2009/10/14

90分650円








13:30ごろ。
とある定食屋に入った。

古くからその場所にのれんを掲げ、
常連客の集まる昔ながらの定食屋、
といった風情の店だ。


席について、店のおばちゃんに
オムライスを注文する。

お茶を飲んで待っていると、
お客さんのひとりに話しかけられた。


「観光で来たんか?」


3人組なのか、それともたまたま
その場(店)で3人がそろったのか、
それは定かではないけれど。

ぼくに声をかけたのは、テーブル席のひとり、
60代後半くらいの、白髪のおじさんだ。


「いえ。いま、ここに滞在してます」


そのおじさんは、
昼間からグラス酒をのんでおり、
ほんのり酔っぱらっている様子だった。

もうひとりのおじさんは、
50代くらいの無口なおじさん。

白髪まじりの角刈りで、
紺色の、胸ポケット付長袖Tシャツを着ている。
いかにも「職人」といった感じの、
無骨な風貌だ。


もうひとりは、
カウンターに座る60代後半から
70代前半くらいのおばちゃん。
白髪で小柄の、かわいらしい感じのおばちゃんだ。


オムライスができあがるまでのあいだ、
そのおじさんたちの輪に加わり、
話を聞いていた。

おもに話すのは、
最初に話しかけてきたおじさんだ。


おじさんは13歳のころ、九州から愛知に出てきた。
まわりの同級生が高校へ進学する中、
おじさんは、中学を卒業する前に働きはじめた。
家庭の、経済的な事情もあったそうだ。

いわゆる「ぼうや」として、遠く離れた地で
働きはじめた13歳のおじさん。
故郷を離れるとき、母親が、


「ごめんね、ごめんね」


と泣いたそうだ。

塗装工として働き、
仕事も技術も覚えたころ。
おじさんは、独立した。

塗装屋として「開業」した当初は、
「よそ者」ということで、
なかなか厳しかったそうだ。

実績もなければ信用もない。
だから、最初はかなり苦労した。

けれども。
少しずつ仕事も増えて、
徐々に大きな現場も任されるようになった。

そして20代前半、おじさんは結婚した。
娘も生まれ、順風満帆のように思われたが。

娘が3歳になったころ、
奥さんとの行き違いで、離婚することになった。


そのころのおじさんは、
酒の席が「営業活動」の場だった。
つまり、居酒屋などで酒を酌み交わして、
人との交流を図り、新しいお客さんを見つけていたのだ。

毎日毎晩、居酒屋を飲み歩くおじさんを、
奥さんがとがめた。


「おれの仕事のジャマするんなら、
 とっとと出て行け。
 けどな、娘は置いてけよ!」


と、勢いよくタンカを切ったおじさん。
そうやって言えば、思い改めて留まるのでは、
という計算もあった。
母として、娘と離ればなれに暮らせるはずがない、と。


誤算だった。


寒い冬の夜、
いつものように居酒屋で酒を飲んでいると、
お客のひとりが手招きして言った。


「店の外に子供が立っとるぞ」


見るとそこには、
寒さにふるえながら、
腕を抱いて立ち尽くす3歳のわが娘がいた。

おじさんは、
まさか本当に娘を置いて
出て行くとは思っていなかった。

そのときばかりは涙が出たと。
おじさんが、思い出すようにつぶやいた。


「いやだわぁ、あたしも泣けてきた」


カウンターに座ったおばちゃんが、
ガーゼのハンカチで目頭をぬぐう。


そのあとのおじさんは、
心を改め、仕事に打ち込んだ。

そして、2度目の結婚。

今度こそは、と。
今度はうまくいく、と。
もちろん、信じて疑わなかったはずだけれど。

2度目の結婚は、2度目の破局を迎えてしまった。

再婚相手には、おじさんと同じく、連れ子がいた。
再婚相手の奥さんは、
血のつながりのある「わが子」への
愛情は惜しまなかった。

反面、おじさんの連れ子である「娘」には、
愛情を惜しむだけでなく、
ささいなことでも手を上げたという。

アザだらけのわが娘を見て、
おじさんは、再婚相手を追い出した。

そして、“ 神さま ” に助けを求めた。


それからのおじさんは、
仕事も着実に増やしていき、
人脈も、信頼もこつこつと築き上げていった。

どん底のときには、「よそ者」ということで、
お金を貸してくれなかった銀行も、
ツケを利かせてくれなかった取引先も。
そのころになると、
逆に「お願い」をしにくるようになった、と。

