マーパチンパ。
何のひねりもなく、
パンチパーマを逆さにしただけのことだ。
うちの父は、
ずうっとパンチパーマだった。
ぼくが小学生になってから
高校を卒業するくらいまで、
ずっとパンチだった気がする。
そのせいか、
「父=パンチパーマ」という印象が強い。
パンチパーマの父は、
当時、営業職に就いていた。
パンチパーマで関西弁を操り、
休日にはガラ物のどぎついシャツを着て、
金の喜平のネックレスや
ブレスレットを巻きつけていた父。
どう見ても「あっち系の人」だ。
営業の外回りのついでか何かに、
ふらり、運動会をのぞきにきたことがある。
そのとき、父は両手にヤケドを負っていた。
移植したばかりの皮膚に太陽光を浴びないよう、
白い手袋をはめた父の姿を見て、
クラスメイトが言った。
「お父さんて、タクシーの運転手?
それともヤクザ?」
有無を言わせぬその二択に。
正直、どう答えていいのか分からなかった。
ぼくは中学に入るまで、
父がどんな仕事をしているか知らなかった。
ときどき、大金(ゲンナマ)を手にして
帰ってくる父を見て、
ぼく自身、お父は本当にヤクザなんじゃないか、
と思っていた時期も短くない。
どうでもいいことだけれど。
父がヤケドをしたのは、仕事中、
体に何万ボルトかの電流が流れたせいだ。
両手で機械の操作をしていて、
ショートした電流が右手から入り、
そのまま右のつま先から地面に流れた。
もし、右手から入った電流が
そのまま左手に走っていたら。
医師の話によると、
おそらく左胸の、心臓を通過して、
そのまま死んでいたかもしれないということだ。
両手で機械操作をしていた父の状況からして、
つま先方向に電気が逃げるのは
「奇跡」のようなことらしい。
おそるべし強運。
それ以来、体に磁気を帯びたと、
父は自分で言い張っていた。
「ほれ、見てみ」
たしかに。
方位磁針のN極が、
父の指先に吸い寄せられていくようにして
くるくると回っていた。
手術と治療のためにしばらく入院するほど、
結構大変なヤケドだったのだが。
白手袋の理由をクラスメイトに説明したとき、
「へえ、じゃあ、
電気で感電したせいで
チリチリになったんだ」
という、
しょうもないながらも気の利いた答えが
まじめに返ってきた。
それは、いま現在、
チリチリ頭のぼくが
言われたことのある言葉でもある。
さて。
ある冬の夜。
父がずぶぬれで帰ってきた。
背広を着ているので、
見たところ会社帰りのようだが。
えらく酔っぱらっている様子だった。
「採れたてのカキや」
白いビニール袋を差し出して、父が言った。
カキ。
袋の中から出てきたのは、
柿ではなく、牡蠣のほうだった。
「歯みがいたから、いらない」
それを聞くや否や、
父は語気を強めてまくしたてた。
「何ゆうとんねん、おまえ。食わんかいな。
歯ぁなんかまたあとでみがけばええやろ」
そうなるとお手上げだ。
逆らうことは許されない。
父が牡蠣の殻を
マイナスドライバーでこじりあける。
当たっていたストーブに、
採れたての牡蠣を並べて、しばしの沈黙。
牡蠣が、しゅうしゅうと音を立てて、
おいしそうな匂いを漂わせはじめる。
「いまや、早よ食え」
父が押しつけるように渡した牡蠣を、
こわごわと手に取り、口に運ぶ。
うまかった。
めちゃくちゃうまかった。
それまで食べていた牡蠣は何だったのか。
そう思えるくらい。
身がしまっていて、味わいが深かった。
あとにも先にも、
そのときほどおいしい牡蠣は食べていない。
そう言ってもいいほど甘美な味わいだった。
正解は分からないけれど。
たぶん父は、
酔っぱらってどこかの海に
ざぶざぶと分け入って、
「野生の」牡蠣を採ってきたに違いない。
酔っぱらうと、
父は何やら持ってきてしまうことがあった。
店の前に置かれたパンチボール
(空気で膨らませる「おきあがりこぼし」の
ようなPOP)を引きずりながら、
「連れてきた、友だちや」
と、ぼくにそいつを紹介してくれたこともある。
いかにも「友だち」を連れ添うような感じで、
ウイスキーの写真が印刷された
パンチボールの「肩」に腕を回して。
あるときなどは、
夜ふけに、いきなり寸胴鍋の前に立ち、
何やらぐつぐつ煮込みはじめた。
見ると、カニやら、ほかの魚介やら、
野菜やら何やらが見え隠れしている。
その鍋の中に、
父がどぼどぼと牛乳を注ぎはじめた。
さらにはひと塊のバターを投入して、
木べらでぐるぐるかき混ぜて。
ゆであがった麺を
どんぶりに入れたかと思うと、
寸胴で煮込んだ謎のスープをなみなみ注いだ。
「おい、食ってみぃな」
嫌な予感はしていた。
けれど、風呂上がりにぼくは、捕まってしまった。
「いやだ、そんなの。マズそう」
カニ、牛乳、バター。
食べるまでもなく。
当時のぼくには、
その組合わせだけでも充分嫌な感じがした。
すると、例のごとく父が顔色を変えた。
「食う前からマズい言うな。
食うてから言え」
背筋を伸ばしたぼくは、
ハイ、とばかりに直立し、
父の手からどんぶりを受け取った。
またしても。
うまかった。
その、謎のスープの謎ラーメンは、
いままで食べたことのないような味わいで、
晩ごはんを食べたあとのぼくのおなかに、
するすると入っていった。
「・・・おいしい」
「ほれ、な? 言わんこっちゃないやろ」
強引で、有無を言わさぬ父の、気まぐれ料理。
いまにして思えば、
誘い下手の父の、精一杯だったのかもしれない。
離れて暮らすようになって、
少しだけ父のことが「冷静に」見れるようになった。
それでも、いざ面と向かうと、
いまでも少しぎこちない。
ぼくは、父とキャッチボールをするのが嫌いだった。
こわいし、うるさいし、めんどうだし。
とにかく、父とのキャッチボールが嫌いだった。
最近、友人とキャッチボールをしていて、
ふと思った。
父親とたのしく
キャッチボールできるような関係だったら、
いまのぼくは、どんな感じだったんだろう。
パンチパーマとキャッチボール。
大人になって、気づくとぼくは、
ガラ物シャツにチリチリ頭になっていた。
< 今日の言葉 >
毎度お買い上げありがとうございます。
先生・・・輪太郎君、特徴は・・・・・・・?
ハイ! お答えします。
私は生まれはアメリカ、育ちは茨城県(株)菓道です。
育ちの良さと味のよさ、それに輪になっているのが特徴です。
先生・・・輪太郎君はなぜ輪になっているのですか・・・・・・・?
ハイ! それは、味が見通せるからです。
(株式会社 菓道/『もろこし輪(わ)太郎』の裏面コピー)