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2023/06/22

Hi, Punk. 第6日目: 手術前夜の日曜日







5月14日 日曜日、

入院第6日目。


朝起きると、窓の外は雨だった。


降りつづくように見えた雨も

静かにあがり、

傘の花も、咲かなくなった。


5月14日 朝


「赤にする? それとも白にする?」


まるでワインのようだが、

おみそ汁の、おみそのお話。


毎食、ご飯は半分くらいしか

食べていなかったけれど。

明日の手術にひかえ、

昼・夜が絶食になるかもしれないので、

ひとまずお腹いっぱいにしておいた。

これで、24時間くらいは、もちそうだ。




9:00からのシャワー室を予約した。

看護師センターの時計は、8:45。


9:00ごろ、

看護師さんたちが集まって、

申し送りをしていた。

夜と朝の入れ替わりの時間。


なるほど。

9:00が、そういう時間なのか。

夜勤のみなさん、おつかれさまでした。


2度目のシャワー室は、

勝手知ったる感じで、

まるで友人宅の浴室のような

親密さがあった。


さらさらと洗髪。

札を返し、

ターバンスタイルで帰還。



昨日もよく眠れた。

時計がないので、何時から何時まで、

何時間眠ったのかはわからない。

昨日も、その前も、

まったくそれはわからない。

けれど、しっかり眠っていることだけは

たしかだった。



外科の先生がやってきた。

問診と、器械の確認。


そのあと、看護師さんが部屋に来て、

術前の説明をしてくれた。


「今日の夜は、21時以降、

 何も食べないでください。

 翌朝、手術の当日は、

 朝10時以降、

 飲み物も飲まないでください」


「お水もですか?」


「はい。何も飲まないでください」


・日曜夜 21:00〜 絶食

・月曜朝 10:00〜 絶飲


と、いうことだった。


今日の昼・夕は、

まだ食べてもよかった。

朝からはりきって食べなくても

よかったみたいだ。


まるで「断水」のお知らせのようだが。

いよいよ手術前、という気がした。



* *



コンビニエンスストア。

直訳すると「便利なお店」。

その名のとおり、

コンビニはとても便利で、

目を離すと光のような速さで

「進化」していることに

おどろかされる。


6日目にしてようやく、

初めてのコンビニ。

入院初日から来なくて、

逆によかったと思った。


「久々に」見たコンビニは、

まるで大都会のようだった。

色が、物が、

ひしめくビル群のようにならんでいた。


時計もルームシューズも

下着も石けんも。

おにぎりもボールペンも

うまい棒もアイスクリームも。

包帯やサラダや

からあげやエナジードリンク。

雑誌も文庫も新聞も。

よくぞこの空間に

これだけの物を詰め込んだな、と、

舌をまくほど多種多様の商品が

ならんでいた。


コンビニがこんなに、

まぶしかったんだと。

色が、光が、みんなきらきらしていた。


煙草を吸わなくなってからというもの、

コンビニは、

諸々の料金を支払う「窓口」か、

コピーかスキャニングか出力をする

『Kinko's(キンコーズ)』のような

存在になっていた。


あとは切手か収入印紙を買うくらいで。

ときどき「店内」を

巡回することもあったが、

どうだろう、ここ半年くらいは、

コンビニのレジカウンターから後ろを

ふりかえった記憶もない。


そんな無人島帰りの

ロビンソン・クルーソーみたいな

自分には、

コンビニ店内の風景が、

SFか、外国くらいの

ワンダーランドに映った。


右手に吸引マシン

『MSー008』号を従えたまま、

その場でぽかんと口を開けて、

しばらくその風景に目を向けていた。


すごいな、コンビニって。

こんなものまであるのかと。

店内をぐるぐる見て回る。


「見てごらん、MSー008号。

 ほら、おいしそうなデザートだね」


なんて。


店内をくまなく見てたのしんで、

感嘆の声をもらしつつ。

