こんなことを書くと、
愚痴とか批判めいて、
じめじめとしみったれた感じがして。
書いてはみたものの、
公開せずに放置していた。
けれども、
知人友人などの話を聞くうち、
これは、自分だけの、
個人的な出来事でも
ないように思えた。
主語や名詞を変えれば、
どこにでもあるような。
そんな「お話」のように
思えはじめた。
*
数年前、
ギャラリーの人から
声をかけていただき、
展覧会(個展)を
開催することになった。
場所は
ギャラリー空間ではなく、
店舗内を会場とした展覧会だった。
ふだん、自分で主催して、
一人で運営することが多いのだが。
ときどきこうした会に
お誘いをいただき、
展示させてもらう機会がある。
それはとてもありがたいことなので、
できることなら
なるべく受けさせてもらう、
といった姿勢であった。
その会も、
主催者である
ギャラリーの方からのお誘いに、
まよわず「ぜひ!」と
お答えした。
2カ月ほど「待機」の状態がつづき。
はて、どうなったのか、
明日連絡がなければ
もうやめにしようかと思案していると、
まるで思いが伝わったかのようにして、
主催者から連絡があった。
会場となる店舗の都合で、
返事が遅れたとのこと。
中止を考えたぎりぎりのところで、
お声がかかり、
打ち合わせの日程が決まった。
会場の下見を兼ねた
簡単な打ち合わせのあと、
正式な回答で開催を決める。
会場のようすを見回しながら、
どういう展示にしようかという
期待感とともに、
声をかけてもらえたことへの
感謝とよろこびがいっぱいで、
わくわく胸をはずませていた。
日程は決まっているので、
あとはひたすら
作品を準備するだけだ。
「できるだけたくさん、
1枚でも多く描いてね」
主催者の方から、
期待の声がかかる。
会期まで2カ月弱。
小さい絵なら、
1日1枚描くこともできる。
もちろん描きはじめるまでには、
絵を描くためのパネルを準備したり、
習作を描いたり、
色鉛筆を買いに行ったりなど、
いろいろな下準備が必要になる。
絵を描くためのパネルというのも、
市販されているわけではなく、
シナベニヤをカットして、
ヒノキ材の角棒を桟(さん)にして
任意の大きさのパネルを
自作するわけだが。
かつてはクランプで固定して、
一昼夜寝かせてから
カンナで削って、
ヤスリをかけて仕上げていたパネルも、
時とともに、
使用する部材や仕様の変化で、
クランプを使う必要がなくなった。
接着剤で固定したあと、
カンナをかけ、ヤスリで削る。
パネルの側面・背面は、
額装してしまえば
見えない部分であるが、
面取りをしないと、
手を切ったり、角が割れたりする。
この作業を、
これまで何十、何百と
くり返してきた。
ちなみに、
完成した絵を入れる「箱」も、
自分で作っている。
ぴったりの箱がないので、
自分で作るほかないのだ。
箱に使うのは、おもに、
紙おむつのダンボール。
硬さや厚さなどが好ましく、
清潔なので、
紙おむつのダンボールが
とても具合がいいのである。
箱を作って十数年。
絵はちっとも上手くならないが、
箱作りに関しては
かなり腕が上がったように思う。
2012年 |
2023年 |
ちなみに最近、
肌で感じたことがある。
少子高齢家の波。
紙おむつのダンボールを
もらいに行くと、
赤ちゃん用より、
成人用のものが格段に増えた。
なんとも言い難い
切実な現実を、
箱作りの側面から感じようとは。
まるで思いもよらない現象だった。
・・・話は戻って。
展覧会を開催するにあたって、
絵を描く(作品を用意する)だけで
いい場合と、
こまごまとした準備が
必要な場合とがある。
展覧会には、
告知のための
案内状(DM)が必要になる。
SNSでの発信や、
各メディアでの広報も必要だ。
造作物もあれこれある。
ポスターや会場案内図をはじめ、
キャプション——
作品の題名・説明や
価格などを書いた札(ふだ)も
作品の数だけ必要になる。
会場の設営、展示計画。
搬入から撤去まで、
たいていは自分でやることが多い。
ときには、
梱包した作品を送って、
設営から運営までを
お任せすることもあるが。
ほとんどの場合、
すべて自分(自力)で
行なっている。
大変なようでありながら、
それがたのしみの部分だったりする。
だからこそ、
全部を自分で動かす形の会を
たくさん開催してきたのだろう。
