしていて、
そこに並んだ物たちは、
何も言わない代わりに、
ただただじっとぼくを見下ろしているようだった。
昼間はまるでそんなふうには感じないのに。
ほの暗く、微妙な明かりに浮かんだ物たちの陰影は、
なんだかいじわるく、
まがまがしい物に見えて、
目を閉じ、
たのしい唄を大声で歌たいながら、
全速力で走り抜けたいほど怖かった。
その通路の右手には
タイムカードの打刻機があって、
ときどきそいつが、
「ガシャン!」
と、音を立てる。
大した音ではないのかもしれないが。
ただでさえ肩をいからせ、
びくつきながら足を進める家原少年には、
夜のしじまに響くその音が
薪(まき)割りの音ほどに感じ、
そのつど、息を詰まらせたものだった。
短くも、長い通路。
突き当たり、角を右に折れて、次の広間へ。
その部屋の中央には、
卓球の公式戦でもできそうなくらい
大きな作業机が置いてあって、
どうしても部屋のすみを
壁沿いに歩かなければならない。
部屋を抜けるには、
ちょうど対角、入った方と反対側へと進むのだが。
なんだかひどく、
遠回りをさせられているように感じた。
左手に進んで右に折れる、Aコース。
右手に進んで左に折れる、Bコース。
道が決まるまでは、
何度かAコースとBコースとを行き比べて、
どちらが「有利」か思案してみた。
姉とふたり、「競争」もしてみた。
が、結局、気持ちのうえの問題でしかなく、
どちらが近い、早い、というわけでもなかった。
ということで、
最終的にAコースに落ち着いた。
その先に、お風呂があった。
ようやくとも思えるお風呂エリア。
昼間には難なく工場の奥まで歩いてきて、
裏口から外に出て、
建物にはさまれた狭い路地を進んで表通りに抜けて。
タコ公園(巨大なタコの造形物=遊具がある公園)や
お菓子屋さんへの「近道」に使っていたものだが。
夜になると、長く、遠く、険しい道のりに感じた。
いっそお風呂に入るのをやめようかな、
と思うことも何度かあった。
お風呂の手前、入り口横には、
キッチンのシンクが設置してあって、
ガス給湯器がついていた。
あるべき場所に、ガスコンロもあった。
右手には男性用、女性用のトイレがそれぞれある。
お風呂のある空間には、
背の高い縦長のロッカーなどもあったので、
キッチンのシンクのすみに
歯みがき粉や歯ブラシが置かれていても、
不自然さは感じなかった。
ぼくらがばあちゃんの家に行くのは、
たいてい「お休み」のときだ。
ふだん、従業員の人たちが、
洗面所代わりに使っているのだと。
何の疑問も持たず、そう思っていた。
そう。
何の疑問も持たず、
そう思い込んでいた。
けれども。
やがてその「事実」が、
「事実」ではなくなった。
★ ★
ある日、ひとり、
母屋の2階の窓から、
何の気なしに景色を眺めていた。
窓から見えるのは、
ビルや建物が密集した景色と空と電線と、
眼下に広がる灰色の屋根。
2階の窓より下に見える灰色の屋根の横には、
木枠の窓があった。
そこには、誰か人が住んでいるようだった。
ときどき窓辺に洗濯物が干してあったり、
窓が少し空いていて、
中のようすがほんの少しだけうかがえることがあった。
とはいえ、床の畳や赤いテレビが見える、
といった程度だったが。
とにかく、
すぐ近くの、隣家を含めたその風景は、
さして不思議な景色でもなかった。
昼下がり。
落ち着きがなく、
怖がりなくせに冒険好きな家原少年は、
工場の「探索」に出かけた。
夜には漆黒の森のように感じる工場も、
昼間には、まるで遊園地に見える。
ボール盤や旋盤、
見たこともない機械や計器類、
スパナやドライバー。
古めかしい道具や工具、
事務椅子や手製の台座や棚。
そのほか、名前も知らないような物たちが
所狭しと並んでいる。
昼間の工場は、おもちゃ売り場さながら、
わくわくするものでいっぱいだった。
夜には怖ろしいばかりの通路を抜け、
大きな作業机のある部屋へ出る。
広々とした机の天板に、
意味なく手のひらをするん、とすべらせてみたり。
柱のにおいを、くんくん嗅いでみたり。
その場に立ち止まって、
壁や天井を見てみたり。
そんなふうに五感を遊ばせていると、
奥の方から、うっすら、音が漏れ聞こえてきた。
どうやら、テレビの音らしい。
ばあちゃんの部屋からではない。
ばあちゃんは出かけていて、いない。
地面より1段高くなった、
板敷きの「小上がり」。
そこから天井に向かって延びる、
深い、飴色の木でできた階段。
手すりのない、ほんの4段ほどの短い階段だが。
その先は、木の板の「天井」があって、行き止まり。
テレビの音は、
行き止まりのはずの、その奥から聞こえてくる。
「このかいだんなに?」
と聞いたとき、ばあちゃんから、
「上、行ったらあかんで」
と、きつく釘を刺されていた。
そのせいで、
どこか意識の外に追いやられていた階段の存在。
階段の先には、
物を置くための倉庫があるのだと。
勝手に思っていたのか、
それともそう言い含められていたのか。
天井裏から聞こえる、テレビの音。
「見えなかった」階段が、
視野の中で色づいた。
ひとり、うなずき。
息を殺して、階段をのぼる。
一歩一歩、おそるおそる。