結局、買ったのは、

歯ブラシと歯みがき粉と、

ノートと消しゴムだけだった。


それで「おなか」いっぱいだった。


もしも初日に来ていたら。

時計も下着もマグカップも、

おはしやスプーンなどの

カトラリーセットも、

きっとあれこれ買っていただろう。


お菓子やチョコも

食べていたかもしれない。

食後のアイスも

欠かさなかったかもしれない。


慣れ、というのか。


階下への移動の許可が昨日まで下りず、

10階の病棟だけで生活するうち、

何とかそれで、

まかなえるようになった。


コンビニなしの生活が

「標準」になってしまい、

時計やスプーンも、なければないで

なんとかなってしまっていた。


食事も充分すぎるほどだし、

必要なものも、特にない。


そして思う。

自分がいかにつまらない人間なのかと。


0か100。


食べるなら、買うなら、

何も気にせず思いっきり。


朝昼夕、ごはんを三食食べたら、

お菓子が入るすきまは、どこにもない。


いまは、何もいらなかった。


<ようやく手に入った
「大人サイズ」の歯みがきセットの図>




コンビニを出て、

病院内を散歩してみる。


コーヒーショップもあったし、

麺類のお店やパン屋さんもあった。

サンドイッチやホットドッグ、

ハンバーグや

おいしそうな和食の御膳もあった。

クリームいっぱいのデザートまである。


駅の地下街か

ショッピングモールみたいで、

一瞬、パジャマ姿の自分に

躊躇(ちゅうちょ)する。


そう、ここは病院だ。

「私服」の人たちのあいだに、

おなじパジャマの人たちの姿も

ちらほら見える。


「へぇええぇ」


にぎやかな品の数々に、

何度か小声で一人つぶやく。


郵便局もあったし、理容室と美容室、

銀行ATMだってある。


ぜんぶ「歩いて」すぐ行ける。

もちろん、車イスでも。



人の少ない、日曜日の院内。

がらんとした風景に、

何だか特別な感じがして、

今日まで「取っておいて」

よかったと思った。


廊下の壁には、

たくさんの絵画が飾られていた。


50号とか、もっと大きな、

100号以上の絵もあったし、

洋画も日本画も、風景画も人物画も、

いろいろな人が描いた、

いろいろな絵がかけられていた。


どの絵も比較的「おだやか」で、

見ていてほっとするものが多かった。


富士山の、大きな絵。

つたのからむ、植物の絵。

柿や魚、野菜などの静物画。

女の人の絵。

ネコ科の動物の絵。


ぼくは、

「雪の溶け残り」みたいな題名の

日本画が気に入った。

水墨画のような濃淡と、

書道のような生々しい筆致。

抽象画とも見えるような、

簡略化された形。


「おおっ」


立ちならぶ木々が描かれた

風景画だったが。

思わず声をあげて立ち止まり、

しばらく観入ってしまうほど、

いい絵だった。


もし、自分の絵がここに飾られるなら。

どんな絵がいいのかな、

などと思いつつ。


自分以外、

立ち止まって観ている人がいないことに、

ちょっとだけさみしく思ったり。


今日までにも、

絵に目を向ける人の姿を

見かけたことは、

ほとんど皆無と言っても

いいくらいだった。


むかし観た映画で、

こんなセリフ(字幕)があった。


『絵は、食べられないからね』


ダブル・ミーニング的な言い回しの

その言葉は、

映画の題名や内容は忘れてしまっても、

しっかり心に残っている。


絵は、食べられない。


お店やコンビニに人はいても、

絵の前に、人はいない。


絵は、食べられないから。

みんな、食べられる物のほうに集まる。


自動演奏のピアノに、

耳を傾ける人が少ないのもまたおなじ。


食べられない、物だから。


食べられない、絵や音楽。

食べられていない、絵や音楽。

食べられるようになるまで、

誰も食べない。

みんなが食べるようになるまで、

誰も食べない。


テレビの前には、何人もの人がいる。

絵は観ないのに、テレビは観る。

何時間も、じっと観る。


どうして絵は観ないのかな。


