2014/01/14

新年の授業










ご存知の方もいらっしゃるでしょうが。

私、家原は、非常勤講師として週に2、3回、

学校へ行っております。



授業といっても、

ぼくはただそこにいるだけで、

みんなの話を聞いてそれにうなずいたり、

質問されて答えたりしていることがほとんどだ。


教えることよりも、教わることのほうが多い。


いや、本当に。

生徒のみんなには、

毎回、教わってばかりだ。


いつも「もらって」ばかりで、

すごく感謝している。




おたがいの、文化の交換。


音楽や本や映画など、

おたがいが「いい」と思うものを貸し借りしたり。


くだらない思いつきを話して笑って、

おたがいの「世界観」を共有したり。


おいしいと思うものを伝えて、

おたがいその味を確かめてみたり。



1対1の、直接的なやり取り。



「先生」と「生徒」の関係だと、

「1」対「複数」だけれど。



人と人とは1対1で、

縦ではなく、横での1対1がたくさん集まって、

ひとつの大きな関係性ができるからおもしろい。



そのときにしか起こらない、

そのときだけの出来事。


そんな「偶然」をたのしめる環境が、

学校という場所にはたくさんある。





目に見えないもの。

形のないもの。

名前のつけられないもの。



生徒から「もらう」ものはいろいろだけれど。

ときには、形のあるもの、

つまり「物質的なもの」をもらうこともある。




新年の授業。

ひとりの生徒が、ぼくに牛乳瓶をくれた。



「まると牛乳」



富山県砺波市にある牛乳工場で、

年末年始に実家へ帰った際、

わざわざ生徒が買ってきてくれたのだ。



さかのぼること1年ほど前。


「お正月、実家に帰るなら『まると牛乳』買ってきてよ」


富山出身の生徒に、

ぼくは「お願い」した。


何の得もなく、

何の見返りも期待できない、

たんなる「お願い」。


そんなぼくの(わがままな)お願いを、

生徒が、1年ごしでかなえてくれたわけである。



正直、物質以上にうれしくて、

実寸以上にありがたく思った。










まると牛乳の牛乳瓶。

白牛乳の瓶3本、コーヒー牛乳の瓶1本。


ていねいにくるまれた包装紙を開けると、

うち白1本、コーヒー1本に、

牛乳キャップと帯封ビニールがついていた。

















12月29日。

その日は朝から雪が降っていた。


お父さまの運転する車には、

助手席に弟、後部座席に生徒が座っている。


生徒が家族に牛乳瓶の話をしたとき、


「牛乳瓶・・・・?
 やっぱり、そういうとこの学校の先生は変わってるなぁ」


と、不思議がったお父さまであったが。

いざ、牛乳瓶探しとなったとき、

自ら率先して動いてくれたと生徒に聞いた。



本当に。

申し訳ないやら恥ずかしいやら。

何より感謝の思いでいっぱいであります。



雪の降る年末の日。

生徒を乗せたお父さまの車は、

まず、近所のスーパーマーケットへと向かったそうだ。


ない。


紙パックの「まると牛乳」はあったけれど、

瓶牛乳は置いてなかった。


いろいろ探しまわるも見つからず、

銭湯などを覗いてみようかとも考えたが、

生徒のお父さまは直接、工場へと問い合わせることにした。


電話口で分かったこと。

瓶牛乳は宅配が中心で、

店売りはしていない、ということ。


ならば、ということで、

その足で直接、車を工場へと走らせた。



工場の門前で車を停めて。

車を降りたお父さまは、雪の降るなか

事務所のほうへと足を進めた。


しばしのあと、

事務所の中から女性職員の姿が現れて、

工場のほうへと消えていった。


そのまた少しあと、

長靴を履いた作業服姿の男性が

事務所の中から出てきて、

工場の中へと入っていった。


しばらくして、

その作業服姿の男性が、

