2012/05/29

甘い香りに誘われて



絵は、花みたいなものだ。


部屋のなかに飾っただけで、
空間がぱあっと明るくなったり、
日常的な風景に彩りを与えてくれたりする。


絵は、お菓子みたいなものだと。
ぼくは、そんなふうにも思っている。


なくても生きていける、
いわゆる「無駄」なものだけれど。
ないとさみしい。
あると、ちょっとたのしいし、うれしい。


「ごはん」ほど必須ではなく。
かといって「いらないもの」ではない。


ぼくは、そんな「お菓子」というものが大好きだ。




先日、お菓子屋さんに絵を届けにいった。


『Plesic(プルシック)』という、
岐阜にあるお菓子屋さんだ。


(詳しくはこちらをどうぞ)


ご存知の方も多いと思われるが。


「なめらかプリン」を開発した所シェフが
地元、岐阜市で営んでいる「小さなお菓子屋さん」だ。




そこに、2枚の絵が飾られている。


季節の絵が1枚と、常設の絵が1枚。


所シェフからお話をいただき、
お店に似合うような絵を、色えんぴつで描いた。


《甘い香りに誘われて》という絵と、
《お菓子の国の王子さま》という絵だ。


《甘い香りに誘われて》は、春の絵。
季節の絵は、春、夏、秋、冬、
季節にあわせて「衣替え」していく予定なのです。




























ここで、「なめらかプリン」の思い出話をしたい。




ぼくはカスタードクリームが大好きで、
シュークリームとプリンが大好きだ。
学生時代、「1日1個」プリンを食べていた時期もある。


そんなある日、
「なめらかプリン」というものに出会った。




衝撃だった。




いままでのプリンは何だったんだろう。
そんなふうにさえ思った。


それからぼくは、
その「なめらかな」プリンばかりを食べていた。


さすがに「1日1個」とはいかないまでも、
最低10日に1個くらいのペースで
「なめらかプリン」を食べていた。




あるとき、
友人が寝込んでしまった。


ショックな出来事があって床に伏し、
3日間、食事も喉をとおらない状態だった。


それを聞いたぼくは、
「なめらかプリン」を3個買って、
友人宅へと車を走らせた。


なぜ3個だったのかといえば、
たぶん「3日分」という、
単純な理由から導き出された数だろう。


プリンは、栄養がある。


詳しいことは知らないけれど。


食欲がないときでも、
プリンとか、カステラとか、
アイスクリームなんかを食べれば、
何とかなる。
それで、何とかなった。
少なくとも、ぼく自身はそうだ。


だから、おいしくて栄養価の高い、
「なめらかプリン」を友人に届けた。


それが効いたのかどうかは別として。
数日後、友人の元気な声を聞くことができた。




そんな「なめらかプリン」を開発した、
「なめらかプリン」の生みの親である、所シェフ。


ぼくにとっては、「プリンの神さま」だ。




そんなぼくが、
まさか「プリンの神さま」のもとに
絵を届けにあがるなんて。


なめらかプリンを食べて、
ただただ「えへへ」と笑っていたころのぼくには、
想像もしなかった現実だ。




プリンの神さま、所シェフとぼくとをつないでくれたのは、
これまたすばらしい料理を提供してくれる、
フランス料理のお店屋さんだ。


そのお店に飾られているぼくの絵を見て、
所シェフが、にっと笑って、


「いい絵だね」


と、おっしゃったそうだ。






そんなふうにして出会った、
「プリンの神さま」とぼく。


「甘いものが好きな人に悪い人はない」


誰の格言でもないけれど、
本当にそのとおりだと思う。


ましてやそれをつくる人なら、
なおのことだ。




所シェフがおっしゃっていた。
お菓子が、自分にとっての「作品」だと。


所シェフの「作品」は、
どれもすみずみにまで気持ちが入っていて、
やさしくて、こまやかで、すごくおいしい。


プリンは、
なめらかという言葉じゃ足りないくらいクリーミーで、
口どけがいいのに濃厚だ。


ロールケーキは、
きめが細かくて、しっとりふわふわで、
じゅわっとしていて、クリームの量もたまらない。




本当に、いくら言葉を並べたてても伝えきれない。
思わず笑っちゃうくらいのおいしさだ。


とにかく、食べてみたら「分かる」ことだし、
食べてみないと分からないことなので。