会場の掃除から、
お客さんの対応まで。
すべて一人でやってきた会のほうが
多いように思う。
やりたいこと、
やりたい形を具現化するために、
場所や条件を探すうち、
結局自分主体でやる形に落ち着く。
それが、
一人で開催してきた、
1番の理由だった。
とにかく。
一見にぎやかで
派手なように見える展覧会も、
地味で地道なものが、
こつこつと
織り重なったものだということは、
たしかな事実だ。
経験者、または、
関係者の方であれば
おそらく、
周知のことと思う。
展覧会におよばず、
何かをつくりあげると
いうことの裏側には、
地味で、地道な作業の連続が
積み上げられているものなのです。
* *
主催者が自分ではない展覧会には、
必ずロイヤリティ(手数料)が
発生する。
お金のことは、
聞きづらいからといって
後回しにしていると、
いいことがない。
ずいぶん前の話。
注文をいただいた絵を
すっかり描き終え、
お客さんのもとに届けた時点で
初めてお金の話になり、
そこでようやく「価格」を
伝える格好になった。
値段を伝えると、
思ったより高かったのか、
お客さんが少し、
びっくりした表情を浮かべた。
ほんの一瞬だけれど、
たしかに驚きの色が見えた。
お金の話は、とてもしづらい。
絵を描きはじめて間もないころには、
本当につよく、そう思っていた。
けれど、
驚くお客さんの顔を見て、思った。
聞かれなかったから、
では、すまされない。
切り出ししづらいのは、
お客さんも同じかもしれない。
だったら自分のほうから、
先に言おう。
やましいことなど何もないし、
これが自分の仕事なのだから。
胸を張って堂々と
お金の話をするべきだと、
そのときから考えを改めた。
グループ展などで、
ときどき言われる。
「チラシのデザイン
お願いできるかな?」
もちろんできる。
会社勤めを辞めたあと、
いっときではあっても、
デザインの仕事をしていた経験もある。
広告代理店時代の知人から、
デザインやイラスト、
文章などの仕事を
投げかけてもらったおかげで、
「無職透明」な生活を
なんとか乗り越えられた・・・
そんなお茶目な時期がある。
趣味やサービスではなく、
お金をもらってやる仕事。
それは、
技術や納期や
約束はもちろんのこと、
責任感や自覚が育てられた、
とても意義ある期間だった。
だから思った。
「ただではやらない」
もし、
ただだからお願いするのであれば、
自分以外の誰かを当たってほしいと。
一人で店をかまえた
美容師の知人が言っていた。
「前髪、ちょっと切ってほしい」
そう言われたときに、
たとえそれが友人であっても、
お金はもらうべきだと。
美容師になるため、
自分はこれまでに
たくさんの時間とお金を
使ってきたのだから。
お金をもらっているお客さんが
たくさんいるのだから。
だから、
ただではハサミを使わないと。
その言葉に、
強いプロ意識と決意を感じた。
「ただではやらない」
その言葉の裏には、
美容師の知人の言葉や、
これまでの自分の経験などが
宿っている。
グループ展で、
チラシのデザインを頼まれたとき。
「ただではやりません」
というぼくに対して
返されたのは、
グループ内の別の人に頼む、
という「答え」だった。
誰よりも年長者で
権威あるグループ展の主催者は、
ぼくのような生意気な者ではなく、
従順で、生真面目な、
ほかの仲間にデザインを委ねた。
仲間うちで動かす会だから、
ということで、
報酬や謝礼は支払われない。
時代のせいにするつもりはないが。
昔気質の、古い習わしが生む、
悪しき習慣だと、自分は思う。
本当にやりたければ、
ただだろうが大変な作業だろうが、
自ら手を上げて志願するのだが。
たくさんの会を重ねて。
自分には、
暗黙のしきたりの多い
「内輪」気質が
なじめないと感じた。
時間と労力はもちろんのこと、
その人が持つ技術や技量を
使うものであれば、
どんな仕事でも、
敬意と対価を払うべきであると。
お金のために動くわけではない。
けれども、
技術のある相手に
それを求めるのであれば、
年齢の上下は関係なく、
お金を支払うのは当然のことだ。
誰かから固定給を
もらっている分には
わからない感覚かもしれないが。
相手が従業者でないのであれば、
お願いした仕事に対して、
対価を支払う。
そんな当たり前のことが
大前提として、
当たり前に広かったら、
