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2010/05/17

湯けむりストリップ・トリップ






ぼくは、温泉街が好きだ。

温泉に入るのはそれほどでもないけれど、
温泉街の雰囲気が好きだ。




何年か前。
友人と2人、温泉街へ行った。

雪のちらつく、冬のことだ。


何の準備もなく、
思いつきでふらりと車を走らせての温泉。

宿の予約もなければ、
前知識も泊まる旅館のあてもない。


湯けむりゆらめく温泉街。

その一郭にある「案内所」で宿屋を調べ、
いちばん安い旅館に電話を入れた。


「あの、素泊まりなんですが。
 2人部屋って空いてますか」

「はい。大丈夫です。
 お1人さま2,800円ですが、よろしいですか」

「はい。ではよろしくお願いします」


平日の夕暮れどき。
思いのほか、すんなり予約が取れた。


案内に従って車を走らせる。
予約を入れた旅館は、
案内所から5分ほどの距離にあった。



薄暗い玄関。

非常口を示す緑色の照明が、
ほの暗く室内を照らしている。

さきほど電話で予約をしていなければ、
「休館」なんじゃないかと思って
素通りしていただろう。


「すみませーん」


ひんやりとした玄関に声が響く。


しばしの沈黙のあと。


暗闇から、スリッパの、
乾いた足音が近づいてきた。

「はい?」

旅館の主人らしき男性が顔をのぞかせる。

少し驚いた表情で、
こちらをうかがうような声色だった。


「さきほど電話で予約を入れたものですが」

「あ、はいはい。お2人様ですね。どうぞ」


すると、受付に立つ男性の背後から、
ひとりの老人男性がゆっくりと現れた。

白い麻の肌着を着た、猫背の老人。

片足を引きずるような感じで、
ゆっくりとしたすり足で
ぼくらの目の前を横切った老人は、
スリッパをふたつ、用意してくれた。


「どうもありがとう」


お礼が済まぬ間に、
その老人はすりすりと足音をなびかせながら、
奥のほうへと消えていった。


色はあるはずなのに。

その一連の風景が、まるでモノクロに見えた。


まるで江戸川乱歩の世界のようだと、
そんなふうに思った。


受付で、チェックインの手続きを済ませて。

薄明かりに目が慣れたのか、
ようやく周りのようすが目に入ってきた。


しなびた観葉植物。

北海道のお土産物らしきアイヌの木彫人形。

誰の作か分からない、古びた風景画。

どれもほこりっぽく、
緑色の照明に浮かび上がった物たちは、
何でもないものでも、
どれもが意味ありげな感じに見えた。


客室へとつながる廊下に、
下足箱ほどの大きさの
ジューク・ボックスがあった。

アメリカンなアンティークではなく、
純和風の「家具調ジューク・ボックス」。

面陳(めんちん)されたレコードは、
7インチのレコード盤で、
色あせた紙ジャケットのなかで、
ミーちゃんとケイちゃんが微笑んでいた。

『ペッパー警部』

WinkでもPUFFYでもなく。
ましてやkiroroでもなく。

平成のご時世に
そのまま取り残された
「ピンク・レディー」の7インチレコード。

そのジューク・ボックスには、
ピンク・レディーのヒット曲の数々をはじめ、
山口百恵、郷ひろみなど、
昭和のヒット曲がたくさん詰まっていた。


● 


さて。

ぼくらは『湯名人』という、
通行手形のような「パスポート」を買っていた。

それさえあれば、
どの旅館の温泉でも入浴することができる、
というものなのだが。


ちなみに。

その「パスポート」は、
1回入浴するごとに、裏面に貼られた
「湯」「名」「人」のシールを
1枚ずつはがされる仕様で、
つごう3カ所の温泉を
利用することができるという代物だ。