ぜひ一度、自分の目や舌で感じてみていただければ、と。
そんなふうに思っております。




プルシックの所シェフしかり。


フランス料理屋さんのシェフしかり。


ある意味「無駄」を追求する求道者で、
「無駄」の意味を知り、「無駄」の意義を知る人だ。




世の中から全部の「無駄」がなくなったら、
かさかさに渇いて、みんな「灰色」になる。




みんなをよろこばせたり、
笑わせたりする「無駄」を生み出すために、
よけいな「無駄」を削ぎ落して勝負する人たち。


ぼくは、そんな人の姿を見るのが好きだ。




ぼくも、研ぎすました「無駄」で、
みんなをたのしませていきたい。


そう思っております。






























< 今日の言葉 >


「カルピスを薄めず、原液のまま飲むくらい金持ち」
              (『イエハラ・ノーツ2012』より)





2012/05/03

ライスのうえには、カレーか林か。



腹が減っていた。


腹がぺっこぺこに減りすぎて、
食べられるものなら何でもいい。
そう思った。


商店街をぶらつきながら、
目についた寿司屋で、
うどんか何かを食べようかとも思った。


スーパーマーケットでスナック菓子でも買って、
その場をしのごうかとも思った。




けれど。




少し歩いてみよう。


そう思い直し、商店街を先へと進んだ。




しばらく歩くと、
何やら呪文のような、お経のような声が聞こえた。


よく聞くとそれは、どうやら唄声のようだった。




年輩男性の歌う、昭和歌謡。




声は、地上から少し下がった、
地階からもれ聞こえていた。






















『SNACKBAR AMI』


その唄声につられるようにして、
『アミー』という名の店の扉をくぐった。




階段を下りると、真っ赤なドアがあった。


顔を近づけて中をのぞいてみると、
カラオケを熱唱するおじさんの姿が見えた。
昭和歌謡の唄声の主だ。


昼下がりの土曜日。
午後3時半すぎごろだっただろうか。


まだ日も高い、快晴の土曜日。


マイクを握ったおじさんの唄声は、
そんなうららかな陽気には似つかわしいほど、
ごきげんな調子だった。



















《暖房完備》と書かれた赤い窓のドアに手をかけ、
静かにそっと押し開ける。




ドアを開けると、おじさんの唄声が、
熱気のようにもわっと大きくふくらんだ。




こちらに背を向け、
カラオケ映像に向きあって唄うおじさん。


お店の人なのか。
そのそばで、おじさんの唄を聴いているようすの、
背の高いおじさん。


カウンターの奥には、
メガネをかけた、エプロン姿のおばさんが立っている。




その情景に。


ぼくは、少しばかり、時を忘れて立ちつくした。




時間どころか場所すらあいまいになり、
時代すら不確かにゆらめいて。


目の前に広がる「不思議な」風景を、
ぼくは、ただただ受信していた。




にわかに空腹を思い出したぼくは、
エプロン姿のおばさんに聞いた。


ボリュームのある唄声にかき消されない程度に、
声をはりあげて。




「食事って、できますか?」






おばさんは、こくりとうなずいたあと、




「はい、できます」




とギリギリ聞こえるくらいの声で言った。




さっそく席に着くと、




「カレーライスかハヤシライスですけど、
 どちらにしますか?」




と、おばさんに聞かれた。


どうやら「お食事」は、
カレーライスかハヤシライス、
その2種類のメニューから選ぶことになっているらしい。


ハヤシライスを注文して。


待っているあいだ、
おじさんの唄声を聞きながら、
のんびりと店のなかを見回していた。


















カラオケを熱唱するおじさんのすぐそば、
寄り添うようにして立っている、
背の高いおじさん。


そのおじさんがお店の人なのかどうかは、
けっきょく最後まで分からなかった。


ぼくの座った席の背後には、
演歌歌手「ジョージ・林」氏のポスターが貼ってあった。






















ジョージ・林。


16歳で歌手を志し、
70歳にして歌手デビューを果たした、
演歌歌手。


(もっと詳しく知りたい方はこちらをどうぞ)



