さて。
自分でも、
もうずいぶん昔のことに感じている
《家原美術館2015》岐阜。
3回に渡ってお送りしてきました、この回想録ですが。
3回目にしてようやく「完結編」を迎えることと相成りました。
長きにわたりおつき合いいただき、
どうもありがとうございました。
この回想録が終わっても、
家原利明は永遠に不滅です、という
前世代の金言を拝借(オマージュ)させていただきつつ。
いよいよ本編のはじまりです。
では、唄っていただきましょう。
家原利明で、『ありがとう、家原美術館2015〜回想録・其の3』。
はりきってどうぞ。
★
7月20日(月)晴れ <75日目>
夏だ。
まったくの夏だ。
日かげを渡り歩きながら、
15:00、現場着。
もわ、というか、
むわっとした空気。
窓を開けて回るあいだに、
全身から滝のように汗が流れる。
廊下、小窓、入口の照明設置。
ヒートン(金具)、延長コードなど、
現場で「見つけた」ものですべて完了。
廊下のカーテンに透ける、ランプシェードの影。 |
7月21日(火)晴れ <76日目>
まったく夏といった感じの朝。
8:40起。
郵便局へはがきを出しにいって、
文房具店でマーカーを買う。
現場に戻って、紙の上に試し描きをしてみる・・・
と、インクがかすかすでなめらかな線が引けない。
再びお店に行って説明すると、
返金ということで2本とも引き取ってくれた。
大パネル、小パネルの絵。
相変わらずノーイメージ。
夜になっても、とにかく暑い。
7月22日(水)雨 <77日目>
昨晩は暑さなのか、眠くなかったのか。
目が冴えていたので、
屋上にあがって宇宙的な風景をたのしんでいた。
(『〜回想録・其の2』最後の写真をご参照ください)
『黒い兄弟』(リザ・テツナー著)を読みながらの朝食。
・・・・『黒い兄弟』とは、
かつて「ハウス食品劇場」で放映されていた、
『ロミオの青い空』の原作だ。
放映当時、ぼくは高校生だった。
同級生をはじめ、同世代のみんなは、
別の「若者が観る番組」に夢中だったのだが。
ぼくはそのアニメ、
『ロミオの青い空』に夢中だった。
あるとき、
友人宅で遊んでいて。
『ロミオの青い空』の時間になった。
いっしょにいた友人たちは、
友人の部屋のテレビに向き合い、
「若者向け番組」を観るべく、
3つの頭と6つのひざを突き合わせた。
自分は、といえば、
「『ロミオの青い空』が観たい」
と言い放ち、
ひとり、別室のテレビの前に鎮座して、
『ロミオの青い空』を鑑賞していた。
すると、
すうっと背後のふすまが開き、
友人宅の一住人でもある、友人の兄が、
一歩踏み込みかけてはたと足を止め、
驚いたような、状況が飲み込めないような、
ぼう然とした顔でぼくを見下ろした。
ちょうど「いいところ」だったぼくは、
ちらとふり返って軽く会釈をしたのち、
すぐまた『ロミオ』の世界に回帰した。
『ロミオ』が終わって、
友人たちが集う部屋に戻ると、
その家の友人に、静かに言われた。
「兄ちゃんが、びびっとった。
知らんやつが居間でテレビ観とった、って」
たしかに。
自宅の居間で、
ひとり体操座りでアニメを見ている、
見ず知らずの高校生男子。
友人の兄と顔を会わせたのは、
奇しくもそのときが初めてのことだった。
・・・話を《家原美術館2015》に戻して。
夏のペンキは、
アクリル絵具なみに乾くのが早い。
が、雨が降ると、
乾くのが少し遅くなる。
沢田研二の『悲しい戦い』。
かっこいい。
「どうせやるならたのしく」
7月23日(木)雨 <78日目>
昨夜から降りつづける雨が強まり、
激しく降りはじめた朝。
雲が厚く重く、
鈍色の空が太陽を遮る。
朝なのに、夕方みたいに暗い。
大パネルとの対話。
「チャンスの女神って、すごい髪型だね」
ロマンスの神さま。
バカンスの仏さま。
7月24日(金)晴れ <79日目>
8:43。
ちょっとお寝坊だけど、おはようさん。
夏の暑さ。
窓辺のバケツの水が、
きらきらと太陽を反射する。
大パネル。
うまくいかない。
まとまらない。
夕方、窓の外。
いつも傘を持ってにこにこしながら、
ぶつぶつ言って歩く、メガネのおじさん。
これから出勤のフィリピン女性。
ちょっと離れて考えよう。
急に答えが出ることはない。
ひとつひとつをていねいに。
少しずつ、ゆっくり。
7月25日(土)晴れ <80日目>
夏休みみたいに晴れた朝。
黒胡麻カマンベールチーズクリームパン。
名前だけでは、
結局何パンなのか分かりづらいが、
おいしかった。
生ハムを添えて食べると、
もっとおいしい。
「スパッツァカミーノ!」
(煙突そうじは、いかがですか!)