そんなことを思いながら、

一人、いや、MSー008号と二人、

長い廊下を、とぼとぼと歩いた。


けれども決して、

いないわけじゃない。


声なく何度かうなずきながら、

エレベーターに乗りこみ、

10階の自室へ戻った。



* * *



日曜日なのに、みんな忙しい。

患者も、お医者さんも、

日曜日はない。


病気の人に、休日はない。

おなじく、それを治癒する人にも、

休みはない。


5月13日 昼


昼食後、看護師さんがやってきた。

一人でコンビニに行けるなら、

買ってきてほしいものがある、と。


明日の手術に必要なものらしい。


大人用の紙おむつ(テープ式)4枚と、

500mlのペットボトル入りの水1本。


「あとは、

 ダンセイストッキングを

 お願いします」


「男性ストッキング?」


「そうです。わからなければ、

 レジの人に聞いたら

 教えてくれますから」


と、足の、ふくらはぎ周りの

サイズを測られる。


「Mサイズで大丈夫ですね」


「地下のコンビニにありますか?」


院内のコンビニは、

2階と地下の2店舗がある。


「はい。地下のほうで、お願いします」


よし。

これで、2店舗目のコンビニに行く

「口実」ができた。

2階のほうから行ってみて、

大正解だった。


さっそくコンビニに向かおうとすると、

また別の看護師さんがやってきた。


「奥さまがいらしゃってます」


そう言われて、

「えっ⁇」と眉根を寄せる。


奥さま?


いったい誰が来たというのか。


何の約束もなく、

いったい誰が来たのだろう。



ラウンジへ向かうと、

そこには、母がいた。


何だ、びっくりした、と。

肩の力を抜いて、足を進める。


いきなりふらっと来た

母の姿を見て思った。

きっと心配なんだろうと。


明日は手術だ。

全身麻酔での手術になる。


今回の手術の内容を

どこまで理解しているかは別として、

母は母なりに、

何かを感じ取っているのだ。



雨はあがっていた。


ラウンジで母と話し、いまの自分の、

元気な姿を見せておいた。

むずかしい話をしても

きっとわからないだろうから。

自分が笑顔でいることが、

いちばんの「安心」になるはずだ。


もしかすると、

もしものことがあるかもしれない。


けれど、それはどうしようもない。

自分でできることは、何もない。

あとはお医者さんに任せるのみ。

それだけだ。



母と、どれくらいか話したあと、

地下のコンビニへ向かおうとすると、

看護師さんに呼び止められた。


「ストッキングは、

 いらないみたいです。

 なくて大丈夫だそうです」


ストッキングは、全身麻酔のとき、

血液が足に集まって血流がわるくなり、

血栓などを

引き起こさないようにするため

履くものだ。


足(下肢)のエコー検査の結果、

ストッキングの必要はないとの

判断らしい。


タイミングよく、

ストッキング不要の知らせを聞き、

母の神がかり的な訪問に感謝した。

(まあ、返品すれば

 いいんだろうけどね)


エレベーターで地下へ。

初めての地階。


2階のコンビニと同系列だが、

地下1階のほうが、

少しだけ病院っぽい商品が

多くあるように感じた。

(ちなみに2Fは7〜21時、

 B1は24時間営業)



初めての「大人おむつ」体験。


宇宙飛行士に選ばれなかったぼくは、

人生「2度目」にして、

初の「大人おむつ」を、

手術という形で履くことになった。


大人おむつに足を通す時期が、

思ったより早いのか、

それとも遅いのか。

それはわからないが、

とにかく、おむつを買うのも、

しっかり手に取って見るのも、

初めてのことだ。


「テープ式、テープ式・・・」


初めて見た「大人おむつ」は、

想像の5倍くらい大きかった。


赤ちゃんおむつが

何枚も入っているほどに見える

その大きさに戸惑いつつ。

手に取っていろいろ確かめてみる。


おお、これがテープ式か。


で、サイズはMか? Lか?

それとも、パジャマとおなじくLLか?


