2025/09/01

第三の答え





芍薬の花束をもらった。


蕾のまま開かない花も、

立ち枯れて散り落ちた花もあった。


きれいに咲く花も、

うまく咲かない花も。

咲くことだけを考えて、

散りはてる最後の瞬間まで、

まっすぐ生きている。


なんてけなげで

潔いんだろう。


ひたむきに咲く

芍薬の花たちに、ぼくは、

そんなことを思った。


*  *


考えにつまった時。


人に相談して、

もらった言葉がそのまま

答えになるとも限らない。


第一の答えが

自分の、

これまでの「答え」だとして。

第二の答えが

人から聞いた

「答え」だとしよう。


人と話して、

新たに浮かんだ

第三の「答え」。


相談することで、

新たな選択肢が

浮かんでくる場合があるものだと、

最近、実感した。



* * *



母の調子が、

おかしくなった。


体ではない。

身体的には、いたって健康だが。

心がなんとなく下を向き、

元気がないのだ。


母は、何か悩みごとや

心配ごとがあると、

言葉にこそ出さないが、

気持ちがうつむきになり、

日常生活に変化が出る。


覇気を失い、

テレビの前に座る時間が、

長くなる。


朝が昼になり、

午前が午後になって、

夕方が近づく。


あっというまに時間がなくなり、

不意にあわてはじめる。


話もかみ合わなくなり、

テレビで観た、

暗いニュースばかりを口にする。


何が気になるんだろう。

何か、あったのか。


そんな母を眺めて、

1週間ほど経ち。


行動もややいい加減になり、

開けっぱなし、やりっぱなし、

言っておいたことや

約束を忘れる場面が増えている。


齢80歳の母ではあるが。

どちらかといえば、

もともととぼけた気質の人で、

言っことや、約束などを、

すぐに忘れる。


さらに、頑固というのか、

融通が利かない気質でもある。


記録媒体に喩えると、

CD-Rといったおもむきで、

USBなどのように

「上書き保存」や

「更新」などが不得手な人だ。


せっかく習慣化した「よき行動」も、

何かの拍子に「元に戻る」。


デフォルト状態への初期化。


もっと言えば、

あまりよろしくない、

まちがった習慣へと戻ってしまうのだ。


日がな一日、

テレビを観続けて、

何もやらなくなったり。


お風呂に入って、

そのまま窓を閉め切ったままにして、

カビさんたちの大好きな環境を

提供し続けたり。


計算もせずに、

思いっきり買い物をしてしまったり。


どうでもいいような、

細かいことばかりだが。

積もり積もると、

なかなか厄介な問題になる。


お金の使い方も然り。


「いい?

 ここにカステラがあるとして。

 母さんはこれを、

 ひと月で食べるはずなんだけど」


などと、子どもじみた

説明をしてみたり。


こうするといいよ、と、言っても、

届かない場合が多くある。


おだやかな口調で伝える言葉が、

苦言に聞こえているわけでも

なさそうだが。

ときどき面倒くさそうに、

表情を曇らせる。


何度も同じことをくり返す母に、

どうしていいのか、

どうしたらいいのか、

戸惑い、悩んでしまうことがある。


おそらく母自身も、

同じく戸惑い、

困惑しているのだろう。


堂々巡り。

悪循環の、悪環境。


まあいいか、で済むこと、

済まされないこと。


いろいろある。


あまり目くじらを立てて、

なんでも禁止や取り上げで

母を「取締り」たくはない。


そうは思うのだけれど。


どうにかしたいのに、

どうにもいかないこともある。


話が通じない。

言葉が届かない。


そんな折、

母のことを、姉に相談した。


現実家の姉は、

まこと明快な答えを

いつもくれる。


開けっ放しにする扉には、

自動で閉まる器具をつければいい、とか。


今の母さんには、

テレビを観るくらいしか

隙間の時間を埋めることが

できないのだから仕方ない、とか。


お金の管理は、

もう任せないほうがいい、とか。


誤解のないように言っておきたいが。


姉は、冷たい人ではない。

とてもやさしく、温情のある、

面倒見のいい姉ちゃんだ。


ただ、頭がよくて、

本質的な人なのだ。


いつでもぼくのことを思って、

言ってくれていることばかりだ。


だからこそ、

夢想家のぼくには、

姉の言葉、考え方が

とてもためになるし、

いつも気づかされて助けられている。


今回、相談——というか、

おしゃべりをしに行って、

竹を割ったような姉の回答に、

なるほど、と思いつつも。


どこか腑に落ちない、

すっきりしない感情が

くすぶっていた。


あきらめきれない、

割り切れない気持ちが

ひっそりとあった。


以前のぼくなら、

「答え」を急いでいただろう。


事を「解決」しようと、

躍起になったことだろう。


もうできないことだと

あきらめる選択。



果たしてそれで、

いいのだろうか?


