2017/12/19

2017








太陽の光がまぶしい昼下がり。

逆光の中、

駅まで歩いた。


中学生男子の集団が、こちらを見ている。

何やらたのしそうな感じだった。


すれちがうとき彼らは、

声をひそめ、何かしら囁きあったかと思うと、

自分が通りすぎたとき、

はじけるようにして笑った。


こんなことは、よくあることだ。

学生のころからもう何年も、

こうして囁かれ、笑われてきた。


見ず知らずの学生たちに

たのしいひとときを提供してきたこと数多(あまた)。


もう、少しは慣れてきた。

が、ときどきしゅんとなる。


ちぇっ、と、内心舌打ちしつつ、

駅構内へ向かう。


そこには、顔見知りの郵便局員さんがいた。


郵便局内で会うことはごく自然なことだが、

こうして「外」で顔を会わせる偶然は、

なんだか不思議な感じがした。


「おでかけですか?」


「はい、ちょっと待合せがあって」


できたてほやほやのエピソードである、

先に遭遇した中学生との場面を話す。

首に巻いた毛皮(首巻き)を触りながら、


「変ですかね?」


と尋ねてみる。

局員さんは、しごくまじめな顔で、


「そんなことないですけどね」


と、おっしゃった。


別に不安だったわけでもないが、

少し、安心した。


となりの駅で降りる局員さんと別れて、

電車にゆられ、約束の場所に向かった。





エレベータに乗り、地上はるか52階。

音もなく滑り、停止したエレベータから降りると、

眼下に街の景色が広がっている。


さっきまでいたはずの地上。

車も街路樹も、あっというまに小さく見える。

イチョウ並木の燃えるような黄色が、

色のない街にアクセントを与えていた。



店内をぐるり歩き回る。

ふかふかの絨毯が、靴底に気持ちいい。

待ち人の姿が見当たらない。


あれ、今日じゃなかったかな、と不安になる。

約束の日付はまちがえないが、

今日がその日かどうか、

日にち自体があやふやになる。


と、先走ったぼくに遅れて、

約束の人(たち)は現れた。



2人の客人は、

窓際の席を用意してくれていた。


お茶の準備が整う中、

約束の「品」をお渡しする。


約束の品とは、絵のことだ。


描いていただきたい、と、ご依頼いただき、

その方々のために描いた絵。

目の前の客人である、お母さまと、その娘さん。

お母さまから、

娘さんへの贈り物にとご依頼いただいたものだ。


額装され、箱に入った絵をお渡しする。

娘さんがふたを開け、絵と対面した。


娘さんは、大粒の涙を流してよろこんでくれた。



母から娘へ、そしてその子どもへ。



絵は、娘さんの子どもである

女の子の「顔」を描いたもので、

肖像画、というようなものではないが、

「本人」と対面したとき、

そのお顔をじっくり見せてもらい、

その子のことを思って描いた絵だ。


自分でも不思議と「似た」ような気持ちでいたが、

「お母さん」がその子の名を呼び、

涙を流すのを見て、

ようやくそこでほっとした。


もちろん、

いつでも自信は存分にあるのだが、

やはり、お披露目するそのときまで、

息はつけない。


この瞬間。


ふたを開けて、絵と対面したとき、

その人の表情がぱあっと明るくなる、この瞬間。


この瞬間は、何度味わっても

うれしい瞬間だ。



「絵で、たのしませたい」

「絵で、感動させたい」


そう思って描いてきた。


「絵で、泣かせてみたい」


と、去年、思った。



今年、それが叶った。




コスモスの花の絵でも涙してもらえた。



もちろんこれは、

(いい子ぶってるわけでもなく、事実)