裏面の説明書きを読んでみる。


よくわからなかったが、

わかったことは、

「体重50キロ以上」だと、

サイズは「L」ということらしい。


でかい。

こんなでかいのを4つもか。


商品サイズは、だいたい、

縦35×横25センチ、

厚さは5センチくらいか。

これを4枚となると、

それだけでカゴがいっぱいになる。



<大人用紙おむつの図>



ペットボトルの水を1本、カゴへ入れる。


不要になったが、気になったので、

「男性ストッキング」も探してみた。

ちょっとだけ履いてみたかったので、

やや残念でもある。


「これか・・・」


ダンセイストッキング。


正解は、

「男性」ではなく「弾性」だった。


あぶないあぶない。

レジの人に聞くとき、

「男性『用の』ストッキング」とか、

「男性『物の』ストッキング」とか

言うところだった。


男性ストッキング、改め、

弾性ストッキング。


サンプルとして、

現物がディスプレイされていた。

ストッキングというと、

勝手に「黒」を想像していたのだが。

実際は「白」だった。


それはもはや、タイツだった。


地の厚い、

そのハイソックスの「タイツ」は、

バレエダンサーのプリンシパルか、

中世の王子さまを連想させる。


バレリーノかプリンスか。


全裸で紙おむつで

白のハイソックス。


その仕上がりを思い描いてみて、

履く必要がなくてよかった!と思った。


鉄腕アトムにしては白すぎる。

これはもう、ただの変態だ。


試しに、と、

遊び半分で手を出すほどの

値段でもない。


しばらくその

「弾性ストッキング」をながめ、

もてあそんだあと、

意味なく一人うなずいて、

レジへと向かった。



お会計のとき、

レジの人がおもむろに言った。


「こちら、

 大人用紙おむつを買っていただいた

 お客様には、

 サービスがございまして」


何かのキャンペーン期間中なのかと

身がまえたが、

そうではなかった。


未開封の大人用紙おむつに限って、

7日以内であれば、返品できると。


びっくりしたぁ。

お皿とかマグカップとか、

何かもらえるのかと思った。


そういうことね。

ありがたい。


大人用紙おむつ返品の歳の注意点




必要なものを買いそろえ、自室へ戻る。


手術への不安はないが、

少しつかれた。


そのせいか、

気持ちに「もや」がかかってきた。

心までも、左の肺みたいに、

急にしゅうっとしぼんできた。


時計がないのでわからないが。

昨日、あまり

眠れていないのかもしれない。

朝は、6:20に起床した。



5日目くらいから、

肌がざらつきはじめた。

テープかぶれもひどく、

テープのまわりやテーブの跡が、

ちくちくとかゆい。


お風呂に入りたい。

シャワーを浴びて、体を洗いたい。

ボディソープの真っ白な泡と、

マンゴーの香りが恋しい。


体拭き(清拭)は、2日に1回。


「言ってくださいね」


待ってちゃあだめだと。

看護師さんから、

やさしい言葉をいただく。


忙しそうな姿を見ると、

つい、気おくれする。

ナースコールも、

命に関わることじゃない限り、

押してはいけない気がして。

自分の中では、

救急車のような位置づけだ。


嗚呼(ああ)、

気が小さくて、情けない。




肩があまり痛くならない

腕立て伏せを発見。

水平ではなく、ソファを使って、

上体を起こしての腕立て。

チューブが入っているうちに、

こっそり30回。


チューブが抜けたら、

空気の逃げ道がなくなるので、

肺に負担がかかって

できなく(禁止に)なるはずだ。


術後はたぶん、絶対安静だろうから。

腹筋も40回を2セット。



明日の手術で、

どちら側なのかを示す印を、

肩口につけられた。

準備は着々と、進んでいく。


<どちら側を手術するかを示す印の図>




* * * * *



