2025/04/01

父との約束と、母さんへの嘘





ぼくは、嘘が得意だ。



小さいころから夢見がちで、

嘘のお話をたくさん

つくってきたからだろうか。


とにかく、嘘が得意だ。

小さいころは、

悪い嘘もたくさんついた。


大きくなった今。

悪い嘘は、

悲しいものだと気がついた。


今、ぼくは、

母さんを騙し続けている。


死んだ父が、

まだ生きていると。



父が死んで、

ちょうど5カ月目の日に。


明日、遺族年金が入ることを、

母に説明していた。


遺族年金という名目だけれど、

それはあくまで呼び名であって、

父が死んだわけではない、とか。


今ここにいない父が、

動けなくなる前に、

事前に手続きしたのだ、とか。


「母さん、覚えてるでしょ?

 ぼくが毎日、区役所とかに

 通ってたときのこと。

 母さんにもときどき、

 ついてきてもらったよね?

 あのとき、母さんが一人になっても、

 この先こまらないよう、

 いろいろな書類をつくって

 提出してたんだよ」


書類の作成や提出自体は、嘘ではない。

ただ、その内容や目的に、大きな嘘がある。


物事をあまり

深く考えない(理解しない)

母の特性を逆手にとって、

ぼくは、母の疑問・質問を煙に巻いて、

ややこしくしながらも誠実に答え、

とにかく母を安心させた。



何十年も別居していて、

月に1度くらいしか

顔を見せなかった父だが。

ここ最近、

まったく顔を見せなくなった。


当然である。


鬼籍に入った父が、

顔を見せにこられるはずがない。

もしこようものなら、それはお化けだ。


母は、父がどうしているのかと

ぼくに尋ねた。


「どうだろう、

 どこかで元気にしてるんじゃないかな。

 施設とか病院に入ったりしてたけど。

 もしかして、

 もう死んじゃってるかもしれないね」


などと笑ったりしながら、

とにかく母を心配させないようにしてきた。


母の心配は、もし父がいなくなったら、

自分はこの先、一人でどうやって

生きていけばいいのかという、

経済的な問題に終始していた。


もちろん、父のことは心配だろうが。

長年別居している母にとっては、

やはり現実問題として、

自分の生活がいちばんに

優先されるようだった。


父の死、という現実を、

母がどうとらえるのか。

それは、わからない。


もしかすると、

金銭面、経済面なんかより、

精神的な喪失感や後悔などが

襲ってくるのかもしれない。


母がどう感じるのか。

それはよくわからないが、

とにかく

心に負担を与えるだろうことは

想像できた。


だからひとまず、

遺族年金が支給されるまでは、

なんとか嘘をつき続けたい。

そう思って、今日までやってきた。


この数カ月、

母に嘘ばかりついてきた。


『生前遺族年金制度』とかいう、

ありもしないでたらめの制度を

でっち上げたりもした。


忘れっぽい母は、

何度おなじ話をしても、

または違う説明をしても、

数カ月とか数日後には、

すっかり忘れてしまっていることが多い。


素直な母は、

ぼくの言葉を信じてくれる。

ぼくは(少なくとも大きくなってからは)、

母に悪い嘘をついたことはない。

そのせいもあってか、

母はぼくを信じてくれる。


「よくわからんけど、

 あんたの言うようにするわ」



父が死んで、

ちょうど5カ月目の夜。

夕食後の団欒で、父の話をしたのも、

明日、初めての「遺族年金」が、

支給されるからだけでは

ないような気がした。


ぼくも母も、

明日が14日だとは

わかっていなかったからだ。

(年金の支給日は15日なのだが。

 15日が土曜日の場合、前日に支給される)


