※スクーリーンの映像はハメコミ画像です。 |
よく晴れた、
ある日曜日のことです。
ぼくは、電車とバスに乗って、
美術館に行きました。
11時の約束に間に合うよう、
10時26分のバスに乗ろう思い、
駅前のバス停に早めに着いて待っていたのですが、
8分遅れということで、
約束に間に合うかどうかひやひやしていました。
けれどもたぶん大丈夫だと思い、
バスが来るのを持っていました。
バス停には、
少しけだるそうな女性が立っていました。
外はすごく暑いのに、
長袖のパーカーを着ていました。
するとそこに、
顔立ちのはっきりした女性が近より、
長袖の女性に話しかけました。
言葉は日本語ではありませんでした。
どうやらふたりの女性は、
フィリピン系の人のようでした。
その女性たちは知り合いらしく、
偶然の出会いをよろこんだあと、
しばらく早口でおしゃべりしていました。
道の向かい側に何台目かのバスが来たとき、
長袖の女性があわてて走りだし、
幅の広い大きな道のまんなかを渡っていきました。
けれどもそのバスは発車してしまい、
走って追いかけましたが、
長袖の女性はバスには乗れませんでした。
信号待ちで停まったバスの横をうろうろとしていたのですが、
女性がそのバスに乗ることはありませんでした。
辺りをきょろきょろと見渡したあと、
バス停に戻った女性は、
バス停でバスを待つ人にメモのような紙を見せながら、
何か聞いているふうでした。
最初、年輩の女性に話しかけたのですが、
近くにいた若い人たちもその女性の周りに集まりはじめ、
気づくとちょっとした人の輪ができていました。
そのなかの若い男女が、
バス停を見ながら、けんめいに調べて、
女性にいろいろと説明したようすでした。
女性は、男女がそばをはなれると、
バス停のはじに立って、
くるべきバスを待っている感じでした。
それでもまだ不安そうなその女性は、
バス停の前にしゃがみこみ、
ずっと案内表示を見ていました。
そこで、道をはさんだこちら側に、
ぼくの行き先のバスが着たので、
ぼくはバスに乗り込みました。
ぼくのあとから、背の高い欧米系の男性が、
小学校低学年くらいの男の子といっしょに乗ってきました。
発音のいい英語で話すその親子は、
バスのなかでたのしそうに話していました。
ぼくは、乗ったことのないバスの風景を、
どこか外国の景色のように感じていました。
「Next stop, KAGAKUKAN」
というお父さんの声が聞こえ、
バスが停まると、
その親子は、美術館のひとつまえの、
科学館でおりました。
おりるとき、お父さんは、
カードを「ピッ」とタッチして、
バスからおりていきました。
すると男の子が声を上げ、
「Papa! Mine!」
と言いました。
お父さんはちょっとあわてて戻ってきて、
「Sorry」と男の子にあやまってから、
男の子の分の料金を「ピッ」と支払いました。
親子がおりたあと、
男の子が車道にはみ出しそうになるのを、
背の高いお父さんの長い手が、
肩を抱くようにして男の子を引き寄せるようすが
バスのなかから見えました。
親子が向かった先の科学館には、
たくさんの人と車の姿が見えました。
バスが発車して、
1分もしないうちに、
ぼくのおりるべき『美術館前』に着きました。
おりたら外は太陽がぎらぎらで、
すごく暑いと思いました。
入口のガラス窓には、
日を浴びたぼくの姿がくっきりと映っています。
それを見て気づいたぼくは、
サングラスをはずして、
約束の美術館へと入っていきました。
★
約束の11時に間に合いました。
約束の段階で、
待ち人は少し遅れてくると聞いていたので、
館内で「関係者」らしき人を探すべく歩いていると、
受付に、制服を着た学生さんたちの姿がありました。
「今日、講評に来た者ですけど」
と切り出すと、ややあってから、
ひとりの女性がやってきました。
その方は、初めてお会いする女性でしたが、
受付の学生さんたちの高校の、
美術部の先生らしく、
ぼくを迎え、今日の段取りを説明してくださいました。
今日の約束の内容について、
11時に美術館、ということと、
学生さんたちの作品の講評をしてほしい、
ということしか分かっていなかったぼくは、
その女性から説明を受けて初めて、
今日の「講評会」の内容を知ったわけです。
けれども、別に問題はありません。
それで、いいのです。
そのほうが、たのしめるからです。
講評会、と聞いて、
ぼくは、作品の前に立って、
先生や生徒さんたち数人に囲まれながら
ぽつぽつと話すものだと思っていたのですが。
実際は、
ちょっとした会場で、
壇上に立って、マイクを手に、
体験談などを織り交ぜながら、
90分間いろいろとお話しする、
というものでした。
「お客さんが全然来なかったら、
それはそれでちょっとさみしいですね」
そう言うぼくに、顧問の女性は、
「それはたぶん、大丈夫だと思いますよ」
