2008/12/09

何もないけど遊んでた



「悪ガキ2人」(2008)



例えば、中学時代や
高校時代の話になって。


「あのころはよかったなぁ。
 あのころに戻りたいよ」


そんなふうに言うのを
聞いたことがある。

それで言ったら、
僕は小学生時代に戻りたい。

とはいえ、
僕自身が「小学生」に
戻りたいわけじゃあない。

小学生時代にしていた「遊び」。

あのころやっていた
「遊び」ができる「場」に、
もう一度戻りたい。


一匹のフナがいた。
池の隅っこに浮かぶ、死んだフナだ。

僕らはそれを、
少し離れた場所から見ていた。

そしておっかなびっくり、
じわじわと近づき、まじまじと見つめた。

誰かが棒を取り、そっとつついてみる。

一瞬、動いたかに見えたのは、
棒でつついて浮き沈みしたせいだ。

より近くに近寄り、
もう少し長めに、しっかりとつついてみる。

動かない。

フナは死んだまま、
口を開けて、
じっと空を見上げている。

短い棒でつついてみたり、
さらにじっと様子を見たりしたあと。
勢いづいて、死んだフナを陸地に上げる。

みんなで協力しあって、
声をかけ合い、
やや白くなったフナの亡骸を、
草の生えた地面へと引き上げた。

「ちょっと、
 指でつついてみよう」

息をころし、指を近づける。

止まったみたいな時間が
じりじり流れる。

その指が、
触れるか触れないかの時、
背後から「わっ」と声を浴びせる。

「わ、びっくりしたぁ!」

言葉そのままの顔が、
一同を振り向く。

僕らが笑うと、その子も、
何だか嬉しそうな顔で照れたように、
白い歯を見せて笑っていた。


死骸を弄ぶなんて。
いまにして思えば
ひどく残酷な「遊び」だけれど。

そのときは何も考えず、ただ
「やってみたらおもしろいんじゃないか」
という思いで実行していた。

最後にみんなが笑えれば、
それでいい。

ようするに
おもしろいか、おもしろくないか。

そんな感じだった。


だから、
イヌやネコにいたずらしたり、
長期に渡ってねちねちと
陰湿な「いじめ」をするのは
「ちがう」と思った。

おもしろく、ないからだ。

やってるほうも、やられるほうも、
全然おもしろくない。


何もないとき。
僕らは、新しい「遊び」を考えた。

自分の家の2階の雨戸を
全部閉め切って、室内を真っ暗にして。
「オバケやしきごっこ」をしたこともある。

入る客1人を残して、
あとは「オバケ役」に回る。

順々に役割を回しながら、
おどかし方も変えていく。


こういう「遊び」で、
大切なのは「メンバー」。

ドラクエで言うところの「パーティ」。

いっしょに遊ぶ「仲間」が、
遊びの「行き先」を左右する。


まず、必要なのが「パートナー」。

「勇気」と「センス」があり、
話の通じる友人、つまり、
いちばん仲のいい友人が
パートナーとしてふさわしい。

2人が合わさることで、
知恵も、行動力も、
2倍位以上のものが発揮される。
そんな相手が理想的だ。


次に「ビビリ」な友人。

とにかく「反応」がおもしろいので、
盛り上げ役には欠かせない存在だ。

学校の成績もよく、
根っこが「マジメ」な分だけ、
心配性だったりする。

「ねぇ、もうやめようよぉ・・・
 先生に怒られるよぉ」

そんな「あおり」を入れてくれるのも、
たいてい「ビビリ」の役割だ。


そして「調子乗り」な友人。

実際は恐がりだとしても、
そんなそぶりはいっさい「見せない」。

見栄や虚勢で、
その場を切り抜けようとするのだけれど。
その「嘘」が、たまらなくおもしろい。

彼らのする「知ったかぶり」も魅力的だ。


まあ、あとは「お金持ちの子」や
「新しい遊び場(遊び道具)を提供してくれる子」などが
イレギュラーに出入りしたのだけれど。

僕らは4人くらいがちょうど良かったので、
たいていいつも、こんな感じだった。


チャリンコで、
長ーい階段をガタゴトと下ったり。

スケボーを持って、
近所でいちばん長くて急な坂のてっぺんから、
「すっぱマン」みたいな腹ばい姿勢で
一気に滑り降りたり。

この手の遊びでは、
「ズル」や「インチキ」はおもしろくない。

ギリギリに挑戦するからこそ
おもしろいのであって、
手加減や手心が加わってしまうと、
一気にさめてしまう。


遊びのなかでの「ルール遵守」は、
ときに自己申請的な判断に任される。

あくまで「自分との闘い」だ。


傾斜が急で、
さらに急カーブの下り坂。

チャリンコで「ノーブレーキで下る」
というルールなのに、
「調子乗り」の友人が
ブレーキをかけた。

それを突っ込むと、

「ちがう、急にいま、
 ネコが飛び出してきて」

と、真顔で説明した。

ネコの姿など、誰も見ていない。

さらに突っ込んだ僕らに、
彼はこう言い放った。

「だって、透明だったから」