すべてお客さんのおかげによるものだが。

今年、それができたことは、

すごくうれしかった。




似顔絵でも肖像画でもない、

女の子の絵。


母から子への贈り物は、

そのまま子から孫への贈り物になっていく。


この絵が、その子といっしょに

育っていくのだと思うと、

なんと感慨深いことだろう。



ここでは、

あえてその絵はお披露目しないが。


とめどなくあふれる涙に鼻をすする娘さんと、

その横で、そっとやさしく微笑みながら

静かに涙をうかべるお母さまの姿に、

本当によかったなぁ、と心からうれしく思った。



春に開設したクリニックの絵。

また別のお母さまが、娘さんに贈ったその子の絵。

ケーキ屋さんの外観の絵。

まっ白な背景に咲く、コスモスの絵。

天国に行った、愛犬の絵。

かつて描いた、海原をゆく舟の絵。

そして、お披露目を待つ、贈り物の絵。



箱を開ける瞬間。


それが、たのしみで。



その瞬間をたのしみに、描いている。

そのあと飾って眺められることをたのしみにして、

何年も飾られて、その絵が生活の一部となって、

その人たちの日常に溶け込んで、彩る、

そのことをたのしみにして。


まだ見ぬそんな光景をたのしみに、

わくわくしながら絵を描くこと。



絵を描く、ってことは、

画面の中だけではなく、

そういう情景を頭に描くことも、

描くことなのかもしれないと、

そんなふうに思った。



2017年、いろいろあった。


この数カ月でも、いろいろあった。



瞬間々々、目の前の時間は、

ゆっくり伸びたり、縮んだり。

あっという間に過ぎ去ったかと思えば、

ふり返ると1日が2日くらいに感じる日々。

午前中のことが、昨日のことに思える。

今年3月のグループ展が2年くらい前に感じるし、

4月のグループ展が去年のことに感じる。


そのくせ、ついさっきのことのようにも思える。




できたこと、できなかったこと。

まだまだ足りないこと、できていないこと。


絵を描くこと自体に、迷いは少ないが。


絵を描く以外の、周辺のこと。


迷ったり、まちがえたり、失敗したり。

やりすぎたり、足りなかったり、見失ったり。


笑われたり、涙を流したり、

怒られたり、笑わせたり。



何が何だか分からないこと。

分からないけど、分かること。

分かったようで、分からないこと。



分かることもたくさんあるけれど、

まだまだ分からないことばっかりだ。



どうして、ということよりも、たしかな事実。


見えないものがたくさんある。



だからこそ。


できるのかどうか、ということより、

やる、ということが肝心だ。



そう自分に言い聞かせて、

とにかく前へと、

進もうと思ったのであります。




< 今日の言葉 >


『ガムシャラに滑ってたら・・・
 こんなとこにたどり着いちまった・・・』


(第72回ちばてつや賞 入選作/
 オオツカトンチン『オール』39ページより)