もっともっと
いいものが生まれるように思う。
だから、ぼくは言う。
「ただではやりません」
と。
そして煙たがられる。
あいつは金に
うるさいやつだと。
そんなふうに
言われたことはない(と思う)が、
伝えていかなければ、
そのまま「それ」が
まかり通っていく。
* * *
今回話題にしている会を、
記述上では
「展覧会」とさせてもらう。
「展覧会」の下見の帰り道、
主催者の方に聞いてみた。
「今回の展覧会、
手数料って何%なんですか?」
聞かなければ、
このまま過ぎて
しまいそうだったので、
自分からそれを切り出した。
前置きのような説明が
たくさんあったが。
ようするに手数料は
「50%」ということだった。
50%。
1万円のものを売ると、
5000円差し引かれて、
自分には5000円が支払われる。
10万円の
売上げがあったとすると、
5万円差し引かれて、
自分には5万円が支払われる。
50%。
言うまでもなく「半分」だ。
みなさんも、
給料が半分になることを
想像していただきたい。
「ご、50パーセントって」
思わずぼくは、
失笑してしまった。
ふだん一人で運営しているので、
手数料というものと
縁遠い展示ばかりだったせいもある。
ギャラリーではなく、
店舗が会場で、
主催者は会場にいない。
案内状(DM)のデザイン・制作から、
印刷の手配までを自分が担当する。
キャプション作りも、
設営も、
諸々の準備はすべて自分。
ギャラリーの人は、
この会の主催者として、
場所を提供して
顔合わせの会を取り持ってくれた。
会期中の運営は、
お店の人と、ぼくでやる。
これまで、
ギャラリーでの展示をしてきて、
手数料は20〜30%で、
一番多くても40%だった。
40%のときは、
会場へ作品を送って、
設営から運営、撤去まで、
すべてをお任せしての会だった。
50%。
丸任せでもなく、
ほとんど自分で動いて50%。
世間知らずで
経験不足の自分には、
百貨店と同等のその手数料に、
まこと失礼ながら、
思わず失笑してしまっていた。
ちなみに最近、
「手数料50%」という会があった。
委託(売れた作品の
分だけの支払い)の場合では40%。
作品をすべて
買い上げてもらう場合では50%。
どちらかを選択できた。
主催者からの説明を聞いて、
40%や50%という数字を、
多いともおかしいとも
まるで思わなかった。
その会は、
主催者に作品を送って、
すべての運営をお願いする形の
展覧会だった。
作品の輸送を
「片道」にしたかったので、
「50%で買取」でお願いした。
主催者は、
これから描きあがる作品を信頼して、
ぼくの希望を承諾してくれた。
ぼくのほうも、
主催者の方への信頼があったので、
期待に応えられるよう、
1枚でも多くの絵が
売れることを願った。
その結果。
主催者の方は、
愛情と責任を持って、
全体数の5分の4の作品を
販売してくださった。
自信はあったが。
期待に応えられて、
安堵とともに、嬉しく思った。
50%という「価値」。
百貨店ほどの集客や
新しいお客さんとの出会いが
見込めるのであればまだしも。
その「展覧会」の主催者は、
これまで見てきた感じでは、
それほど大きな磁力は
ないように思えた。
「50%って。
それじゃあ、
生活できないですよ」
冗談っぽく言ったつもりなのだが。
冗談にしては面白くないし、
ちっとも笑えなかった。
主催者は言った。
自分の一存では決められない、
お店の人と相談する必要がある、と。
どんな条件ならいいのかと
聞かれたので、
思いっきりの希望は20%、
もし難しいのであれば
なるべく30%に近い形で
お願いしたいと答えた。
「わかりました」
主催者の方が、
真摯にうなずいた。
家に帰って、メールを見ると、
主催者からの着信があった。
『今日、△△くんの展示最終日でした。
△△くんは、学校の先生の仕事と
作家活動を両立させていて、
とても偉いと思います』
いったい何が言いたいのか。
ぼく宛に送られたはずのメールだが。
ぼくに必要な「お報らせ」は
まるでないような文面に見えた。
メールの内容は、
それ以上、何も記されていない。
そのメッセージを
何度も読み返して、
はたと思った。
主催者の人は、
怒っているのかもしれない。
少なくとも、
気分を害したに違いない。
というのも。
ぼくは絵の仕事以外、
