家原美術館。
2週間という、短い期間の開催でしたが。
たくさんの方々にお越しいただき、
大盛況のうちに幕を閉じました。
わざわざお越しいただいたお客さまには、
感謝の気持ちでいっぱいです。
ほんと、ありがとね。
いえ、誠にありがとうございました。
行きたくても行けなかったという方。
興味を持っていただけただけでも充分ですので、
また別の機会に是非ともお越しくださいませ。
今回は、家原利明、
これまでの集大成ということもあり、
旧家を借り切って大々的な展示をさせてもらいました。
もう、終わってしまった宴ですが。
家原美術館の展示記録として、
今後、ちまちまと会場のようすなどを
公開していく所存ですので、
よろしければ閲覧くださいまし。
来られた方は懐かしみながら。
来られなかった方は行ったような気になりながら。
それぞれの見方でたのしんでいただければ
さいわいです。
とにかく。
みなさま、ありがとうございました。
家原利明、これからも精進してまいりますゆえ、
何卒、よろしくお願いつかまつります。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
《家原美術館だより #2》
2日目。
会場に着くと、クロネコのクールな箱がぼく宛に届いた。
ぼくが「橦木館」にいると知っての仕業だ。
箱の横には「Plesic」と書かれている。
「わ、所シェフからだ!」
喜び勇んで箱を手に取る。
箱を開けると、まさに宝石のようなきらびやかなスイーツが、
色とりどりに並んでいた。
ボトルスイーツコレクション。
まさしく「コレクション」の名にふさわしい、
美しいスイーツの詰め合わせだ。
くわえてシフォンケーキが、まるっと1ホール。
添えられていた手紙には、
こう書かれていた。
「お花をお贈りしようとも思いましたが。
花より団子と言う事で、スイーツをお送りしました」
所シェフ。
何とも、にくい人だ。
Plesic(プルシック)の所シェフには、
どちらかというと、
ぼくの方がいつもお世話になっているのに。
こんなふうに、いつもさらりとぼくを驚かしてくれる。
本当に、ありがといことです。
そんなふうにしてはじまった、2日目。
若いママさん3人組の方たちをはじめ、
初めて会う人とたくさん話せた。
3日目。
10年以上ぶりに会う、懐かしい顔。
それぞれの時間の流れがおもしろい。
変わらないもの、変わったこと。
久しぶりの再会は、いまの自分の姿を写す鏡みたいでおもしろい。
お世話になっているフランス料理屋さん、
「森料理店」のお客さんが、わざわざ見にきてくれた。
ちょうどゆっくり話せたので、
絵の説明にはじまり、
自慢のコレクションまであれこれ説明させていただいた。
なかでも「白クマガラシャツ」にはまっていただいたようすで、
目を潤ませて笑ってくださった。
絵を観てよろこんでもらえるのもうれしいけれど。
コレクションのバカさ加減に笑ってもらえるのも、またうれしい。
そんなふうにしてたのしんでもらえると、
ほめられたような、報われたような、
ものすごくありがたい気持ちになった。
金沢から、ガラス作家の方が見にきてくれた。
作業途中で出てくる廃材で、
きれいなガラス片がたくさんあるらしく、
こんどそれを使って何かつくっていいよと、言ってくれた。
ぼくが、
「たくさんのお客さんがいっぺんにきて、
ひとりひとり対応できなくなったらどうしよう」
と、質問したら、
「大丈夫。重ならないように、
不思議とうまくいくもんだから」
と、教えてくれた。
4日目。
大阪からのご夫婦。
お昼ごはんを買いに出ようとしたとき、
お二人の姿が見えたので、
何となく声をかけさせていただいた。
期間中、
毎日、先着10名様に《家原美術館手ぬぐい》を
配らせていただいた。
今回の展覧会のためにつくった、非売品の手ぬぐいだ。
手ぬぐいに書かれた《家原美術館》という文字を見て、
旦那さんが、
「えばら美術館、か」
と、おっしゃった。
「家原と書いて『いえはら』っていうんです」
というと、旦那さんは、ほう、と言った。
「大阪の堺市に、家原寺(えばらじ)っていう
お寺があるんやけど」
「あ、はい。ぼくの家のルーツは、
その堺市の、家原寺らしいです」
「ほう、そうなんや? あそこ、
高校受験と大学受験とお参り行ったで」
そこから、いろいろ大阪の話になった。
旦那さんの地元が堺市で。
家原寺だけでなく、
手ぬぐいの製作をお願いした会社も、堺市で。
今回、展覧会のハガキになっている絵は、ぼくの祖父で、
おじいちゃんとはよく、
近所の「かっぱ横丁」や「虹の街」へ遊びに行った。