テレビの音が近く、鮮明になる。
それを邪魔するかのように、
心臓の音が、
耳の奥で鳴り響く。
3段目から手を伸ばし、
音を立てないよう、
天井にはまった木の板をそっと持ち上げる。
何の抵抗もなく、板は、するりと動いた。
明るい光が、すうっと広がる。
テレビの音がすぐそばに聞こえた。
薄暗がりの中を切り取ってできた、
天井の「穴」。
天井のはずの板の向こうに、また別の天井が見えた。
そこに、電灯が下がっている。
ぼくは、
写真のようにじっとした風景を、
固唾を飲んで見守った。
手足は階段の上そのままに、
かすかに体をずらして、
さらに奥をうかがってみる。
白い、半袖のシャツを着た、人の影。
広い襟ぐりの、下着シャツ。
男性の姿が、ふわりと見えた。
テレビの前に座った、
男性の、横姿。
ほんの数秒間だったと思う。
ぼくの目は、
そのままじっと男性の姿を映していた。
江戸川乱歩が好きだった家原少年は、
少年探偵団シリーズに出てくるあやしげな怪人たち、
屋根裏の住人の姿などを想像するでもなく、
脳裏にぐるぐると思い描かずにはいられなかった。
永遠とも思える、束の間の静寂。
想像すらしていなかった、
屋根裏の住人。
むっくり、と、
その人影が、
こちらに動いた。
顔は、見えなかった。
正確には、鼻から上が、見えなかった。
まるで映画か漫画の描写のように。
天井の板に隠れて、
顔の、上半分が見えなかった。
顔の主は何も言わず、
そのまま立ち上がりかけた。
その動きは、
すごく緩慢で、
すごくゆっくりに感じた。
石のように固まっていたぼくは、
ようやく生身にかえった。
縫いつけられていた目線を引き剥がし、
あわててその場を離れた。
天井の板をどうしたとか、
どの順路で工場をあとにしたとか、
細かなことはまったく覚えていないが。
とにかく、
逃げるように母屋へ走った。
2階へ駆け上がる。
母がいた。
興奮気味に、
いましがた自分が見たことを
ぜんぶ話した。
てんでばらばらな言葉を並べただけの、
それでいて必死さは伝わる、
そんな拙い説明だったにちがいない。
終始、神妙な顔つきで聞いていた母だったが。
やがては表情をゆるめ、
少し笑って、話しはじめた。
事情はこうだった。
昔、おじいちゃんがまだ若くて、
会社を立ち上げたばかりのころ。
戦争で知り合ったのだったか、
自分の隊にいたのだったか。
たしかそんな感じで、
身寄りのない男性を引き受けた。
以来、男性は住み込みで働いていて、
おじいちゃん亡きあとも工場に勤めていた。
男性の住まい、
それが工場の「2階」。
つまり、4段階段の先にある、
屋根裏部屋だった。
帰省するあてのない男性は、
お盆休み、ずっとそこにいた。
静かに、テレビを見たりして、
ひっそり生活していた。
おじいちゃんへの恩が返したい。
そう言って、
おじいちゃんが死んだあとも
生活に必要な分以外、
ほとんど給料も受け取らず、
ずっと住み込みで働いているのだそうだ。
ときどき、
洗面場の歯ブラシが濡れていたのも、
ガスコンロの上のやかんが動いていたのも、
その男性が生活していたせいだった、と。
屋根裏の住人は、
怪しき散歩者でもなければ、
ましてや怪人二十面相でもお化けでもなかった・・・と。
母から事情を聞いて、
ようやくその事実を知った。
おばあちゃんは、
子どものぼくらに、
ややこしい事情を説明するのをきらって、
その事実を伏せていたのだった。
いたずら小僧のぼくには、特に。
もう!
よけいややこしくなるじゃん!
事情を聞いてみれば、
いろいろなことが腑(ふ)に落ちて、
何の不思議も謎もなくなった。
恐怖も怯えも消えた代わりに、
いままでずっとそこに人が住んでいたのだ、
という「新事実」に、
少なからず驚きを覚えた。
母屋の2階の窓から見える景色。
眼下に見えるその灰色の屋根が、
おじいちゃんの工場の屋根とは思ってもいなかった。
そこに干された
白いシャツや下着などの洗濯物が、
工場の2階に住む人のものだとは、
想像すらしていなかった。
まさか、
工場の2階に人が住んでいるとは。
夢想すらしなかった。
おじいちゃんが立ち上げた工場は、
現在でも、親戚が運営している。
屋根裏の住人のことも、
その部屋の存在も、
いま、どうなっているのか。
おばあちゃんが死んでからは、
行くきっかけがなくなった「おじいちゃんの工場」。
もし、いつかたしかめる機会があったら。
工場の2階、
屋根裏部屋がどうなっているのか、
それを見てみたい。
ぼくの目には、
いまでも焼きついている。
逆光の中、
のっそりと動く、
白いシャツの男性の姿が。
顔の上半分は、黒く、
影になって見えないままだ。
それでも、けっして怖い思い出ではなく、
何だかやさしくて、やわらかい思い出として。
ぼくの目の奥に、
くっきり焼きついている。
< 今日の言葉 >
「お酒で辛(から)いお酒のことって何ていうの?
3文字で、まんなかの文字は『ラ』なんだけど」
「『カライ』じゃない?」
「そうだよねぇ、カライでいいんだよねぇ」
(クロスワードに挑む母が、回答が分からず聞いてきたので、
かるくボケてみたら真に受けて納得されてしまったときのやりとり。
・・・・正解は『ドライ』)