5月14日 夕


からあげがおいしかった。

塩は15%以下だと思うけど

(もしかすると10%以下かも)、

しっかり味がする。

レシピが知りたい。


オクラモズクス


ねばねばとろとろの、おくらもずく酢。

カタカナで書くと、

恐竜時代の生物みたいだ。

声に出すと、

魔法の呪文みたいでもある。


夕食は、明日のためにしっかり食べた。





入院生活に必要なもの。

今日、初めてコンビニへ行って、

おどろいた。


見ると、

それが「いる」もののように思える。

目から先にほしがって、

頭が「これは必要だ」と

「プレゼンテーション」する。


2階でも探したデンタルフロスのほか、

何となく、黒のボクサーパンツと、

サーモンピンクのチューブソックスを

買ってみたけど。

それこそ、「鉄腕アトム」だと思った。


結局、ボクサーパンツも靴下も、

入院生活中には必要なかった。



何でもほしいものが手に入る快適さと、

待ち焦がれてようやく、

手に入ったときのよろこび。


入院6日目にして手に入った

「大人歯みがきセット」は、

子どものころ、ほしかったおもちゃを

買ってもらえたみたいに、

きらきら輝き、心がときめいた。


ものすごく磨きやすい。

歯が、しっかり包まれて、

すみずみまでみがかれているのが

こんなにうれしいなんて。


入院生活には、

あちこちに禅が転がっている。

あちこちに啓示が散らばっている。


コンビニエンスかコンフューズか。

(convenience:便利、

 confuse:混乱)


ちょっとした脳の混乱は、

認知症などの「ぼけ」にいいらしいと。

混乱のない生活は、

脳の「筋力」を

退化させるのかもしれませんね。




室内犬どころか、

部屋の中で、

さらにリードでつながれた犬。

従順に飼いならされて、

朝、昼、夕方になると、

愚直に腹が減る。


病院という場所は、

いろんなものをこわされていく。


プライドや外聞、恥や体裁。

プライベートなんていうものも、

どんどん突き崩される。

個室でもそう感じるのだから、

大部屋では、

きっともっとにちがいない。


自分には、いい「薬」だ。


デリケート

(脆弱:ぜいじゃく)なものは、

どんどん敗れていく。

ここではまさに、生存競争。

生存本能が試される場所だ。


夕ごはんの配膳のとき。

ノックにつづいて、扉が開かれた。


返事をする間もなく運ばれてきた夕食。

洗面台でズボンをしたたかにぬらし、

ちょうど半身むき出しの格好だった。


下半身裸の、ノーおパンツ状態。

1センチでも体を動かすと、

パジャマの上着の裾から

「見えちゃい」そうな、

非常に危険な状況だ。


「ああっ、すみません」


目をそらしながら、

さっと夕食を置いていく看護師さん。

年齢は、少なくともぼくより

大きく下ではなさそうだ。


歳を重ね、経験を積み、

みんな「つよく」なっていく。


「こちらこそ、

 お見苦しい姿ですみません」


そう言うぼくも、

少しはつよく、なったのだろうか。


「あ、あの・・・

 パジャマのLLサイズ、お願いします」


そんなお願いを忘れないくらいには、

つよくなれたらしい。



テープかぶれの、カイカイクリーム。


アルミチューブを見ると、

つい「ぜんまい」みたいに

きれいに巻いていきたくなる。

ファン・ゴッホとかの、

高い絵具を買ったときのくせが

しみついている。


<「神経質な絵具たち」のように軟膏をくるくる巻いてしまうの図>


一人きりの個室では、

カイカイ予防の軟膏(なんこう)を

背中に塗ることもむずかしい。


軟膏どころか、

背中をかくことすらままならない。


ちなみにコンビニには、

「孫の手」が売っていた。


『Scratch my back.』

(背中をかいてくれ)

(『Scratch my back』Tony Joe White)