2017/11/12

10年の軌跡 〜ちょっぴりまじめな回顧録〜







10月29日。

グループ展が無事終了した。


例のごとく、毎日会場に出動して。


1週間という短い期間ではあったけれど、

たくさんのお客さんと会い、お話しし、

作品を見ていただけた。


10時から17時。

ぎゅっとつまった7時間×7日。


会場ですごした7日間は、

まるで数カ月に感じるほど時間が濃密だった。


遠路はるばるお越しいただいたお客さま、

荒天の中、わざわざお越しいただいたお客さま、

とにかく直感でお越しいただいたお客さま。



このたびはご来場いただき、

ありがとうございました。









☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ★







展覧会に挑むとき、

いつも「今回が最後かもしれない」と思って準備する。


今回、グループ展ではあったけれど、

10年の軌跡をふり返る、

自分にとって意味のある展覧会だった。




10年。




「10年つづけていれば、

 手も足も生えて、目も鼻もつく」



「ごはんを食べているときも、

 女の子と遊んでいるときも、

 とにかく10年、それを思いつづけること。

 そうすれば、思いはかなう」



そんな言葉を真に受けて、

これまでひたすら突き進んできた。


正解なのか、まちがっているかも分からず、

ただただひたすらやってきた。



10年。



手や足は、生えたのだろうか。

目や鼻は、ついたのだろうか。


思いは、かなったのだろうか。




10年。





今回、これが本当に最後かもしれない、

と本気で思った。



「やってみて、もし何も見えなかったら。

 そしたらこれで終わりにしよう」



ひとり勝手に、

そう決意して挑んだ、展覧会だった。











































☆ ☆ ☆ ☆ ★ ★






搬入・設営の日。

43枚の作品と、

3点のコレクション展示器具を会場に運び、

どう展示しようかと現場を眺めた。



ひとまず、

2007年から2017年の絵画作品を、

時系列で並べてみる。


ちょうど壁面が3カ所に分かれる形態だったので、

油絵具の作品、色鉛筆の作品、エナメル塗料の作品と、

3部に分ける展示にした。




設営の途中、

持ってきた作品が多すぎたのか、

全然飾れないように思い、

一瞬、額に汗が浮かぶ思いだったが。


色鉛筆の作品を2段に飾ることで、

問題解決。


結果、43点の作品の中から

37点の作品を会場に飾った。



《つめきりコレクション展示器具》と、

《キーホルダー展示器具》、

《フローティングボールペン展示器具》。


以上の3点をあわせて、ちょうど40点。


40点の作品を並べて、

10年間の軌跡をふり返る、展示空間をつくった。
























☆ ☆ ☆ ★ ★ ★





絵は、小さなころから、ずっと描いている。



絵を描くのが好きで、

絵を描くのがたのしくて、

ずっと描いてきた。



その道で自分を試してみよう、と思いはじめて。



油絵具の使い方も分からないまま、

とにかく絵具を無駄にしながら、

何枚も何枚も描いた。


それと同時に、

いろいろな画材も試してみた。


パステル、クレパス、アクリル絵具、

水彩絵具、ボールペン、カラーインク、

色鉛筆、鉛筆、木炭、コラージュ。


蜜蝋(みつろう)を溶かして絵具に混ぜたり、

コーヒーの出がらしを練り込んだり。


ちぎったり、こすったり、

貼ったりはがしたり、削ったり。


木彫や、ポリプロピレンをバーナーで溶かす

彫刻などもやってみた。






2006年。

カナダから帰国して、ギャラリーなどを巡ってみる。

教科書には載らない、たくさんの作品、

たくさんのギャラリー。

知らないことだらけで、

見れば見るほど、分からないことだらけだった。



2007年。

学校での仕事、1年目。

最初は年間7日くらいしか、授業はなかった。

空いた時間に、ひたすら絵を描いた。



2008年。

「やるなら腹、くくりなよ」

と言われて、絵でやっていくことを決意する。


いまから10年前のことだ。




2009年。

初めて自分の作品を展示する催しに参加した。

滞在制作。

そのときに現場で描いていた絵も展示した。

その絵を見て、

いいね、おもしろいね、と言ってくれる人が

思いのほか多くいた。



2010年。

二人展。

他県への遠征。

親切な人たちに迎えられ、

実りのある展示となった。


同年、

初めてお客さんから、絵画の依頼を受ける。

フランス料理店。

緊張と興奮。

そのときの体験がうれしくて、

依頼されて描く「絵師」のような仕事に

魅力を覚える。


さらに同年、初個展。

たまたま友人と行ったカフェで、

お店の人とお話して、

