2025/12/01

できないから、できたこと



 




父が死んで、ちょうど1年。

そんな折に、母がまた、

表情を曇らせ、机に向かっていた。


机の上には、

レシートやら請求書やらの紙の山。


2ヶ月ごとにやってくる、

この風景。


これを見るのも、

もう1年になるのか。


無計画に年金を使ってしまい、

母が、困惑と落胆に肩を落とす、

お決まりの風景。


父がいた頃には、

父に泣きつき、

不足したお金を催促していた。


今では、

すがりつく袖もない。


父が余命宣告された時、

母に言った.


「少しずつでいいから、

 お金、貯めておいてね」


自分が家を出る時——

もう何年も前からも、

母にはそう言って聞かせていた。


けれども・・・。


お金の勘定が不得手な母は、

あればあっただけ、

予定外出費だあろうが

年に1回必ずやってくる

必要経費の支払いが控えていようが、

何の準備も躊躇もなく、

手元にあるお金を使ってしまう。


かつてあった貯金は、

父が不在のあいだに、

あれやこれやで、

みるみる消えていった。


頑張ってはいるのだが。

いつも足りなくなって、

貯めようと思って

よけていた分に手をつけてしまう。


この1年間、

それをそばで見てきた。


どのくらい足りなくなるのか。

どんなふうにして、足りなくなるのか。


わかったこと。


母が、

それほど無茶苦茶な浪費を

しているわけではないということ。


前述の通り、

想定外の出費や、

不定期な出費が積み重なって。

さらには、日々の買い物の、

ちょっとした「買いすぎ」が

積もり積もって。

2ヶ月分まとめて支払われた年金が、

1ヶ月と少しで底をつく。


もちろん、

乗り切れることもある。

が、この1年間で3回、

お金がなくて落ち込む

母の姿を目のあたりにした。


当初のぼくは、

母に解くと説明した。


2ヶ月目の、

公共料金などの支払い分は、

必ず確保しておくことを。


2ヶ月で考えるのではなく、

1ヶ月ごとに——または、

週ごとに割ったお金を封筒に入れて、

次回の分のお金には

手をつけないでおくこと。


1年——。

母を見てきてわかった。


母は、

やらないのではなく、

できないということ。


つい、とか、

今回は、という「特例」が

「通常」になっていて、

非常事態が常態化している。


「もしお金が足りなくなった場合は

 どうしたらいいの?」


「いや。そうじゃなくて。

 決まった中で、

 やっていくしかないんだよ」


何度そんなふうに話したことか。


母は、やさしい人だ。


わが子がお腹を減らして

困らないようにと。

そういう「やさしさ」が

根底に強く働いていて、

まるで強迫観念のように

食料品を買い込んでくる。


驚くほどの浪費ではないが。

いつも「多め」で、

使い切れなかったり、

食べきれなくなって、

冷蔵庫の中で

「こやし」となることも多い。


母にとっての生活資金は、

どのくらいが妥当なのか。

1年間、じっと見てきて、

なんとなくだが見えてきた。


ぼくはこっそり、

母の貯金を始めた。

毎月母からお金を受け取り、

それを貯めた。


こっそり、というのも。

言ってしまうと、

母はそれをあてにしてしまう。


「どうしよう、お金が足りない」


母がそう言ったときに。

まったく助けないわけではないが、

それありきで、

当たり前に期待してもらっては困る。


突き放しはしていないが、

甘えすぎてもらってはいけない。


この按配が、難しい。


この1年間、

いろいろ試してみた。


怒ってみたり、叱ってみたり、

冷静に説得してみたり、

笑顔で説明してみたり。


そのさなかに、

わかったのだ。


母には、

できないということが。


悲しみや、寂しさや、

落胆などは一切なく。

できない、ということがわかって、

自分のやるべきことがはっきりした。


母に代わって、

お金の管理をしていくべきだと。


少し前のぼくなら、

怒っていたか、悲しんでいたか、

それともまだまだむきになって、

何とかしようと

躍起になっていたことだろう。


父の死から1年経った今。


ぼくは、母の手を取り、

笑顔で言った。


「まあ、

 今回は何とかするから。

 次から頑張っていこうね。

 ぼくも一緒に頑張るから。

