2010/12/30

大晦日のバースデーケーキ


性別年練位国籍不詳 (2013)





ぼくの姉は、12月31日生まれだ。

いわゆる「大晦日」が誕生日なのだ。


小さなころ、
姉がよくいっていた。


「あたしの誕生日プレゼント、
 いっつもクリスマスとお正月と
 いっしょにされる」


そんなふうになげく姉だったが。
ぼくからすると、
自分の誕生日よりもいつも豪華で、
にぎやかではなやかな感じが
してうらやましかった。


というのも。

大晦日には、じいちゃん、ばあちゃんが、
大阪からきてくれるからだ。


だから、
姉の誕生日はいつもにぎやかだった。

ぼくはじいちゃんが大好きだったので、
じいちゃんばあちゃんに誕生日を祝ってもらえる
姉がうらやましかった。

自分の誕生日にも、
大阪から電話があったり、
プレゼントが送られてきたりしたことはあった。

けれど、
直接祝ってもらえることがうらやましかった。


とはいえ。

それを不満に思ったこともない。



大晦日。


じいちゃん、ばあちゃんも、
父も母も姉もいて。

鯛(たい)のお造りや鶏の丸焼き、
ぐつぐつ煮えた鍋などの
ご馳走を囲んでの「パーティ」。


そのあと、真っ白くて大きな
バースデーケーキを食べられるのだから。

すごくうれしい夢のような1日だった。


姉からすると、
なんだか大晦日のお祝いの「ついで」のように
感じたのかもしれないが。

ぼくからすれば、
大晦日に豪華で盛大なパーティを
たのしむことができたので、
すごくうれしかった。


大晦日の誕生日ケーキ。

すぐ6日後の、
31日にケーキを食べるので、
クリスマスケーキが
アイスクリームケーキだったこともある。

ドライアイスと水を入れて。
煙突からもくもく白い「けむり」が出る、
赤い屋根の小さな家。

そんな飾りが乗っかった、
冷たいアイスクリームケーキ。


幼稚園のころ、
生まれて初めての
アイスクリームケーキが食べられたのも、
姉の誕生日が大晦日だったおかげだ。


自分の誕生日が、
自分の誕生日とはまた別の
お祝いごとと重なっていたら。

たしかに、姉のような気持ちに
なったかもしれない。


年末には、いろいろな「イベント」がある。

25日にはクリスマス。

31日には『大晦日だよ!ドラえもん』。
そして年越しそばと、除夜の鐘。

1日にはお年玉。

初詣の露店と、お正月ムード漂う街のにぎわい。


そんな、
おたのしみつづきの時期にはさまれた、
姉の誕生日。


そのときはなんとも思わなかったけれど。

誕生日の「おたのしみ」が少しぼやけて、
かすんで見えてしまっていたのかもしれない。


自分自身の期待感が、というより。

お祭りムードに包まれた、
まわりの空気のせいで、
誕生日の「特別感」が
薄れてしまっていたかもしれない。



明日は大晦日。

姉の誕生日だ。


姉がどう思っているのか、
本当のところは分からないけれど。

大晦日が近づくと、
やっぱりぼくは、うきうきしてしまう。


大晦日に丸いケーキを
食べることはなくなったけれど。

じいちゃんばあちゃんと、
父と母と姉と愛犬と、
にぎやかな飾りに囲まれた大晦日の記憶が、
まるで自分を祝うパーティのように
深く染み込んでいるせいもあるのだろう。


もうすぐ、ハッピーなニューイヤーがくる。

おニューなイヤーだったはずのイヤーも、
気づけばあとちょっとで、
ラストイヤーになっていく。

すぎさったオールドイヤーたちと、
もうすぐやってくるニューイヤー。


ケーキはなくても、
やっぱりわくわくしてしまう。


なぜならニューイヤーは、
いつでもハッピーなものなのだから。



< 今日の言葉 >

『スイートポテト』だと思ったら、
『スイトーポテト』だった。


【スイトーポテトの図】