そのまま個展をやることに決まった。

会期中は、時間があるかぎり、

できるだけ毎日会場に居座った。



2011年。

喫茶店やカフェでの展覧会。

何も分からぬまま、

ひたすら会場にかよって、

たくさんの人とお話しした。



2012年。

《家原美術館》と題して、

大々的な展覧会を開催する。


そのとき、

ばかばかしいコレクションの数々を

あわせて展示する。



2013年。

《家原美術館》2度目の開催。

未開の地を切り開くように、

会場となる旧薬局の家主と交渉。

片づけ、掃除、そして展示。

すべては2009年の展示で培ったもの。

自由にできるのは、たのしい。



2014年。

学校の仕事を卒業。

絵のみで、やれるところまでやってみようと決意。


ギャラリーでの展示。

いわゆるギャラリーという空間での展示は、

このときが初。

グループ展というものも、

このとき初めて参加した。



2015年。

三たび《家原美術館》開催。

やりたかったことをやる。

壁や天井に思いっきり描いた。

滞在制作。

その土地での生活。

これもやはり、

2009年に身についたもの。


県美術館での展示。

搬入や設営方法など、

いろいろ学ぶ。




2016年。

これまで、学校が「夏休み」である

8、9月ごろの開催が多かったが。

初めて春に展覧会を開催。


お客さんから依頼をいただいて、

絵を描く機会も多くなった。




そして、2017年。


グループ展の年、学びの年。


10年の、節目のとき。





10年前、ある年輩の画家さんに言われたこと。


「100人のファンをつくりなさい」


何も分からず、

それを目標にして、今日までやってきた。




10年経った今。


「100人のファン」というのが、

「100」という数字じゃないことが

分かるようになった。




















10年前。

知り合いをのぞいて、

お客さんは「0人」だった。


10年経った今、

ありがたいことに、

すばらしいお客さんたちが、たくさんいる。





今回の展覧会初日、

会場にて「アーティストトーク」という

催しがあった。


作品を前に説明したあと、

席に座ってまじめな対談。


悪天候にも関わらず、

たくさんのお客さんが来場してくださった。



見ると、小・中学校時代の同級生の家族をはじめ、

高校時代の同級生、お世話になっているお客さん、

果ては姉と甥っ子たちなど、

会場は顔見知りのお客さんでいっぱいだった。



ぼくは、気が気じゃなかった。


わざわざ来てくださった

お客さんたちとおしゃべりしたくて、

居ても立ってもいられなかった。


椅子に座しての対談もうわの空、

気もそぞろに尻を浮かせること数回。


失礼ながら、

話もまるで耳に入らず、

まったく落ち着きなく、

早くみんなとしゃべりたくて仕方がないだけの

こまったちゃんと化していた。












































☆ ☆ ★ ★ ★ ★





初めてお会いした人。

顔なじみの人。

お久しぶりの人。

なつかしい人。




受付で「今日は主人が来られなくて」と、

ぼくが送ったはがきを差し出すご婦人。

娘さんと、そのまた娘さんもご一緒だった。


そのご婦人は、何と、

中学時代の恩師、

バレーボール部の監督の奥さまだった。


「どうも、はじめまして!」


奥さまとあれこれ、言葉を交わす。

なつかしい話や、初めての話。


「あ、どうも。はじめまして」


娘さんにもご挨拶する。


「はじめましてじゃ、ないんですよ」


こういうふうに女性から言われると、

何もなくとも、何となく、どきりとする。


聞くと、

娘さんがまだ3、4歳くらいのとき、

日曜日とかの休日に、

監督に学校へ連れられてきていた。

ぼくらが練習する体育館のすみっこで、

ぼくらの練習を見ていたことがあった、と。


そう言われてみると、

たしかにそんな風景が目に浮かんだ。



「あの小さなあの子が・・・!」


約30年の歳月。

当然のこととはいえ、

ぼくは、あまりの変貌ぶりに、

その事実を現象として理解できずにいた。



個人的に覚えているのは、

ぼくが高校1年生になったとき、

駅の地下道で、

娘さんと手をつないで歩く監督と

すれちがった記憶だ。


こんにちは、と挨拶したとき、

やさしく笑う監督の顔に、

少なからずも驚きを覚えた。


中学時代のバレー部は、

1年のうち休みは5日くらいで、

朝6時半から朝練があり、

夜は10時近くまで練習がつづく日もあった。


「1日練習を休むと3日遅れる」

「一事が万事」


これが、監督の口癖だった。


バレー部時代の監督は

鬼のように厳しく、雄々しく、

そんなやわらかな笑顔など

一度も見たことがなかった。


駅の地下通路で

娘さんの手を引く、監督の姿。

その顔は、監督ではなく、父の顔だった。