おじさんは、そういう「浮き沈み」も
経験してきたそうだ。



話の途中、オムライスができあがった。

おいしそうに湯気を立てる、できたてのオムライス。


「ちょっと大盛りにしといたでね」


と、上品に笑う、店のおばちゃん。

話がまだ続いていたので、
カウンター席からテーブル席に移って、
おじさんの話に耳を傾ける。

店のおばちゃんが、


「えらいねぇ、あんた。
 ちゃんと席を移って聞くなんて」

と、ぼくの水とおしぼりを持ってきてくれた。


おしぼりは、ていねいに
「手洗い」しているのだろう。
ふんわりとやさしい、いい匂いがする。


「酒、おかわり」

グラスを掲げるおじさん。


「おれはおじさんのつらい時期を見てきたで、
 あんときの苦労はよう知っとる」

低い声でうなるように語る、角刈りのおじさん。


「あんたは地元で、
 しあわせにやってきたんだで。
 感謝しないかんよ」

おばちゃんが、お母さんみたいな口調でやんわり言う。



「おれは、△△の社長とも知り合いだでな。
 いや、本当だよ」

おじさんの口がさらに熱を帯び、話は進む。


仕事がどんどん増えていって、
規模は小さいけれど
大きな仕事を任される
「会社」になったという話へ移った。

最盛期には人を14人使っていた、と。


そして話の規模がどんどん拡大して、
世の中の流れや政治の話になったころ。

話が輪郭を失いはじめ、
内容がぼんやり不確かになってきた。


それは、オムライスを食べて
おなかがいっぱいになり、
ふわふわと眠気がおそってきたせいもある。


「不景気だっていっても、
 あいつらは貧乏人から金を吸い取って
 ・・・いや、本当だよ」

「いまの自民党の考え方は、
 まるっきりおんなじで・・・」

「本当だよ、おれはウソ言わんて」

「国民年金も税金も、
 けっきょくはおれたちが苦労して
 ・・・・本当だよ」

「・・・いや、本当だよ」


テンポよく続くおじさんの声が、
呪文か音楽のように聞こえはじめた。

意識が朦朧(もうろう)となり、
焦点がぼやけて「トランス」の状態になる。


ああ、なんて気持ちいいんだろう。


話はまったく「聞こえない」。

耳に聞こえてはいるけれど、
まったく脳には届かなくなった。


ここ最近、作品展示の準備で
睡眠時間が極端に短い日が続いていた。

そのせいも、あったのか。

昼下がりの定食屋で。
こんなにも深い(ディープな)時間をすごせるとは、
夢にも思っていなかった。


時計を見ると15:00すぎ。

気づくと1時間半ほど、
おじさんの話に聞き入っていたことになる。


言い替えると、
酔っぱらいを相手に
90分の時間を「灰にした」ことになる。



「悪いね、酔っぱらいの
 つまらん話聞かせちゃったけど。また来てね」


店のおばちゃんが苦々しく微笑む。

会計を済ませて、のれんをくぐると、
太陽がやけにまぶしく見えた。



定食屋での90分。


支払ったのは650円。



後日、ほかの人から聞いた話では。
ある店のおばさんが、

「あの人とずっとつきあっとたら、
 ダメになるでね」

と評していたそうだ。


定食屋で昼間っから酒を飲み、
「これから競艇に行く」
と言っていた、おじさん。


たしかにおばさんの評価も、
当たっていなくはないだろうけど。


「名前は聞かん。また、どこかで
 こうやって会ったとき、酒でも飲もう」


最後にそう言って手を挙げるおじさんの姿には、
紆余曲折を経験してきた人の持つ、
独特の哀愁を感じた。


まるで1本の映画を観たような。


そんな気持ちで商店街を歩く。


いったいここは、どこなんだろう。

どこか遠くに行っていたような、
そんな濃密な90分をすごしたあと。


ふと目を向けると、
空気で膨らませた招き猫が、
逆光の光のなかで笑っていた。


風のない、おだやかな晴天の日。

同じ時間に、
別々の人生をすごした人たちが
出会って別れる。


時間と場所とタイミング。


偶然は、
同じものが二度とないからおもしろい。



 《 今日の言葉 》

 舌を入れたらアウト

(余興のゲームで、ついつい
 本気になってしまう人へ)