ぼくの「もやもや」は、

母に、ではなく、

自分に向けられたものだった。



行動に出る前に、

母の姿を観察しながら、

1週間ほどじっくり考えた。


母の行動ではなく、

自分が今、何を思い、

どういうときに何を感じるのか。

ノートに書いて整理してみた。


ほかの、些細なことも。

「もう仕方がないこと」だと、

あきらめ、切り捨ててしまって

よいものだろうか。


何事も、

すぐには変わらないのだから。

ゆっくり向き合う必要がある。


将来、大事な場面で、

同じようなことが起こった時。

大切な人を見捨てたり、

あきらめたりしないためにも、

今、ここで「練習」しておく必要が

あるのではないか。


姉は言う。


「自分のしあわせが、まずいちばん大事。

 自分のしあわせをいちばんに考えなよ」


自分がしあわせになる、

そのためにも。


自分のために、

自分自身が変わるべきだと。

そう思った。



解決ではなく、向き合いたい。



そう思ったっぼくは、

ほかの人にも、話してみた。

家族のことを話せる、

家族のような人に。


「答え」を出さないその人は、

「答え」を求めないぼくの気持ちに

そっと寄り添ってくれた。



かつてのぼくは、極端だった。

0か100か。

白か黒か。

やるかやらないか、

その二択しかないと決め込む気質だった。


最近にしてようやく、

「グレーゾーン」を設けることが

少しばかり「わかる」ようになった。


一刀両断に、答えを出したり、

解決するんじゃなくて。


ただ、向き合うこと。


もう二度と起こらないような

方法を見つけ、

事態を完全防御するのではなく。

また今度起こった時にも、

笑顔で受け止められる自分でありたい。


成長。 器。 度量。


外側に、ではなく、

内側に変化を求めること。


それが、

ぼくにとっての「しあわせ」の形だ。


ぼくは、笑顔がいい。

自分だけじゃなく、

目の前の人も、笑顔なのがいい。


準備や方策よりも、

「いいよ」と言える自分でありたい。


二人に話して、思った。


二人に話したからこそ、思った。



答えは、二択ではないと。



第三の「答え」。


答えを出さないという「答え」が、

あるということを。


そんな考えが、

流星みたいにひらめいた。



* * * *



姉が、母を誘って、

映画を観に行った。


めずらしいことだった。


映画の内容が、

母の趣味につながる

ものだったこともあるが。

母を思い、

気晴らしに行ったのかもしれない。


帰ってきた母に、

映画の感想などをを聞いてみた。


「すごくよかった」


母は楽しそうに笑っていた。


「映画なんて、

 タイタニック以来だわ」


おそらく、

ちょっと大げさに

色づけされたであろう、

母の述懐を耳に受け。

ぼくも笑っていた。


(事実、母は

『アナと雪の女王』を

 姉の家族と観に行っていた。

 母の中ではずっと、

「アンと白雪姫」なのだけれど)


「映画、

 3時間もあったんでしょう?」


「3時間?

 どうりで長いと思った」


母が驚きをそのまま顔に浮かべる。


夕食の支度をする母が、

コンロの上のフライパンを滑らせ、

派手な音を立てて床に転がした。

晩ごはんのおかずが、

床の、マットの上に散らばった。


「ごめぇん・・・どうしよう。

 せっかく美味しいの作ったのに。

 このフライパン、

 底がつるつるだで、滑るんだわ。

 どうしよう・・・

 マット、今朝洗ったばっかりだから。

 いいとこだけすくって

 食べればいい?」


「うん、いいよ、それで。

 こぼれただけで、

 やけどしなくてよかったね」


鶏肉とじゃがいもの炒め物には、

母の白い髪の毛が1本

入っていた。

潔癖性でも神経質でもないぼくは、

皿に盛られた料理を食べた。


そして、母と話した。


今、何を悩んでいるのか。

何を心配しているのかと。


母は言った。


自分が失敗ばかりしていて、

みんなに嫌われて、

一人ぼっちになって

しまうんじゃないかと。


母は「何もできない自分」を、

憂えていた。


ぼくは話した。


そんなふうに考えて、

うつむいてたら、

本当に一人ぼっちに

なってしまうよと。


「大丈夫だよ。

 ぼくもみんなも、

 母さんのこと大好きだから。

 元気に楽しくやっていこうよ。

 たった一人の家族だもん。

 仲よくやっていこ」


母は、嬉しそうに笑った。


問題は、

何も解決していないけれど。

心はそちらに向いている。


それで、よかった。


ぼくは母を信じている。


歳の割にしっかりしていて、

健康で、毎日元気に、

家事や料理をこなしている。


「しんどくない?