その記憶は、なんだかまぶしい記憶として、

ぼくの頭に焼きついていた。



そのときの、小さな女の子。



その「小さな女の子」が、

今ではお母さんになり、

「小さな女の子」を抱いている。



かつて「小さな女の子」だった娘さんは、

大きくなって、美術系の学校を出て、

教員になったそうだ。



昨年再会した監督に、


「バレーボールと絵、ちっとも結びつかないな」


と、言われたのだけれど。



バレーボール、監督、

かつて小さかった娘さんと、美術、絵。


時間とか年月とかいろんなものを越えて、

なんだか不思議につながった、

不思議な瞬間だった。




奥さまも娘さんも、

ぼくの作品をじっくり見てくださり、

コレクションを見て

きらきらとたのしんでくださって、

すごくありがたい時間になった。



後日、監督ご自身も来てくださり、

感謝と感激の連続でありました。







































会場の受付をしてくださる、

ボランティアの方たちや、職員の方たち。


うろちょろと会場を歩き回るあいまに、

ボランティアや職員の方たちとお話しする機会があった。


人生の先輩である方たちのお話は、

どれもおもしろく、とても興味深いものばかりだった。




給食を食べるのが遅い子に、

食べ終わるといつも「よく食べたね、えらいね」と

励ましてあげていた話。


音楽を勉強するのに、その道だけではなく、

いろいろ回り道をして学んできてよかったという話。


長年連れ添ってきた愛犬との出会い、

そして別れの話。


音楽の話や登山の話にはじまり、

自転車やアクアリウムやケチャップの話など、

興味をくすぐる話をたくさんしてくれた方もいる。



そう。


誰ひとり、おなじ人はない。



「100」というのは、

「数字」ではなく、

「いろいろ」とか「たくさん」という意味。



この10年間、

できるかぎり毎日会場に立ちつづけて、

たくさんの人に出会い、

お話しして、いろいろな話を聞いた。


その数は、

覚えてもいないし、

数えてもいない。


けれども、たしかに、

ぼくのなかにある。


その「たくさん」が、

ぼくの10年をつくってくれて、

今日、ここまで歩かせてくれた。



おなじような感覚はあっても、

おなじ瞬間は、けっしてない。




知らない人。

知らない場所。


それがいつしか、

知っている人、知っている場所になり、

大切な人、大切な場所になっていく。


こんなふうに思うのも、

10年の軌跡、いや「奇跡」かもしれないね。




★ ★ ★ ★ ★ ☆





今回、展覧会前に絵を描いていて。

自分を感動させる絵を描きたい、と思った。


「最新作が最高傑作」



ふだんからも、

そう思って描いているのだが。


今回、それにもまして、

自分自身を感動させるために、

絵を描いた。



































《お花畑の肖像》。


この絵が描けたとき、

自分自身、ものすごく感動して

小躍りした。


正直、小躍りではすまずに、

部屋のなかを、踊りながら泳いだ。




自分自身を感動させられた絵。

その絵が、人に伝わった。



自画自賛ではなく、自画他賛。



思いがつよかったからこそ、

伝わったときの手ごたえが、

より大きなものに感じられた。





10年という歳月。


いろいろなことを、

いろいろやってきたようだけれど。


大切なものは、

はじめからおなじだった。


そんなことにも、

あらためて再確認されられた。












 





















ワークショップで子どもたちに描いてもらった、

色とりどりの絵。

ガラス窓に飾った絵が

陽光に透けてすごくきれいだった。


そんなよく晴れた昼下がり、

煙草を吸いに、外に出た。


中庭をぬけて歩いていくと、

かつての教え子が煙草をくわえて立っていた。


「ああ、けんちゃん。いま来たの?」


「あ、さっき来ました」


1年半ぶりの再会だったが。

まるでつい昨日もそこで会ったように、

自然な感じで合流する。


ふたり、そこが学校の地下の

喫煙所のような気持ちだった。



いい天気の昼下がり。


たいしたプロローグもなく、

いきなり深い話題になった。


どちらか一方だけが聞き手に回る、

という構図ではなく、

おたがい同等に、

淡々とした口調で、

いきなりおなじ温度に沸き上がった。


煙草2本。


いくらか厚い内容を交わしたあと、

はじまりとおなじく前ぶれもなく、

ふと、いきなり会話の色が変わった。



「なんか、カメムシの匂いがする」


「え? カメムシですか?」


「そう。カメムシ臭くない?」


「いや・・・そうでも、ないですけど」


「そっか、気のせいかな。そう、だからさぁ」


(しばし話題が回帰したのち)


「やっぱりカメムシ臭い!