「かっぱ横丁」をよく知るご夫婦は、
祖父母の家の最寄りだった中津駅の、
すぐ近くの「セカイチョービル」のあたりで、
たまにランチを食べるとか。
まるでご近所さんにお会いしたような感じで
会話に花が咲いた。
ご夫婦は、お二人とも物腰やわらかく、柔和な方で、
終始笑顔でお話ししてくれた。
それでいて少年少女のように、
驚いたり、笑ったり、感心したり。
和室に展示しているぼくのコレクションにも
かなり興味を示してくれて、
ひとつひとつ、ものすごくたのしんでくれていた。
和室の2室と、蔵と、2階洋室と、
すっかり見て回ってもらって。
ぼくの用意した『お名前書いて帳』に
感想などを書いてもらっているとき、
旦那さんのほほに、1匹の蚊が止まった。
旦那さんは、感想を書くのに夢中で、
蚊が止まっていることには気づいていない。
それに気づいた奥さんは、
「蚊、止まってる」
と、静かに旦那さんのほほに手のひらを当てて、
そっと押さえつけた。
そこで初めて蚊の存在に気づいた旦那さんは、
何も言わないのに、何となく「空気」で
ありがとうを奥さんに伝えているふうだった。
ぼくは、お二人のそのやりとりに、感動した。
仲がいいとか、むつまじいとか。
言葉じゃ言い表わせない、すごくいい感じの空気感。
いいなあ、と思った。
「ふたりで出かけると、いっつもいいことが起こる。
今日もこうやっていい出会いがあったし。なぁ」
そういって笑顔でうなずきあうお二人を見て。
すばらしき「先輩」の姿を、
しっかり胸に焼きつけておこうと思った。
「お昼、食べてへんのやろ?
はよ、食べてき」
そういって、ぼくをうながしてくれたお二人は、
庭に回って、茶室の展示までしっかりたのしんでくれた。
お昼を買って、
公園のベンチで食べていると、
はなれた場所から何やら声が聞こえた。
見ると、先ほどのご夫婦が、
笑顔で大きく手をふっている。
「おーい、がんばってなー!」
「はい、ありがとうございまーす!」
立ち上がって、ぼくも手をふり返す。
視界から消えるまで、
いつまでも何度も手をふるお二人の姿に、
ぼくは、少し泣きそうになった。
建物の影にかくれそうになって、
背伸びして手をふる奥さんの顔と姿が見えなくなって。
本当に少し、泣けてきた。
こんないい話を書くつもりはなかったけれど、
うれしくて、ありがたくて、
心に深く残ったから。
感謝の意味も込めて、ここに書かせていただきました。
橦木館の館内に戻って、
お名前書いて帳の開いたページに目を落す。
そこには、緑色のボールペンで、こう書かれていた。
『今日は偶然の出会いか、必然の出会いでしょうか。
楽しい絵や、いろんな作品有難うございました。
どんどん作品をつくって、皆さんを楽しませて下さいね。
家原氏のお話を聞きして、堺に帰ったろ。家原寺へ
お参りに行かせてもらいたく思いました。ありがとうございます』
ぼくは、この文字を見るたび思い出すはずだ。
ご夫婦のにこやかな表情と、
蚊を退治するやさしい手と、ほほ、
そしていつまでも手をふるお二人の姿。
ものすごく、いいものをもらった。
こんなふうにして、
ぼくはいろいろな人からもらってばかりだ。
それでも。
例の(家原美術館だより#1で)お金を貸した7歳の女の子は、
いっこうに現れる気配がない。
コンビニの前で渡した5円はいいとして。
120円は、きっちり返してもらうつもりだ。
初日、絵を描くその女の子が、
「みどりがない」
と言っていたので、
ぼくは、その日の帰りに
緑色のボールペンを買ったのだ。
赤、オレンジ、ピンク、紫、青、
そして新たに加わった、緑色。
せっかく買ってきたのに、
女の子は一度も使うことがないままだ。
まったくもってふりまわされっぱなしの、
おっさんであります。
けれど、その緑色のボールペンで、
大阪からのご夫妻に、
うれしい言葉を書いてもらった。
もらってばかりのぼくだけれど。
やっぱり120円は、
いまだ、返ってこない。
[家原美術館だより#3 につづく]
< 今日の言葉 >
「トイレの水洗コックの『大・小』の文字が
チャゲ&飛鳥に見えるほどだから、
だいぶ疲れているみたいだ」
(《家原美術館》の搬入作業が終わって、トイレに入ったとき。
水洗コックの文字を見て、まったく頭にもなく、
自分の生活と縁のないはずの「チャゲ&飛鳥」の顔が浮かんだ。
『大』が帽子をかぶった人、「チャゲ」さんのほう、
『小』が、少したれ目っぽい「飛鳥」さんのほう。
おしっこをしながら迷わずそう見えたとき、
自分は相当疲れてるんだなと気づかされた。
たしかに、丸2日くらい、まともに寝ていなかった)
2012.9.4. 22:10の記述