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2023/08/17

Hi, Punk. [B面]:#6 別天地へのいざない





 

5月31日、水曜日。

(くもり)


夜中の3:30ごろ、

目が覚めてしまった。

それでも、まとまった眠りは得られた。


もう一度、

目を閉じる気にはなれなかったので、

そのまま起きることにした。


電気は点けず、カーテンを開ける。

まだ夜景だったが、

ゆるやかに空が

明るい色へと染まりつつあった。


4:00、そして4:30。


日の出でも見に行こうと思ったが、

どうやらくもりらしい。


自分以外にも、

これくらいの時間に

起き出す人は多いようだ。

廊下を歩き、トイレへ向かう人の気配。

そして、ナースコール。



正直、

もう一度目を閉じるのが怖かった。


別に痛くて苦しいほどでもない。

少し、喉に「たん」がからむくらいだ。

けれども、その「たん」の違和感が、

呼吸のしづらさを感じさせ、

実際にはそうでもないのに、

息が苦しく感じた。


HCUでの「後遺症(トラウマ)」。


閉鎖的で薄暗い部屋。

閉塞感と苦しみ。


情けないが、

かなりつらかった体験が

生々しくよみがえり、

暗い部屋の中で目を閉じて

寝転んでいることが急に怖くなった。


昨日の今日だから仕方がない。

すぐに消える。


管を抜いて、ここを出れば、

すぐに忘れることだと思う。


ひとつひとつを紐解けば、

どれも関連のないこと。

夜は暗いのがあたりまえだし、

室内は、閉塞的なことが多い。


外の空気。

風。

それを感じたい。


もともと、

外気のゆらめきを感じないと、

少し落ち着かなくなることがあった。


車も、運転中、

ちょっとだけ窓を開けたくなる。




心配や不安は、何の力にもならない。

何も考えず、そういうものだと思えば、

やがて不安も消えてなくなり、

次の場所へと運ばれていく。


「なるようになる」


本当にそうだ。


くらべたり、よくないことを思ったり、

悲観的になってしまったり。


そうすることで、苦しみは増し、

苦しい時間がよけいに長くなっていく。


考えたって仕方ない。


その「苦しみ」と向き合い、

そいつの正体を見極め、受け止め、

対処していけばその先に着く。




息を大きく吸いこむと、

まだ、左胸が痛む。


息を吸うとき、

気管支がせまい感じがする。


げっぷや咳、鼻かみなどでは、

ずきんと痛む。


これが管なのか傷なのかは

わからないが。

自分の感覚的には、管ではなく、

傷の痛みのように感じる。



おそれるな。

なるようになる。


「〜したらどうしよう」

というのは、弱気からくる。


たとえそうなったとしても、

それは必要なことだから、そうなった。


すべてはよき方向へと転がっている。


自分を信じることだ。



* *



5:30くらいから、

また少し眠った。


カーテンは開けたままにして、

少し眠った。


6:20ごろ、目を覚ました。

その5分後くらいに、検温だった。

すごいね。


そのあと、体重を測りに行く。


71.2㎏。デブ!

嫌ん!