ほかに仕事をしていない。
アルバイトも副業もなく、
これが「本業」だ。
いきなり引き合いに出された
「△△くん」の話。
主催者の人は、
あてこすりのような感じで
不可解にも思えるメールを
よこしたのかもしれないと。
そのときのぼくは、
そう感じた。
返す言葉も見当たらず、
これから始まる展覧会について、
どうぞよろしくお願いします、
というメールを送ると、
それには特に返信もなかった。
* * * *
手数料が、
何%になるかはわからないけれど。
お店や主催者にしっかり還元したい。
そのためには、
いい絵をたくさん描かなければ、と。
ひとまず
「周辺のこと」は置いといて、
絵を描くことに専念した。
朝起きてから暗くなるまで。
暗くなってからも、
やることはたくさんある。
明るいうちは絵を描いて、
暗くなったら、
キャプション作りや
案内状(DM)の制作など、
そのほかの作業に時間を充てた。
2カ月なんて、あっという間だ。
準備期間が限られているので、
休みなく、毎日絵を描いて、
なんとか21枚の新作を描きあげた。
そこからすぐに、
箱作りやこまごました準備に
取りかかった。
案内状のデザイン・制作、
版下(印刷するための元)づくりに、
思いのほか時間がかかった。
紙面に入れたい写真や文面で
いろいろと注文があり、
店舗の責任者から何度か
「やり直し」が告げられた。
なつかしい、この感じ。
デザインで「だめ出し」をもらう、
あの感じ。
ああ、
うつくしかったデザインが
どんどん崩れていく・・・。
そんな憂いと、
それでもなんとか
きれいに整えるぞ、という、
闘志が燃え上がる。
今回もまた、
広告制作料はもらえない。
「きみの個展だから
仕方ないでしょ」
そう言われたら、
ぐうの音も出ないが。
半分はお店の宣伝でもある。
ということで、
400枚ほどの案内状の切手代を
負担していただけないかという旨を、
切り出し、交渉してみた。
窓口となってくれた店舗の方は、
「いいですよ、まとめて出すんで」
と、快く承諾してくれた。
本当に、
そうでもなければ・・・と思うほど、
がっつり「仕事感」のある、
なかなか難儀な案内状づくりだった。
刷り上がった案内状をもらう。
自分用には500枚もらって、
うち100枚は手配りと、
知り合いのお店や
画材屋さんなどを回って、
少量ずつ置いてもらった。
残りの400枚は、
例のごとく、
手書きで宛名を書いた。
1日80枚くらい書いて、
5日間で書き終えた。
書き終えた案内状を
お店に渡しに行く。
と、そこでなんとなく、
話の流れで、
お店の人が送ったり
配ったりするために受け取った
案内状の枚数を耳にした。
ん? 待てよ。
印刷の準備を
したのは自分なので、
今回の案内状の総数は、
まちがいなくわかっている。
ということは・・。
主催者である
ギャラリー側が手にした
案内状の枚数が、
おのずとはじき出されてしまった。
約30枚。
ちょっとあせった。
けれどもきっと、
自分じゃ届かないような、
美術関係の施設や関係者など、
太いつながりのある宛先に
送ってもらえているのだろう。
少数精鋭的な感じで。
いや・・・。
それにしても、
少なすぎないかい?
30枚なら、
ギャラリーに置く分で
終わってしまいそうだ。
おかしいな。
案内状の印刷部数の話をしていたのは、
顔合わせのときのはず——。
それはまだ
「50%騒動」よりも前の話だ。
考えたところで答えも出ない。
残された時間で、
準備を整えなければ。
1日、また1日と過ぎ、
会期が迫っていく中で、
主催者からの連絡は
まるでなかった。
手数料の返答がないまま、
何%か定まらないまま、
すっかり準備が整いつつあった。
あと何日を残してのことかは
記憶にないが。
こちらから
「どうなりましたか?」
と問いかけのメールを送って、
主催者からの返事があった。
「20%でいいです」
という内容が書かれた、
短かいメール。
うれしいはずが、
なんだかひどくさみしい感じがする
そのメールに、
わくわくの気持ちが
しゅるしゅるとしぼんだ。
「もう、やめようかな」
弱音の虫がころころと鳴く。
が、思うだけで、
やめることはない。
待ってくれている人がいる以上、
やめるわけにはいかないのだ。
その日は
何も考えたくなくなり、
頭を使わない作業に没頭した。
翌日はぼんやりと
何も手につかず、
