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2009/04/01

除霊アシスタント




「限りなく怪しい」(2009)





4月1日はエイプリル・フール。

4月バカのこの日は、


「ウソをついても
なぜか許されてしまう」


という古くからの習わしがある。

外国から輸入された記念日のなかでも、
何ともおもしろい記念日のひとつだ。

この情緒豊かな習慣を楽しんでおられる方は、
いまでもいるのだろうか。






咲きはじめた桜を見ると、
何となく初々しい気持ちになる。

それはたぶん、学校や職場など、
新しい環境での生活がはじまる季節が、
たいてい春からだったせいだろう。

春には、そんな
初々しかったころの記憶を
よみがえらせる力がある。


昔勤めていた
制作会社でのこと。

入社してしばらくすると、
季節的にも世の中的にも、
仕事があまり忙しくない時期があった。

そんなときの現場は、
たいてい熟練の諸先輩方の手で足りる。

新人だった僕は、留守番中に、
いろいろな仕事を仰せつかった。


カッティングシートの文字を
切り出したり。

馬のマネキンに色を塗ったり。

合板を切って、
理想的な曲線を描く
ゲージ(型)を削り出したり。

留守番をしていると、
思いもよらない仕事を任されるので、
毎日が刺激に満ちあふれていた。


ある日のこと。

直属の上司の方から、
またしても仕事を仰せつかった。

何やら「現場」へ行って、
手伝いをすればいいとのことだが。


「この日は現場に直行でいいから」


と。

約束の時間と場所を告げられて、
詳しいことはあまり聞かされぬまま、
当日を迎えた。


朝の、10時ごろだったように思う。
言われたとおり、
約束の場所へと向かう。


よく晴れた日だった。


約束の場所は、
閑静な住宅街にある、
一軒の家。

そこが某大手広告代理店の
お偉いさんの家だということは、
事前に上司から聞かされていた。

家の前には、
トヨタの白いセダンが停まっていた。

高級車というよりは、
ごく庶民的な感じの種類の車だ。

薄いグレーの
スモークを貼った窓が開き、
髪を短く刈り込んだ、
ゴマ塩頭の男性が顔を出した。


「あ、どうも。
 今日はヨロシクね」


男性は「Tさん」といい、
事務所に出入りしている姿を
何度か見たことがある。

何をしている人かは
詳しく知らない。

僕のいた会社から仕事を任される、
業者さんのような人だった。


入社してまだ間もないころ、
面通しがてら、Tさんを紹介された。

Tさんを初めて見たときの印象は、というと。

まるで水木しげる先生の描く、


「妖怪ぬらりひょん」


のようだと、
まず初めに思った。


さらに。


これはあくまで、
そのころの僕の偏見でしか
ないのだけれど。


「ニューヨーク帰りの
 グラフィック・デザイナー兼
 グラフィック事務所の社長」


という触れ込みから想像していた人物像とは、
ずいぶんかけ離れた人物のように感じた。


やせた体に、紺色のMA-1
(アルファ社製のレプリカだったように思う)
を着て、履き込んだ感じのよれたジーンズを履いて。

上司の言う冗談に、
顔をしわしわにして笑う姿。

紺色の服を着ているのに、
なぜか全体的に「灰色っぽく」見えた。

そして何より、
前歯に光る金歯が
強く印象に残った。


銀ではなく、金の冠。

笑うと、金色の前歯が
1本、きらりと光るのだ。


そんなTさんとの初めての「現場」。
初めての現場が、
この、2人きりの現場だった。


家の前に停められた車に近づき、
あいさつを交わす。

さっそく仕事が始まるのかと思いきや、
「まだ時間があるから」と、
僕はいったん、Tさんの車の助手席に招かれた。

言われるままに同乗する。

そこで、今回の「現場」について、
Tさんが簡単に説明しはじめた。


今回の仕事、とは。

ひとことで言えば
「除霊」ということらしかった。


この家には、どうやら
「よからぬもの」が憑いていて、
今日はその「よからぬもの」を
払いにきたとのことだ。

この家の住人の家族にも、
いろいろ不幸が重なっているらしく、
今回、Tさんが「仕事」を依頼されたという。

Tさんは、
特別な力を持っている人らしい。


「除霊」の仕事。


学校を卒業して、
新社会人として就職して。

まさか「除霊」のお手伝いを
するとは、夢にも思わなかった。


それでも、わくわくと
高鳴る期待感だけは、
ごまかしようがない。


説明を終えたTさんは、
おもむろにタバコを取り出し、
火を点け一服しはじめた。

マイルドセブン・
スーパーライトだった。


「ほら、このタバコ。
 1本吸ってみて」


差し出されたタバコを1本抜き取ると、
火を点けてふうっと一服した。

2口目を吸う前に、
Tさんが「ちょっと貸してみて」と、
僕の手から火の点いたタバコを受け取った。

Tさんが、タバコをじっくり
見せるように持ち直す。


「いまからボクが念を送るとね。
 このタバコから『毒』が
 一切なくなるんだよ。
 ニコチンとかタールだけが消えて、
 味はそのまんま。
 どれだけたくさん吸っても、
 害のないタバコになるんだよ」


