2016/12/26

なりたかったもの









幼少期になりたかったもの。

それを叶えた人はどれくらいいるのだろう。


夢ばかり見て、夢見がちで、

夢みたいなことばかり思い描いて、

夢みたいなことを追いかける。


そんな「夢みたいなこと」を具現化している人は、

どれくらいいるのだろう。









小学生のころ、なりたかったもの。


まずひとつは「忍者」だ。


小学2年生ごろ。

母親に買ってもらった

『学研まんが/忍術・手品のひみつ』を読んで、

いとも簡単に忍者の虜(とりこ)になった。


当時、テレビで

『忍者ハットリくん』こそ放映されていたが。

取り立てて「忍者ブーム」だったわけでもない。


だから、周りで忍者を目指す「同志」もいなかった。


小学校低学年のころは、

ひとりで遊ぶ時間も多かった。

家の近所に同級生がいなかった、ということもあるが。


もともと、ひとりで遊びを見つけて、

ひとりで遊ぶのがきらいではなかった。



忍者の入門書『忍術・手品のひみつ』を読んで。

家原少年は、

すぐさま「修行」をはじめようと思い至った。


そのまえに、まず忍者の「服」が必要だ。

何でも形(格好)から入るのが、

家原少年の常だった。


ということで、

さっそく母親にお願いして、

黒い「袴(はかま)」をつくってもらった。


生地は厚手の黒い綿。

ウエストと裾がゴムで絞ってある。


いまにして思えば、それは袴というより、

「もんぺ」のような代物だった。


それでも、特別仕立て(オーダーメイド)の

「もんぺ袴」は具合がよく、

できたばかりのそれを履いたとき、

もうすでに自分が

忍者になれたような気分で舞い上がった。


上衣(うわぎ)は既製品で、

黒いワイシャツのようなものだった気がする。


頭巾(ずきん)は、試行錯誤のうえ、

黒い風呂敷で口もとを覆い、

その上からもう1枚の黒い風呂敷を

「ほっかむり」状態でかぶる形で落ち着いた。


おそらく、もこもことかさばり、

不格好でいびつな仕上りだっただろうが。

全身「忍者着」で身を包んだ家原少年は、

大満足で大興奮なのであった。



衣装が整い、いざ修行がはじまった。


忍者は、音もなく、すばやく走り、高く跳ぶ。


『忍術・手品のひみつ』には、

脚力を鍛えるための修行方法が

いくつか書かれていた。



走力を鍛えるため、長い布を腰につけ、

その先端が地面にふれないようにして走る、

というもの。


本には「何尺(何メートル)」と書かれていたが。

とにかく「長い布を用意すればよいのだな」と思い、

またしても母親に言って、

いらない帯状の布(たしか着物か浴衣の帯だった)を頂戴し、

それを腰に巻き、

もう一方の先端が地面につかないよう、

家の前の道路をけんめいに走り回った。


桃色の帯をひきずって駆け回る

黒ずくめの家原少年を見て、

近所の人が「何してるの?」と、

心配そうに尋ねた。


「にんじゃのしゅぎょう」


とだけ答えると、

「ふうん」と

納得したようなしてないような顔つきで

しばらく走り回る姿を見守ったあと、

静かに去っていった。


長い桃色の帯。

なかなか先端までが浮いてこない。


そこで、急な坂を全速力で、思いっきり駆け抜けた。


先端がふわりと浮いて、

風になびく。


「よし、つかないようになったぞ」


安易な家原少年は、

もうこれでよし、とばかりに、

すぐさま次の修行に移った。



室内に戻った家原少年は、

畳の部屋いっぱいに、何枚もの書道用半紙を並べた。

本には「ぬれた半紙を並べて、

やぶらないようにしてその上を歩く」と

書いてあったのだが。

さすがにそれは、

懐の深いわが母親でも首を縦にはふらなかった。


しかたなく、ということで、

かわいた(というか、そのままの)書道用半紙を和室に並べ、

そのうえをすさささっ、と走り回った。


これは、すばやく機敏に、

足音を立てず軽やかに動くための修行だった。


走った勢いで巻き起こる風に、

書道用半紙がふわり宙を舞う。


それでも半紙の上を走り回り、

和室をぐるぐる2、3周する。



「よし、やぶれないぞ」


と、またもや「軽々と」

修行を満了した気持ちでいっぱいの家原少年は、

満足げにうなずき、