どうやって過ごしたのかも
覚えていない。
* * * * *
そんなふうにして迎えた
展覧会前日。
搬入・設営の日である。
そのときまでにはしっかり、
しぼんだ気持ちも
切り替えていた。
せっかくお客さんが
観にきてくれるのだから。
全力でびしっと展示をしたい。
お店の人とあいさつを交わし、
さっそく、搬入・設営に取りかかる。
お店は定休日で、お客さんはいない。
真っ暗になるまでには
終わらせたいので、
一人、てきぱきと動いて、
展示の設営を進めていった。
前の人が残した
釘(くぎ)を抜きながら、
お店の人に確認する。
「釘って打って大丈夫なんですか?」
「前に打ってあるんだから、
大丈夫なはずですよ」
聞くところによると、
主催者とお店の責任者の方とは、
古くからの付き合いのようで、
そこらへんのことは
確認し合っているはずだ。
現にこうして釘が
打ってあるのだから。
この店での展示も、
かれこれもう数年目、
何度目かの展覧会という話だ。
硬い壁を相手に、
釘を打ち直していると、
お店の人が奥に消えた。
ほどなくして、
お店の人の消沈した顔が
ぼくを見た。
「釘はやめてくれって」
言葉とおなじく、
手で「バツ」をつくりながら、
苦々しい表情で言った。
「え、前にも打ってたんですよね?」
そう問いかけるぼくに、
お店の人は、
苦い顔のまま小さく答えた。
「そういうこと言うと、
またややこしくなっちゃうんで。
社長は、そういうの嫌うから。
今回はすみません、
っていうふうに言っておきました」
ぼくは、心の中で、
(ええっ、なんかやだな。
ぼくが勝手にやったみたいで)
と思ったが。
もちろん、口には出さなかった。
顔には少し、出ていたかもしれない。
設営もほぼ終わり、
あとはキャプションなどを貼れば終了、
といったくらいの頃合いに。
「おつかれさーん。
どう、問題なくいけそう?」
主催者の声がした。
「今さっきまで、
◇◇ちゃんの展示の立会いで。
あっちはちょっと大変そうだから」
主催者が、早口につづける。
「家原くんは大丈夫だよね?
現場も慣れてるし。
これまでずっと
一人でやってきてるもんね。
どう? もう終わりそう?」
一応、報告までにと思い、
昼間の釘の件を主催者に伝えた。
「何かしら波風が立つね、家原くん」
主催者の口からこぼれた
そのひと言に。
ぼくは、
二度見ならぬ、
三度見の勢いでふり返った。
(ええっ?! ぼくぅ??)
援護が来るものと思いきや、
まさかの狙撃に、
背中から撃ち抜かれた。
(主催者って一体・・・)
心の中で、ぼくが言う。
もしぼくが「主催者」なら、
迷える子どもたちを
つよく、やさしく守ってあげたい。
ここまでくると、
怒りも悲しみもなく、
自然と頬をやわらかくゆるめ、
菩薩のような柔和な笑みが
静かに浮かんでいた。
かつての自分なら、
ここで何か、言っていたであろう。
自分を正当化する何かを、
自分の正しさを主張する何かを、
冷静な熱をもってして、
饒舌にまくし立てていたに違いない。
「今回、新作は何枚描けたの?」
つづく主催者の声に、
顔を向ける。
「小さいパネルで20枚と、
大きい絵を1枚で、21枚描きました」
「会期中にも、
もっともっと
描いてくれていいから。
どんどん展示してもらって
大丈夫だから」
言い終えた主催者は、
道具箱やら脚立でにぎわう
会場の風景を写真に収めると、
「それじゃあ、
◇◇ちゃんたちの様子を
見に行かなくちゃいけないから、
あとはよろしくね」
と、足早に去っていった。
外は、真っ暗だった。
箱や道具類を片づけて、
やり残しはないかを確認する。
大丈夫そうだ。
最後、お店の人に
お願い事項や注意点などを伝えて、
会場をあとにする。
「明日から、よろしくお願いします」
頭を下げて、お店を出ると、
疲れがどっと押し寄せた。
展示はいつも、
設営し終えるまで、
完全に「見える」わけではない。
たいてい「思い描いた」とおりに
いくことが多いが、
それでも、設営し終えるまでは、
気が抜けない。
だからこそ、
無事に終わってほっとする。
完成が終わりではなく、
終わりからが「始まり」だ。
こうして始まった「展覧会」。
会期中、
主催者と顔を会わすこともなく、
会場へ来たという話も聞かぬまま、
あっという間に
最終日を迎えることとなった。
* * * * * *
ありがたいことに、