部屋へ通されたとき、旅館の男性から
お風呂についての説明があった。


「1階の温泉は、何時でも入れますが。
 部屋のお風呂は、いま、ちょっと
 入ることができないので。
 よろしくお願いします」


では、と去っていく旅館の男性を見送り、
さっそく部屋の浴室をのぞきにいく。


拷問部屋。

まず最初にぼくの頭に浮かんだ言葉は
それだった。


薄暗く、カビくさい、石づくりの浴室。

軽石のような素材でできた、浴槽のフタ。

なんだかものものしい空気の漂う浴室は、
最後にいつ使われたのか分からないくらい、
じっと固まってカサついた感じがしていた。


どちらかというと恐がりな友人は、
その浴室を見て本気でビビりまくって、
2度と寄りつこうとはしなかった。


旅館の浴衣に着替え、下駄を履いて。

素泊まりのぼくらは、
まずは晩ごはんを食べようと
温泉街をうろついた。


平日の夕刻。

うろうろするうち、
会社帰りらしき
スーツの人たちの姿が増えてきた。

気づくと温泉街を抜けて
「普通の街」に出ていたぼくらは、
回れ右してまた温泉街に戻った。

おいしい晩ごはんを食べて、いざ温泉へ。

いくら立派で高級そうな旅館でも、
「湯名人手形」さえあれば
温泉に入るのは自由だ。


どうせなら、たのしげな旅館の温泉がいい。

まず、高級な感じの温泉でゆっくりくつろぎ、
いいにおいのシャンプーや石けんで体を洗った。


そのあと、川辺の温泉に入った。

雪のつもる川べりを、素っ裸で走り回った。

人通りの多い頭上の橋からあとで見下ろすと、
けっこう丸見えな場所だった。

平日の夜。

わいわいと湯につかる男2人。

橋の上から見下ろす人々からは、
おそらくおかしな感じに見えたに違いない。



温泉に入りまくるぞ、と
勢い勇んでいたぼくらだったけれど。

2回も温泉に入れば、充分だった。



卓球ができる温泉でもないかと、
下駄を鳴らしてうろついていたときだった。

街灯の下にたたずむ、かっぷくのいい男性が、
ぼくらに向かって声をかけてきた。


「どうです、お兄さんたち。ストリップ」


ごくあたりまえのことように誘われた、
ストリップ。

足を止めたぼくらは、詳しい話を聞いてみた。


料金は3,000円。

朝方まで上演しているらしく、
何時間観ても3,000円だという。


あやしげで、
なんだかおもしろそうだったので、
ぼくらはストリップ場へ行くことにした。


● ● 


妖艶なネオン光を放つ、ストリップ場。

夕方の、まだ明るい時間には
見過ごしていたようだ。


入口で3,000円を支払い、
映画館のような
黒い布のカーテンをめくって中に入る。

ステージからの逆光に浮かぶ、パイプイス。

客席は、折りたたみ式のパイプイスが
ずらりと並んでいて、
平日ということもあってか、がらんとしている。

お客の姿は、浴衣姿のおじいさんが2人、
おじさんが1人だけだった。


ステージでは、
ぴっちりとした「ボディコン」を着たおばさんが、
オールディーズの曲に合わせて、
くねくねと踊っていた。

肉をまとってウエストのない、
賀茂ナスのような体型のおばさん。

ごく普通の、
買物帰りのおばさんのような女の人が、
ステージで踊っている。


ぼくと友人は、
何も言わず、ただ目を見合わせた。

そしてその場に立ちすくんだまま、
しばらく踊るおばさんを見つめていた。


何か、覚悟を決めるかのようにして、
パイプイスに着席する。

あまりステージに近いのも気まずいので、
やや後ろ目の席に着いた。

おばさんの、
チョコレートの包装紙のような
金色の衣装が、
キラキラと光を反射する。

おばさんの年齢は、50代半ばくらいだろうか。
濃いめではっきりした目元からして、
東南アジア系の人のようだった。

おばさんは、
プロ野球の監督の奥さんに似ていた。

キラキラとした包装紙のような衣装が1枚、
また1枚と、次々にめくられていく。


「ハイ、エダマメクロマメ〜」

「ハイ、アワビ〜」


カタコトの日本語を操る、
監督の奥さん似の踊り子。

まるで悪い夢を見ているような感じだった。


