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2024/06/24

やさしい外国人

 

『『性別年齢国籍不詳』(2013年)





みなさんは、

バングラデシュと聞いて、

何を連想しますか?


国旗はすぐに

思い浮かびますか?


バングラデシュは、

インドとミャンマーの

あいだにある国で、

国土面積は、

14万7千平方キロメートル。


ちょうど北海道と、

四国と九州と沖縄を

合わせたくらいだという

よけいにわかりにくい

比較を挙げておきまSHOW。


人口は約1.7億人。


ちなみに日本は1.2億人なので、

さらに本州の人口の半分を

足してちょうど同じくらいだという

ややわかりにくい計算を

書いておきMASS。


首都はダッカ。


みんなの大好きなビリヤニは、

バングラデシュで

よく食べられているよ。


ぼくは、

バングラデシュが好きだ。


びっくりドンキーの、

レギュラーバーグディッシュと

同じくらい好きだ。


バングラデシュ。


行ったことはないし、

詳しいわけでもない。


なぜ好きなのか。


それは、5歳の時に、

バングラデシュのお兄さんに

やさしくしてもらったからだ。



* *



母の実家のとなりには、

留学生会館があった。

(もちろん今もあるヨ)


幼少期のぼくは、

よくそこに入って遊んでいた。


当時のぼくは、

留学生会館という建物が、

何をする場所なのか

まったく知らなかった。


今でも知らない。


おそらく、いろいろな手続きや、

相談や紹介など、

留学生のみなさんの交流や、

拠り所となる施設だろうことは、

何となくわかる。


当時のぼくには、

外国の人がたくさん集まる

楽しい場所、

という認識しかなかった。


母の実家で。

祖父のアトリエをのぞいたり、

仕事の資材置き場で遊んだりして。

時間を持てあましたぼくは、

ちょくちょく留学生会館へ、

ふらりと一人で遊びに行った。


別に誰かにとがめられるでもなく。

半ズボン姿の5歳の子ども(ガキ)が

ふらふらとロビーをうろつきまわる。


いろんな人がいた。

肌の色も、髪の毛の色も、

言葉も違えば、服装も違う。


貼り紙やポスターの、

読めない文字。

意味のわからない言葉。

見たこともないような景色。

それだけで心がうきうきした。


自分とよく似た感じに見える人でも、

全然違う言葉をしゃべって、

また別のよく似た感じの人たちも、

また違う言葉を話す。


日本のほかの「アジア」は、

中国くらいしか知らなかったぼくは、

まだまだたくさんの外国があることを

肌で知った。


1980年ごろは、

自分の住む街に、

まだそれほど外国人が

たくさん歩いていた時代では

なかったので、

留学生会館は、

そこだけ「外国」みたいな

場所だった。


金色、茶色、黒い髪。

さらさら長い髪の毛や、

くるくる巻いた髪の毛。

茶色い肌、黒い肌、白い肌。

髪の毛くらいに黒い肌の人もいたし、

日に焼けた時くらいの

褐色の肌の人もいて。

ミルクたっぷりの紅茶みたいな

肌の人もいた。



黒檀のように

つややかで美しい肌を見て、

本当にきれいだなあと、

じっと見とれていたこと。


錦糸みたいな金色の髪の毛で、

青い目をした人。


輝く黒髪をゆらして歩く人は、

ぼくらとよく似ているけど

どこか違って、

まっすぐ胸を張って、

長い手足をしなやかに動かす。


本当にみんなきれいで、

目を細めたくなるような

美しさがあった。


難しいことはわからない

5歳のぼくでも、

留学生のみんなが放つ

まばゆい光は、

強く心に焼きついている。


それくらい刺激的で、

魅力あふれる風景だった。


髪型も、服装も、

みんなばらばらだったけれど、

とにかくみんな、

かっこよかった。


「はーい、コンニチワ!」


ぼくを見たお兄さん、

お姉さんたちは、

やさしく微笑んで、

ちょっとした言葉を

かけてくれたりした。


それが楽しくて、うれしくて、

ぼくはロビーの景色を、

下から見上げていた。



ある日。


真っ白な長いシャツを着た

男の人が、

ぼくに話しかけてきた。


足元まで届くような、

白いシャツ。

それが「パンジャビ」

というものだと知るのは、

もっとずっとあとのことだ。


インターネットもない時代。

親や大人の情報も、

たがが知れていた。

特別な知識がある人以外、

専門的なことなど誰も知らない。


真っ白な長いシャツを

着たお兄さんは、

ぼくに尋ねた。


「きみはいくつ?」


「5さい」


「ぼくの弟とおなじだ」


お兄さんは、

もう一人のお兄さんをふり返り、

白い歯をのぞかせて笑った。

褐色の肌に、

白い歯がいっそう白くまぶしかった。


「何か食べたい?」


白いシャツのお兄さんが、

笑顔を見せる。

彫りの深い目元の、

サングラスみたいな濃い影。

きれいな目だった。


二人の年齢はわからない。

とても大人びて、

しっかりとして見えたが。

おそらく20代前後だったのだろう。


「何か食べる?