瓶牛乳を手にして工場の中から戻ってきた。

そして、お父さまの待つ事務所に入っていった。


雪の降るなか、

出たり入ったりをくり返す人びと。



後部座席に座った生徒は、

停車する車の中からその一部始終をじっと見ていた。


助手席に座った弟もおなじく、

その風景をじっと見ていた。



ほどなくして、お父さまが事務所から出てきた。

手には瓶牛乳をかかえている。

白牛乳3本、コーヒー牛乳1本。


念のために、ということで、

お父さまがよぶんに買ってきてくれたそうだ。


運転席に、お父さまが戻ってくる。

冷えた4本の瓶牛乳を手渡された弟は、


「ぼくコーヒーね」


と、すかさず言った。


別にコーヒー好きでも牛乳好きでもないのに。

なぜだかそのときはうれしそうに、

いきおいよく宣言する弟を不思議に思ったと、

生徒が回想しながらそう言っていた。


「飲んだら洗っておいてよ」


生徒が弟に言った。



後日。

キッチンにならんだ牛乳瓶

おそらく、お母さまがきれいに洗ってくれたのだろう。

うち2本には、

牛乳キャップと帯封ビニールがついている。


「もしかすると、ビニールもいるのかもしれない」


そう思ったお父さまが、

瓶の口にキャップを戻し、ビニールをかぶせたそうだ。



本当に、聞けば聞くほど申し訳ないやら恥ずかしいやらで。

とにかく感謝し切りであります。



お父さまの気づかい、

ぜんぶ余すことなく、いただきました。


驚くことに、自分でもそうすることを、

お父さまは全部して下さいました。



お母さまのお手伝い、

本当にありがとうございました。


きれいに洗ったぴかぴかの瓶は、

まるで新品のような輝きでした。



弟くんも、ありがとう。

しょうもないことにつきあわせちゃって、

ごめんなさい。



そして、わが生徒さま。

どうもありがとう。

こんなお願いのために、

ご家族を巻き込んでしまって恐縮です。


牛乳瓶4本、重いのにはるばる実家から自宅まで、

そして自宅から学校まで運んできてくれてありがとう。


何より、こんなしょうもない「約束」を果たしてくれて、

すごくうれしいです。

本当にどうもありがとう。



最後にもう一度、ご家族のみなさまへ。


貴重なお休みの時間をくだらないことに割いていただき、

大変感謝しております。

本当にどうもありがとうございました。






2014。


新年の授業で。

さっそく生徒から「もらって」しまった。



まると牛乳の瓶、4本。

白牛乳3本と、コーヒー牛乳1本。



ぼくは、牛乳瓶だけでなく、

すごくいいものをもらったような気がしている。



牛乳瓶からはじまった、

生徒と家族の、いいお話。



巻き込んでおいて、

言えた立場じゃないかもしれないけれど。


生徒から話を聞いて、

すごくいい家族の思い出のような気がして、

何だかうれしく思ったのであります。



雪の降る、牛乳工場の風景。

助手席の弟と、後部座席に座る生徒。

瓶牛乳を手に、運転席へ戻ってくる父。



ぼくの頭の中に、

行ったこともないはずの風景が

くっきり浮かんで焼きついている。




目に見えないもの。

形のないもの。

名前のつけられないもの。



生徒をはじめ、

周りのみんなには、

いつも「もらって」ばかりで、

すごく感謝している。




お返し、っていうわけじゃないけれど。

もらってばかりのぼくが、

みなさんにあげられるもの。


それは、天使のようなこの微笑み。


天使の、微笑み・・・。



・・・・本当に。

申し訳ないやら恥ずかしいやら。

感謝の思いでいっぱいなのであります。







< 今日の言葉 >


☆★☆★☆★☆★☆★ なぞなぞのコーナー ★☆★☆★☆★☆★☆★

    えりもと
Q: 襟元についていると、あったかい歌姫は?





こたえ:ボア(BOA)/新年に考えた、初なぞなぞ。