何枚かの絵が売れていった。
ふだんの会に比べて
数はふるわなかったものの、
顔見知りだけでなく、
新規のお客さんにも買ってもらえた。
さらにうれしかったのが、
みな「絵を買うのが初めて」という
お客さんばかりだった。
初めて買う絵が自分の絵だなんて。
これほどありがたく、
光栄なことはない。
最終日。
お客さんが去った会場で、
お店の人と話しながら、
搬出作業に取りかかる。
自分のお客さんが、
お店の商品を買ってくれたり。
お店の常連さんが、
自分の絵を買ってくれたり。
21枚のうち8枚と、
数こそ少なかったかもしれないが、
グッズなども売れて、
少しは売上に貢献できた。
この展覧会を通して、
お店の存在も知ってもらえた。
自分が会場にいなかったとき、
どんな感じだったのかなど、
お店の人に聞いてみた。
「家原さんのお客さんは、
みんないい人ですね。
なんていうのか、
うまく言えないんですけど、
これまでのお客さんと
ちょっと違って、
話しやすいっていうか、
いろいろ興味を持ってくださる
お客さんが多かったです」
その言葉は、
自分のことをほめてもらえるより、
何十倍もうれしく感じた。
自分もそう思う。
お客さんは、
いい人たちばかりで、
遠くまで足を運んでくれたり、
みんなを誘ってきくてくれたり、
本当に恵まれていると思う。
いい意味で、
芸術とかアートとか、
そういうくくりで
観にくる人が少ない。
いろいろなことに興味を持ち、
開けているのは、
そのせいもあるだろう。
老若男女、千差万別。
みんな違って、みんなおもしろい。
そしてみんな、
違うのに「おなじ」だ。
みんな子どもみたいに
きらきらしていて、
いつも展示を楽しんでくれる。
あれこれ評論したり、
むずかしいことを言ったり、
理屈っぽい話をする人は少ない。
ただただみんな、
楽しんでくれる。
だからぼくは、
いつももらってばかりだ。
いいものを、うれしいものを、
たくさんもらってばかりいる。
会場の片づけを進める中で、
数客数や、客層の話の流れで、
ふと気になって聞いてみた。
「ギャラリーとかの
関係者の人とかは、
どれくらいきましたか?」
「うーん・・・特に来てないですね。
(主催者)さんのお知り合いは、
2組で、3名こられました」
お店のお客さんは「2桁」で、
自分のお客さんは「3桁」だ。
2組で3名。
これは一体・・・。
「おつかれさま〜」
声の主は、主催者だった。
「何枚売れたぁ?」
開口一番、
主催者の第一声に。
いろんな過去の断片が、
一気につながった。
某市で開催した展覧会。
「20枚も売れてるね。
家原くん、売れっ子だね」
また別の展覧会では。
「すごい売れてるね。
ほぼ完売の勢いじゃない?」
さらにまた別の展覧会では。
「初日でこんなに売約済だらけで。
最終日までには
全部売れちゃうんじゃないの?」
ばらばらだったときには
気づかなかったが。
ならべてみたら、つながった。
主催者の人は、
ずっと「売れてる」ことしか
話していない。
これまで、
展示の内容や感想を聞いたことは、
何度かあるかもしれないが。
絵の感想などは、
ほとんど聞いたことが
ないことに気がついた。
今回の「展覧会」の、
搬入・設営のときにも、
「どんな絵が描けた?」
ではなく、
「何枚描けた?」
ということだけ聞かれた。
初見であるはずのあの日。
あっという間に
現場を去っていった主催者が、
壁に飾られた作品を見た気配は
まったくなかった。
グループ展以外で、
直接関わることは
あまりなかったけれど。
節目節目でお世話になってきた。
そんな恩義もあって、
信頼してきた。
ほぼほぼ片づけも終わった頃合いに、
ふっと現れた主催者。
その口からこぼれた第一声に、
ぼくは、また別の風景を
思い返していた。
それは、
自分が広告代理店で
働いていたころの話だ。
* * * * * * *
生意気でわがままな
20代のぼくは、
いつでも自分の考えが正しいと
思いこんでいた。
あるとき、
いくつか年上の、
上司である営業男性に
思いっきり怒鳴られた。
「お前らは、俺たち営業が
食わしてやってんだぞ!」
怒声とともに飛んできたのは、
週刊少年ジャンプだった。
風を切り、
ばさばさと音を立てて飛んだ
少年ジャンプは、
ぼくの頬をかすめて
床に落ちた。
紙の翼を折り曲げて横たわる姿は、
墜落した鳥のように見えた。