僕の視線を確認しながら、
Tさんが言った。

そして目を閉じ、
タバコを自分の目の前にかざすと、
手のひらをぐっと近づけて
「念」を送りはじめた。


待つこと数秒。


「ほら、これで害
 なくなったから」


手渡されたタバコを再びくわえ直し、
煙を吸い込み、ふうっと吐き出す。

そのタバコは、
何度か吸ったことのある銘柄だったので、
特別めずらしい感じも違和感も何もなかった。

いつもハイライトを吸っている僕には、
ただただ軽い感じしかしなかった。


「どう、分かる?」


そう聞かれて僕は、


「なんか、味がまろやかに
 なった気がします」


と、なぜか
そう答えていた。


「でしょう?」と、嬉しそうに
頬をゆるめたTさんは、
次に、自分の吸っているタバコを
窓際にかざしながら言った。


「ほら、見えるかな?
 ボクの念で、煙の色が
 変わってるのが」


何とか「懸命に見ようとする」僕に気づき、
車の内装の、ドア部分にタバコの先を下げた。


「こうやって黒い背景で
 見ると分かりやすいかな。
 虹色の、輪っかみたいなのが。
 どう、見える?」


「あ、本当だ。
 紫っぽい輪が、
 ぼんやり見えます」


またしても僕の口は、
そんなふうに答えていた。


「キミ、いい筋してるねぇ」


Tさんが、満面の笑みで
僕を見つめる。

陽を浴びた1本の金歯が、
きらきらと光っていた。



* *



一服が終わると、
ようやく「仕事」の準備に
取りかかった。

車のトランクを開ける。

と、そこには、
大きな石がゴロゴロと
積まれていた。

砂や泥を落とされた
きれいな石。

たぶん、30個以上は
あったと思う。


「昨日ボクが、ある川の上流で
 選んできた石なんだ。
 神聖な川の、神聖な石でね。
 どの石にも、もうボクのパワーが
 込めてあるから」


そう言ってTさんは、
何かを思案するふうにして
石を選びはじめた。

Tさんが指を差した石を、
僕が降ろす。

石は、直径20〜30センチのものが中心で、
どの石も、角の取れた丸っこい石だった。

どれもなめらかな手触りで、
すべすべとしており、
あまりごつごつとした石はない。

素人の僕には、
川の上流の石というよりは、
中流、または下流に近い石のように見えた。


いくつかの石を選んだTさんは、
最後のひとつを僕に選ばせてくれた。

何となく、
ひとつの石を選んで
指し示す。


「ほぅ、なるほど・・・。
 なかなかいい石を選ぶねえ」


Tさんが感心したような、
驚いたような顔でうなずいてみせた。

よく分からないけれど。
どうやら「間違い」では
なかったらしい。


家に入り、
依頼主であり住人でもある女性、
Yさんの案内で、
家じゅうを見て回る。

少し古い感じはするものの、
部屋数も多く、広々として
高級感のある造りだった。


1階を見終わり、
2階へと向かう。

僕自身、霊感など
ないと思うのだが。

たしかにどんよりとして、
何となく「気持ちの悪い」箇所があった。


1階と2階をつなぐ階段。

2階付近が特に、薄暗く、
じめっとして嫌な感じがした。


Yさんは、
最近家族の身に降りかかった「不幸」を話しながら、
家の中を案内しつづけた。

Tさんはその話を聞きながら、
ときどきうなずいたりして、

「たしかにここは、
 ちょっとよどんでますね」

などと、
神妙な顔つきで答えていた。


家の中をひと通り見たあと、
Tさんは僕を引き連れて、
もう一度車に戻った。

先ほど選んだ20個ほどの石を、
埋める配置や順番を決めながら、
地べたに置いていく。

家の敷地にあわせた格好で、
四角形を描くようにして、
アスファルトの道路に石が並べられた。


「まずはこの、
 白い石から行こうかな」


指示された石を持って、
Tさんのあとを追う。

Tさんは、
お手本を見せるようにして説明しながら、
地面に穴を掘り、
白い石を土中に埋めていった。


「じゃあ、次は
 いちばん左上の石を
 持ってきて」


穴を掘るTさんの指示に従い、