おばばも宿便中だし。

体を動かして、内臓も動かしていこう。


術前 :72.5㎏

5/30:70.65㎏

5/31:71.2㎏

6/1  : ? ㎏


・動作はゆっくり。

・お水を飲むときは、

 むせないように気をつけよう。



おしっこは、もう痛くない。

おかえり、おちんちん。


代わりにおしっこが、薬くさかった。



看護師センターに、

頼れる看護師さんがいて、

新しいパジャマLLサイズをもらう。


呼び出し音の

アラームが鳴りつづける画面を

のぞきこんでいたら、


「うるさいですか?」


と聞かれた。


「いや。何を見てるのかが、

 気になって」


「心拍数と酸素を見てます」


画面には、

たくさんの数字と

波形がならんでいた。


心電送信機をつけていたときは、

自分の「波形」も

ここに映されていたのか。


看護師さんは、

いろいろ気を配らなくちゃいけなくて、

大変だ。



5月31日 朝



7:00〜7:30ごろ、

絵を描いていると、

看護師さんが回診に来た。


初々しさの残る、

はきはきとしたしゃべり方で、

それでいてしっかり

受け答えをしてくれる。


目を見て話すのは大事なこと。

とてもきちんとした人だ。

看護師さんの、

これからの姿が楽しみだ。



しばらくして、

また別の看護師さんが来室。


「吸入お願いします」


と、言われて、

冷凍庫で冷やしたまま忘れていた

牛乳の存在を思い出す。


『吸入(きゅうにゅう)→ 牛乳』


なんて単純で短絡的なんだろう。


吸入3回目。

朝、夕、朝。


<吸入マシン・ネスコジェットAZ-11の図>



* * *



8:30ごろ、

レントゲンに呼ばれる。


自分の足で、1階レントゲン室へ。


これまでにない「空(す)き具合」で、

待合には、

自分を含めてなんと3人だけ。

ほとんど待つこともなく、

すぐに呼ばれて入室した。


レントゲン撮影が終わり、


「今日、めちゃくちゃすいてますね」


と言うと、


「本当ですよね」


と。技師さんも少し、驚いていた。



部屋に戻ると、清掃タイム。

黙々と掃除をする姿に、

いつもありがとう、と目礼。

点滴中じゃなくてよかった。



そういえば、朝の6:30ごろ、

おじさんの患者さんが、

看護師さんたちを注意する声が、

廊下から聞こえた。


「朝からしゃべる声が大きい」


ということらしい。


そいういうことも、あるんだな。


そう。


「おじさん」は、

何でも自分の思いどおりに

なると思っている。

思いどおりにならないことを、

ひどく嫌う。


ううっ・・・。

自分も「おじさん」にならないよう、

やわらかくいたい。


歳はちっとも若くないが、

体だけは若いらしい。

だったら、

心も「若く」ありたいものです。



9:30ごろ、清拭。

背中を拭いてもらう。

新しいパジャマに着替えて、すっきり。


ひげは、1ミリくらい伸びた。

カビが生えたみたい。



そして9:00。

先生方が来られて、

『2本の管を抜きます宣言』。

あとで処置室にて抜くとのことだ。



入れ替わるようにして、シーツの交換。

黄色いポロシャツに

黒いパンツ姿の女性2人組が、

手ぎわよくシーツをはがし、

新しいシーツをかぶせていく。


すごく折り目正しく、

しわやたるみがないよう

きゅっと引っぱりながら、

折り紙みたいに折りこんでいく。


すごい。

びしっとなってる。


百貨店の、

包装紙職人の手さばきを思い出す。


部屋のすみ、ソファに座って、

職人技を見せてもらった。


シーツの下は、

紺色の、ナイロンっぽい生地の

マットだった。


<シーツ交換の図>



* * * *




10:26ごろ、

待望のチューブ抜き

地獄のくるしみ、解き放たれるのは

一瞬のことだった。

やさしいお医者さんが手ぎわよく

さっと抜いてくれて、看護師さんや

ほかの医師さんみんなで孔(あな)を

圧迫してくれた。

一勢(誤→正:一斉)にいきおいよく

息を止めた瞬間に抜き、すぐ

圧迫してテープで孔をふさいだ。





今回、孔をあけるとき

「斜め」に切る切り方で切開したと。

この切り方だと、縫わなくても傷口が

自然に癒着(ゆちゃく)するそうだ。

(1日くらいでくっつくらしい)

外科医のメスは、筋繊維や

皮膚のことを熟知しているので、

傷痕は最小限ですむと聞いた

ことがあったが。自然に孔の口が

くっつく切り方があるとは、

驚いた。


2023.5.31.

只今11:00

右腕点滴中.