ぼんやりと視線をあずけていると、
営業男性の声が耳に響いた。
「お前らは俺たちの言うとおり、
黙って作ってりゃいいんだよ!」
おそらく営業男性は、
きっかけを探していた。
いつか言ってやろうという思いが、
積もりに積もっての少年ジャンプ。
事の発端は、
「今日」だけのことではない。
これまでの日々の打ち合わせの中、
度重なる「いさかい」の
集積だった。
営業男性はいつも、
「お客さん重視」の企画を立てる。
お金を出してくれるスポンサーが絶対で、
その要望も、またしかり。
『21世紀に羽ばたく
グローバル企業』
というキャッチコピーをでかでかと配し、
立派な社屋の外観写真をでーんと載せる。
『業界トップクラスの最大手』
なとという殺し文句も
忘れずに添えて。
「あとはメリラレでいいから」
「メリラレ」というのは、
メリット(長所)を
羅列(られつ)した
広告のことを言う。
幕の内弁当のような、
大盛りハンバーグカレーのような。
そういう「わかりやすい」広告は、
反応の数こそよくても、
その質が低下する場合がある。
特に企業の人材を集める広告では、
数も必要だが、質も重要だ。
「数が集まれば、その分選べる。
数がなきゃ、選ぶにも選べないだろ」
とは、言うけれど。
メリットばかりを追って
集まった人材は、
定着率が低かったりするので、
また何度も広告を
打ち出さなくてはいけなくなる。
それは、営業側にとって
好都合かもしれない。
けれども、読者からすると、
人生の時間を無駄にしてしまったり、
何度も広告を打ち出している企業を、
必ずしもいいふうには
とらえなくなったりして、
長い目で見ると、
かえって悪い循環を招く。
最終的には読者もはなれ、
媒体自体の信用度も低下する、と。
20代のぼくは、生意気にも、
そんな主張でぶつかった。
「お客さんじゃなくて、
読者を第一に見る必要がある。
それが結局、
お客さんのためにもなるし、
みんなが喜ぶ結果につながる」
こんなにうまく
語れていたかどうかは不明だが。
このことでいつも、
営業の男性と衝突をくり返していた。
営業(売り手)と
制作(作り手)は、
数字と質との象徴だった。
両者がうまくバランスを取り合って、
「いいもの」を作る。
いいものを作って信頼を得て、
また仕事を与えてもらう。
生意気なぼくの態度に
業を煮やした営業男性は、
ついに爆発したのだった。
「いい加減しろよ!
勘ちがいするな、
お前の作品でも
何でもないんだからな。
全部やり直しだ。
すぐに打ち合わせするぞ」
少年ジャンプを手にしたぼくは、
静かに営業男性の机に向かった。
少年ジャンプをそっと置き、
営業男性の目を見て、
まっすぐ言った。
「急ぎの仕事があるんで、
5時まで待ってもらって
いいですか」
すぐ、打ち合わせを
できなくもなかったが。
ちょっと「冷ます」時間がほしかった。
営業男性は、ふん、と鼻を鳴らして、
ぼくの上司にあたる主任に向かって
声をあげた。
「おい、ちゃんと言っとけよ。
なぁ? わかったか」
「はい、わかりました。
僕も言おうと思ってたんです。
こいつには僕も、
いい加減、困ってるんで」
いつも「仲よく」して
くれていた主任だったが。
社会性も社交性もあり、
順当に出世するタイプの彼は、
味方にはなってくれず、
冷たい視線をぼくに投げかけた。
「5時に打ち合わせだからな」
営業男性はそう言い残して、
どこかに出かけた。
扉が閉まると、
角ばった空気が少しやわらいで、
ほっとする吐息が
方々から漏れ聞こえるようだった。
「絶対、殴り合いになると思った」
制作アシスタントの女の子が
ぼそりと言った。
Macの前に座ったぼくは、
やりかけの仕事の続きに戻った。
自然と横並びになった主任が、
苦々しく顔をゆがめてみせた。
「あんなやつ、
勝手に言わせとけば
いいからさ」
まさしく八方美人の七色主任。
主任のことは好きだったし、
営業男性のことも、
ときどき嫌だなと思っても、
憎んだりしたことはない。
ただなんとなく、
誰も信用できないような心地がした。
初めての感覚。
この、
少年ジャンプよりも漫画めいた、
うそみたいな風景に。
戸惑い、
そして、くやしく思った。
くやしさを糧に、
クリエイティブ部門で賞を取った。
受賞して風向きはかなり変わった。
お客さんから喜びの声や、
感謝の手紙を
もらうこともできた。
