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2020/08/01

ぼくと図工








★ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




ぼくは、図工が好きだ。



図工。

すなわち、図画工作。



絵を描いたり、何かを作ったり。

描いたり塗ったり、切ったり貼ったり。


小学生のころ、

たとえば火曜日の時間割が、


『こくご・さんすう・ずこう・ずこう』


と、なっていたりしたら。

ぼくは、絶対に休まなかった。


給食でアイスクリームが出ようとも、

席替えで、大好きなあの子が隣りにいようとも、

休むときには休んだ。


けれども、図工がある日は、

絶対に休まなかった。


もちろん、事実としては、

休んだ日もあっただろうけど。

意識の上では、絶対に休まない、

絶対に休みたくはなかった。


とにかく、ぼくは、

ずっと図工が好きだった。


ほかの教科とはちがい、

「ずこう・ずこう」と2時間連続で、

長時間向き合えるのも魅力だった。



中学生になって。

「算数」が「数学」という呼び名に

変わったのとおなじくして、

「図工」も「美術」という呼び名に変わった。



美術。


うつくしい、術(すべ)。



美術とは、

「美の、視覚的表現をめざす芸術」

という定義らしい。



美術というものは、

美しさや技法を追求し、

美しいもの、新しいもの、

人を感動させたり、驚かせたりするものを

うみだすことかもしれない。



美術は、

観るのも、鑑賞するのも、

好きなほうだ。


中学生のころ、

美術で「5」以外もらったことはないし、

(あ、一度だけ、美術の先生と言い合いをして

 「4」をもらったことがありました)