「いいぞー、ねえちゃーん」


威勢のいい声援を飛ばす、浴衣姿のおじいさん。

たしかに、そのおじいさんから見れば、
ステージの女性も「歳下のねえちゃん」だった。

つるりとハゲたそのおじいさんは、
かなり場慣れしているようで、
このストリップの「たのしみ方」を
熟知している感じだ。


ちらちらと、平面的に変化する
カラフルな照明。

見上げると、
2階ほどの高さの壁に開いた小窓から、
これまたおじいさんが顔をのぞかせて、
ステージに向かって
スポット・ライトを投げかけていた。

学芸会のときに使ったことのある、
平らで円板状の、
カラフルな「色レンズ」をくるくる回して。
ステージ上に「官能的な」世界を
つくり上げるおじいさん。

よれよれの円盤をぐるぐると回す手つきは、
熟練者のそれだった。

スポットの照り返しを受けて
浮かび上がったその顔つきからは、
「技術者の誇り」のようなものすらうかがえる。


「ハイ、アワビ〜」

すっかり裸になった「踊り子」が、
ステージからせり出すようにして両脚を開く。

場慣れしたおじいさんはご機嫌なようすで、
ガハハと声高に笑っている。

ぼくと友人は、
あんぐりと口を開けて硬直したまま、
そのようすを見守っていた。


音楽がすうっと
フェードアウトするのに合わせて、
極彩色の照明が暗転する。


薄闇のステージで。

脱いだ衣装をかき集めて、
「踊り子」が退場していくのが見えた。



しばしの沈黙。


浴衣姿のぼくらは、
寒くもないのにひんやりとした汗を
全身にまとっていた。


『ロック・アラウンド・ザ・クロック』

誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、
有名なオールディーズの曲が流れはじめた。

ステージに明かりが灯り、
すらりと背の高い和服姿のおばさんが現れた。

その顔つきからしても、
どうやら日本の人ではないらしい。

ロシア系か、それとも中米系の人なのか。
色白ですらりとした中年女性が、
無表情のまま、
次々と衣装を脱いでいく。

ステージ上の照明は、
ロック・アラウンド・ザ・クロックの
軽快な曲調に合わせて、
激しく、きらびやかに明滅する。

「踊り子」の彼女は、
音楽に合わせて踊るというより、
ときどき手にした扇子をふりながら、
淡々と衣装を脱いでいく。

背筋を伸ばし、
無表情に脱衣するその姿は、
まるでロボットみたいな感じだった。

ステージで「踊る」彼女を見ながら、
ぼくは、映画『メトロポリス』のアンドロイド、
「マリア」を思い出していた。


次の「踊り子」は、少し若めの人だった。

彼女は下着姿でステージから客席に下り、
観客のそばで踊りはじめた。

がらんとした客席。
「順番」はすぐに回ってきそうだった。

ほどなくして、
友人のそばに彼女がやってきた。

おもむろに、彼女が友人の膝の上にまたがった。

友人はさして気にするふうでもなく、
それに甘んじているふうに見えた。

そして。

彼女は友人の股間をまさぐりはじめた。

はだけた浴衣の裾から手を入れられ、
かなりしつこくもみ回されながら。

耳元で何か、ささやかれつづけた友人。


あとで友人に聞いたところ、

「ネェ、千円チョウダイ。千円チョウダイ」

と、カタコトの日本語で、
何度も繰り返し問いかけてきたそうだ。


「千円って・・・。
 もし千円渡したら、どうなってたんだろ」

「おまえ、けっこうもまれてたのに、
 全然抵抗してなかったよな」


そう問いかけるぼくに対して、
友人はぎゅっと口元を引き締め、こう言った。


「めっちゃ怖くて、
 なんにもできなかった・・・」


それを聞いたあとでは、
何かをあきらめるかのようにして
友人の膝から離れた彼女の顔つきにもうなずける。

ぼくのすぐ前に彼女がきたとき。
目が合ったぼくは、まばたきもせず、
彼女の目をじっとまっすぐ見据えていた。

ぼくの目線から
「No, thank you」というメッセージを
読み取ったであろう彼女は、
少し踏みとどまったあと、
くるりと踵(きびす)を返して
ステージに戻った。