 頑張って節約と貯金をしてこうね」


ぼくは、母にお金を「貸した」。


常態化した「もしも」の時のために、

これまでこつこつ貯めてきた

「母さん貯金」の中から、

数枚の紙幣を抜き取り、

封筒に入れて、母に渡した。



本当にお金がなくなって、

貧窮しては困るからこそ、

母には、お金がなくなると困るんだよ、

ということをわかって欲しかった。


こうしてお金を出すのは、

初めてではない。

これまで、

自分の懐から出したりもした。


その都度、

怒ったり、叱ったり、

悲しんでみたり、

説得してみたりしてきた。


「貸した」お金は、返ってこない。

「借りた」ことすら、忘れ去られる。


けれども今回、

笑顔で母の手を握り、

両手で包んでさすりながら

こう言った。


「大丈夫だよ。

 頑張ろうね、母さん」


「本当にごめんねぇ、

 こんなばかな母さんで。

 こんなだめな母さんだけど、

 これからもよろしくね」


「うん。

 母さんはいつも

 よくやってくれてるよ。

 ありがとね、頑張ろうね」


そのあとぼくは、

母と書道をした。


お祝いのための準備で、

母に文字を書いて欲しかったからだ。


ぼくも書いた。

一緒になって、書道をするなんて、

もうどれくらいぶりのことだろう。


「あんたうまいねぇ。

 絵、描いとる人だで、

 筆はいつも握っとるもんね」


そういう母は、

長年、書道を

たしなんできた人である。

自分が展覧会をするときなど、

母にはよく、

文字を書いてもらってきた。


久しぶりに見た母の字は、

細くてやや揺れながらも、

母らしい、

丁寧でやさしい筆致だった。


「ねえ母さん、

 ぼくの名前も書いてよ」


「あんたの名前?」


「そう」


書き始めた母は、

手を動かしながら言った。


「あんたの名前、

 書きやすくていいね。

 ・・・あれ、

 乃木偏のこっちって、

『リ』でいいんだよね?」


などと戸惑い、

ためらう母とともに、

黒い墨で、

半紙に文字を書きつけた午後。


いたずらに歳だけ重ねてきた

半人前のぼくは、

母の描く『利明』の文字を見て、

なぜだか涙がにじんできた。


「下に母さんの名前も

 書いといて」


小筆で書かれた『恵美子』の文字。

きれいな形だった。


それはそのまま、

ぼくの宝物になった。


80歳の母が書いた、

ぼくの名前。


お金でも、物でもなく。

この時間と、

書道半紙に書かれた『利明』の文字。


こんな宝物をもらえるまでに、

ぼくは、成長したのだなと。


一人、感極まって、

こっそり泣いた。


母さんが今、

生きててくれてよかった。


1年前の母さんに、

こんな笑顔はなかった。


きっとぼくも同じだろう。


「あんたの字は、

 あんたの字、って感じがするね」


「母さんの字も、

 母さんの字って感じだよ」


「あんたは迷いがないね。

 力強いけど、やわらかい」


「母さんはやさしいね」


「母さんは気が小さいで。

 失敗したらどうしようって思って、

 よけいに手が震えるんだわ。

 あんたの字は、

 大胆っていう感じだね」


「ぼくは、失敗とかそういうの、

 あんまり気にならないからね。

 うまく書く気もないし」


「久しぶりに字、書いた。

 正月に年賀状は書いとるけど。

 よかったわ。

 楽しかったね」


習字道具を片づけながら、

母が嬉しそうに笑う。


「うん、楽しかったね」


本当に、心からそう思った。



子どもの頃、

よくこんなふうにして

母と一緒に、

いちごジャムを作ったり、

よもぎ餅を作ったり。

ホットケーキやドーナツを作ったり、

縫い物をする横で、絵を描いたり。

母の作る、

パンフラワーや木目込み人形を

手伝ったり、

やらせてもらったりもした。


懐かしいような、

それでいて真新しいような、

母との時間。


紆余曲折の日々があって。

自分がこうして今、

母の前にいることは、

何かの思し召しかもしれない。


何年も、何十年も、

忘れていた時間。


こうして自分が書き残しているものは、

物語でも作品でも何でもないが。

ぼくにとっては、大切な宝物だ。


日に日に老いて、

小さくなっていく母。


母の手は、あたたかく、

すべすべとして

骨ばっていてか細い。


大人になった自分が、

母の手を握るなどとは、