中学生のときも、

やはり、美術がある日はたのしみだった。


だから、美術がきらいなわけではない。


ただ、それよりもぼくは、

図工が好きで、

図工というほうが、

自分の感覚にしっくりくる。


それだけのことだ。








★ ★ ☆ ☆ ☆




小学生のころ、

図工が好きすぎて、

学校の授業以外の時間でも

「図工」をたのしんでいた。


いらない空き箱や厚紙などを使って、

お面やロボット、家などを作る。

飲み物の容器や卵パックなど、

そんなものを使って、

宇宙船を作ったりもした。


高級なチョコレートの箱などは、

それだけでずいぶん特別で。

金や銀、赤や緑の箔(はく)のついた包装紙や、

エンボス加工(文字やロゴなどが

凹凸になるよう圧したもの)が施された箱は、

それだけでわくわくと創作意欲がわいてくる、

ときめきの素材だった。


箱や容器や紐やボタン。

家にあるものすべてが「材料」だった。


それでも、家にないものも、当然ある。


だから、

母との買い物は「仕入れ」だった。


プリンやシャンプーの容器を、

「材料」として眺め、

手に取り、吟味して、

スポンサーである母に相談して、

買ってもらえるものは買ってもらった。


果物を包む緩衝材や、

タマネギの入っているネットなど。


買うとき、


「これ、すてないでちょうだいね!」


と、約束を交わしたり。


おのずと、どこを歩いていても、

おもしろい「材料」はないか、

使えそうな「材料」はないかと、

目を光らせていた。


路上で拾ったもの。

海で拾ったもの。

山で拾ったもの。


石ころ、貝がら、木ぎれ

ぺしゃんこになった空き缶、

割れた陶器の破片、

見たこともないような何かの部品。


工事現場の近くで拾ったもの。

高校の裏に落ちていたもの。

ごみ捨て場で見つけたもの。


ときどき、


「そんなもの拾ってきてどうするの


と、母に聞かれつつも。


いろいろな場所で「材料」を集めて、

それを並べて、組み合わせて、

ひとつの物に仕上げていく。


それがすごくたのしかった。


お城や飛行機やロボットなどが、

どんどん大きく、かっこよくなっていくさまは、

心がわくわく冒険をしているような、

そんな気持ちだった。


机の前に座ったぼくは、

中世や、宇宙や、不思議の世界へ、

時間も忘れて旅立っていた。



母も、どこかへ遊びに行って

帰ってくるたび、けがをしてくるぼくが、

おとなしく机に向かって絵を描いたり、

工作をしているのはすごく安心だったようで、

ときどきぼくの様子を見つつも、

洗濯物をたたんだり、晩ごはんの支度をしたり。


静かな部屋のなかに、

音楽と、家事の音が聞こえる、

とても平和でゆたかな時間だった。









★ ★ ★ ☆ ☆




指紋だらけのセロテープで、

ぐるぐるに巻かれたラップの芯。

糊やボンドがはみ出た牛乳キャップ。


いまにも倒れそうなバランスの見張り台や、

すぐに外れてしまいそうな翼。


けれども、そのときは必死だった。


見栄えが悪かろうが、

強度が甘かろうが、真剣そのもので、

それが全力、本気の結晶だった。


やがて、セロテープがビニールテープに、

ボンドがネジに代わり。

絵の具がペンキなどの塗料に変わって。

完成品の精度が、強度が、

少しずつ上がっていった。


というのも。


一生懸命に作ったロケットやお面などが、

遊ぶうちにぼろぼろになってしまったり、

まだ遊ばないうちに壊れてしまったり。

それが、かなしかったからだ。


せっかく時間をかけて作ったのに。

すぐに壊れてしまうのは、とてもかなしい。

だから、頑丈なものを作ろうと思った。


頑丈なもの、丈夫なものを作るには

どうしたらいいか。


本を読んだり、素材を選んだり、

試行錯誤を繰り返して、

少しずつ、少しずつ、

丈夫で壊れにくいものが

作れるようになった。



これまで失敗に打ち捨てられた空き箱たち。

ボンドや木片や釘やネジたち。


数々の失敗。

数々の犠牲。


きみたちがあってこその今日。

ありがとう、みんな。

みんなとの時間は、忘れないよ。



そんなこんなで。



シャンプーボトルのボディに、

お風呂掃除用洗剤のキャップのタイヤ、

ガチャガチャのカプセルの操縦席のついた

未来の車は、

時速100おくまんキロで走っても、

壊れることなく、

軽快に疾走するのでありました。


銀色のアルミボトルのロケットは、

はるか彼方、アンドロメダ星雲までの航路

(実際は数メートル先の砂場などまで)を

何万、何千回(実際にはたぶん何十)