(※左手で描いた絵と、

  左手で書いた文字)



* * * * *



11:30、点滴終了。


左胸から右腕。

管から管へ。


ようやくそれも解放。

ひとまず自由の身に。


<点滴についての図>



朝、きんきんに冷やそうと思って、

忘れていて、そのまま

ばたばたしてしまって

放置されていた牛乳。


冷凍庫から取り出すと、

シャーベット状になっていた。


冷たくておいしい牛乳は、

すぐに吸えなくなり、

シャーベットの壁にぶつかった。


けんめいに吸ってみても、牛乳は出ず、

ちょっとパックを押してみたら、

ひとかたまりの牛乳シャーベットが、

宙に弧を描いてぴゅんと飛んで、

床にぴしゃっと落ちた。


そのさまがなぜかおもしろく、

一人笑ってしまった。


チューブが外れたうれしさに、

心が浮かれているのかもしれない。


(11:50)

<凍った牛乳の図>



術前にもらっていた下剤。

こんなにまでまったく出ないのなら、

試しに使ってみようかと思う。


<液体下剤『ピコスルファートNa0.75%』の図>



10〜15滴。

(直接口に入れていい)

だいたい、7時間後くらいに効く。






* * * * * *




5月31日 昼


お昼ごはんのあと、

さすがにおなかが張ってきたので、

液体の下剤を飲むことにした。


15滴、コップに垂らして、

少量の水で希釈(きしゃく)。


いまが13:00前なので、

7時間後といえば20:00前ごろ。


何ごとも挑戦。


ためて体調をくずすより、

下るほうを選んだ。


今日はひとまず、やることもないはず。


傷口をふさぐこと。

力まず出すこと。


自分は自分の仕事に専念しよう。




現場の中堅所は、

あまりの忙しさに忙殺され、

余裕を失っている。


上と下にはさまれて、

本来の目的を忘れ、

「業務」として「こなし」、

「片づける」ことに終始する。


やることが多すぎる。

忙しすぎる。


人のために、ではなく、

自分のために動くようになり、

周りが見えなくなってしまう。


仕方ない、と言えばそれまでだが。

誰にとっても好ましく状態から、

何とか抜け出す糸口が見つかるといい。




まだ、げっぷをすると、

ちょっと伸びあがるほどの衝撃が走る。


痛みというより、

衝撃といった感覚に変わった。


13:30ごろ。

外はくもりだが、日が差してきた。




あっというまに、1年費やした。


無駄に、ではなく。

二度とできない時間を、

有意義に過ごせた。


家原利明、目覚めの時が来た。


長い「眠り」だったが、

ごまかしたり、逃げ出したりせず、

ぜんぶ受け止めたことで、

いろいろわかった。


頭ではなく、心でわかった。

体でわかった。



自分の価値は、自分でつくる。

他人は関係ない。


わかりあえる人と、わかちあう。


内向きか、外向きか。

損得ではない。

さりげなさ。

人に与えられる余裕。

気にしない。

唯我独尊。

ゆるし、にくまず、ほがらかに。

調和。

バランス。



今回は、

言葉にならないくらい、

いろいろ感じた。


まだ、言葉はいらない。


ただ、心につよく残っている、

たしかな気持ち。


負けないぞ、と思った自分。


歯を食いしばって、耐えた自分。


人のあたたかさに、感謝した自分。


言葉ではない。

心。


自分が何かを「こえた」感じが、

たしかにある。


それが何かもわからない。


ものすごく小さくて、

些細なものかもしれない。


けれど、自分にとって、

それは大きくて、つよくて、

ゆるぎないもので、

自分の中にあるいろいろなものに

訴えかける力がある。




久しぶりに、鉛筆を使う。

鉛筆でこんなに文字を書くのは、

小学生のころ以来かもしれない。


この書き味は、筆のようでもあり、

万年筆のようでもある。


鉛筆っていいな。

そう思った。


中学に入ると、鉛筆を、

シャープペンに持ち替えた。


成人してからは、ボールペンか、

0.9ミリのシャープペンを使って

文字を書くことが増えた。


中学1年からつづけている日記も、

ボールペンで書いている。


10年以上使いつづけた

フィッシャーのスペースボールペンから