飛び出してきたネコは、
透明のネコだった、と。

なぜ透明なのに
見えたのかと問いただすと、

「尾っぽのほうが、
 すこし白く見えたから」

だそうだ。

ちなみにこのとき、ビビリの友人は、
坂の上から僕らを見ていて、
結局最後まで下ってこなかった。

チャリンコのハンドルを握りしめ、
石のように、じっと固まったまま。

僕らのなかで
「これ以上はムリ」という
「ものさし」はあるので、
ビビリの彼を、
無理矢理下らせることは、しなかった。


ガキは、
高いところにのぼったり、
降りたり、またのぼったり。
それをバカみたいに繰り返す。

目線や景色が変化するだけでも、
たのしかったりする。

たから、変な乗り方で
チャリンコに乗ったりもする。

パートナーである友人が、
無謀とも思えるアクロバティックな
乗り方に挑戦していたとき。

いきなり、
チャリンコのチェーンが外れた。

バランスを失った友人は、
そのままチャリンコごと
回転しながら転倒した。

横ではなく、縦方向への回転。

まさに、
アクロバティックな宙返りだった。

目の前で倒れた友人を
轢くまいと、僕は必死で
ブレーキを握った。

倒れていく友人と目を合わせたまま。

その間、
ほんの1、2秒の
出来事だとは思うけれど。

僕ら2人には、
時間と映像が、ものすごく
スローモーションに感じた。


チャリンコごと転び、
僕に向かって手を差し出していた友人。

あとで聞くと、
スローモーになりながら必死で
「ひかないで」と訴えかけていたという。

実際、僕のチャリンコは、
彼の鼻先ギリギリのところで
ぴたりと止まった。


こんなスーサイダルな友人は、
その後、プロのスノーボーダーとして
世界の山々を滑り回るのだから。

やってることは、
ずうっと変わっていない気もする。


新しい遊びを思いつき、
熱狂して、飽きるまで繰り返して。
飽きたらまた新しい遊びを考える。

そんなことを、毎日、
飽きることなく繰り返してきた。

遊びに飽きても、
遊ぶことに飽きることはなかった。


ロケット花火での撃ち合い。

20代になってから、
再びそれをやる機会が訪れた。

専門学校の先輩たちといっしょに、
ロケット花火の撃ち合いをした。

先輩たちは、
本気で「缶けり」や
「ジャンケンケツ蹴りゲーム」のできる、
素敵な人たちだった。


激しい撃ち合いが始まって、
場も盛り上がってきた。

と、はるか前方の茂みから、
1基のロケット花火が
飛んでくるのが見えた。

そのロケットは、
オレンジ色の尾を引きつつ、
こっちに向かって飛んでくる。

それなのに。

気づかず、
目の前に飛び出していく
女の子がいた。

嫁入り前のムスメさんが、
ケガでもしたら・・・!

別に「美談」でもないのだけれど。
飛び出した僕は、
そのロケット花火に命中した。

左脇腹にぶつかったロケットは、
そこでヒュルヒュルと音を立てて勢いを失い、
パーンという音とともに破裂した。

熱かった。

そしてものすごく、痛かった。

お気に入りの、
セディショナリーズのTシャツ。

左脇腹部分が黒く燃えて、
直径5センチくらいの穴が開いていた。

「ぜったい穴あいた」

そう思い、こわごわと
シャツに手をかける。

シャツをめくると、皮膚がこげて、
そこからじゅうっと血がにじんでいた。

が、さいわい穴は、
あいていなかった。

心配して駆け寄ってきた先輩を見て、
僕は急におもしろくなって、笑った。

「何してんの、おれ?」

そんな自問自答に、
自分で笑ってしまったのだけれど。

気づくと先輩も
「バカだなあ」と言って、
いっしょに笑っていた。

(※私たちは専門学校で特殊な教育を受けております。一般のよいこのみなさんはけっしてマネをしないでね)


僕は、
こんな「遊び」がいとおしい。

そんな「仲間」がいとおしい。


いいわけを抜きにしても。

いまではなかなか
「遊ぶ」「場」が減ってきている。


口笛吹いて空き地へ行ったら、
知らない子がやってきて、
遊ばないかと笑って言った
してくれるような。

どうやらそんな「見た目」でも
なくなったようだ。


さて、ここで問題です。
下線部分は、何の歌詞でしょう。


さらに問題。
ロケット花火の前に飛び出した女の子は、
はたして「透明な女の子」だったのでしょうか、
本当に「女の子」だったでしょうか。


< 今日の言葉 >

「なぁ、浜田。おれらメシ食うてたら、登山の格好したおっさんが入ってきて、カレー3つ、って頼んで、泣きながらカレー食うて帰ったの見たことある。あれ、何やったんやろ」

「な。すごかったな、3つ頼んでガァー食うてんねんで、3つ。泣きながら」

「あれ、何やったんやろ。いまだに分かれへんわ。登山の格好してんねん」

(ダウンタウン、松本・浜田、両氏の、まるで音楽のようなやり取り/『ガキの使い』より)