2024/01/11

90歳差の握手

 





久しぶりに訪れた街は、

ずいぶん様変わりしていた。


知っているはずの風景が、

記憶ちがいみたいな景色になり、

頭の中が、

まだら模様になる。


駅のそばの駐車場は

白い囲いでおおわれて、

背の高いビルを建設中だ。


電車で行くつもりが、

午前中に別の予定が入り、

急きょ、車で出向いたのだが。


お気に入りだった、

古めかしいスタイルの駐車場は、

もうなくなっていた。


かつてあった駐車場——。


トタンでできた駐車場の受付には、

係の人を呼び出す専用電話があった。

車と一緒に鍵を預ける方式で、

不在のあいだに、係員が車を動かす。


夜には『800円』と書かれた

巨大な文字のネオンが灯り、

近未来宇宙的風景を見せてくれた。

特に雨上がりの夜には、

濡れたアスファルトにネオンが輝き、

たまらなくきれいだった。


知っているはずの場所で

迷子になったぼくは、

一方通行だらけのせまい路地を

迷路みたいにぐるぐる走り回り、

中古レコード店近くの駐車場に

車を停めた。


目的地は、

駅からかなり離れた場所だったが。

久しぶりに駅からの風景を

見てみたかったので、

あえて駅裏の駐車場に停めた。


天気予報は雨だったが。

ふだんからあまり

雨に降られることのない自分に、

やはり傘の出番はなかった。


駅前には人がいた。

これからどこかへ向かう人の姿が、

あちこちに見える。

ずいぶん若いか、

それとももっと歳上か。

車に乗れる世代の姿は限りなく少ない。


なつかしい景色に立ち止まる。


それでもやはり、

どこかよそよそしく、

知らない街にいるような気もした。











駅前から商店街へ向かう。

土曜日とは思えないほど

人の姿もまばらで、

景色は閑散としていた。


大通りでも

人の姿はぽつぽつとしか見えず、

一本裏に入ると、

誰もいない道がしばらく続いた。



平日でも、もっと人で

にぎわっていた気がするのに。

少し心細くなるくらいに、

さみしさを覚えた。


商店街の中心地にある百貨店が、

年内になくなってしまうと

友人から聞いた。


そんなこともあり、

百貨店へと足を向ける。
































百貨店の1階右手には、

好きなパン屋がある。

マゼンタ色の看板を横目に、

エスカレーターを上がる。


各階を、散歩のように

ぐるりとめぐった。


ただの冷やかしの、

迷惑な客である自分は、

商品を見るにも手は触れず、

景色といっしょに、

陳列された品々を見て回った。





















10階催事場の

お歳暮コーナーでは、

どれを誰に贈るか、

どれを送ってほしいかなど、

空想の中での贈答を楽しんだ。


あれこれと迷った挙句、

贈ってもらいたい物は、

バターアイスのセットに決めた。


11階に上がる。


最上階からの景色を

楽しみたかったのだが。

そこは、飲食店になっていて、

注文しなければ中に入れなかった。


店先でメニューを見る。

しっくりくるものがなかったので、

最上階の景色は断念した。


ボーイスカウト用品のコーナーで、

ワッペンなどを物色していたら、

お店の人に声をかけられた。


何か買おうかと思いつつも、

決めかねて結局、

手ぶらで店をあとにした。


こんな立派な建物が、

粉々にこわされて、

どこかに行ってしまうんだ。


そう思うと、

なんとも言えない、

不可思議な気がした。


もしかすると、

建物は残るのかもしれないが。

とにかくもう、

この景色ではなくなってしまう。


エスカレーターで階下に進み、

地下の食品売場を一周したあと、

百貨店の外に出た。


なんとなく見上げて、

じっと見つめた。

それほど親しみがあったわけでもないが。

またひとつ、

見知った景色が失われていく。


郷愁や固執というより、

ときどき思うことがある。


自分が好きな景色は、

街をつくる人にとっては、

あまり価値のないもの

ばかりなのだろうかと。


建物も、施設も、商店街も。


自分の好きな景色は、

なくなっていくばかりだ。


たしかに、何の意味もなく、

ただそこにあるだけの景色だったりしても。

そんな意味のない景色が

残ってくれてもいいのになと、

ときどき思うことがある。






急きょ予定変更しての出発で、

早起きしたうえ、

朝から何も食べていなかったので、

さすがに腹が、ぐうっと鳴った。


いつか行ってみたいと思っていた

釜飯屋さんへ足を向けると、

店先に貼り紙があった。


それは、

閉店を告げる挨拶文だった。