BICの1.0ミリボールペンに変わって、

もう20年以上が経つ。


BICのボールペンも、

その間、さまざまな「改良」があり、

ついに最近、オレンジのボディが

透明オレンジになった。


初めのうちは見慣れなかったが。

透明オレンジもわるくない、

と思えてきた。

インクの残量が一目でわかる。


何より、書き味の滑らかさ、

インクの黒の「黒さ」も、

以前の「絶頂期」のころに

戻った気がする。


・・・・前に、どこかで

書いた気がするが。


長く生きてきて、しつこく長く、

おなじものを愛用してきたせいか。


お気に入りの商品が

「廃盤」になるのを、

幾度となく体験してきた。


最近でも、

洗濯用洗剤(『ビーズ』のピンク)、

ボディソープ

(BODY SHOPのマンゴー)などが、

知らぬまに「絶滅」してしまった。


マンゴーの前には、

ストロベリーを10年以上愛用していた。

それが廃盤となり、

マンゴーへと「転向」したのだった。


自分の「好み」は、

ことごとく時代と合わないのかと。

ときどき本気でそう思う。


けれども、

自分が目をつけたものが、

ずっと長く

残りつづけていることも多い。


ベストセラーより、ロングセラー。


これは、自分にも願うことだ。




* * * * * * *




14:00すぎ、

外科の、若い先生が来られた。


こちらが聞くでもなく、

薬の話をしてくれた。

どうやら、

頓服の痛み止め(トアラセット)に、

「便秘」の副作用が出るとのことだ。


術後は、

点滴で痛み止めを入れていたので、

頓服薬は飲んでいない。


そして昨日、

念のため、頓服薬を2回飲んだ。

朝起きてからと、寝る前の2回。


今日は朝、起きてから1回飲んだ。


「あの薬は、麻薬ですからね」


先生の言葉に、ふと、

「依存」している自分に

気づいたときのことを思い出した。


あのときの自分の「感覚」。

まちがっては、いなかった。


聞く前に気づけて、よかった。

できれば飲まずにすごしたい。


自分への信頼度。

それがすなわち「自信」というもの。


やっぱり、直感や感覚は、

人知を超えたひらめきを導く。


ひらめきを信じるかどうか。

それは、自分次第だ。



若い先生の話によると、

退院は土曜日、

6月3日ということだ。


時間は不明。

おそらくは午前中か、

昼ごろになると思うが。

今日が水で、木、金。

あと2日半で、土曜日だ。






恥ずかしがらず、格好つけず。

できることは、ここでやっておきたい。

必要ならば、お浣腸も頂戴します。


力んで肺が、

やぶれてしまわないように。

自力でがんばりすぎず、

出すものを出して、

ここを出ようと思う。




* * * * * * * *




15:00すぎ、

看護長が来られた。


「家原さん、

 お話があるんですけど」


そう言われて。


劣等生のぼくは、

なかなかいい予感など抱けない。

まったくもって、

わるい予感しかしない。


また知らないあいだに、

何か「わるいこと」を

しでかしてしまったのかと、

思わず身がまえた。


が、それは無用の心配だった。


「緊急入院の患者さんがおられるので、

 C棟のほうに、

 転棟していただけないでしょうか」


不意をつかれたように、

きょとんとなったぼくに、

看護長がゆっくり言葉を継いだ。


「C棟の、特別室になりますが。

 お値段はそのままで

 けっこうですので、

 本日、これからですが、

 移動していただけますでしょうか」


C棟、特別室への転棟。

それは、ここよりも

「高級な」個室への移動、

ということだった。


降ってわいたような「出来事」に、

胸のわくわくがかくしきれない。


「はい、大丈夫です」


ぼくは、満面の笑顔でそう答えた。


「ありがとうございます。

 では、準備が出来次第、

 またお迎えにあがります」


看護長の背中を見送りながら、

思うでもなくふと感じた。


これはきっと「ごほうび」だ。

がんばった人への「ごほうび」だ。


この部屋の窓の外の風景とは、

たった1日の付き合いだったけれど、

描きたいものを

すぐに描いておいてよかった。


『窓の外の風景 くもりのち晴れ』(2023/05/31)