想像すらしてこなかった。


本当に苦しかった時。

言葉よりも、

ぬくもりが心を温めてくれた・


大切な人と、

ともに過ごす時間。


父とは過ごせなかった、この時間。

ぼくはもう、後悔したくない。

失敗したとしても、

できるだけ後悔はしたくない。


知識や情報は、

いくらでも簡単に手に入る。


けれども。


答えは、どこにもない。


選択するのは、自分の意思だ。


自分自身が体験して、

実践して、感じたことは、

自分にしかわからない。


手触り、温度、重さ。


心の風景にも、

そんな感触がある。


経験すればするほど、

わかることが増える。


たとえそれが、

個人的な体験だとしても。

似て非なるようでいて、

共感できるものもあるはず。


期待も約束もしない。


落胆もあきらめもない。


ただ、受け取る、

受け止める。


ぼくはもう、準備をしない。

心の準備だけはするけれど、

起こってもいない心配事に

大事な時間を使いたくない。


何とかできる、対応力。


「つよさ」とは、

「余裕」かもしれない。


短気な人とのあいだには、

どうあがいても築けないものがある。


もっと大きくなりたい。


しなやかに、やわらかく、

つよくなりたい。


過去の自分と丈比べ。


去年の自分より、

少しは大きくなれただろうか。

半年前の自分より、

少しはしなやかになれただろうか。

2ヶ月前の自分より、

少しはやわらかくなれただろうか。


この先、

どうなるかはわからないけれど。

なぜかわくわくている自分がいる。


「何でもこい」


全部、こやしにしてやる。


買いすぎて使い切れなくなった、

冷蔵庫の「こやし」みたいに

ならないように。


笑顔を最優先にして、

その都度、

最良の答えをはじき出せるよう、

頭と心をやわらかく、

馬鹿で賢い計算力を磨いていきたい。



夕食どき、

母と話した。


「母さんが卒業式の時に着てた、

 ピンク色のワンピース。

 あれ、いいよね」


「あれは学校で、

 卒業の時に作ったやつ。

 あんた、そんな昔のこと、

 よう覚えとるねぇ」


「いやいや。

 アルバムの写真で見ただけだよ。

 まだ生まれてないもん、ぼく」


「あれ、そうだっけ?」


「そうだよ。

 短大の卒業式なんて、

 母さん、まだ結婚もしてないでしょ。

 ぼくが生まれてるはずないって」


「そうかそうか。

 で、あんたって、

 いつ生まれたの?」


そんなとぼけた母に、

腹を抱えて笑っている自分。


母ゆずりで、

のんきで馬鹿な息子のぼくは、

過去や未来のことよりも、

今、目の前の景色に笑うことを選ぶ。


そしてつよく、

やさしくなりたい。


できないからこそ、できたこと。


調和。


二人いるのに、

奪いあったり、壊しあったり、

悲しみや苦しみを2倍にしたり、

一人よりも孤独を感じるような関係は、

ひどく悲しい。


父と母に学んだこと。


ぼくは「調和」を考える。


相手がへこんでいたら、膨らんで。

尖っていたら、丸まって。

重たく沈んでいたら、

寄り添い、軽やかに微笑んで。


足して「笑顔」になる計算をしたい。



母という「宿題」は、

なかなか手ごわいけれど。


意味のない出来事は、

ひとつもない。


ぼくは、自分のために、

受け止める。


相手が大切な人だから。


ぼくは、

労を惜しまず受け止める。


わかる人には、わかる景色。


誰かの思い描いた

「しあわせ」じゃなくて。

自分の思う「しあわせ」を

噛みしめる。


これが本当の「しあわせ」なのだと。


わかる人には、わかる話。



できないから、できること。



自分がやれば、それでいい。


その人は、

その人のままでいい。


信頼関係。


わかる人には、わかる感覚。


去年のぼくには、

わかりようもなかった

この景色。


いらないものを手放して、

大切なものをつかまえる。


手は、2本しかない。


大切なものは、

たくさんはいらない。


できないから、できたこと。


ぼくは、

できない分だけ、

できるようになりたい。



< 今日の言葉 >


『人間は、

 氷砂糖のような財産や

 地位がなくても、

 きれいな風を食べ、

 桃色の美しい光を

 飲みこむことができる。

 そういうものの中に

 本当の幸せはあるのではないか』


宮沢賢治