2012/11/13

知らない人の、身の上の話








ふらりと出かけた場所で、

初めて会った人からいろいろな話を聞く。


もう二度と会うことが

ないからかもしれないけれど。



「こんな話、初めて人にした」



話し終わった本人が、

そういって少し恐縮するような話を聞けることが、

ちょくちょくある。


ぼくは、そんな話を聞くのが好きだ。


知らない人から聞く「身の上の話」は、

「体験」としてもおもしろい。


おしゃべり好きの人はたいてい話し上手なので、

聞いていて心地よかったりもする。




もう、何年も前の話。


初めての「社会人」を経験したあと。

その職場を辞めて、

あてもなくふらふらしていたときのこと。


一軒の古本屋さんに入り、

なんとなく古本を物色していたら、

お店の人に声をかけられた。


歳のころは40代半ばくらいの、

髪の長い、聡明そうな女性だった。


はじめは、本の話や世間話のような会話だったけれど。

しだいに話が発展して、

いつしかその女性の歩んだ「過去」の話になっていった。



女性は、かつて、

小説家を目指す男性と交際していた。

男性は、仕事をするわけでもなく、

毎日ふらふらしながらも、

執筆だけはつづけていた。


大きな夢を抱いて、

熱い思いで、小説を書きつづける男性。


女性は、そんな男性のことを陰日向で支えながら、

いちばんのよき理解者として、

すぐそばで見守っていた。


女性は、その男性と結婚した。

仕事は自分が何とかする。

男性には小説家の「夢」を追いつづけてほしい。

女性は生活費を稼ぐために、

毎日、仕事に奔走(ほんそう)した。


仕事もせず、ふらふらと遊び回り、

酒を飲んで熱く夢を語る。

そんなふうにして、小説を書きつづける男性を責めることもなく。

女性は、ひとり仕事と家事を切り盛りした。


「それがたのしかった」


女性にとっては、それが「しあわせ」でもあった。


やがて、ふたりのあいだに子どもができた。

男の子だった。


母親となってからも、

女性は変わらず仕事と家事を切り盛りし、

男性の「夢」を応援しつづけた。


けれども。


しだいに男性は、

熱い夢を語ることもなくなり、

いつしか小説も書かなくなった。


小説を書くことをやめ、

自分も「まっとうな仕事」に就くと言い出した男性に、

女性は、ふっと熱が冷め、

男性に別れを告げた。


「ずっと書いててほしかった。
 小説の夢を、ずっと追いかけててほしかった」


離婚して「ひとり」になった女性は、

こんどは息子を育てるために、仕事をした。


息子が大きくなり、

「反抗期」を迎えたころ。

息子がつき合っていた「彼女」のことで、

かなり派手な「親子げんか」をやりあったあとのことだ。


細かい話は忘れてしまったけれど。

たしか、「彼女」が息子に対して、

ひどく傷つけるようなことをして、

そのことを「批判した」、

というような理由からだったと思う。


女性が出先から帰ってくると、

息子は包丁を手に、

自分の腕や体を切りつけていた。

シャツは破れ、

体は血だらけだった。


必死で包丁を取り上げ、

けんめいに止める女性。


「死んでやる!」


制止をふり払い、家を飛び出す息子に、

女性は、着の身着のまま、裸足であとを追いかけた。


大きな橋のかかる深い川に

ざぶざぶと突き進んでいく息子を追い、

女性も腰ほどの水深の川中へ入っていった。


しばらくの格闘の末、

ようやくつかまえた息子の体を、

女性はぎゅっと抱きしめた。


そしてふたりは、川のなかでわんわんと号泣した。


川の真ん中で、

大きな声で泣きながら

血だらけで抱き合う母子(おやこ)。


話を聞いていて浮かんだ映像は、

まるで映画の一場面のようだった。


そんな「過去」を経て、

「現在(いま)」の古書店の仕事をする自分がある、と。

女性は、しんみりと重く語るでもなく、

淡々と明るく話してくれた。


白昼の古本屋で聞いた、

映画のような話。


古書のにおいと、

薄ぐらい店内に差し込む午後の陽光。


まるでそのできごと自体が

映画(フィクション)だったかのような。