くもりのち、晴れ。


窓の外の空模様とおなじく、

心模様も、晴れやかな色に染まった。


「ありがとうございます」


誰に、なのかはわからないけれど。

誰もいない部屋の中で、

声に出してお礼を言った。



左手にはめた、

おじいちゃんの形見の金時計。


これは、

おじいちゃんの仕業なのかな。


初めての入院で、

個室というものを思い描いたとき。

おじいちゃんがいた

「個室」の風景を思い出した。


それが「ここ」に、つながったのか。


不思議な糸がからまりあって、

不思議な現実をたぐり寄せた。



とにかく、そういうことだ。



これは、タイミングという、

偶然の「流れ」がなせる業(わざ)。




荷物をまとめ、

「引っ越し」の準備をする。


管が今日、外れたので、

明日、シャワーを浴びようと

思っていたのだが。

それが、「特別室」での

シャワーになるとは。

何とも贅沢でありがたい。




15:00ごろ、

2人の看護師さんが、

お迎えに来てくれた。


「荷物、これだけですか?」


「はい」


「少ないですね」


驚き、ほほえむ看護師さんが、

荷物を手にする。


「あ、ありがとうございます」


黒いリュックと、赤い買い物バッグ。

それぞれを手にした看護師さんに

はさまれるような格好で、

10階から2階へ降り、

長い廊下を歩き進んだ。


「特別室なんて、

 身分不相応な気がします」


「私たちも初めて行くんです、

 C棟には」


「どんなとこなんですかね」


「そうですよね」


看護師さんたちも、

少しばかりわくわくしている様子だ。


歩きながら、

あれこれおしゃべりしていると、

A棟をこえ、B棟の端に着いた。


『関係のない方の立ち入りは

 ご遠慮ください』


初めてのC棟。

あきらかに「感じ」がちがった。


床が、リノリウムではなく、

カーペットになった。


そのちがいは、

百貨店などで、ほかのフロアから急に、

ハイブランドの並ぶフロアに

足を踏み入れたような感覚だ。


何だかよくわからない

アラームが鳴ったり、

看護師さんがカードをかざして、

オートロックを解除したり。


エレベーターのある場所に出ると、

そこでようやく立ち止まった。


長い道のりを、ずいぶん歩いてきた。

看護師さんは歩くのが早いので、

立ち止まると、

じんわり汗がにじんで、息があがった。


ずっとしゃべっていたせいもあるが、

自分が手術直後の患者だということを

忘れてはいけない。


エレベーターを待つあいだ、

肩でゆっくり息をしながら、

呼吸を整える。


壁も、床も、エレベーターも、

見るものすべてがホテルみたいだった。


もう、ここが「病院」だということは、

どれくらいか前から忘れていた。


14階。

エレベーターを降りると、

そこはもう、「家」のようだった。


高級なマンションのような雰囲気の中、

病院とは思えない「受付」があった。


ここはもう、「別世界」だった。


電話もナースコールも鳴り響かず、

とても静かだ。


2人の看護師さんも、

ぼう然と驚いているような、

あっけにとられているような。


ぼくら「3人」とも、

マスクをしていたのでわからないが。

おそらくたぶん、3人とも、

ぽかんと口を開けたままだったに

ちがいない。


調度品や受付のデザインなど。

見るからに「高級感」が

感じられるものばかりだが。

足裏から伝わる、

毛足の長い「じゅうたん」の感触が、

何よりその「高級さ」を語っていた。


看護師さん2人が、

申し送りや手続きなどを進める中、

ぼくはその「不思議な」光景を