往復したのでありました。


そうやって、

材料や素材、道具や方法を学んで、

作り、遊び、飾ったり、眺めたり。


図工をたのしむ時間が、

本当に好きだった。




学芸会のかぶり物で、

バッタのお面を作ったとき。

複眼を描くのに、

ちょっと本気になりすぎて、

ぎっしり細かくなりすぎて、

先生に気持ち悪がられたり。



粘土の授業で、

リコーダーを吹く自分を作って。

ほとんど見えない部分にもかかわらず、

歯1本1本つくったり。

目玉も、眼球をつくって埋め込んでから

まぶたをつくったりして

先生にあきれられたり。



そんなふうに、

熱中しやすい傾向はあったものの。


ぼくは、図工が大好きだった。


ぼくのことを

やさしく受け止めてくれる、

図工が好きだった。


けっして裏切らず、

けっして見放さない、

図工のことが好きだった。









★ ★ ★ ★ ☆




絵を描くこと。


読んで字のごとく、

紙などに「絵を描く」ことも大好きだ。


けれど、絵を描く、というのは、

頭のなかに「思い描くこと」も同義だと思う。


それを、表(おもて)に現わすこと。



表現。



技法として、平面か立体か、

という区別はあるかもしれないが。

二次元(絵)でも、三次元(物)でも、

やっていることはおなじである。


ぼくは、絵を(思い)描き、

表現することが好きだ。


想像と創造。


それが好きだ。




いままでになかったもの。

頭のなかにあるもの。


それを表わして、

自分の目でたしかめる。



空想と実際。

想像と現実。



実際にやってみないと

わからないから。


実際に自分の目で見てみないと

わからないから。


だから、やる。


だから、描く。


だから、つくる。


つくったものは、嘘をつかない。

つくったものは、裏切らない。


いいかげんにつくると、

いいかげんにしかならないし、

まじめにつくると、

まじめな感じになる。


だから、たのしんでつくる。

たのしんでつくると、

たのしいものになる。


たのしいものをつくれば、

見る人も、たのしくなる。


そう思う。



だからぼくは、図工が好きだ。



お菓子を食べながら、

音楽を聴いて、

寝転がったりしながら


手を汚し、服を汚して、

机や床なんかも汚して。


つくるものが、

もし汚れてしまっても、

それが「きれい」ならば、

いいと思う。


まっすぐ、純粋で、

まじりっけがなくて、

きれいなものなら。


たとえ汚れていても、

それは「汚く」はない。


そんなものがつくれたら。

それは、本当にすばらしいことだ。



小学生のころからの気持ちに、

今日まで培ってきた経験を足して、

いっそう純度の高いものができたら。


それは、本当にすばらしいことだ。









★ ★ ★ ★ ★




ぼくは、図工が好きだ。


図工好きのぼくはいま、絵を描いている。


図画のほうが多くて、

工作のほうは少ない。


それでも、

日常生活や展示の準備などでは、

工作にあたることもたくさんしている。


だから、たのしい。


ものをつくるのは、やっぱりたのしい。


絵のなかでは制約が少ないので、

バランスが悪かったとしても、倒れてしまうことはない。

いくら細くても、ぽきりと折れたりはしない。

それが、おもしろさでもある。


現実の、ものづくりでは、

重力もあるし、約束事や限度など、物理がある。

それが、おもしろさでもある。



初めてやること。


どうやってやるのか。


考える。書いてみる。描いてみる。

試作する。

失敗する。また考える。やり直す。

できあがる。



塗ったり、描いたり、引いたり。

切ったり、削ったり、磨いたり。

彫ったり、空けたり、くっつけたり。



ペンキ、刷毛、スプレーガン。

のこぎり、かんな、カッターナイフ。

ドライバー、インパクトドライバー、ラジオペンチ。

鉛筆、消しゴム、スケッチブック。

パソコン、デジタルカメラ、インターネット。


自力でも電動でも電脳でも。

道具はあくまで道具。


魔法じゃないから、

寝ているあいだに完成したり、

何もないところに何かが出てきたりはしない。


だから、おもしろい。



時間がかかることだらけで、

ときどきけがもするし、

うまくいかないこともたくさんある。


それでも、おもしろい。



集中力。想像力。構築力。

観察力。分析力。忍耐力。

いろんな力(りょく)を使う。


それも、おもしろい。



表現力。行動力。実現力。


5教科だけでは学べない、

いろいろな力(りょく)。



思えば、図工(美術)だけじゃなく、

体育、音楽、技術家庭科(技術・家庭)などにも、

ぼくの好きなものがいっぱい

つまっていた気がする。



勉強もきらいじゃなかったけれど。

やっぱりぼくは、図工が好きだった。



ビー玉を転がして遊ぶ迷路や、

詰め合わせクッキーの空き箱の妖怪屋敷、

百貨店の包装紙で作った洋服とか、

洗濯ばさみを使ったロケット発射台とか。



つくるまでも、

つくっているときも、

つくったあとも、

ずっとたのしい遊び。


それが、図工だ。


自分で選んで、自分で決める。

自分の考えや想像、思い。

形のないものを、現実のものとして具現化する。


それが、図工だ。



ぼくと図工。



人生のうちの、

ほんの6年間のつき合いだったけれど。


いつまでも、

図工のことは大好きだ。



ぼくと図工。



ぼくの花言葉は、

図工であってほしいと思う。



ぼくと図工。



ぼくは、小学生だったときの、

図工が好きな気持ちを、

いつまでもなくしたくない。




< 今日の言葉 >


『しばらくすると、モモはいままでいちども感じたことのなかった
 気持ちにとらわれました。生まれてはじめての気持ちだったもので、
 それがたいくつさだとわかるまでには、だいぶ時間がかかりました』

(『モモ』ミヒャエル・エンデ作より)