『黒い兄弟』、ついにミラノに到着。
負けそうになっていた。
自分自身と闘うこと。
攻めの気持ち。
最高のものを出さなければ、次はこない。
最新作が最高傑作だということの証明。
もう少し、ねばってみよう。
囚われず、影響されず、
自由に思いっきり出し切ること。
自分自身の100を出す。
★ ★
7月27日(月)晴れ時々曇り <81日目>
大パネル《夏の女神》1日目。
強い姿が見たい。
言葉じゃなくて、目の前の姿。
自分の姿を、自分自身に見せてやりたい。
7月28日(火)晴れ <82日目>
8:35起。
黒い兄弟。アンジェレッタ、ロッシ親方。
自分が欲しくなる絵。
飾りたくなる絵。
ずっと見ていたい絵。
それでなくちゃ、いい絵とは言えない。
7月29日(水)晴れ <83日目>
蝉しぐれ。
風のない暑さに目を覚ました。
7:30とはいえ、
しっかり眠った感はある。
《夏の女神》3日目。
いくつもの山を越えていく。
険しい山も、平坦な山も、
つらい山も、たのしい山も、
ひとつとして同じ山はない。
また山が現れて、
のぼりはじめたときの風景。
山をのぼらなければ見えない風景、
味わえない感覚。
そして気づくと、
また山にのぼっている。
7月30日(木)晴れ <84日目>
8:30起。
蒸し暑さに寝つけなかったけれど、
気づくとどっぷり眠っていた。
暑い朝、
明るい陽差しがやわらぎ、
コントラストが弱い光になった。
かと思うと、
昼すぎにザーッと雨が降った。
光が弱くて、
細かい線と色が見にくいな、
と思っていたら、
雨がすぐにやんでまた晴れ間がおとずれた。
《夏の女神》にふさわしい太陽。
13:40。
《夏の女神》完成。
曇天の中では、2、3度、
目が光ったように見えて、
ひとり「わっ!」と小声をあげて驚いた。
ゆらゆら帝国を聴きながら迎えた完成。
最後まで集中を切らさず、
たのしんで描けた。
愛知県美術館の搬入のための準備で帰宅。
準備をしていて、
夜が更け、気づくと2:00になった。
明日からも準備。
8月3日、月曜日。
わくわくどきどきの搬入だ。
(「愛知県美術館、2015夏」を参照ください)
「地獄を見たことがあるか、
それとも、天国しか知らないんじゃないの?」
★ ★ ★
8月6日(木)晴れ <85日目>
愛知県美術館の会場当番のあと。
いったん家に戻って、岐阜へ。
久々の岐阜に感じる。
ごはんを食べて、ようすを見て、眠る。
8月7日(金)晴れ <86日目>
昨日は早起きで、
3時間くらいしか寝てなかったので、
少し遅めに起きた。
9:00起。
暑い。
起きたら汗びたし。
グレーの調色。
1階、入口の旗立。矢印。
1室の棚板。
夕方、突然空がごろごろと鳴りだし、
轟音を響かせたかと思うと、
明るいのに空がちかっと光った。
雷が近く大きく鳴りだして、
いきなり、がまんしていたかのような雨が
ざーっと降った。
しばらく強く降りつづいて、やんだ。
おかげでひんやり涼しくなった。
雨上がり、
夕焼けの黄色とオレンジが
すごくきれいだった。
オレンジ色の光を浴びて、
出勤するややぽっちゃりのフィリピン女性が、
何だか神々しく、うつくしく見えた。
自分自身との対話。
挑戦、集中、全力100。
こたえは単純。
いいと思えるまでやる。
いいと思えるところでやめる。
それだけのこと。
8月8日(土)晴れ <87日目>
朝、タバコを買いに出たとき、
お隣りのご婦人からトマトをいただいた。
箱にぎっしり詰まった、
4センチくらいのトマト。
下呂のトマトで、
「ほっぺが落ちるくらいおいしいから」
と、ご婦人。
食べてみると、
本当に、モモとブドウとを掛け合わせたようなフルーティな味で、
みずみずしくて、
ほっぺが転がり落ちそうだった。
あらためて、ありがとうございます。
1室の片づけ。
《夏の女神》設置。
天井の照明カバーの制作。
棚の足元、ペンキ缶を陳列。