じっと見ていた。


おなじ病院の、

おなじ看護師さんなのけれど。

あきらかに何かがちがっている。

制服もおなじだし、

特別ちがうものを

身につけているわけでもないのだが。

どこか、

これまでの「看護師さんたち」とは

ちがっていた。


立ち居振る舞い、しゃべり方、

表情や声の調子など。


まるで自分たちが、

病院から急に

百貨店に来てしまったみたいな。

そんなたとえが、

いちばんわかりやすい。


ここまでいっしょに来てくれた、

2人の看護師さんたちと、お別れする。

ほんの束の間の「道中」だったが、

何だか気心の知れた「仲間」が

去っていくみたいで、

ちょっとさみしい気持ちになった。



「家原様、どうぞ。

 こちらのお部屋になります」


「さん」から「様」へ。


C棟の、

高級感のある「おもてなし」に

いざなわれ、

足音のしない廊下を歩く。


『祈祷室(きとうしつ)』と

書かれた部屋をこえ、

窓の見えるあたりに進むと、

案内係・・・いや、

看護師さんが静かにほほえんだ。


「こちらでございます。1402。

 こちらが家原様のお部屋になります」



<特別室・部屋前廊下の図>



そこから、

カードキーでの施錠のしかた、

解鍵のしかた、

部屋の中の案内など、

ゆったりと心地のよい、

落ち着いた声で、説明がつづけられた。


すました顔で、

じっと黙って説明を聞いていたが。

内心ではずっと興奮しっぱなしだった。


(え、鍵がかかるの?

 これが病室⁈

 え、家じゃん、こんなの。

 わ、じゅうたんふかふかだ。

 え、なに? ここって外国?

 わー、すごい。ぴっかぴかだ。

 な、間接照明って。

 なんだ、これ〜。すごすぎる。

 あははは、すっご〜い。

 笑っちゃうな、もう・・・)

 


いろいろな説明が終わり、

ようやく一人になった。


「はははは・・・。

 やばいな、これは」


落ち着け、落ち着くんだ。


興奮を冷まし、

気持ちをなだめるためにも、

とにかくまず、部屋の絵を描いた。




* * * * * * * * *




<特別室・間取り>




<特別室・ベッドまわり>





<特別室・ソファから入口を望む>





<特別室・洗面、クローゼット、キッチン>





<特別室・冷蔵庫と電子レンジ、ソファ、窓>





<特別室・トイレ>





<特別室・浴室>




ふぅ。

少しは落ち着いた。


しっかり「観察」できたところで、

ようやくゆったりした気分になった。




<リモコン3兄弟の図>
(左から)テレビ、エアコン、ベッド




18:00ちょっと前、

窓の外に西日が見える。


眼下の池が、

まるで湖のように

見えてくるから不思議だ。



C棟14階、特別室。


笑ってしまうほど、ラグジュアリ。



静かで、ふかふかじゅうたんで、

家かホテルみたいな、特別な個室。


まさかこんな部屋に「泊まる」とは、

夢にも思わなかった。


別天地。


地獄の底から「天国」へ。


自然とこぼれる笑み。

まさにここは、天国だ。



ここへ来たのは、16:00ごろ。

いつのまにか2時間ほど経っていた。


看護師さんが「スタッフ」に見えて、

自分が「健康体」に思えてしまう。


ここが病院で、

自分がいま、病棟内にいるということを

うっかり忘れそうになる。


いまさっき、

白衣の看護師さんが問診に来た。

看護師さんが来てくれなかったら、

本当にここがどこだかわからなくなる。


(見かたを変えると、

 家のようなホテルのような部屋に、

 看護師さんがいることが

 妙に思える)