彼の姿を、最寄り駅で見かけたことがあり、
また別の場所でも彼を見た。


『織部の街よ』(c/w『土岐輝いて』:ジョージ林&とき)


ポスターに映ったジョージ・林氏は、
まだ「女装」をする前の姿だった。


ということは、
少なくとも2007年以前のポスターだ。


まだ「ジョージ」と「林」のあいだに、
「・(なかぐろ)」もない。


何だか「縁」のある、ジョージ・林氏。




「ジョージ・林。ハヤシライス。
 『はやし』つながりか・・・」




そんなつまらないことなど、これっぽっちも考えたりせず。


ひたすらハヤシライスがくるのを待った。




店の裏手側。
入ってきた側の「入口」は「地階」だったのだけれど。
「裏口」は、「地上」とつながっているようだ。


歩いているときには、
そんなに高低差がある土地だとは気づかなかった。




















ハヤシライス。


空腹のせいか。


なかなかこないような気がした。


いつのまにか、
おじさんの唄も終わっていた。


歌い終えたおじさんは、
カウンターに座って、
背の高いおじさんとおしゃべりしていた。




















どれくらいか経って。




ついに、
厨房から出てきたおばさんが、
ハヤシライスを持ってやってきた。


ハイカラな器に盛られたハヤシライス。


あまりに腹が減っていたせいもあり、
「いただきます」と言うなりぼくは、
すぐさまハヤシライスをほおばった。




うまかった。




腹が減っていたのもあるけれど。


それを差し引いても、
『アミー』のハヤシライスはおいしかった。




調理中、「チン」という音が聞こえたので、
「既製品」なのかもしれないが。


香草の風味が利いたコクのあるルーには、
じっくり煮込まれた感じのタマネギと、
スネみたいな感じの歯ごたえのある牛肉が、
これまたしっかり煮込まれて
やわらかくなった状態で入っていた。


濃くて、奥行きのあるルーが、
白いごはんにぴったりだった。


横に添えられた漬け物も、
彩りのための福神漬けではなく、
だいこんのたまり漬けみたいな漬け物だった。


これがまたおいしくて、
これだけでごはんがどんどん進んだ。


あっというまに、ぺろりと食べて。


















値段も分からず食べていたことに、
食べ終わってはじめて気がついた。




「ごちそうさまでした」


お会計に立つと、
にこっと笑ったおばさんが、




「ありがとうございました」




とレジを打った。




ハヤシライス、1杯/700円。




そんなに長い時間はいなかったけれど。


充分に満足した気持ちで、
階段を上がり、地上へと戻る。


名残惜しいような気がして、もう一度ふり返る。


階下には、
最初に見たときと同じようで少しちがって見える、
アミーの赤いドアが静かにあった。


















あたりを散策したあと。


暗くなった商店街をふたたび歩く。




同じ場所でも、
昼と夜では、まるでちがって見える。


















しだいに黒っぽくなっていく空に、
星がひとつ、またひとつ、
どんどんふえていく。




橋のそばの街灯が、オレンジ色に光る。
そのせいで空が青く、景色が深緑に見える。


















商店街を歩き回って。


最後にもう一度、
『アミー』の前を通った。


夜の闇に浮かんだ『アミー』は、
昼間に見た感じとはずいぶんちがって見えた。




もし、昼間じゃなくて夜にお店の前を通っていたら。


もし、おなかがぺこぺこに減っていなかったら。


もし、おじさんが唄を歌っていなかったら。




いや。




けっきょくのところ、
きっと『アミー』の赤いドアを開けていたにちがいない。




いつの日にか、
赤いドアの向こうで歌っているかもしれない。


酒も飲まずにごきげんな調子の、
ぼく自身が。


























< 今日の言葉 >


「高校生のころは『午後の紅茶』を午前中に飲むくらいワルだった」


(「イエハラ・ノーツ2012」より)