そんな不思議な時間だった。





また別のある日。


終電がなくなって、タクシーで家に帰る道すがら。

ハンドルを握る、タクシーの運転手の男性から話を聞いた。


話のきっかけは、行き先を伝えたときに、


「すみません。私、こっちにきたばっかりで、
 まだよく分かんないんです」


と返ってきて。

道案内の必要もあって、

男性との会話がはじまった。


眠たかったので、

本当は少しまどろむつもりだったのだけれど。

なんだかおもしろくなってきたので、

起きて、おしゃべりすることにした。



男性は、タクシーの運転手歴も長い、

50代後半くらいの、

ほっそりとしてにこやかな人だった。


関西なまりの発音に、出身はどこかとたずねると、


「ずっと京都で走ってまして。
 先月、こっちにきたばっかりですねん」


と、どこか照れくさそうに言った。



ぼくも、先祖のお墓が京都にあって、

小さい頃から毎年1回、

お盆には京都へお墓参りに行く、と。

そんな話にはじまって、

最近の京都の話やら、

共通で知っている京都の話とかで会話が進み、

深夜のタクシーも、

夜の街をどんどん進んでいった。



人気(ひとけ)がなく、車ばかりが目立つ夜の街。

闇と道路を照らす、オレンジ色の街灯。


いつしか運転手の男性は、

会話、というより、自分の話をしはじめていた。



男性が京都をはなれたのは、

息子を事故で亡くしたのがきっかけだった。


事故で亡くした息子のことで、

相手側(「加害者」)と法的なことでいろいろ「争ったり」。


息子を亡くしたせいで、

精神的に不安定になった奥さんとの関係にひずみができて、

長年連れ添ってきた奥さんと離婚したりして。


その事故をきっかけに、

しばらくはまったく仕事もできなかったけれど。

男性は、ようやく職場に復帰した。


けれども。


京都市内のどこを走っていても、

思い出すのは「息子のこと」ばかり。


どこを走っていても、

かつての記憶が「過去」を思い出させて

つらかった。


だから現在(いま)、

京都をはなれたこの地でハンドルを握っているのだと。

男性は、そう言っていた。


走りつづける男性の口とは裏腹に。

ぼくを乗せたタクシーは、

どんどんその速度をゆるやかに落し、

のろのろと夜道を進んでいく。


話の途中で、道案内をはさみ込むぼくの口から、


「あそこの信号を曲がって
 まっすぐ進んだら、もうすぐなんで」


そう聞いたせいかもしれない。


後続車が、クラクションを鳴らそうとも、

ハイビーム&ベタづけであおってこようとも。

運転手の男性は、おかまいなしに速度をゆるめていく。


目的地に近づくにつれて、

どんどん遅くなっていく車の速度。


止まるんじゃないかと思えるほどの速度に、

後部座席からスピードメーターをのぞきこんだら、

赤い針が、時速10キロ付近をゆらゆらしていた。


もはやそれは「走行」ではなく、

「徐行」だった。


「あ、ここでいいんで。ありがとうございます」


その言葉に、何のストレスもなく、

静かにすうっと車が止まった。


それでも、運転手の男性の話は止まらない。


チカチカとハザードランプを明滅させたまま、

盛り上がった話を締めくくるべく、

しっかりとこちらをふり返って話しつづけた。


時計を見ると、午前2:20だった。

いつもならわずか15分ほどの距離のはずが、

気づくと1時間近くかかっていた。


さすがにもう、と思い。

話に割り込む感じで紙幣を差し出した。

細かいのがなかったので、

差し出したのは1万円札だった。


運転手の男性は、

紙幣を受け取りながらも、

むしろおしゃべりのほうが「仕事」のような感じで、

ゆったりとメーターを切り、

おしゃべりしながら料金を確認して、

おしゃべりしながらお釣りを勘定した。


おしゃべりをしながら、

まず、「細かいほう」のお釣りが渡された。


運転手の男性の手には、

「残りの、大きいほう」のお釣りである紙幣が握られている。


いったん手を出してみたものの。

運転手の男性は、

なかなかその紙幣を差し出そうとはしない。

差し出したかと思いきや、

手を伸ばしても受け取れない位置で、