今日はくもりだったのに、

都合よく晴れて、

窓から夕焼けが望めそうだ。


夕陽を見ながらの病院食ディナー。

フォアグラとか出てきたらどうしよう、

と、思うくらい。

もう、どんなことがあっても

おかしくない、特別な部屋だ。



一生懸命がんばってきた人が、

こうして静かな部屋で静養するのは

当然のことだろう。


「わがまま」で個がつよいから、

「事業主(社長)」になった人もいる。


1泊/¥55,000-。

全体で15室あるうちの1部屋、

1402号室。


そこに、社長でもVIPでも

偉い人でもない患者が滞在している。


偶然の風だけで、

サイコロの出目だけで、

ここにいる。




夕陽の逆光のせいか、

よく知る街の景色が、

どこか別の国に感じる。


その「異国感」は、

ベランダの植物的な、

アールヌーボー調の

柵のせいかもしれない。

単純でだまされやすいぼくは、

おかげでまんまと

異国情緒を味わっている。


<特別室・ベランダの柵の図>



入口は、オートロック。


シャワー・バスルームは、

ぴかぴかしてまぶしくて、

サングラスがいるほどだ。


洗面台には、ドライヤーもある。


すっぽり入れちゃうくらい

大きくて背の高いクローゼット。

ハンガーは「木製」だ。


<特別室・木製ハンガーの図>



キッチンには湯沸かしポット、

冷蔵庫の上には電子レンジもある。


照明は、どれもやわらかなオレンジ系。

壁には間接照明があり、

枕もとをほんのりやさしく

照らしてくれる。


ベッドのリモコンは、

コードなしの「リモコン」だ。


ごみ箱には、

樹脂製の「カバー」がかぶされている。

マットブラックの、

落ち着いた色調のカバーだ。

それだけで「高級に」

見えるからすごい。


<特別室・ごみ箱カバーの図>



・・・・・ ★ ・・・・・



もしあなたが、 

入院が初めての患者さんで、 

病院らしさを体験したいのであれば、 

この「特別室」ではなく、 

「ふつうの病棟」に入ることをお勧めします。 



・・・・・・・・・・・・・



そう思うと、自分も、

大部屋からはじめて、

ここまで「上がって」きたかったな、

などと思ったりしたが。


本当にすべてが予想外の展開すぎた。


なんだか「病院レポート」の

スパイみたいに、

いろいろな体験を「取材」しまくる

結果となった。


そういう宿命なんだな、自分は。


せっかくの種だ、

これをしっかりまとめよう。



ひととおりり絵を描き終えたおかげで、

興奮はおさまったが。

代わりに、下剤の効き目なのか、

急に「おなら」が出はじめる。


何日も風呂に入らず、頭も洗わず、

便も出さずにおならを出す、

きたない人間。


このきれいな部屋のおかげで、

自分がとても汚れて感じる。


見た目に、

あまり不潔っぽく見えないのが、

数少ない長所。


あゝ、早くお風呂に入りたい。





高層マンションとかに

興味はなかったけれど。

わるくないかもしれないと思った。


地上は、はるか下。

見えるのは遠景と空ばかり。

仕事をするのに、

いい環境かもしれない。


現にいま、

自分が締め切り前の作家さんで、

編集の人がちょいちょい

顔をのぞかせに来ているような妄想


(※ノートはここで中断している)



* * * * * * * * * *




5月31日 夕



夕暮れどき、

日没を見送りながらの夕ごはん。


雲のない空に、

ひと筋浮かんだ飛行機雲。

夕陽に染まる空と

飛行機雲を見ていたら、

何だか涙がにじんできた。


うつくしい風景を、ありがとう。


14階の「ラウンジ」で食べた夕食は、

中華でした。


19:07。

ごちそうさまでした。




「時限爆弾」は20:00にセットした。


どうだろう。


はたして、おベンツーさまは、

約束の時間に来てくれるのだろうか。


それでだめなら、

また夜飲んで、

朝、様子を見る。


それで来なければ、

お浣腸さまにお願い申そう。




退院は、金曜? 土曜?


外科の先生や看護長さんたちは、

金曜と言っている。

外科の若い先生は、土曜だと言った。


まぁ、明日次第だろう。


明日、木曜日。

レントゲンと、母への電話。

34番で待ち合せる約束しよう。


ちなみにC棟は、面会者立入禁止。

それは聞いていなかった。

あぶないあぶない。

質問してみてよかった。



《特別室のいいところ》


・照明が暖色系だということ。

・静かなこと。

(大声で呼ぶ人の声、

 ナースコールが少ない)