 食べたいもの、食べていいよ」


ロビーには、

ちょっとした喫茶店があった。

壁に据え付けられたガラスケースには、

泡だつ緑色のソーダに

白いアイスと赤いチェリーが乗った

クリームソーダがあった。


メロンやバナナやミカンなどの

色とりどりのフルーツに囲まれて、

チェリーの乗った白いホイップクリームに、

カラフルなスプレーチョコがまぶされた、

プリン・ア・ラ・モードもあった。


コーヒーや紅茶や

ミルクセーキもある。

サンドイッチやトーストもある。


けれども、ぼくの目には、

茶色と白のマーブル模様の、

チャコレートパフェの姿が、

いちばん輝いて映った。


「これ」


指差すぼくに、

お兄さんはやさしく笑った。


もしかすると、

おいおい、パフェか。

もっと遠慮しなさいよ、という

表情を浮かべたかもしれないが。


5歳のぼくの記憶には、

うれしそうに微笑んでいる

お兄さんの笑顔として、

大事にしまわれている。


喫茶店のイスに座って、

ぼくはチョコレートパフェを食べた。

長い、銀色のスプーンで、

甘くて冷たいパフェを食べた。


お兄さんは、

ぼくにはわからない言葉で、

もう一人のお兄さんと

しゃべっていた。


ときどき短い言葉で、

ぼくに質問する。


まるで日本の人みたいに。

少しも変な感じがしない口調で、

ぼくに話しかけた。


「ぼくたちは

 バングラデシュから来たよ。

 バングラデシュは知ってる?」


「しらない」


細かい内容は覚えていないが。

うん、とか、ちがう、とか、

そんなふうに答えられる、

簡単な質問だった気がする。


そのときは何も思わず、

何も考えず、

ただただ言われるまま

ご馳走になったが。


お兄さんの顔は、

本当にうれしそうで、

パフェを食べるぼくの姿を、

静かに笑って眺めていた。


ぼくのよろこぶ姿が

うれしくてたまらないようすで、

歯をのぞかせながら、

やさしく目を細めていた。


お兄さんは何も言わなかったが。


故郷で暮らす弟に

パフェをご馳走したみたいな気持ちで

微笑んでいたのかもしれないなと、

ずっとあとになってから思った。


「ごちそうさまでした」


お兄さんは、にこにこと笑っていた。


「ありがとう」


ぼくはお礼を言った。

お兄さんも、

もう一人のお兄さんも、

笑っていた。

お店の人も笑っていた。



「バイバイ」


手を振るぼくに、

二人のお兄さんたちも手を振った。


白いシャツと、

白い歯がまぶしかった。



秋になって、

幼稚園で運動会があった。


一人3枚の国旗を描くことになり、

ぼくは、インドとブラジルと、

バングラデシュの国旗を描いた。


インドは、

オレンジと緑の色合いと、

まんなかの車輪(法輪です)が

かっこよくて。

青色のクレヨンで、

車輪(法輪です)の細かい形も

しっかり描いた。


ブラジルは、

緑に黄色のひし形がかっこよく、

惑星みたいな絵と、

そこに書かれた文字も魅力的で。

意味もわからず、見よう見まねで

アルファベットを書いた。


『ORDEM E PROGRESSO』


「秩序と進歩」という意味だ。

のびのびと書いた文字は、

ずいぶん右側が窮屈になった。


バングラデシュは、

緑がいっぱいで、

赤い丸は、

ちょっとまんなかから

左に寄っていた。

白い紙を、

緑と赤で、ひたすら塗った。







緑ばかりを使って、

手の指が緑に染まっていた。


まだみんなは描いていたので、

先生がもっと描いていいよと言った。


ぼくは、

アルゼンチンと、

メキシコの国旗も描いた。


まんなかに

細かい絵が描いてあるのがよくて、

誰も描いていなかったので、

その2カ国を選んだ。


描き終わったみんなが、

旗を持って集まった。


バングラデシュの国旗を見た誰かが、

ぼくに言った。


「おかしいよ、みどりじゃないよ。

 それはまちがいのこっきだ」


「まちがいじゃないよ。

 みどりでいいんだよ」


「そんなこっきみたことない。

 にほんはしろとあかだ」


「にほんじゃないよ。

 バングラデシュのこっきだよ」


「うそだ。

 そんなくに、きいたことない」


「うそじゃない、ほんとだ」


「うそだ。そんなこっきないよ。

 まちがいのこっきだ」


転入生のぼくは、

秋になってもまだ、

幼稚園には馴染めなかった。


言葉足らずの

幼稚園児たちのあいだに、

先生が割って入る。


「はいはい、みんな、

 できあがったこっきを

 ここにならべて」


ぼくに声をかけた彼は、

アメリカと日本とフランスの国旗を

並べながら、

まだ何か言いたげな顔だった。


女の子がぼくに聞いた。


「このみどりいろの、

 にほんのこっき、なに?」


「バングラデシュのこっき」


「そんなくにしらない。

 なんていうくに?」


「バングラデシュ」


「ふうん。

 いろがちがうとちがうくに。

 おもしろいね」


そんなようなことを言われて、

なんだかうれしかった記憶がある。


もしかすると、

記憶の捏造かもしれないが。

ひょっとしたら、

先生の言葉だったかもしれない。


Anyway.