8月10日(月)晴れ <88日目>
17:00着。
ちょうど鐘が鳴った。
全体の配置や細かな仕込み。
「本番」のにおいが漂いはじめて、
そわそわわくわくしてきた。
8月11日(火)晴れ <89日目>
8:08起。
9:50開始。
小パネル。
ペンの先に、白ペンキが溶けてついてくる。
なめらかに描けない。
#1《対話》。
ひたすら対話を重ねる。
黒に黒を塗って、形を浮かび上がらせた。
#2《匂ふ花》。
すぐにペン先が固まってかすれる。
そこをだましだまし描いて、
ひたすら形にした。
#3《こうなったら踊るしかない》。
夜ごはんをはさんで形にした。
そして4枚目以降のパネルの白ペンキを
ペーパーではがす。
何やかんやで0:30まで作業。
8月12日(水)晴れ <90日目>
8:40起。
10:30開始。
#4《歩く》完成。
#5《頭のなかに咲いた花》。
#6《尻尾のない怪獣》。
8月13日(木)曇りのち雨 <91日目>
夜中に雨が降った。
久々に布団をかぶって寝た。
8:50起。
#7《髪が乱れた》。
#8《エジプトロボ》。
自分。
自分をがっかりさせるな。
自分に勝って、
自分をよろこばせていく。
今回の壁は、高くて分厚い。
けれど明日は、それを超えよう。
お肉戦隊 ミート5(ファイブ)。
ビーフ、チキン、ポーク、
マトン(女子)、ラム(子ども)。
8月14日(金)晴れ <92日目>
まるで寝坊。
8:50起。
11:25、やります。
13:30、やりました。
#9《まぁ、すてき》。
14:30 → 17:55。
#10《スターな衣装》。
完成、終了。
すべての絵を、描き終えた。
終わった。
長かったような、早かったような。
屋上でビール。
夕焼け空が朱色に輝いて、
ものすごくきれいだった。
たった1缶のビールで、ほろ酔い。
屋上。
気づくと1時間経っていた。
今日までいろいろあった。
いろいろ学んだ。
いろいろ知って、いろいろ気づいた。
まだまだやること、やれることはたくさある。
自分の大きさ、小ささ、
可能性と実力を知った。
それを引き出すのも、自分だと知った。
限界とは、
自分自身がつくり出す安全圏でしかない。
その向こう側が危険かどうか。
未知を味わうためには「冒険」するしかない。
向こう側に踏み出す一歩が、
あぶないけれど、やっぱりたのしい。
8月15日(金)晴れ <93日目>
8:40起。
10:15開始。
会場入口、赤布。
1室、片づけ。
掃除、水拭き。
看板、玄関まわり。
3階、廊下〜階段、掃除・水拭き。
汗だくの作業を終えて、
18:00ごろ、夕食を食べに出かける。
ハンバーグ定食。
デミグラスソースがたまらない。
お店の大将と話していたら、
何と、今日が75歳の誕生日だということだった。
店を出ると、
赤いちょうちんをくくった、
1本の長ぁーい竹を運ぶ人たちに遭遇。
気になったのでついていくと、
その人たちの、家に着いたようだった。
そのままふらふら歩くと、
何やら音楽が聞こえてきた。
盆踊り。
旧小学校のグランドで、
輪になって踊る人たち。
やぐら、ちょうちん、浴衣の人々。
水銀灯の光を浴びて、
超現実的な風景だった。
現場に戻る道すがら、
遠く、ドンドンという音が聞こえた。
急ぎ足で現場に帰って屋上へあがる。
さらにその「上」の、
貯水タンクがある所にのぼると、
南東の空に、小さく花が広がっていた。
街のシルエットごしに浮かぶ、
たくさんの花火。
今日までのしめくくりに似合う、
ちょっとした夏のごほうびめいた出来事だった。
今日で93日目。
ようやく「箱」と「中身」がそろった。
あとは当日に向けて、
しっかり飾りつけをするのみだ。
長かったような、
そうでもないような。
濃ゆい日々が、93。
どれも似ていない93が重なってできた
《美術館》を見るのがたのしみだ。
8月17日(日)雨 <94日目>