すぐさま次の修行に移ったのでありました。



次の修行は「跳躍力」の鍛錬。


庭などに麻(あさ)の木を植えて、

それを毎日飛び越えているうちに、

自然と跳躍力がついていく、というものだった。


庭に、木はあった。

けれども麻の木があるかどうか。

それは分からない。


さっそく母親に聞いてみると、


「麻の木なんてない」


と言われたので、


「じゃあ、うえて」


と言うと、


「麻は植えちゃだめな木だから、ない」


と言われた。


「なんで、どうして、うえてよ」

とくり返す家原少年に、

とうとう母親は「法律だから」という、

なんだかむずかしく、

そして越えられない高い壁のような語句を出した。


よく見ると、

忍術の手引書であるその本にも、


「日本では禁止されています」


というような注釈が書かれていた。


しかたなくあきらめた家原少年は、

庭にある木を跳び越えた。


まずは低い木からはじめ、

だんだん高くなるよう

いい具合の序列で木を見つけて、

徐々に跳ぶ高さを高くしていった。


両方のかかとをくっつけて、

両足をそろえて助走なく跳ぶ。


最初はそれで軽々跳べた。


けれどもだんだん、

両足をそろえては跳べなくなった。


そしてどんどん、

助走なしには越えられなくなった。


自分の身長くらいの木を跳び越えようとしたとき、

ついには木の先端がお尻をなでて、

ほとんどまたぎこすような格好になった。


限界を悟ったのか、

そのとき、家原少年はこう思った。


「よし、今日はこのへんでいいだろう」



こんな具合に。

ひとつの課程を「修了」した家原少年は、

また次の課程へと移行した。



手裏剣投げの練習。


まずは、五寸くぎなどを拾い集め、

先端を石で叩いてつぶして「剣状」にする。

レンガに水をかけて、

尖らせた先端を研いでいく。

これは、父が教えてくれた「知恵」だった。


そうしてつくった「手裏剣」を、

樹木の的(まと)に向かって投げる。


樹木に貼った的には、人間の姿が描いてあって、

いわゆる「急所」目がけて五寸くぎ手裏剣を投げていく。


樹木の生い茂る雑木林。

人目につかないような場所だったので、

声をかけられることはなかったが。

それはそれで、むしろ危険な香りがする。


黒ずくめの少年が、

樹木に貼った人形(ひとがた)の的に向かって、

一心不乱に、平たく先の尖ったくぎを

投げつづけるそのさまは、

見たとき、その目を疑うはずだ。


ほほえましさより、

狂気を感じる。


よかった、誰にも見られなくって。



夜にはお風呂のなかで、

息を止めてしばらく身をひそめる「修行」をした。


「まきびし」づくりや、

ふすまを開けられないようにする「かすがい」づくり、

合い言葉の練習など。

できることは全部やった。


日々のなかでも、

足音を立てずに歩いたり、

ふわりと静かに塀に跳び乗り、

跳びおりても音を立てないようにしたりと、

常に「自分が忍者であることを意識して」生活した。



余談だが、

その『忍術・手品のひみつ』にあった挿話で、

「穴九右衛門」とあだ名された忍者の話が印象的だった。


穴九右衛門は、ある日、

敵をしとめるため城に潜入した。

敵である相手のようすをうかがいながら、

天井裏に潜んでいたとき。

気配に気づいた相手が、

天井に向かって槍(やり)を突き立てた。

槍の切先(きっさき)は、

穴九右衛門の眉間をとらえた。

が、致命傷に至る深さではなかった。


そのとき穴九右衛門は、

声も上げず、

切先についた自分の血をそっとぬぐい、

槍が退くのをじっと見守った。


「おかしいな。

 たしかに手ごたえはあったのに。

 気のせいかな」


と首をかしげる相手。


敵に悟られることなく

無事、窮地(きゅうち)を切り抜けた穴九右衛門は、

その夜、見事 敵をしとめた・・・という話。


そのエピソードは、

子ども心に、かなり衝撃的だった。


そのとき負った眉間の傷(穴)が

穴九右衛門」というあだ名の由来らしい。


穴九右衛門。


もっといいネーミングはなかったのか、

とも思いつつ。


とにかく「すごい」と痛烈に思った。




その「忍者修行」が幾日つづいたのか。

数日間だったのか。