ぼくは、

大好きなバングラデシュの

国旗を描いた。


長い白いシャツを着て、

白い歯を見せて笑う

お兄さんたちの姿を思い浮かべて。


小さなぼくの思い出のかけら。

純粋だったころの、

きれいな思い出。



大人になって。

そんなことを思いながら、

愛知万博のバングラデシュのお店で、

虎の置物を買った。

バングラデシュの「思い出」に。


白いワイシャツを着たお兄さんから、

真鍮製の、ずっしり重い、

虎の置物を買った。


目の奥には、

クレヨンで描いた

緑と赤の国旗と、

チョコレートパフェと、

お兄さんたちの姿を思い浮かべて。


気づけばぼくは、

「お兄さん」たちより

歳上になっていた。





* * *



5歳よりも古い記憶。


父の会社関係だったか。

何かの集まりのお花見に行った記憶。

桜の下で、お弁当を食べた。


金網のそばに座る、

パーマをかけた女の人。

重箱には、

お好み焼きみたいなものが

ピザみたいに切られて、

何枚も重ねて入っていた。


じっと見つめるぼくに、

女の人が言った。


「食べる?」


1枚もらって食べたら、

すごくおいしくて、

小さな体でぺろりと食べた。


「あらうれしい!」


これは韓国の食べ物よと、

教えてくれた。


「おいしい?」


うなずくぼくに、

女の人は重箱を差し出してくれた。


「好きなだけ食べて」


大きくなってそれが、

「チヂミ」だとわかった。


学生のころ、

駅裏の韓国のお店で食べたチヂミ。

何枚も重ねて置かれたチヂミの味は、

遠い桜の花見の景色を思い出させた。


しっとりとして、

もっちりとした、

香ばしい味。


「韓国の食べ物を

 おいしいって言ってくれて

 ありがとう」


花びらが舞い散る、

桜の樹の下で。


すごくうれしそうに笑った顔と

その言葉が印象的で、

幼心に深く染みこんだ。



外国に行って、

日本のことを好きだという人に会って、

ようやくその気持ちが少しわかった。


女の人がくれたチヂミは、

その人の作った、自国の味だ。


本物の、韓国の味。


名前も知らない人だけど。

ぼくは、

そのチヂミを食べることができて、

本当によかった。



* * * *



アメリカの、

ワシントン州の郊外で。

とぼとぼ歩いていると、

赤い車がすぐそばで停まった。


「どこへ行くの?」


運転席から女性が顔をのぞかせる。


「ロープを買いに、お店まで」


「乗っていきなさい」


遠慮なく車に乗り込むと、

ハンドルを握りながら

彼女が話した。


数年前、

英語の先生の仕事をしに

日本へ行ったことがあると。

そのとき、

息子のおみやげに、

年代物の、

マジンガーZのおもちゃを

買って帰ったそうだ。


2000年代初頭、

スマートフォンもない時代。

「マジンガーZの

超合金(ちょうごうきん)」

の説明を、

あれやこれやで

伝えようとする女性の言葉を、

懸命に拾い集めて理解したあの時間。


ほんの短い時間だったけれど、

なんだか「つながった」感じで

心地よかった。


「帰りは頑張って歩いてね」


たしかに長い道のりだったが。

車では数分だった。


そのほんの数分が、

今でも心に残っている。


携帯もネットもない時代。

わからないから、無謀に歩いた。


メートル法で育った

ぼくたち日本人には、

ヤードやマイルはぴんとこない。


ロープを買うときも

