『常滑フィールド・トリップ2009』というイベント。
そのなかで、ぼくは「赤い記憶」と題した作品を展示させてもらった。
初日からの3連休。
台風一過の晴れ晴れとした空。
台風の影響で不通になっていた電車の復旧作業も前日までには終わって、
絵に描いたような快晴の日。
常滑を散歩するにはうってつけの日和になった。
そんな天候にも助けられて。
予想以上にたくさんの人が見にきてくれた。
常滑の、近所の人たち。おじちゃん、おばちゃん。
常滑滞在中、買物をしたり、ごはんを食べに行ったお店の人たち。
常滑で知り合った人たち。
仕事場の仲間や地元の友だち、
そして行きつけの美容院の、“専属スタイリスト”さん。
ぼくのクラスの生徒もきてくれた。
遠路はるばる電車に乗って、わざわざ、だ。
初めて会う人もたくさんきてくれた。
ぼくの作品は室内展示なので、
みんながゆっくりしていってくれているように見えた。
雨漏りでゆがんだ畳の上が、
いつもにぎやかな人たちでいっぱいだった。
2回、3回と見にきてくれる人もいた。
友人知人を誘って、何度か足を運んでくれる人もいた。
展示会場には、常滑滞在の記録(日記)が置いてあった。
ぼくが常滑で「遊んだ」記録だ。
汚い字で書いた、ごちゃごちゃした日記なのに。
それを手に取り、じっくり読んでくれる人がたくさんいた。
日記目当てに通いつめてくれる人も、中にはいた。
そんな人と、夜中、路上で偶然会った。
その人は昼間、コメダのカツサンドを差し入れに持ってきてくれた人だった。
カツサンドは、翌日の朝食にいただいた。
こんなにうれしい朝食は、そうそうない。
ほかにも、作品の制作記録を収めた「赤いアルバム」や、
常滑で描いたスケッチブックの絵や、
これまでに描いた作品のファイルも置いていた。
暇つぶしになるものが多かったせいもあり。
みんながのんびり暇をつぶしてくれた。
会場にいると、いろんな人と話ができてたのしかった。
見る人それぞれが、それぞれ違った意見を聞かせてくれる。
今回は、床の間に移動させた棚に、
おばあちゃんの遺品をそのまま展示させてもらったのだけれど。
苦言をいう人は、見る限りいなかったように思う。
みんな、「人間の業(ごう)」のような、
「人間くさい」部分を感じてくれたようで、
おもしろい話もたくさん聞かせてもらえた。
自分の祖母の部屋を思い出した、とか。
年老いた父親も、
「ガラクタのような物」をためこんでいて部屋がいっぱいだ、とか。
「ガラクタのような物」をためこんでいて部屋がいっぱいだ、とか。
田舎の祖母が、農作業のカマが目立つよう、
柄(え)に赤い布を巻いていた、とか。
柄(え)に赤い布を巻いていた、とか。
赤い生活用品が並ぶ棚を見て、
「最後にこうやって日の目を見ることができて。
きっとおばあちゃんも喜んでるんじゃないかな」
「こうして見ると、祭壇みたいにも見えるね」
などと言ってくれる人もいた。
その右手の奥の部屋、
かつておばあちゃんが暮らしていた部屋。
そこは、おばあちゃんの遺した物でいっぱいになっていて、
足の踏み場もなかった場所だ。
ひとつひとつの物を見ながら、
じっくり1カ月半くらいかけて片づけて。
掃除をして、すっかり空っぽになった部屋を、
スプレーガンで真っ白に塗った。
ポリ合板の壁は、ペンキの食いつきが悪いので、
塗装する前にベルトサンダーで表面をはがした。
4回ほど塗って、真っ白になった。
部屋の奥から出てきた金庫も白く塗った。
ちなみに金庫の中からは、
クリスマスケーキの空箱が出てきた。
おばあちゃんが亡くなったのは、
2004年の12月25日、クリスマス。
クリスマスケーキの空き箱は、
何かの「メッセージ」なのか。
関係があるのかないのか。
答えは、ない。
真っ白に塗った、おばあちゃんの部屋。
そこに、赤いマジックで線を描いていった。
「引く」のではなく、線を「描いて」いった。
マジックのインクが切れるまで、ぐるぐると描く。
なるべく1本の線で、途切れることなく、
ぐるぐるぐるぐる描いていく。
この時間がたのしくて。
この時間がたのしみで。
最後までずっとわくわくしていた。
たのしいこと。うれしいこと。
悲しかったこと。つらかったこと。
おもしろいこと。どうでもいいこと。
昔のこと。最近のこと。
いままでに出会った人のこと。
いろんなことを思って、線を描いた。
そんな思いが、たぶん線に出たと思う。
最初のうちは、インクがなくなる前にペン先がつぶれた。
それがたいてい1時間弱くらい。
たんだん力のかげんも分かってきて、
インクを使い切ることができるようになった。
インクがなくなるのは、1時間から1時間半の間くらい。
60分から90分。
ほぼ一定の速さで、ぐるぐると線を描いていった。
天井や壁の高いところなどは、
長い時間描きつづけていると、だるくて吐きそうになった。
だから、疲れてくると、床に逃げる。
低い場所までぐるぐると線を描きながら、移動していく。
気持ちよく走る、赤い線。
このままずっとインクがなくならなければいいのに。
そう思うことも多かった。
最後は、どうしてもがまんできななくなり、
午前0時から朝まで一気に描きたおした。
7時間くらい、ぶっつづけで描いた。
朝、7:20。
終わったときにはうれしくて、
部屋の中をうろうろしつづけてしまった。
外は雨だったけれど、
晴れやかな気持ちだった。
そんなふうにしてできあがった「赤い部屋」。
見にきてくれた人が部屋に入った瞬間、
「わあっ」
という声がする。
笑い声が聞こえる。
子どもが走り回る。
なかには顔をしかめる人も、ひとりふたりいらしたけれど。
みんな、自分の中にある「赤」を呼び覚まして、
それぞれの解釈で「赤」を感じてくれたように思う。
途中経過を見にきてくれて、
「たのしんで描いた線だから、たのしく見えるんじゃない?」
と言ってくれた人もいた。
結局、最終日まで、たくさんの人でいっぱいだった。
たのしんでくれている人の姿を見て、
ぼくもすごくうれしかった。
長いような短いような。
常滑での制作が、ひとまず終わった。
これで、何か「こたえ」が出たわけじゃないけれど。
今回の「赤い部屋」を通して見えたものは、
ものすごくいっぱいある。
それをいつか、
言葉にできる日がくるかどうかは分からないけれど。
とにかく、おもしろかった。
最初から最後まで、ずっとたのしかった。
初めて常滑にきた人たちが、
常滑をたのしんでくれたことも。
インチキ親善大使のぼくとしては、
うれしいことだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回、常滑にきて下さったみなさまには、
ありがとうの気持ちでいっぱいです。
「赤い部屋」を実際に見にきて、
目で見て、感じてもらえたこと。
そのことがすごくうれしいです。
最後に、
フンデルトヴァッサー氏の言葉を
引用させてもらいます。
『美術館へと向かう足が跡を残した線は、
美術館に展示されている線よりも
大事なもの』
ご清聴、ありがとうございました。
< 今日の言葉 >
あの頃は ふたり共
他人など 信じない
自分たち だけだった
あとは どうでもかまわない
(『古い日記』/作詞:安井かずみ/唄:和田アッコ)
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