はたまた数カ月だったのか。


それは覚えていない。



探偵入門を読んで、

探偵の「修行」をはじめたのは、

それよりあとだった、ということは覚えている。



手のひらにおさまるほど短く削ったえんぴつを手に、

手はポケットに入れたまま、

手元も紙も見ずに文字を書く練習を重ねて。


公衆電話で電話をする

見ず知らずの人がかけた番号を、

手の動きから読み取り、

ポケットのなかで書き取る。


そしてその番号にかけて、

相手の名前を探る。


・・・いまにして思えば、

かなり「いけない」ことをやっていたのかもしれない。


けれどもそのときは、

自分が「探偵」になった気満々で、

依頼主のいない「勝手な尾行」などを遂行していた。



「尾行する相手とは、同じ車両に乗らない」

「尾行中、相手の姿を見るときは、
 直接ではなくガラスに映った姿を見る」

「歩くときは、車道をはさんだ反対側を歩く」


など。

本で得た知識を実践したいがために、

全然知らない人を勝手に尾行して、

勝手に「探偵」していた。


さすがにずうっとついていくのは気が引けて、

すぐに相手を変え、尾行や観察をくり返した。


その「探偵」の時期がどれだけつづいたのか。

長かったのか、それとも一瞬だったのか。


それも覚えていない。





★ ★




小学校の高学年になって。

部活もはじまり、

友人たちとも頻繁に遊ぶようになった。


少しだけ成長したのか。


なりたいものの夢は、

少しばかり現実味を帯びはじめた。



小学4年生。

サッカー部の練習の合間に、

ゴールネットの裏で、

友人たちと話した「将来の夢」。


漫画家。スタントマン。

サッカー選手。

玩具会社の社長。



そのときの家原少年は、

将来の夢を、友人たちと共有していた。


「いっしょにマンガ家になりたいね」

「いっしょに映画に出たいね」



玩具会社の社長、というのは、

ひとりの友人が語った夢で、


「しょうらい、おもちゃ会社に入って、
 超合金をつくるひとになりたい」


と言っていた。



そのころ家原少年には、

将来の夢などまだ、

夢のようなものだった。


いろいろあるなかのひとつ。


自分ひとりの、自分だけの夢で、


「画家になりたい」


とも思っていた。





小学6年生。


家原少年の「なりたいもの」に、

コピーライターが加わった。


ちょっと大きめの書店で、

CMばかりが載っている月刊誌を買って、

ああでもない、こうでもない画(え)を思い浮かべた。



中学生になって。

美術の先生になりたいと思った。

中学校1年生のときの

美術の先生の姿が格好よかったからだ。



高校生になって、

芸術作品をつくる人になりたいと思った。





いつでもずうっと。


なりたい、と思うわりに、

どうやったらなれるのか、

そのことに考えは至らなかった。


なりたい、と思うばかりで、

自らなろうともせず、

自然になれるものだと思っていた。




大人、といわれる年齢になって。


コピーライターの仕事もさせてもらった。


学校の先生の仕事もさせてもらった。



やりたいこととと、

やってみたいこと。

そして、やりつづけたいこと。


分からないから、ふれてみた。

分からないから、掘ってみた。


やってみないと分からないから。

思ったもの全部、やってみた。



もしかすると、


ずっと「ごっこ」だったのかもしれないが。


いつでも本気で「ごっこ」をしてきた。




はたして家原少年の夢は、

叶ったのでしょうか。



画家か、忍者か、探偵か。


派手な柄の好きな忍者は、

隠密(おんみつ)にも探偵にも向かないのでしょうか。


色や模様にあふれる世界なら、

家原忍者の姿も溶けるはず。


そんな世界を目指して、

家原忍者は今日も、

色や模様を描いています。


う〜ん、いいこと言うトピア(理想郷)。




ちょうど時間となりましたァ〜

ちょっとひと息〜、ねがいますぅ〜

また講演、つかまァつるゥ〜。



では、よいお年を!



< 今日の言葉 >


「ヤミ米かっ!」という合の手に対し、

「一升瓶で突いてどうすんのっ!」と返してくれる

やさしいパートナーを募集中です。


(『イエハラ・ノーツ2016より』)