そんなことで、

ナースコールなんて押せますかいな。


そこで気づいた。


個室にでっぱった柱があるのは、

誰もいない部屋で

背中がかゆくなったとき、

かりかりするためのものなのだと。


<個室のでっぱり部分の図>






死刑囚は、

死刑が執り行われるその日を、

朝、看守の足音で感じ取るという。


死刑執行日は、

本人にすら通告されない。

それでも、鋭敏に研ぎすまされた

囚人たちの耳には、

いつもと「ほんの少しちがう」足音に、


「ああ、今日、誰かが執行されるな」


そう気づくと、本で読んだ。


目には見えない、はりつめた空気。

看守の足音や、鍵の開く音、

線香のにおい。


刑の執行を待つ囚人は、

ちょっとした「変化」にも、

敏感になる。




看護師さんにいただいた

ボールペンのインクが切れた。

母が買ってきてくれた黒ボールペンは、

どこかにまぎれていたのか、

おくれて見つかった。

その黒ボールペンに持ち替える。


新しいボールペン。

細い。親しむ。

あいうえお


《病院生活アドバイス》

・病院は、病気の種類によっては、

 太ると思う。

 パジャマのゴムはゆるゆるだし、

 運動量は減るし、

 薬を飲むために3食食べるし。

 入院したら、気をつけよう!




明日、体にたくさん「穴」を開ける。

水を飲むとき、気をつけよう。


<穴から水の図>



夜。

胸のチューブが

変なところに引っかかっていたらしく、

立ったとき、思いっきり引っぱられた。


「ぅぐっ・・・!」


めちゃくちゃ痛い。


激痛。


痛いなんてものじゃない。


あまりの痛みに、

念のためナースコール。

なんかちぎれたり、

飛び出たりしていないか。

傷口を、たしかめてもらいたい。


そこでわかった。

ナースコールには、

看護師さんが順番に回っているらしい。


夜勤は特に人数も少ない。

いろんな音の元へ、

順番に回っているようだ。

そりゃあ、座るひまもないな。


どれくらい待ったか。

来てくれたとき、

看護師さんが天使に見えた。


「どうしました?」


はきはきとした、

かっこいい感じの看護師さんだった。

事の経緯を説明する。


「傷口、ちょっと

 見せてくださいね・・・

 うん、大丈夫。何ともなってません」


大丈夫だと聞いて、安心した。


安心感って、大事です。

それは、薬みたいによく効きます。


「ちょっと鼻唄うたいながら、

 機嫌よく立ちあがったら、

 いきなり激痛が走って」


「盛りあがってた分、

 よけいに痛かったですね」


傷口はじんじん痛むが、

笑って話せたことで楽になった。


「治療」って、

こういう「人」の力もかなり大きい。


ありがとう。


次々と回りつづける

看護師さんの姿に、敬礼。


<鼻唄からの激痛の図>

1回やると、2度と味わいたくない
チューブ引っかけ&チューブ引っぱり。
まさにトラウマ級。
以後の行動が、ものすごく慎重になる。



手術前夜。


不安や怖れはなかったが、

やはり、考えなくもなかった。


もし万が一、何かあったら。


自分は、全身麻酔で「眠ったまま」、

そのまま目を開けずに終わる。

手術室で見た風景が、

最後の風景になる。


最後の夜。


最後に誰かの声を聞くなら、

誰だろう、と思った。


頭に浮かぶその姿に。

行動に移そうかとも考えたが、

やめておいた。


けれど、いちおう、

覚悟だけはしておいた。


これが最期に、なるかもしれない。


がらんとした個室のベッドの上で。

思い浮かんだ人たちの顔に、

ありがとうの気持ちを伝えた。




大丈夫だという確信。

確かなものが、はっきりあった。


何の裏づけも確証もないが。

自分はその「確かさ」を信じる。


お医者さんは、

運に任せるような選択はしない。


ぼくは、お医者さんと、運を信じる。


それでだめなら、どうしようもない。



電気を消して、眠ることにした。


明日のことは、

明日にならなきゃわからない。

そのときは、そのときだ。


毎日全力で、思いっきり生きてきた。


思い残すことは、特にない。





入院生活第6日目。


いよいよ手術を明日にひかえ、

眠りについた家原であります。


さてさて、どうなることでしょう。


つづきは次回、第7日目で。



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< 今日の絵 >



ためしがき (2023/05/14)






架空の風景 (2023/05/14)






変な花 (2023/05/14)