日付は1年ほど前。

いつもタイミングが合わないままで、

結局、入れずじまいに終わった。


しばらく店の前に

立ちつくしたあと、

きた道をまたとぼとぼ戻った。


チョコレート屋さんも、

好きだったパスタの店も、

お気に入りのパフェがあった会館も

みんななくなった。


百貨店近くの定食屋も、

古くからあった花屋も、

喫茶店も姿を消した。


路面電車も、

駅前の商業ビルも、

大通りのファッションビルも、

みんななくなった。


20代のころ、

電車に乗って遊びにきていたころの

街の風景。


香港のような、

チャイナタウンのような

異国的な雰囲気と、

活気あふれる勢いがあった。


消えていく景色の中に、

自分だけが呆然と立ち止まっている。


これはやはり、

ノスタルジックなのだろうか。


地元民でも何でもない、

異県人の自分は、

単なる傍観者にすぎないのだけれど。

だからこそ感じるものもある。


自分がもし、

リドリー・スコット監督なら、

ここで『ブレード・ランナー』を

撮ってみたい。


商店街の陰影と、

味わい深い造形を見ながら、

そんな妄想めいたことを

無意味に思い描く。





































いいものが、消えていく。

うつくしい風景が、

またひとつ消えていく。


何度もよく歩いた道を進みながら、

大通りを渡る。


目当ての店は、

シャッターが下りていた。


驚き、立ち止まる背後から、

ご婦人の声がした。


「あらぁっ、休みぃ? 残念。

 6、16、26日、

 この3日のお休みに当たるなんて、

 これはもう、

 あきらめるしかないねぇ」


まるで自分の思いを

代弁するかのようなご婦人の声に、

ふふっと声なく鼻で笑った。


そのまま路地裏を進むと、

いい匂いがしたので、

鼻を「すませて」

匂いの糸をたぐっていった。


十字路に出て、顔を動かす。

いい匂いのもとは、左手の、

フィリピン食材のお店だった。


さっそく歩みより、店の前に立つ。

入ろうと思ったが、店は閉まっていた。


どうやらその匂いは、

仕込み、または、

プライベートな食事のようだった。


「・・・・・・」


かつてこの界隈には、

もう一軒、フィリピン食材の店があった。

そのお店の料理やデザートは

とてもおいしく、

近くに寄った際には、

何かしら手を出したものだった。


それも今は、なくなっている。

最後に入ったのはもう、5年以上前だ。


時計を見た。

時間がなくなってきている。


ぶらぶらするつもりで

たっぷり設けておいたはずの

「よぶんな時間」が、

あっという間になくなりかけている。


約束の場所に向かう道筋からは、

大きく外れてはいない。

そのまま目的地へ向かう道のりを進むと、

なつかしい、見覚えのある店に出た。


換気口からは、

もうもうと白い煙がそよいでいる。


そうか、この店があったな、と。

忘れていた記憶がよみがえる。


かぐわしい香りをまとった

白い煙に導かれながら、

のれんをくぐる。


メニューはいろいろあるのだが。

入る前に決めた品を注文した。


「うなぎ丼 並」


温かいお茶を飲みながら、

うなぎ丼の到着を待つ。


テレビでは、

天童よしみさんが唄を歌っている。


男性客は雑誌を読んでいて、

あとからきた男性客もまた、

雑誌を手にして、ビールを飲み始めた。


男性客は二人とも、

うな丼ランチを注文していた。

お店の人に聞いてみると、

うな丼ランチは

うなぎ丼より値段が安く、

その分、うなぎの身の数が少ない

とのことだった。


店の奥から、

女性の声が聞こえてくる。


座敷らしき客席は、

ぼくの座る場所からでは、

壁に隔たれてまったく見えない。


「あそこのお店、

 なくなっちゃった?」


女性が、お店の人に問いかける。

レジの前に立つ女性とはまた別の、

女性店員だった。


「ええ。去年、なくなりました」


「そうなの・・・。

 あそこは何屋だったかね?」


「もなかとかが有名なお店でした」


それを聞いて、はっとした。

おそらく、自分が知る店だ。


その店先には、

かわいらしくも巨大な

クマのぬいぐるみが置かれていた。


後頭部をこちらに向け、

ガラスにもたれて座る巨大なクマは、

立てば身長2メートルは

ありそうだった。


まぶたの裏に、

今はなき、店先の景色が浮かぶ。


なんだかまた

さみしさを感じたぼくは、

温かいお茶を静かに飲んで、

座敷から聞こえる会話に

耳をかたむけ続けた。


おばあさんは、

大正は何年までだったとか、

昭和は何年まであったかね?