父がそうさせたのではないかと。

今日が13日だと知ったとき、

なんとなくそう感じた。


父の命日は「13日」だった。

父の誕生日は14日で、

その前日が命日だった。


ぼくが母に伝えたのは、

父への感謝の気持ちを忘れないでほしい、

ということだった。


「父さんね、いろいろあったけど、

 やっぱり母さんのこと、

 ずっと心配してるみたいだったよ。

 ぼくね、父さんに言われたんだ。

 母さんのこと頼むな、って。

 だからぼく、父さんに言ったんだよ。

 わかった、任せといてって。

 父さん、ちょっと安心したみたいだった。

 ずっと心配だったし、

 自分じゃできないことだったから」


そして、ぼくら家族——

ぼく、姉ちゃん、甥っ子たちや、

周りの人たちが、

どれだけ母さんのことを

大切に想っているかを話して伝えた。


「母さん、恵まれてると思うよ。

 しあわせ者だなって、そう思う。

 父さん、ずっと母さんのこと

 心配してきたし。

 こうやってずっと、

 生活費とか年金がもらえて、

 何の心配もしないで生きていけるのも、

 父さんのおかげだから。

 ぼくも姉ちゃんも、

 りんた(甥っ子)たちも、

 みんな母さんのこと大好きだし。

 みんなが母さんのことを想って、

 見守って、大事にしてる。

 だから、父さんに感謝してね。

 毎日でも毎月でも、

 年金をもらったときでもいいから。

 父さんに、

 ありがとうって言ってあげてね」


そんなことを、母に伝えた。


話しながらぼくは、

父を思い、涙があふれそうになった。


けれども懸命にこらえた。

母が変に思うといけないので、

ぼくは歯を食いしばって、

涙を飲み込んだ。



* *



父が死んで、

四十九日が経ったとき。

母を誘って、

母の父母が眠る墓地へ行った。


祖父母のお墓参りは、

ぼくにとって久しぶりのことだったが。

そこは、父を火葬した場所でもある。


祖父母の墓をお参りしたあと、

火葬場の背後の道に差し掛かったとき、

ぼくは車の速度をそっとゆるめた。


火葬場を見ながら、母が言った。


「誰か燃やされとるね。煙が出とる」


「なんかわかんないけど、

 お参りしとこっか」


ぼくは母を促し、

二人で火葬場に黙祷した。


父の死を知らない母に、

父を弔ってもらいたくて誘ったお墓参り。

どんな形でお参りすればいいのか、

決めかねていたが。


静かに煙を立ちのぼらせる

火葬場に向かって、

二人、じっと手を合わせて拝んだ。


『父さん、母さんのこと、

 心配しないでね』


心の中で、そうつぶやきながら。

ぼくは父に約束した。



父さんと約束したから。

ぼくは、今日までずっと、

母を騙し続けてきた。


騙しやすいのか、

騙されやすいのか。

母との付き合いが長いぼくは、

母を騙す術に長けている。


いや、待てよ。


もしかすると、

ずっと騙されたふりを

してくれてる、とか・・・。


そんなわけ、ないか。



いろいろな言葉を並べて、

空箱や湯呑みなんかも駆使して、


「いい? これが年金だとして、

 こっちが遺族年金ね」


などと説明する。


年金と遺族年金と、

今後の母の暮らしが

「マイナス」にはならなず、

むしろ「楽になる」という説明をし、

父さんがいなくなっても

心配はいらないという話を

くり返し伝えた2月13日。


「とにかく、

 何の心配もいらないよ。

 母さんは今までどおり、

 笑顔でいてくれれば、

 それで大丈夫だから」


「そう? 今までどおり、

 ぱーぱーの母さんでいいのかな?」


「いいよいいよ。

 それがいちばんいい」


洗い物をする母の背中は、

鼻歌まじりで、

いつもより楽しげで嬉しそうだった。


内容よりも空気感。


内容の理解度なんて、どうでもいい。


ぼくは母が

笑っていてくれさえいれば、

それでいい。


ぼくは、終始笑って、

笑顔で母に話し続けた。


きっとその空気が

伝わったのだろう。

母は、何の心配もせず、

陽気に歌を唄っている。


階下に聞こえる母の唄声をBGMに、

ぼくは今、この文章を書いている。


2月13日、木曜日。


母からもらった

バレンタインデーのチョコを

ひとつ摘んで。


ミルクティ味の

甘い吐息を吐き出しながら、

ぼくは、父を思った。


ありがとう、父さん。

ぼくたち家族はしあわせだよ。

ずっとずっと、ありがとね。



賞のひとつも

獲れないぼくだけれど。

今見えている景色は、

本当にすばらしく、

涙が出るほど嬉しい景色ばかりだ。


ありがとう。


父さんを想って流す涙は、

まだ枯れないけれど。

約束どおり、

母さんのことは、

心配しないでください。



いつまで母を騙し続けるのか。

それは、わからない。


このままずっとかもしれないし、

いつか明かすのかもしれない。


ただひとつ言えることは、

今、母さんが、

ぼくが知る中でいちばん

しあわせそうだっていうことだ。


だからこの嘘は、

悪い嘘じゃないんだって。

ぼくも、姉ちゃんも、

そしてたぶん父さんも、

そう思ってくれてることと信じている。


もう少し母さんを、

騙し続けようと思う。


嘘のすべてが

罪だなんていうことはない。


誰かを安心させたり、

しあわせにする嘘だって、

あるものだ。


ぼくは上手に嘘をつきたい。

人をしあわせにするための

嬉しい嘘を。


どうせなら、そんな嘘で、

人を騙していきたい。



もしかすると、

この話だって嘘かもしれない。



嘘か本当かなんて、

どっちでもいい。


信じるか、信じないか。

ただそれだけのことなのだから。



2025年2月13日:記




< 今日の言葉 >


1000回ケンカして

 1000回大切な事を

 忘れたとしても

 1001回仲なおりして

 私たちは永遠に向かうのだ』


(『空の小鳥』羽海野チカ)