 おれかなあ? どう、匂う?」


「え、そうですか? しないですよ」


「本当に? そっか。匂わないならいいけど。

 鼻の中がカメムシ臭いのかなぁ」


ゆるやかになった温度に、

立ち止まったかのように笑うふたり。



「こんないい天気の昼下がりに、

 するような話じゃ、ないかもね」



そして、結論。



「いきなり深い話になったのも、

 きっとカメムシのせい」


自分か彼か、

どちらが言い出したのか忘れたが、

とにかくそういうことに落ち着いた。



館内に入って、

彼といっしょに作品を見て回る。


「やっぱりカメムシ臭い!」


不意打ちでまたカメムシ臭がただよい、

くんくんと匂いの元をたどった。


自分のシャツの左裾あたり、

鼻先まで運んで嗅いでみる。

強烈ではないが、そこが大元だと確認した。


「やっぱりおれだったんだ」


左の裾をぱたぱたはたいて、

何度かそよがせる。


気を取り直し、展示の話に戻る。

と、壁に小さな黒い点があることに気づいた。


カメムシ。


おそらく、いましがたまで

自分に留まっていたカメムシ。

言い換えれば、

自分がここまで連れてきた、カメムシだ。




《偶然地球最後の日》と《クリスタルマン》、

2枚の絵を結んだ、

ちょうどまんなかあたりに留まったカメムシ。


角と角と、カメムシを結んだ正三角形。



それはもう、「作品」だった。



ぼくらは「作品」となったカメムシを眺めながら、

今日という日の偶然をクリスタルにたのしんだ。
















作品になったカメムシは、

次の日もそこにいて、

その場所からじっとして動かなかった。


そのまた次の日も、

そのままじっと、その場所にいた。



3日目。

気づくとそこに、カメムシはいなかった。




その話を別のお客さんにすると、

磐田市でもカメムシが大量発生している、

と教えてくださった。


怒り肩で、中世の盾のような形のほうのカメムシも、

仕事場の駐車場でいっぱい踏みつぶされて

平面化しているそうだ。


知立市だけが多いのではなく、

また、磐田市だけの話でもなく。


後日、帰宅したとき、

ベランダで何匹かのカメムシを見た。


信号待ちのとき、

蔓草(つるくさ)の茎にびっしり

カメムシがうごめいているのを見た。



もしお客さんに聞いていなかったら、

自分の周りにだけやたらカメムシがいるのだと思い、

半狂乱になっていたかもしれない。



カメムシは、

匂いさえなければ、

悪いやつではないのだけれど。


あの匂いは、

せっかくの身だしなみや

洗濯したての衣類など、

すべてをカメムシ臭にして無効化させる。


だから、カメムシは好きじゃない














会期中、会場に着くと、

毎朝《家原健三郎》の絵がぼくを迎えてくれた。


ちょうど壁の間からのぞく、

健三郎おじいちゃんの絵。



「色がきれいで元気が出る」


「やさしいお顔で、見ているこっちもつい笑っちゃう」


「見てるとたのしい気分になる」



健三郎おじいちゃんの絵は、

小さな女の子から年輩の女性にまで、

幅広い層に人気があった。


尊敬するぼくのおじいちゃん、

家原健三郎。


おじいちゃんは、

絵になっても、みんなにもてるんだね。




知らない人をたのしくしたり、

明るくしたり、元気にしたり。



絵ってすごい。



絵を描いてなければ、知り得なかったことだ。



絵を描いていなければ、

たくさんの知らない人たちは、

たくさんの知らない人たちのままだった。



正解なのか、まちがっているのか、

それはまだ分からないけれど。


この景色は、

今日まで絵を描いていなければ

出会えなかった景色だ。












★ ★ ★ ★ ★ ★





10年の軌跡。



何ができて、何ができないのか。

そんなのはまだ、分からない。




これが最後だ、と思って挑んだ展覧会。

やってみて、感じたこと。



まだ、やってもいいんだ、と。




2009年に初めて臨んだ展覧会以来、

ずっと会場に置いてきた「お名前書いて帳」。


これまで欠かさず、

いろいろな展覧会会場に置いてきて、

来てくださった方々に、

名前や言葉や絵などを書いてもらってきた。



何冊目かは分からないし、

何人の人に言葉や絵をもらったかも分からない。



みんなに書いてもらった「お名前書いて帳」。



100とか200とか300とか。

そんな数字じゃ表わせられないくらい、

たくさんたくさん、つまっている。



そして今回、会場にいて、

実際、生で感じたこと。


手ごたえ、感触。


言葉、思い、気持ち、感覚。




だからひとまず、

次の10年も見てみようと思った。



まだまだやりたいことがある。

まだまだ見たい景色がある。

まだまだ見せたい景色がある。


準備は、できた。



もっと感動させたい。

ほかの誰でもなく、自分自身を。



それでみんなに、たのしんでもらえたら。



それは、このうえなくありがたく、

うれしいことであります。




10年間、ありがとう。


そして、これからもよろしく。




この10年。

思えばいろいろありました。


けれども、

ふり返れば、ほんの一瞬。


だからこそ、色濃く、あざやかで、

ずっとずっと忘れない。




はりきりすぎて

まじめになりすぎないように。


いつでも白紙。

今日一日を全力で。




この随筆(ブログ)も、かれこれ10年。


10年間、ありがとうございました。

そしてこれからも、よろしくお願いいたします。



家原利明、

ちょっぴりまじめでフルーティーな、

はにかみ屋さんのチョコミントです。












< 今日の唄 >


とらちゃん 黄色に塗ったら

いっしょに散歩に出かけよう

まっ白に 心のキャンバスに

いろんな色を のせましょう

どこまでもつづく 青空の下で

夕焼けまっ赤に そまるまで

かけっこしたら

「と・ら・や」

たのしいねとらちゃん


(『とらやの唄』/「とらや」の店内で流れる唄より)