とか、

今は令和何年になったのか、とか。

矍鑠(かくしゃく)とした口ぶりで

朗々と話していた。


「この前ね、1歳の子と

 握手させてもらったの。

 かわいらしい男の子でね、

 1歳になったばっかりなんだって」


その男の子は、

女性の知り合いではなく、

たまたま街で出会った人の

子どもだった。


「やぁわらかい手でね。

 すごく元気をもらったわぁ。

 90ちがい、

 90歳下の男の子と握手できるなんて。

 すっごく嬉しかったわぁ」


女性のはずんだ声に続いて、

お店の婦人がやさしく笑う。


「すっごくあったかかった。

 なんか、若い力をもらって、

 長生きできそうな気になったわぁ」


「本当に、そうですね」


声だけ聞いていて、

まさか91歳の女性だとは

思ってもみなかった。


そんなこんなで、

うなぎ丼が運ばれてきた。


箸を割って、

うなぎをほおばる。


「おいしいっ」


思わず声に出るほど。

香ばしく、濃厚で、

めちゃくちゃおいしかった。


遅れて、しまった、と思った。


ご飯を少なめに

してもらうのを忘れた。


がんばれば

食べられなくもない量だが、

けっこうな量だ。

空腹でこんなにご飯を食べたら、

絶対に眠くなって、

白目をむいて

倒れてしまうかもしれない。


残してもよかったが。

おいしさもあって、箸は進んだ。


それでもやはり、

うなぎとのバランスが合わず、

途中でご飯をすくって

お椀のふたに移しつつ、

肝吸いの汁をかけたりして食べた。


それもまたおいしくて、

一人でふふふと笑っていた。











「お茶漬け好きなんですか?」


お店の婦人に声をかけられ、

こくりとうなずきながら、

顔を向けた。


「ご飯が多くて、

 食べきれるかなって思ったんで」


それを聞いて、

お店の婦人が微笑むと、


「ちょっと、

 お出汁、ひとつ入れてあげて」


と、厨房に声を投げかけ、

熱々の出汁が入った急須を

運んでくれた。


恥かしいやら嬉しいやら。

お礼を言って、

ありがたくうなぎ茶漬けを楽しんだ。


これもまたおいしくて。


「おいしいっ」


という愚直な声とともに、

満面の笑みがこぼれ落ちるほどの

味わいだった。


ほっぺが落ちる、というのは、

こういう感じかもしれない。

自然とほおが、ゆるんでいる。


「もなか屋さん、

 なくなっちゃったんですね」


店の婦人に話しかける。


「ええ。ずっと長年

 続いてたお店なんですけど。

 やっぱりあの、コロナのせいで。

 ここらのお店は、

 みんなだめになっちゃいました」


土曜日だから、

閉まっているお店が

多いのかと思ったが。

そうではなかった。


たくさん連なるシャッターは、

定休日ではなく、

店を閉めてしまったせいだった。


「百貨店も、なくなるんですね」


ぼくの問いかけに、

お店の婦人がうなずいた。


「今日の朝刊に載ってましたね。

 年内になくなるって」


何とも。

ちょうど今日の新聞に載っていたとは。


「なんかさみしくなりますねぇ。

 ここらへんも」


お店の婦人は、

けっして暗い感じでなく、

笑顔のままつぶやいた。


「このお店が残ってて、よかったです」


おかげで今日、