そうだった。


「なんだ、

 インチとフィートが

 わからないのか!」


お店のおじさんが

簡潔に説明してくれた。


「フィートが3つで『1ヤード』だ」


「インチは?」


「マイルは?」


・・・とても難しかった。


(※注釈:

 1フィート=12インチ

 =1/3ヤード=30.48センチ

 ・・・って覚えてね!)


たしかに、マイル表示の車では、

つい「キロメートル」の感覚で

数字を読み、

せまい路地のカーブで

タイヤを鳴らしたりと、

うっかりスピードが出てしまう。

(例;時速40マイル ≒ 時速63キロ、

  時速80マイル ≒ 時速128.7キロ)


「インチがわからないなんて、

 どこから来たんだ?」

 

「日本から」


「日本はインチじゃないのか?」


「センチとかメートルだよ」


「日本ではインチは

 使わないのか」


「靴とかテレビとか、

 自転車とかはインチだけど」


「それならわかるだろう?」


説明するほどの語彙も

英語力もなく。

店のおじさんが、さらに尋ねる。

ポンドやオンスなどの、

重さの話に続いて、

こちらからは

寸とか尺とか、

昔の「尺寸法」の話までして、

さんざん散らかした挙句。


「おれはアメリカから

 出たことがない。

 だから、同じ物なのに、

 測り方が違うなんて、

 思いもしなかった」


おじさんが、いかにも欧米風に、

肩をすくめて唇を突き出した。



カナダのトロントでは、

チャイナタウンの

『Queen Travel(クィン・トラベル)』の

おじさんに、

ニューヨーク行きの

飛行機チケットを手配してもらった。


本当はバスで行きたかったのだが。

(グレイハウンド的な

 長距離バスに乗ってみたかったのだ)

現実的じゃないからやめたほうがいいと、

助言してくれた。


お店の入口には、


『日本語歓迎』


と赤文字で

でかでかと書かれていた。


『いらしゃいませ』


大きく書かれた文字が、

「っ」の足りない、

若干、発音ちがいの日本語表記で、

多少の不安はあったのだけれど。


ぼくの日本語での質問に、

拙い言葉ではあっても

しっかり応えてくれた。


「大丈夫です。

 これで何も問題ないです」


いきなりの予約だったにもかかわらず、

手早く格安航空券を手配してくれた。


そしてぼくは、

単身ニューヨークへと

無事に到着することができた。



* * * * *



・・・こんなふうに。



話し出したらきりがないくらい、

旅先、滞在先で、

やさしい「外国人」に助けられたり、

うれしいものをもらったりした。


だからぼくは、思った。


ぼくも「外国の人」に

やさしくありたいと。


日本を代表する一人として。


言葉は通じなくても、

持ち帰ってほしい。


名も知らぬ外国人との、

やさしい思い出を。


外国で、

たくさんのやさしい人に

いっぱいもらったから。


ぼくも同じように、したいと思う。


「サマサマ〜」


インドネシアからの研修生が、

にぎやかに笑う。


「どういたしまして〜」


という意味だ。



何かのためとか、

何という目的はなくても。


拙いからこそ、

まぶしく輝くこともある。


楽しい、うれしい、

生の瞬間を、

ほんのひと粒ずつでもいいから、

散りばめられたら。


外国人のぼくは、

たいへんうれチーズです。



< 今日の花言葉 >


ちょっと頭をヒヤシンス