玄関前の道路に並べた石を
運びに走る。

言われた石をTさんに渡すと、
また別の石を取りに
玄関前まで足早に戻る。

しばらくは
その繰り返しが続いた。


Tさんの額の汗が、
だらだらとこぼれはじめた。

白かった軍手も、
真っ黒い土で汚れていた。

石を取りに戻ったとき、
地面に並んだ石を少し眺めていると、
Tさんがふらりと戻ってきた。

もう終わったのかな、
と思いかけたが、そうではないらしい。

Tさんは、どこからか
赤いシャベルを取り出してきた。


「2人でやったほうが
 早く終わるから」


赤い、園芸用の
シャベルを手渡された僕は、
Tさんが印を付けた箇所に穴を掘り、
言われた石を土の中に埋めていった。

気づくと地面には、
いくつもの印が付けられていて、
最終的には、
僕が穴を掘る側に変わっていた。



* * *



作業終えて中に入ると、
冷たい麦茶が用意されていた。

Tさんは「手刀」を切るとすぐ、
ごくごくと喉を鳴らして
麦茶を飲み干した。


「お代わりもらっても
 いいですか?」


Tさんの要求に快く応じたYさんは、
冷気に曇った空のグラスに、
新たな麦茶を注いで戻ってきた。

2杯目の麦茶も
あっという間に飲み干したTさんは、
流し台に立って、
土に汚れた手や腕を洗いはじめた。

それに気づいたYさんが、
タオルを持って戻ってきた。

Yさんが空いたグラスを持って、
再び奥に消えると、
急にTさんが、
ざぶざぶと音を立てて
顔を洗いはじめた。

ごしごしと顔や首を
ぬぐったタオルは、
そこだけ真っ黒に汚れていた。


「使う?」


そう言って
差し出されたタオルを、
僕は使うことができなかった。

たしかに汚れも気にはなったが。
僕が借りれば、
僕がYさんに返さなければ
いけなくなるからだ。

そんなふうに
真っ黒く汚したタオルを
Yさんに返すことが、
僕にはできなかった。


冷たい麦茶の小休憩のあと、
Yさんの背中を
追うようにして導かれたのは、
和室に隣接した、
居間のような部屋だった。

カーペット敷きの床には、
ちょっとした祭壇のようなものが
しつらえてあり、
酒やら菓子類やら果物やらの
お供え物が山のように積まれていた。


ここからが、
神聖なる儀式の
「ヤマ場」だった。


祭壇の正面にTさんが座る。

Tさんを頂点として三角形を描くように。
Yさんと僕は、その少し後ろで、横並びに座る。

Tさんは祭壇に一礼すると、香を焚き、
何やら呪文(お経?)のようなものを
ぶつぶつと唱えはじめた。


「では、
 目を閉じてください」


Yさんが素直に目を閉じる。
それを見ている僕にも、
目を閉じるよう、うながした。


「では、いっしょに
 合掌して下さい」


そう言ってTさんが、
くるりと背を向けた。

薄目を開けて見てみると、
Yさんが真面目に合掌していた。

怒られると困るので、
僕も両手を合わせて
じっとしていた。


静まり返った室内に、
お経のような、
呪文のようなつぶやきが、
ぶつぶつと流れ、
やがてそれも
ぷっつりと消えた。


室内には、
重たい沈黙だけがつづいた。


どれくらいのあいだ、
そうしていただろう。

長かったような、
それほど長くはないような。


薄目を開けて見た風景だから、
もしかして
見間違いかも知れない。

けれど、
たしかにそのときは、
そんなふうに見えた気がする。


Tさんがそっと
音を立てないようにしながら、
祭壇の上のお供え物を
調べているのを。

僕は、見てしまった気がした。


あまりにもびっくりした僕は、
薄目をぱっちりと開いてしまった。

ふと、Yさんの様子が
気になって横を見たとき、


「はい。どうも
 ご苦労様でした」


という声が響いた。

顔を上げると、Tさんが
にこやかな顔で微笑んでいた。


「もう、大丈夫だと思います。
 悪いものは、みんなきれいに
 消えていきましたから」


その言葉を聞いて、Yさんも、
ほっとした表情でこう言った。


「ああ、本当。
 なんだか、すうっと風が
 通り抜けたような感じがする。