 しんどかったら

 やらなくていいからね」


「大丈夫、

 しんどくはない。

 手が痛かったり、

 肩とか、足が痛いけど。

 料理したりするの、楽しいから。

 それは、やっていきたい」



ぼくの「答え」ではない。

母の「答え」がそうならば。

それが「家族の答え」だ。




今日までぼくは、

母にたくさん世話になってきた。


恩義だけではない。


母は、

たった一人の母親なのだ。


「下手でもいいから、

 楽しんで作ってね。

 ぼくは母さんの作った料理を、

 1日でも多く食べたいから。

 毎日、元気に楽しんでね」


言葉は、無力だ。


けれど、

言葉にして伝える意味が、

皆無だとは思えない。


夢想家のぼくは、信じていたい。


現実的な「答え」のほかにも、

「答え」があるということを。


言葉や気持ちが

物事を解決してくれなくても。

安心だとか、嬉しい気持ちには、

なれるということを。


ぼくは、死ぬまで信じていたい。


面倒で、大変で、

戸惑ってばかりだけど。


そんな面倒な時間を

いとおしく思い、

まっすぐ向き合っていきたい。


答えは、いらない。


ただ向き合って、受け止めたい。


ぼくは、第三の答えで、

母と向き合う。


母の手を取り、握手した。


「長生きしてね、母さん」


「あんたの手、冷たいねぇ」


「母さんの手が、あったかいんだよ」


母の顔が、

子どもみたいに笑った。



次の日。


母に、シュークリームを買ってきた。

丘の上にあるケーキ屋さんの、

おいしいシュークリームだ。


「いつも頑張ってくれてありがとね。

 お礼にシュークリーム買ってきたよ」


「まぁああ! 嬉しいわぁ。

 涙が出ちゃう。

 やさしいねぇ、あんたは」


「やさしいよ、ぼくは。

 紅茶いれるから、一緒に食べよ」


「昨日、映画観たあと、

 シュークリーム屋さんの前で、

 いいなぁってじっと

 眺めとったんだわ。

 今日もなんか買おうと思ったけど。

 買わんでよかったわ」


「そうなんだ。以心伝心だね」


母と二人、紅茶を飲みながら、

シュークリームを頬張った。


母が、昨日観た映画の話をした。


「吉沢亮さん、

 お母さん好きなんだわ」


「すごいね、母さん。

 最近の人の名前とか、

 ちゃんと覚えられるんだ」


「そりゃそうだがね。

 あの人、何に出とったかな。

 あの人と知り合ったのはねぇ・・・」


と、

まるで本当の知り合いみたいに、

母が言う。


元気になった母の姿に、

ぼくの心も元気になる。


大切な人の笑顔ほど、

嬉しいものはない。


たった1、2回のために、

1万円弱のテープレコーダーを

買ってきた母に、

ぼくはもう、何も言わなかった。


また再来月の末に、

お金がない、と言って

落ち込むのかもしれないけれど。

そうなると限ったわけでも

ないのだから。


「今日、80歳に見えない、

 若く見えるねって、言われた。

 このシュークリーム、おおいしいねぇ。

 クリームがたっぷり入っとる。

 大きいねえ、これ。

 お母さんの顔くらい

 あるんじゃないの?」


嬉しそうに笑う、母の顔。


いい歳をした二人が向かい合い、

ぽろぽろナッツをこぼしながら、

シュークリームを味わった午後。


初めての風景のはずなのに、

なんだかなつかしい匂いがした。


いくつになっても、母は母だ。


自分の母を愛せない人間が、

ほかの誰かを愛せるはずがない。


ぼくは、大切な人を、

母以上に愛したい。


だからこそ、母に学ぶ。


信じること。

受け入れること。

受け止めること。

最後までじっと見守ること。


人からどう言われようが、関係ない。

自分がそうしたいのだから。


ぼくは、ぼくの答えを選ぶ。


耳を貸さないわけではない。


いろいろな話を聞いて、

最後は自分の心で決める。

頭ではなく、心で決める。


自分がなりたい、自分であるために。

かっこいい自分であるために。


ぼくは、ぼくの答えを選ぶ。



こんな気持ちの悪い、

きれいごとみたいな話を

書いておくのも。


ほかの誰でもなく、

未来の自分のためだ。


見失い、力つき、

迷子になった自分の道しるべ。


「産んでくれて、ありがとう」


たとえ大切な思い出を

忘れたとしても。


この感謝の気持ちは、

忘れたくない。




きれいに咲く花も、

うまく咲かない花も。

散りはてる最後の瞬間まで、

咲くことだけを考えて、

まっすぐ生きている。


それぞれが、

それぞれの咲き方で、

まっすぐに咲き誇っている。


どう見られるか、ではなく、

どう在るべきか。


懸命に生きる姿に、ぼくは、

そんなことを思った。





<  今日の言葉 >


『そうさな、

 わしには十二人の

 男の子よりも

 おまえひとりのほうがいいよ』


(男の子のほうが役に立ったでしょう、と尋ねるうアンに、マシュウが返した言葉。/『赤毛のアン』(Anne Of Green Gables)モンゴメリ:作・村岡花子:訳)