結局、膝に乗られたのは、
友人だけだった。


老人やおじさんの膝は乗らないのか、
友人みたいな男子が好みだったのか、
それとも「乗りやすそうだったから」なのか。

それは、よく分からない。


ロシア系の、若い「踊り子」。

いままでの流れのせいもあってか、
すごくきれいな感じに見えた。

極彩色の照明に踊る、白い肌。

いままでざわついていた客席も、
しいんと静まり返っていた。


ぼくは、色の変化、
光と影の模様をぼんやり見ていた。

ぎこちなく踊る、若い「踊り子」のステージ。

色とりどりの光に照らされた友人の横顔は、
いつになくまじめな顔つきだった。


「もうそろそろ出ようか」


彼女が暗闇に消えたころ、
ぼくらはストリップ場をあとにした。

朝方まで見放題だと言うけれど。
もう、充分「お腹いっぱい」だった。

何だかよく分からない汗をかいて、
心身ともにぐったりだった。


● ● ● 


旅館まで歩く道すがら、
友人と2人、いろいろ回想しながら話していた。

場末のストリップ体験に、
さんざん文句や悪態をついていた友人だが。
友人いわく、


「最後、ちょっとヤバかった」


とのことだ。

あの、普段は見せないような
「まじめな顔つき」は、
そういう顔だったらしい。


結局のところ、
ストリップとしての「たのしみ方」を
一瞬でも堪能(たんのう)した友人は、
充分「男らしい」と言えるだろう。




旅館に戻って。

湿った汗を流すため、
旅館内の温泉に入ることにした。


旅館のなかは、
相変わらず真っ暗だった。

消灯時間のせいなのか、
それとも夜の暗さのせいなのか。
昼間よりもいっそう暗く感じた。


非常灯で緑がかった廊下を進み、
旅館内の「大浴場」へと向かう。

手探りで進むような、暗い廊下。

人の気配は、まったくない。

ぼくらの足音だけが、廊下に響く。

まるで季節はずれの肝試しのような感じだった。


真っ暗な大浴場。

入口の引き戸をカラカラと開ける。

暗闇の脱衣場に、
ほんのりと湯気が漂っているような気がした。

友人はすぐ横の便所へ消えた。


待っているのも手持ち無沙汰なので、
暗闇に目が慣れるより先に、
ぼくは浴衣を脱ぎはじめた。

手探りにカゴをたぐり寄せ、
浴衣や帯、パンツを放り込む。

背後に気配を感じた。

友人の悪ふざけかと思い、手を止め、ふり返る。


そこに見えたのは、
あきらかに友人の影ではなかった。


闇にぼんやりと浮かぶ、白い影。

白い影が、ゆっくりとうごめく。


「ぐっ!」

思わずぼくは、短い悲鳴をもらした。


見えてはいけないものを、
見てしまったのか・・・。


一瞬が永遠に
凍りついてしまったように見えた、
そのあと。


遅れて闇が、白々とした明かりに包まれた。


天井の蛍光灯が、灯ったのだ。


薄闇にぼんやりと見えた、白い影。

それは、玄関先で見た老人の姿だった。


白い肌着の上下を着た、旅館の老人。

まるでオカルトだ。


高鳴る動悸を抑えつつ。
ぼくは、電気を点けてくれた老人に顔を向けた。

「どうも、ありがとう」

老人は、ひとことも物言わず、表情すら変えず、
そのままくるりと背を向けた。


便所から出てきた友人が、
何ごとだ、という顔つきでこちらをうかがう。

いきなり登場した老人の姿に、
友人も、うわっとその場でのけぞった。


ぼくらふたりは、
すりすりと、すり足で去っていく
老人の背中を目で追いながら、
しばしその場に立ち尽くした。


夜更けに入浴する、旅館の老人。

せめて電気くらいは点けて入ってほしかった。


暗闇のなか。

老人は、息すらしていなかったかのように、
まったく気配がなかった。


真っ暗な闇のなかに浮かんだ、
全身真っ白の、おじいちゃん。


怖すぎる。

いろいろな意味で、怖かった。


古びた旅館の大浴場で。

ぼくらは、半日でかいたいろいろな汗を
すっかり洗い流した。


ふらり足を運んだ温泉街。

ほんの1泊だけの出来事だけれど、
なんだかものすごくディープなことの連続だった。


だからぼくは、温泉街が好きだ。

温泉に入るのはそれほどではないけれど、
温泉街の雰囲気が、すごく好きだ。



< 今日の言葉 >

「下半身は、まじめですね」

(下だけスーツのズボンを履いた姿を見て
 生徒が言った、なんだかまぎらわしいコメント)