何度かその「フェイント」のような「そぶり」をくり返す。


おしゃべり好きの人によくある「お釣りじらし」だ。


「いや、本当に。
 人間、がんばらんといかんのですよ」


ようやくお釣りを受け取ったぼくは、

運転手の男性にお礼を言って、車を降りた。


「お休みなさい。いろいろ、がんばってください」


最後、そう言うぼくに、


「ありがとう。あ、そうそう。これ、
 どうやったら戻れます?」


と聞いてきたので、簡単に道を説明した。


ぼくが説明し終わるか終わらないかのうちに、

はいはい、とうなずき、お礼を言った男性は、

タイヤをキュルキュルと鳴らして

勢いよく車をUターンさせると、

ものすごい加速でスピードを上げて、

ロケット花火のように闇へと消えていった。


男性の、さきほどまでとはまるで別人のような運転に。


ぼくは、深夜の路傍(ろぼう)にしばし立ちつくし、

じわじわとこみ上げる笑いに肩を揺らしていた。





学生のころ。

古くて立派な日本家屋の前で、そのたたずまいを眺めていると、


「よかったら、中もどうぞ」


と、家主であるおばあさんに、

家の中へと招き入れられた。


「うだつの町」にある、

築百年以上の、立派な家。


家の中もすごく立派で、

興奮しながらあちこち見て回らせてもらった。


しまいにはこたつに入って、

おばあさんがむいてくれた柿を食べながら、

お茶をすすって話を聞いていた。


どこからきたのか、何をしているのか、と。

まずはそんな質問に答えたりしていて。

ここら辺の土地の話にはじまり、

徐々におばあさん自身の話になっていった。


おばあさんは、つい最近ご主人を亡くしたらしく、

ずっとふさぎこんでいて

誰とも話をしていなかった、と。


それがなぜか今日、

急にぼくを見かけて話しかけたと。


こんなふうに、知らない男の人に

話しかけたことは初めてのことらしく、


「いままでずっと旦那さんひとすじだったから。
 こんなふうに、知らない男の人を家にあげたのは初めて」


とも言っていた。

おばあさんの口から、

そんな「告白」を聞かされたぼくは、

何ともいえない気持ちでぺこりと頭をさげた。



ずいぶん話し込んで。

おばあさんは、


「ありがとう。話を聞いてくれて、本当にありがとう」


と、何度もお礼を言った。


ぼくもたのしかったし、いろいろ見せてもらったし、

おいしい柿やらお菓子やらお茶やらごちそうになって、

おみやげ分の柿までいただいて。

お礼を言うのは、むしろぼくのほうだ。


最後に、

おばあさんが、

真面目な顔つきで言った。


「あたしが死んだら、この家、あなたにあげる」


ぼくは、ええっ、とのけぞった。


「ぜひ、もらってほしい」



すごくうれしいし、ありがたい言葉だけれど。

もらうとなると、

手続きとか大人の事情とかいろいろ大変そうだし、

柿とかお菓子みたいに、

簡単にもらっていいものじゃなさそうなので、

丁重にお断りさせていただいた。


少しのあいだ、

残念そうにしていたおばあさんだったけれど。


「話を聞いてもらえて、元気が出た」


と、晴れ晴れとした顔でぼくを見送ってくれた。

そのうれしそうな笑顔と、


「こんな話、親戚も聞いてくれんから」


そういってさみしそうに笑ったおばあさんの顔が、

すごく心に残っている。






知らない人だからこそ言える話。

一見(いちげん)だからこそ話せる話題。


みんな、誰にも言えないけれど、

誰かに聞いてもらいたい話があるんだなと。


いつしかぼくは、そう思うようになった。



「王さまの耳はロバの耳ー!」



そんなふうに受け止めてくれる「穴」。

そんな「穴」があったら、

きっとみんな、誰にも言えない話をこぼしにくるだろう。


黙って聞くだけなら、ぼくにもできる。


愚痴や批判ではなく、

こむずかしい話やうんちくでもなく。

その人だけが感じた、実体験。


そんな話を聞くのが、ぼくは好きだ。







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(お城スタイル/イエハラ・ノーツ2012「ドーモ、モードです」より)