・入口に窓がなく、光が入ってこない。


いちばんのちがいは、


・ベッドのふかふか感。


布団はおなじでも、

マットがまったくちがう。

厚さが通常病棟の4〜5倍はある。

ハムとステーキくらいの寝心地の差。


<マットの厚さのちがいの図>



立ちあがって、窓辺に立つと、

夜景がなかなかきれいです。



<特別室・窓からの夜景の図>



そして、うんこはんは、

いらっしゃらない。


20:20。

待ちぼうけ。




痛みがくるのがこわい・・・

そう思って薬を飲みつづけるのは、

ある意味で依存だ。


頓服の薬はしばらくやめる。


昼間に若い先生が、

薬が切れたときや薬をやめたとき、

軽い中毒症状が出るかもしれない、

と言っていた。


いらいらしたり、落ち着かなかったり。

そんな禁断症状にも似た症状が

出る場合があるとのことだ。


『マグミット』(便に水を集める薬)も

もう使わない。


浣腸は、外に出てから、

市販の物でやってみてもいい。


必要なものを、最低限だけ飲もう。


明日1日だったら、

下剤も浣腸も、

無理してやる必要はない。


退院は金曜か土曜か。

あと1日なのか、あと2日あるのか。


(若い外科の)先生、

しっかりしてくださいよ。


どっちなんですか。

ややこしくしないでくださいね。






ことごとくテープアレルギー。


尿道カテーテルの

チューブを留めていたテープ跡も。

点滴の入口を留めておくシールも、

心電図も。

ぜんぶ皮膚がかぶれる。


テープ会社の人と、

共同開発したいくらいだ。

人の肌にやさしい、

植物性・動物性の、接着剤。

汗をためない、通気性。




特別室は、

「最高の個室」だけれど、

「最高の孤独」でもある。


けれども。


何かあったら、HCUを思い出せ。


贅沢は敵だ。

贅沢しません、出るまでは。


勘ちがいするな。

文句や不満は、人を弱くする。



やっぱり、

頭は5日くらいが限界か。

どうか明日、入れますように。



おなかがぱんぱんで、

もうごはんが入らない。



《個人的問題》

・便秘

・テープかぶれ

・不眠


《つらさ》

・痛み

・息苦しさ

・わからないということ


《環境》

・音

・声

・プライバシー



[予定]

・22:00ごろ(〜23:00)…… 点滴

・0:00/3:00 …… 巡視

・6:30ごろ …… 採血


・テープはがし

・レントゲン:1階6番(→母に電話)


・退院:明日6/1? 明後日6/2?




* * * * * * * * * * *




I did it MY WAY.


苦しんんだからこそ、

得られたものがある。

たくさん感じたことがある。


思っても、口には出さない。

顔にも態度にも出さない。

それが本当のつよさ。

ゆるぎない、動じない、不動心。

余裕とゆとり。

それでいて謙虚で素直であること。

たとえ「わかった」としても、

それを突きつけて証明する必要はない。

自分の心がわかっていれば、

それでいい。

うたがいもせず、信じすぎもしない。

自分の軸。

自分が自分をいちばんわかっている。

合わないものは合わない。

正誤ではない。





Executive(エグゼグティブ)


<特別室・テレビの図>



WOW!

ベッドにいながらにして、

テレビを観ることができる。


壁からの腕をのばせば、

ベッドはもちろん、

ソファでも、キッチンからでも、

テレビが観られる。


・・・観ないけど。




[血中酸素濃度]

・手術前:

 じっとしていて95(SpO₂)

・手術後:

 たくさん歩いてきて95(SpO₂)




テレビのような、立ち話のような、

ずっと人の声がしていた「幻聴」。


そして、ゆれるような感覚。

ベッドに横たわると、

ゆりかごにゆられているような

感じがした。


こわいなー、おくすりって。




点滴のあいだに、

2冊目のノートを読み返していた。


そして何だか泣けてきた。


やさしい愛情

さりげない気づかい


おなじものでも、ひとつではない。


いろいろな形。

いろいろな感覚。

いろいろな人がいる。


いい所どりでいこうね。




23:10ごろ、点滴終了。


液体下剤『ピコスルファート』を15滴、

口を開けて、ダイレクトに垂らす。


ん、おいしい!


甘くておいしい味わいに、

そのままちゅうっと吸いそうになる。


あぶないあぶない。



23:20+7時間=6:20ごろか。


採血とぶつかるかな。


それはそれで。

朝のお楽しみ!





退院は、明日なのか、

それとも明後日なのか。


そもそも、本当に退院できるのか。


去来する不安と、心に差す光。


いよいよ大づめ。

ビッグネイルでございます。



次回、#7、

どうぞお見逃しなく!




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< 今日の言葉 >


「ステった」


ステ=ステルベン(独:sterben/死亡)

ステった=死んだ、死亡した、の意