こうしておいしいうなぎ丼を

食べることができた。


そして、

91歳のおばあさんの、

かわいらしいお話を

聞くこともできた。


座敷のすみから、

おばあさんの足先が見えた。

靴を履くのに手間取り、

何度もころんころんと

靴を転がす。


一人かと思われた座敷から、

別の女性の姿が現れた。


会計に立ったその女性は、

おばあさんの娘だった。


「しっかりされてるねぇ」


お店の人が、女性に言う。


「91でしょう?

 本当に、しっかりされてるわぁ」


お店の人が、しみじみうなずく。


遅れて姿を見せたおばあさんは、

黄緑色のダウンを羽織り、

しっかりとした足取りで、

ぼくの視界の左端から右端へと、

ゆっくり歩いて行った。


「それじゃあ、

 こちそうさまでした」


ぺこりと頭を下げて、

おばあさんが店の外に消えていった。


「本当、しっかりされてるわぁ」


何度目か、

そうくり返す店の女性たちは、

お盆を抱えてうんうん

うなずいていた。


「ごちそうさまでした」


たっぷりあったご飯も

きれいに食べつくし、

会計をすませる。


「すごくおいしかったです」


「ありがとうございます。

 そう言っていただけると、嬉しいです」


「ごちそうさまでした」


厨房にも聞こえる声で

あいさつすると、

のれんをくぐって外に出た。


外は、変わらず閑散としていたが。


お腹も心も、

ほんわりと温かなもので

満たされていた。



なくなるもの。

消えていくもの。

受け継がれるもの。

忘れ去られるもの。


消えてしまった風景も、

自分が覚えていれば、

それでいい。


嘆くことより、

慈しむ気持ち。


今はなき景色から得たものを、

ちがう形に昇華させて、

消えてしまった風景を伝えていけたら。


景色だけではない、

さまざまな情景を。


おばあさんの手に伝わった

男の子の温もり。


おなじように、

男の子の手にも伝わっているはずだ。


91歳のおばあさんの、

手の感触。

記憶の奥の、片すみに、

そっと静かに染みこんでいる。


言葉や理屈や概念ではなく。


大切なものは、

かならず残る。


形は消えても、

形而上の「かたち」は

けっして消えない。


これを、

郷愁(ノスタルジー)というのなら、

それもかまわない。


保存や保管。

そのままの形で残すことが

すべてではない。


形のないものを感じ、

吸いこみ、伝えられる感性こそが、

風景に色を添え、

花を咲かせることのできる

術(すべ)ではないかと。


無意味で、無力で、微々たるものでも。


記憶に咲いた花は、

輝くばかりで、

色あせることを知らない。



そんなことを感じた、

ある土曜日の出来事であります。








< 今日の言葉 >


「エスカレーター付近は、

 アブノーございますので、

 小さなお子様連れのお客様は、

 かならずお手をとってお乗りください。

 裾の長いお召し物を

 ご着用のお客様は、

 アブノーございますので、

 エスカレーターに巻きこまれないよう

 ご注意ください。

 ベビーカーをご使用のお客様は、

 アブノーございますので、

 エレベーターをご利用ください」


(何度も聞くとおもしろくなってきた言葉『アブノーございます』)