 家の中っていうか、
 体の中っていうか。
 ね、そうでしょう?」


同意を求められた僕は、
そう言われてみると
そんな気がしないでも
ないような気持ちになり、

「そんな気がします」

と答えるのがやっとだった。

その爽快感は、重く息苦しい、
どろりとした沈黙から
解放されたせいかもしれないし、
本当に何かが
消えたせいかもしれない。


「途中、
 体の真ん中のあたりが、
 かあっと熱くなってきて。
 もう、熱くて熱くて、
 汗が出てきて。
 でも、目を開けた瞬間、
 急にすうっと
 涼しくなったような感じがして。
 ね、そうでしょう?」


Yさんがしきりに
そんなことを話しつづけた。

Tさんは、その意見を
受け止めるようにして
うなずいたりしている。

僕には、
正解が分からなかった。

そしてはっきりとした
実感もなかった。



* * * *



かくして、
Yさん宅の「除霊」は終了した。


僕は、Tさんに言われて、
路上に並べたままのあまった石を、
トランクに積み直した。

片付けを終えてまた室内に戻ると、
YさんとTさんが、
小声で何かやり取りしていた。

何となく入りづらい雰囲気だったので、
僕は戸口に立って、
そのやり取りが終わるのを待った。

明るい室内の様子は、
薄暗い廊下に立つ僕の目に、
はっきりと映った。

Yさんの手からTさんの手へと、
分厚い封筒が手渡される。

手刀を切り、封筒を受け取る。
その目は終始手元に注がれていた。


「お供え物も
 持っていってください」


「ありがとうございます。
 では、遠慮なく
 お預かり致します」


合掌したTさんが、
深々とお辞儀をする。

Yさんは、祭壇の上の
お供え物を下ろし、
袋を探しにその場を離れた。


その、ほんのつかの間。


ぺろりと人差し指を舐めたTさんが、
分厚い封筒の中身をのぞき込んていた。


中身を少しつまんだTさんは、
視線に気づいたのか、
はっとわれに返ったような顔で
僕のほうを見た。

僕は、
まるで今戻ってきたかのように扉を開け、
Tさんのいる室内に入った。

Tさんの手の封筒は、
その一瞬のあいだに、
懐のポケットの中へと
消えていた。


重たいお供え物を両手に、
Tさんが車に乗り込む。

おいしそうなお菓子や
高そうなお酒、
高級そうなフルーツが
たくさんあった。


「今日はご苦労さん」


そう言ってTさんは、
ミカンを3個くれた。

数ある「おみやげ」の中から選ばれた、
ハウス栽培のミカン、3個。

むき出しのままのミカンをポケットにねじ込んだ僕は、
白いセダンが走り去っていくのを見送った。


住宅街の細い路地を、
ものすごいスピードで
走り抜けていくTさんの車。


その「後ろ姿」は、
嬉しそうにも見えたし、
何か、急いでいるふうにも見えた。



除霊の、
アシスタントの仕事。

一体あれは、
何だったんだろう。


まだ、
社会人になって間もない自分には
分からない種類の冗談なのか。

それとも、
俗人には分からない種類の、
ブルジョア的なお金の使い方なのか。

結局、社会人として、
いつまで経っても未熟な僕には、
ずっと答えが分からないままだ。


あまりにも衝撃的だった。


そのせいか、
出来事の記憶ばかりが鮮明で、
正確な日付は覚えていない。

もしかすると、
その日はちょうど
「4月バカ」の日だった、とか。


暑い初夏の、
季節はずれの「4月バカ」。


正解はどうであれ、
濃密な時間をすごせたことには
変わりがない。


現代の「ぬらりひょん」、
Tさん。


僕は、
彼の怪しい妖気に包まれて、
存分に楽しませてもらえたのだから。



< 今日の言葉 >

「他人に殺さって
 寝んだりしが、
 他人殺ちえ寝んだらん」

(ちゆにくるさって
 ねんだりしが、
 ちゆくるちえねんだらん)

 他人に痛めつけられても
 眠ることはできるが、
 他人を痛めつけては
 眠ることができない。

 沖縄のことわざであり、
 沖縄空手の精神でもある言葉。

(『太陽の子』灰谷健次郎より)