と、気休めとかではなく、
裏づけのあるような感じで言いました。
講評をする高校生の作品が、
一校ではなく、
県下18校からの高校生の作品だということも、
そのとき初めて知りました。
もしかすると、
すべてきっちり説明していただいていたのかもしれませんが、
ぼくのあたまには、
少しも記憶されていませんでした。
館内に展示された作品の数は200点以上。
そのなかから20点、
講評のための作品を選んでほしいとのことで、
ぼくは全部を観て回り、
20作品を選ばせてもらいました。
『平成28年度 高等学校 美術展』
冊子を見ると、
そのしっかりとした感じが伝わってきます。
表紙には『講師 家原利明先生』と書かれていて、
『於 ハイビジョンホール(講堂)』とありました。
「ハイビジョンホール? 講堂? どういうこと?」
その疑問に答えるかのように、
そのまま講演会の会場である
「ハイビジョンホール」へと案内していただいて、
思わずぼくは、吹き出しそうになりました。
なぜならそこは、
ちょっとした映画館くらいの広さがあり、
舞台も、スクリーンも、
すごく立派なものだったからです。
ぼくは、こみ上げる笑いを飲み込んで、
それでもじわじわ苦笑いしつつ、
思ったままを、声には出さず言葉にしました。
「ここでやるのか、講評会って」
それでも、驚きとは裏腹に、
なんだかわくわくして、
うれしいような、たのしいような、
心が躍るような気持ちになりました。
たぶんそれは、
事前に詳しく聞いていたからではなく、
「いきなり」だったからこそのものかもしれません。
とにかく、少し笑みを浮かべたぼくは、
ハイビジョンホールをあとにして、
また館内へと戻りました。
経歴をはじめ、
自分の作品や展覧会のようすの画像。
それらを事前に送っていたのですが、
自己紹介に使うとしても、
「どこでどうやって使うのだろう」
と思い、
てっきり身辺調査的な役目の「資料」とばかりに
考えていたのですが。
その使い道が、
ようやく分かりました。
「あのスクリーンに映し出すのだな」
ばかなぼくでも、
それは聞かずとも分かったことです。
待ち人である、美術高校の先生がいらして。
お昼ごはんを食べながら、
講評会の段取りや流れの打合せをしました。
本当に、ぼく以外の方々が
しっかり段取りしてくれているからこそ、
こうしてのんきにいられるわけです。
講演会の時間が迫って。
座席ばかりがずらりと並んだホールに、
白い夏服を着た高校生たちの姿がどしどしと集まり、
やがては会場を埋め尽くしました。
その数、目測でざっと200名前後。
そこに、各学校の先生方も加わります。
そうです。
作品数にほど近い高校生男女と、先生方が、
今日の講演会の「観衆」だった、というわけです。
またしても笑いがこみ上げてきたぼくは、
いかんいかん、と、表情をつくり直し、
舞台わきの座席に座って、
講評会の開始をじっと待っていました。
係の女子生徒さんのアナウンスを皮切りに、
講演会が、始まりました。
進行を務めてくださる先生に従い、
壇上へと上がるぼく。
自己紹介、作品講評、質疑応答と進んで行き、
気づくとあっという間の90分がすぎていきました。
笑いこそたくさんは取れなかったものの、
ちらほらと失笑は獲得できた講演会。
はたして「お客さま」の手ごたえはどうだったのか。
収穫は、あったのか。
栄養に、なったのか。
助言、助力になったのか。
発見は、あったのか。
数人の生徒さんたちとは、
個別に言葉を交わしたりできましたが。
たしかな手ごたえは、分かりませんでした。
ぼくのほうが得たもの、感じたものは、
すごくたくさんあります。
いい天気の日曜日。
学校行事とはいえ、
貴重な時間を使って集まってくれたみんなに、
手ごたえは、あったのでしょうか。
何か、ほんの少しでも、
あげられたのかどうか。
そんなことを考えつつ、美術館をあとにしました。
外は来たときよりも暑く、
ぎらぎらと太陽が照りつけて、
地面にはぼくの歩く影がくっきりと刻まれていました。
後日、
今回の講演会にたずさわった先生方から、
感想をいただきました。
感想を聞いて、
ぼくは少し、安心しました。
ぼくだけひとりがたのしんだわけじゃない。
そのことが分かって、
少しほっとして、うれしく思いました。
ある晴れた、昼下がり。
市場へとつづく道を、
仔牛を乗せた荷馬車が揺れるのを想像しながら、
美術館前の石畳を、
「ドナドナドーナ、ド〜ナー」
と唄いながら歩いた日曜日。
いろいろな時間の流れと価値観の中で。
「正解」を出せたかどうかは分からないけれど、
うそなく、まっすぐに「こたえ」を出せた、
そんな気がしています。
< 今日の言葉 >
語尾に「〜アルヨ」とつけたとき、
「おっ、出たな。なぞの中国人」と、
ちゃんと乗ってくれる人が理想のタイプです。
(理想のタイプを聞かれた場合にそなえての言葉)