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2009/08/12

スーパーおばちゃん


「スーパーおばあちゃん」(2009)



最近、制作のため、
ちょくちょく常滑(とこなめ)に滞在している。

いまは空家となった「離れ」が、
制作の現場であり、「生活」の場でもある。


ある日、作業をしていると、
ふらりとおばちゃんが入ってきた。
扉は、風を入れるために開けてある。

おばちゃんいわく、
「電気が点いてたから」
とのことで、入るなりいろいろと
質問を投げかけてきた。
いま何をしているのか、普段、どんな仕事をしているのか、

年齢はいくつか、嫁はいるのか・・・等々。
動かしていた手を休め、おばちゃんと向かい合う。

こんな調子で、いつもふらりとやってきては、
すうっと去っていく。

何の前ぶれもなくやってきては、
何かを思い出したかのように、突然「さいなら」と帰っていくのだ。

長いときは小1時間ほど話し込むこともある。


このおばちゃん、
聞くところによると「スーパー主婦」らしい。

料理はもちろんのこと、
シュークリームやマドレーヌなどの
お菓子づくりもお手の物。

普段着ているワンピースなども、おばちゃんの手づくりだ。

ぼくは、このおばちゃんを
「スーパーおばちゃん」と(心の中で)呼んでいる。


そんな「スーパーな」おばちゃんぶりを聞いたあと。
スーパーおばちゃんが、
パウンドケーキを焼いたからと、持ってきてくれた。

アルミホイル、いや、
「銀紙」に包まれた手づくりのパウンドケーキ。

レーズンや、赤や緑やオレンジの
「ドライフルーツ」が入っていて、
見た目にもすごくおいしそうだった。

食べてみると、ちょっと笑っちゃうくらいにおいしくて、
ひと口ほおばるたびに笑みがこぼれる味わいだった。

やさしくて、それでいてしっかりしていて。

中身がぎゅっと詰まったパウンドケーキは、
おばちゃん自身をそのまま表現したような感じだった。


「あんた、ごはんは食べたの?」

「まだ食べてない」

「なに、もう。ちょっと待っときな。
 ニンジンごはん炊いたの握ってくるで」


数分後、「ニンジンごはん」のおにぎりと、
キュウリのビール漬けを持って。
おばちゃんが戻ってきた。

「ニンジンごはん」は、
甘みの利いた炊き込みごはんのようなもので、
これまたやさしい、手づくりの味がした。

栗の甘露煮の小瓶に入れられた、キュウリのビール漬け。
もちろんこれもおばちゃんの手づくりだ。

甘みと塩味が絶妙で、
おにぎりの「おかず」にぴったりだった。

初めて食べる味わいに感動しつつ、
結局ひと瓶、ぺろりと食べてしまった。


スーパーおばちゃんは、
籐で編んだカゴの、乳母車を持っている。

職人の作った重厚な乳母車で、
もう28年の付き合いだという。

こっそりカゴの部分に乗ってみた。
押しても乗っても、すうっと滑るような滑らかさだった。

スーパーおばちゃんは、
ステンレス製の丈夫な自転車を持っている。

住所と名前を反射素材のネームシールに書いた、
これまた年季の入った自転車だ。

ハンドル部分には「手袋」が付いている。
暑い、いまの季節になぜ・・・?

よく見ると、レース素材のやわらかな布でできていて、
たぶん「日焼け防止」のためだと気づいた。

当然、おばちゃんのお手製だ。


あるとき、
晩ごはんのメニューを聞いていて、
おばちゃんが言った。


「あと、ぬんめらこっち」

「ぬんめらこっち?」

「そう。ぬんめらこっち」


思わずおうむ返しにしてしまった「ぬんめらこっち」。

この「デーダラボッチ」ならぬ「ぬんめらこっち」は、
「ナマズに似た頭の、海のサカナ」らしく、
刺身にするとおいしいらしい。

いままで生きてきて、初めて耳にした呼び名の魚だ。


作業ズボンの破れを繕った「アップリケ」を見て、
スーパーおばちゃんは、

「パッテンコ」

と言っていた。

これが方言のなのか、
それともスーパーおばちゃんの「オリジナル」なのか。

よく分からないけど、
とにかくすごく新鮮な音の言葉たちだ。


スーパー(マーケット)で買い物をしていると、
さっきまで話していて別れたはずのスーパーおばちゃんが、
背後からいきなり、

「みりんはあったほうがいい。煮物にも使えるし」

と、いまのいままでそばにいたかのように
話しかけてきたこともある。

「アサシン」のような気配のなさに。

みりんを手にして立ち尽くしたまま、
思わず失笑してしまった。


そんなスーパーおばちゃんは、
たしかに「スーパー」なのだけれど。

町自体が「スーパー」な気もする。


レストランに行けば、せんべいやスイカや、
茹でたトウモロコシなんかがついてくるし。

帰り際、とれたての野菜がもらえたりもする。


居酒屋でラーメンを食べていると、
焼酎が一升瓶で丸ごと机に置かれて、
エイヒレをあぶったつまみが出てくる。

もちろん、お店の大将からの「サービス」で。


菓子屋でまんじゅうを買うと、
4個買って4個「おまけ」がついてきたりもする。


道ばたで絵を描いていても、
いろんな人が話しかけてくる。

これからマージャンに行くという、
上下白いパッチ姿のおじさん。

イヌを連れて、雨も降っていないのに、
いなり寿司みたいなカッパをかぶったおばちゃん。

質問はするけど、
答えはあんまり聞こえない様子のおばあさん・・・。


小学校の帰り道、
近所のおばあちゃんに話しかけられたり、
駄菓子屋のおばちゃんに叱られたり。

最近、常滑にいると、そんなことを思い出す。


みんな「お母さんの心」を持った人たちばかりで、
みんな、いろいろなものをくれる。

お菓子や果物、おいしい食べ物だけでなく。
もっと大きくて、目には見えない「何か」をたくさんくれる。


おじちゃんも、おばちゃんも、
おじいさんも、おばあさんも。

みんな、けっこう「スーパー」な人たちばかりだ。


「あんたは、ここの家の親戚か何かかえ?」


いいえ、と答えたはずなのに、
同じ質問を2度3度、繰り返されて。

それでも、なんだか
いいものをもらったように感じられるから、
不思議でしかたない。


< 今日の言葉 >

「このあいだ、ああいうのを
 『ジャシコ』で買ったんだけどね」

(おそらく『ジャスコ』のことを話している、
 バスの中のおばちゃん)