自分の主張が
間違いじゃなかったと確認できたとき。
その瞬間が
いつだったのかはわからないが。
「いい広告を
作ってくれたおかげです」
そんな声を聞くと、
毎日の仕事が報われたような、
やわらかであたたかな気持ちに包まれた。
数字は数字でしかない。
それでも数字は、
無視も軽視もできない。
数字だからこそ、
割り切れないことも出てくる。
量も、質も、
どちらか一方が
正しいというわけではない。
それは、自転車の前輪と
後輪のようなものだ。
両方がうまく回って初めて、
前に進む。
そう。
どちらも大切で、
とちらかが悪とか善とか、
そういうものではない。
そして思う。
いくら主張が正しくても、
言いかたを間違えると、
それはただの「わがまま」になる。
わがままという誤解。
生意気なわがままと化した主張は、
対峙する人の気持ちを、
ぎりぎりと逆なでしてしまうのだと。
* * * * * * * *
うつくしいものを扱う人が、
うつくしいものを
求めているとも限らない。
うつくしいものが
数字で表されると、
うつくしくなくなるわけでもない。
50%。
もし、
50%で開催したら、
違ったのだろうか。
30%の違いが、
あの結果だったのだろうか。
50%で開催した「展覧会」。
もしできるなら、見てみたい。
50%で開催した、
100%の主催者の姿を。
うしくしさとは、何なのか。
もう、
絵を描くのをやめようかなと。
ちょっと真剣に考えたりした。
それが原因というわけでは
なかったが。
きっかけのひとつになったことは、
たしかなことだ。
のぼっている気がしていたのに、
ちっとも景色が変わらない。
その、
あまりにも低い景色の連続に、
なんだかばかばかしくなって、
もう疲れたな、
もういいかな、
と思ったりした。
絵を描くことは好きだから、
ひっそり描きつづけていけばいい。
別に発表なんてしなくていい。
こんなにいろいろ思うなら、
数字の世界と関わらなければいい。
そんなふうにも思った。
けれども・・・・。
初めて感じた大きな戸惑い。
初めて。はじめ。
初心。初期衝動。
そんなことを思い出すために、
一度全部、やめてみた。
「クルクルバビンチョパペッピポ。
ヒヤヒヤドキッチョの、
モ〜グ、タン!」
(『まんがはじめて物語』より)
漫画みたいな世の中を、
ばか真面目に考えても仕方がない。
世界は一つであっても、
どんな扉を開けて、
どこへ向かうかは自由に選べる。
すべては自分次第。
自分は、楽しいのが好きだ。
わくわくして、うれしくて、
夢みたいな世界を追いつづけたい。
名前を
「家原利メルヘン明」に
改名したいほどに。
だから、
やめる必要はないのだと、
思うままにやればいいのだと、
次第にそう思えるようになった。
心のままに、また、
歩いてみようと思った。
何年前かの出来事の
回想録。
何が何だかわからないから。
わからないなりに、
見たまま聞いたまま感じたままを、
そのまま書いてみた。
うつくしいものの価値とは、何か。
こんなことを言っているようでは、
うつくしさのかけらにもまだまだ
手が届かなのかもしれない。
それでも。
ぼくらがものをつくるときには、
たとえ30%でも50%でも、
必ず100%で完成させる。
いつでも100%全力で。
何%とか何円とか言う前に、
どうかそのことだけは、
わかっておいてください。
本当はもっと
おもしろおかしく
書きたかったのだけれど。
筆下手なぼくが書くと、
ふざけてるみたいで
あまりよろしくないので、
こんな感じになりました。
だから最後くらいは、
おかしな話で締めたいと思います。
『Hot Chanachur』 (ホット・チャナチュール) |
バングラデシュのスナックです。 |
中身はこんな感じ |
豆系、コーン系、ライス系、 麺系など、全10種類 |
スパイシーですごくおいしいです。 So yummy, Taste good. I love it! |
あ・・・。
おかしな話じゃなくて、
おかしの話でした。
ちなみに
チャナチュール(Chanachur)は、
南アジアあたりでは
ポピュラーなスナックだそうです。
おかしは人を笑顔にする。
漫画みたいで
おかしな世の中でも、
おかしだけはうそをつかない。
みんなを笑顔にするおかし。
そんなおかしに、
ぼくはなりたい。
< 今日の言葉 >
インフルエンザー