雨漏りを心配しつつ。
朝、10:30ごろには雨がおさまり、
その間に車へ荷物を積み込む。
昼ごろ現場に到着。
荷物を運び終わったころ、
おそろしく激しい風雨が到来し、
風と雨がぐるぐるうずまいていた。
雨が強くて窓が開けられず、
汗だくで設営、飾りつけ。
看板、ごあいさつ、作品、
キャプション、作品集。
空間が《美術館》になった。
絵と模様、色とモノクロが、
おもしろい関係になった。
頭のなかに描いた「絵」が、
現実になった。
夜のきらびやかな《美術館》の姿に、
まるで正装したかのような、
きりりとした空気を感じた。
よかった。
これで胸を張って、
お客さんを迎えられる。
2日後の、初日がたのしみだ。
こんなにたのしんでつくったのだから。
みんなもきっとたのしんでくれるにちがいない。
★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
8月19日(水)晴れ時々曇り <初日>
11:30。
第1号、第2号のお客さま、ご来館。
わいわいたのしんで、
ゆっくり見ていただきました。
そんなふうにして幕を開けた
《家原美術館2015》。
枚挙にいとまがないほど
語り尽くせぬ出来事が盛りだくさんがゆえ、
ひとまず会場のようすを
お写真で見ていただくことにいたしましょう。
開催期間中の33日間、
実質24日間。
いろいろなことがありました。
たくさんのお客さまにご来場いただきました。
おなじみのお客さま。
何年ぶりかにお会いしたお客さま。
初めてお会いするお客さま。
建物の前でタバコを吸っていたとき、
初めてお顔を会わせて、
そこから何度か足を運んでいただいたお客さま。
偶然の再会もありました。
東京、大阪、京都から。
遠方より、わざわざ足を運んでいただいたお客さま。
県内、県外、もちろん地理的距離は
関係ありません。
ご家族でいらしてくださったお客さま。
ギター片手に唄ってくれたお客さま。
会場内を、
ものすごい速さでハイハイする赤ちゃん。
公園さながらに走り回る子ども。
子どもや赤ちゃんだけでなく、
犬もきてくれました。
そう。
今回の《家原美術館2015》は、
何ひとつ欠けても、
誰ひとりが欠けても、
こうはならなかった。
そんなふうに感じました。
そして。
9月20日(日)晴れ <最終日>
閉館時間を迎えて、
会場には自分ひとりになった。
終わった、という実感は、
まだないけれど。
とにかくうれしい気持ちと、
感謝の気持ちでいっぱいだ。
みなさま、本当にありがとうございました。
目に見えるものはもちろんのこと、
目に見えないものを、いっぱいもらった。
今回の《家原美術館2015》では、
すごく成長できたと思う。
全力でやることで、
いっぱいもらえる。
本当にありがとうございました。
★ ★ ★ ★
ご来場いただいたお客さまはもとより、
こんなに冗長な記述におつき合いいただいた
奇特なみなさまにも、感謝をお伝えせずにはいられません。
いつ終わるのか、
本当に終わりがあるのか、
どうなのか。
きっとそんな疑心暗鬼を抱きながらの
通読だったことでしょう。
長きにわたるお付き合い、
本当にありがとうございました。
次回からは、
またくだらない記述に戻りますので。
これからも、
どうぞよろしくお願いいたします。
いいかげんこれにて失礼いたします。
また会う、その日まで。
ごきげんよう!
2015年11月18日 家原 利明
< 今日の言葉 >
『いやな考えだの、がっかりするようなことが
心のなかに入り込んできたとき、
その代わりに気持ちのいい、勇気のわいてくるようなことを
思い出したり考えたりしてみさえすれば、
もっと驚くようなことがだれにもできるのです。
ひとつの場所にふたつのものはおさまらないのですから』
バラを咲かせりゃ
アザミは生えぬ
(『秘密の花園』/F. H. バーネット)